来世は人魚で会いましょう
冷えきったつま先を、ささやかな波に沈めた。体温よりもずっと冷たいそれは、優しい音を立てて私の足首まで濡らしていく。
小さなあぶくを残しながら波が引いたあとには、色を落とした砂浜と私の足が残る。けれどまた、波がそれを覆い隠した。
そうして波は、繰り返し私たちの足を凍らせていた。
「ね。人魚って本当にいると思う?」
右足を持ち上げて、左足だけでバランスを取る。ぐぐっと地面に左足が沈み、私の足型が残る。
両手を広げてぐらぐらと揺れながらも、片足でたって見せた。
「人魚って……とっても美人で、歌が上手くて、泳ぎも上手くて…暖かい海の中で、皆仲良く暮らしてるんでしょう?」
遠い昔にテレビで見た…いや、映画だったかな?ううん、友達に聞いたんだっけ。あ〜ラジオかも?
とにかく、人魚が歌っていた…はずの歌を、ふんふんと歌ってみる。
両手でバランスをとりながら、一人で頑張る左足を酷使して、足型を強く残してみる。
「あ」
不意に訪れた少し大きな波。左足が耐えられないとばかりにくずおれ、気がつけば冷たい砂浜にどすんと腰を下ろしていた。
「あ〜あ、びしょぬれ。お気に入りのスカートだったのに」
もういいや、と座りながら波に両足を入れた。それでは足りないというのか、波は私の腰まで攫おうとする。そんな弱い波じゃ浚えないよ、残念。
ざざん、ざざんと波が打ち寄せる度に腰が冷やされた。
空を見上げれば、冷たい曇り空が優しげな赤に染まりつつある。
「ねぇ、人魚姫ってしってる?」
ふんふん、と先程の歌を再度口ずさむ。
あれ、この音程だったかな。歌詞、なんていってたっけ?
「人魚が人間になれるならさ、人間も人魚になれるよね?」
悪い海の魔女だったかな?その魔女に人魚姫はお願いして、声の代わりに足を貰うんだっけ。違ったかも。でもそんな感じだったよね?欲しいものには代償が必要ってやつ。
それで愛する人に愛して貰えなかったら、泡になるとかなんとか……。うーん。うろ覚えすぎるかも。
「海の魔女がいるなら、山の魔女がいてさ。足をえいや!って魚に変えてくれるの。宝石みたいにきらきらして、しなやかな尾鰭に」
それで、海の中を自由に動くの!
ぱしゃん!と波を蹴った。一瞬だけ小さく海を割れる私は、モーセかも。そんなことを思う間に、波はあっという間に引いていく。
「…………人魚、いるといいなぁ」
びしょ濡れのスカート、凍ったつま先。薄曇りの空を照らす赤い夕日を横目で見て、私はあなたの手を取った。
「大丈夫、私はあなたが人魚になっても、絶対わかるから」
ささやかな赤い波を割りながら、砂浜にあとを残しながら、冷たい海を歩く。
海の底には都市があるんだって。そこに人魚姫はいるのかな?
それとも乙姫さまがいるかな?玉手箱あるのかなぁ。気になるけど、玉手箱はいらないかも。
あ、美味しいご飯は一緒に食べたいね。
ね、あなた最近太った?はは、私がおいしいもの食べさせすぎたかなぁ。
赤い海が私の足を、腰を包み、煌びやかな尾鰭を形作る。
あなたも綺麗ね。一緒の色だ。まるで宝石みたいにきらきらして、揺らめいていて。
ね!次はきっと、いっとう綺麗な人魚になりましょうね。
一緒に人魚になれば、人間になる必要なんてないんだから。
赤い海が、暗い青色に変わっていく。
小さなあぶくが水面を微かに飾り立てていく。
ぽっかりと丸い月が浮かんだ海は、静かに砂浜を濡らし続けた。
静かな夜だった。