緋いドレスの女
第三話です。
今日も今日とて馬車での移動。
お貴族様や官庁のお偉方は、かつて魔法使いが精製した魔石の代替として動物や植物の化石ではないかと言われる煙晶石を燃料とする車なるものを使いだしているが万年予算不足の魔法庁ではのぞむべくもない。
どこぞの大魔法使いは、「え?魔法で転移すればいいじゃない。トマスくん、いい加減覚えたら?」と非常識をのたまうし。そんな魔法がほいほい使えてたまるかい。
あ、一人いたな。
転移だけ異様に得意な奴が。
同期の魔法使いハロルド。
あちこちに駆り出されて忙しそうだし、あいつ最大一人までしか連れて転移できないしな〜。
下手に転移魔法を覚えたら大変になるような予感がして、トマスは思考を切り替えた。
向かいに座る相棒兼守役に愚痴りだす。暇なのだ。
「あ~あ~、今日もむさ苦しい野郎と馬車で一緒か~。しかも3日も乗り続けで尻が痛いわ~」
と、刈り込んだ灰色の髪、緑の目、がっしりとした体格の同僚 パーシバル ストンブリッジズにこぼすと。目を閉じていたパーシバルは腕を組んだままむっつりと応じる。
「その言葉、そっくり返すぞ、トム。後、またぶっ倒れるのは勘弁しろよ。俺だって戦場でもないのに野郎を抱えて運ぶのはごめんなんだ」
「でもな~。今回は子どもがらみだろう?俺、気絶する未来が見えるわ。パーシー、俺帰っていい?家に帰って魔道具いじりたい」
下っ端にあるまじき自由過ぎる発言をパーシバルは当然のように黙殺して問いかける。
「そんなに子どもがらみは大変か?確かに錯乱する親の相手は気を使うだろうが。ましてや貴族だとな」
「子どもはな〜。子どもの霊は色々な意味で加減が効かないからな。引きずり込まれそうで正直怖いんだよ。もう駄目なんだろうな、三ヶ月も行方不明だぞ」
「どこぞの変態に誘拐されたかもしれんな」
「あ〜。その可能性もあるか。家族でピクニックに行って行方がわからなくなった、ね。お付きの者もいてな」
「5分ほど目を離した隙にだぞ」
「これこそ軍が人海戦術でしらみ潰しに捜索すりゃ良いのに」
「それでどうにもならなかったから俺たちが呼ばれたんだ。男爵領駐在の地方騎士団、第三師団の応援に捜査犬も駆り出して三ヶ月捜査しても令嬢の手掛かり一つ見つからない。ゴードンもぼやいていたぞ。まるで妖精に拐われたようだって」
「妖精ね。本当に怖いのは別の存在だよ。生きている人間とかな」
延々と続く牧草地帯を車窓から眺めながらトマスは呟いた。
ホイットニー男爵領はブラトー王国の中部から北部に広がる大荒野の南側に隣接する牧畜を主産業とした地域だ。
南部に近い平坦な牧草地帯を抜けるとごつごつした岩をのぞかせる丘陵地帯に入る。赤紫色の花を咲かせた茂みの隙間を縫うように点々と白い羊や山羊が茂みや牧草を食む姿が見えてきた。
「空が低くて暗いんだな」
「大荒野がある所は雨が多いと聞く。強風も吹くから木が育ちにくいらしい」
ガタン、と馬車が停まり馭者が声をかけた。
「お~い、旦那様方〜。馬車から降りて休憩しましょうや〜」
「ん?まだ集落には着いてないじゃないか」
バーシバルの声かけに御者が答えた。
「いやあ、羊の群れが道を横切っているんですわ。こりゃ当分動かれませんぜ。すみませんがね。一服でもしてくださらんか」
確かに馬車の前を羊の長い群れがのんびりと道を横切っている。仕方がない、と二人はタバコをだして一服を始めた。道は羊や山羊の落とし物で一杯だ。ブーツを履いてきてよかったと都会育ちのトマスが煙を吐いた時。女が声をかけてきた。
『あなた、セントルからきたの?』
赤いドレスを着たブルネットの髪をした若い女。
ああ、余計な者が。
トマスは内心舌打ちをした。見なかったことにしよう。
トマスはあえて女の方を向かずにタバコを吸う。すると、女が後ろから覆い被さる様に逆さまの格好でトマスの顔を覗き込んだもので思わずのけぞった。
『ねえ。あなたが見えているのは分かっているのよ』
ばさりと垂れ下がる髪。サファイアブルーの瞳が瞬きもせずにじっとトマスを睨めつけてきてめちゃくちゃ怖い。
それに加えて。
(お姉さん、あなたの後ろから彼氏がすごい目をして僕をにらみつけてくるんですよ。
お願いだから関わらないでくれるかな。それと普通に立っていて欲しい。心臓に悪いから)
残念ながらトマスの心の願いは女には通じなかったようだ。
『あなた、あの子を探しにきたのかしら?間抜けな騎士達が見当違いの所ばかり探しているから、いつまでも見つからなくて可哀想だわ』
トマスは女の背にしがみつく黒髪の男の視線を無視し、背中を向け独り言のように呟く。
「心当たりは?」
『子どもの頃、ヒューと荒野で遊んだものだけど。思いもかけない所に深い水たまりが隠れているの。私も嵌りそうになってヒューに助けて貰ったわ。びしょ濡れになって帰ってエリーに叱られたわね』
地面に立った女が振り返ると、男は幸せそうに微笑んで女を閉じ込めるように後ろから抱きしめる。ちらりとその様子を見てトマスはブルッと震えた。
『夏でも水が凍えるように冷たかったわ。あの子を早く出してあげて』
「なぜ俺に?」
『私ね、生まれたばかりの娘がいたのよ……』
羊の列が途切れそうだ。よかった、時間切れだ。
「礼は?花でよいか?」
女は少し微笑んだ。途端に後ろの男がトマスを睨みつける。おお怖っ。
生から解き放たれると、どうしてこうも遠慮がなくなるのか。
『花もよいけど。久しぶりにオート麦のケーキが食べたいわ』
「わかった」
名残惜しくタバコの煙を大きく吸い込んでから地面に落とし火をブーツで揉み消す。一服どころじゃなかったな、とトマスは内心でぼやく。
「お~い、トム!そろそろ出発するぞ」
馬車に乗り込み、振り返ると道の脇に墓が二つ。
男に後ろから抱きすくめられながら緋色の模様が胸を中心に広がったドレスを着た女が荒野の丘を虚ろに眺めている。その身体は儚い赤い光に包まれていた。
***
それはアレに呼びかける。アレを使えばもっと獲物が手に入るだろう。
『タりない、まだたりない』
『さあ、ハやくつれてこい』
『イッしょにいたオオきいのをつれてこい』
『ヨルにコえをかけるのだ』
『サそいだせ』
『ヒきこめ』
『もっとチカラを』
『もっとマリョクを』
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