黒髪の男
もう一つの約束を果たしにいきます。
ようやくトマスが床上げして、セントルへ戻る日がきた。
出発前日。トマスは往きに立ち往生した道に立ち寄った。
しとしとと降る霧雨の中、集落で手に入れたオート麦のケーキの包を一つの墓の前に供え、ウイスキーをもう一つの墓にかける。
『おっ。上物のウイスキーか。墓石にかけるんじゃなくて直接、俺に渡してくれよ。もったいない。
後、ケーキもよこせ、俺からクリスに渡す。お前からじゃないぞ、俺からクリスに渡すんだ』
ハスキーな男の声がして見上げると墓の向こうから黒髪の男がやってきた。執着もここまでくるとあっぱれだ。
(幽霊はこうじゃなくっちゃな)
世の柵から解き放たれた彼らは良くも悪くも己れの感情に素直なのだから。
手を伸ばされたので酒瓶とケーキを渡す。恋人命のぶれない男、ヒューはケーキを懐に入れ美味そうに酒瓶から直接ラッパ飲みをした。
『久々の酒は美味いな』
トマスが問いかけるように見ると男は少し笑い、曇り空を見上げながら言った。
『クリスは一足先に行った、あの子と一緒に。昔話のついでに煙草をもらえないか?』
トマスが煙草に火をつけて渡すと、男はこれまた美味そうに煙草を一口吸い、煙をはきだした。
『クリスティ、クリスとは幼なじみだった。俺が幸せにしたかったが身分の差があってかなわなかった』
トマスも自分の煙草に火をつける。幽霊の話はどうしても長話になるものだ。
『領地を出て。身を粉にして働いてひとかどの商人になって。愛した女の幸せな姿を一目見てみよう、そう思ったのが間違いだったのかもしれない。
故郷に戻って見たのはクリスの窶れた顔。婚家で義両親に窮屈に押さえつけられ、夫は嫉妬深く何かにつけて束縛したがりろくに外出もできない。商談がてら身重のクリスに好物を差し入れしたら俺との仲を疑いだす。
しまいにはクリスが産んだ子を俺の子じゃないかと疑いだして。あの亭主、頭がおかしいぜ。
義両親と旦那に責め立てられ、子どもも取り上げられてクリスはすっかり参ってしまった。
産後間もないのに婚家から抜け出して、誘われるように小神殿の丘で消えたんだ。』
おう、本当に修羅場だった。
「それで助けにいったのか。旦那はどうしてたんだ?」
『臆病者の旦那は使用人に頼んで終わり。使用人も丘まで行くのを嫌がってな。それで俺が探しに行った』
トマスが煙を吐いた。やりきれない話だ。
『俺が見つけた時にはクリスはアンデッドに捕らわれていた。魔力もない丸腰の商人に化け物相手は荷が勝ちすぎたな。
情けないことに奴の槍に串刺しにされる寸前でクリスが俺を庇った』
トマスが見た、胸を中心に赤で染まったドレス。赤い光を纏うクリスは火属性の魔力持ちだったのだろう。魔力を奪われてアンデッドが活性化したのか。
しかしアンデッド、槍も持っていたのか。飛び道具で攻撃されてたら俺たちもやばかったかもしれない。
『俺はクリスを抱えて水路に飛び込んだ。湖まではなんとか抜けられたがそこから先は持たなかった。
クリスは死んでも丘の近くから離れられなかったんだ。俺はただずっと傍にいるだけで、そんなクリスを救うことができなかった』
ヒューは少し俯いて自嘲の笑みを浮かべる。
『情けないな。愛する女一人幸せにできず、守ることもできなかった』
それが心残りだったのか。
トマスは煙を吐きながら男を見つめ言った。
「それでも愛する人が化け物の餌になるのを命がけで防いだじゃないか。あんたがクリスティさんと一緒に水路に飛び込んだからクリスティさんは哀れなスケルトンにされなくてすんだ。
この集落の人達が、ホイットニー家の者がアンデッドに遭わないように、怖がられても守り続けた。八十年以上も。伝説の大魔法使いでもできないことだ」
伝説の大魔法使いであるはずのヘンリー当人は封印したことすら忘れていたようだしな、とトマスは顔を顰めた。あの爺、やっぱり帰ったら殴ろう。
「あんた達が完全に食われていたらアンデッドが力をつけるのも早かっただろう。国からろくな助けもなく、集落みんなスケルトンになっていたかもしれない。
シャーロットは残念だったが兄のジェレミーはあんたのおかげで助かったんだろ?話を聞いたよ。
愛する女とその末裔、集落の人達を守り続けた。ヒュー。あんたは、なかなかどうしていい男だよ」
ヒューは照れくさそうに笑った。
その笑顔は年相応の青年だった。
まだ若かったのだ。
『そんなに褒められると身体が痒くなっちまうな。それでも俺のやった事も少しは意味があったんだな。ありがとうよ』
雨が止み、さっと上空から光が差してきた。光が強まると共にヒューの身体が薄れていく。
『そろそろのようだ。クリスが呼んでいる。じゃあな』
「長い間、お疲れ。ゆっくり休みなよ」
『ああ』
男の姿は消えていった。
どこからか子どもの声が聞こえてくる。
『ヒュー、おっそ〜いっ』
『ごめん、クリス。待たせちゃって。これからずっとクリスと遊べるよ。何して遊ぶ?』
『じゃあねえ。ヒースの丘まで遊びに行こ?どっちが先に着くか競争よ!』
『あ、クリスまってまって〜』
子ども達の無邪気な笑い声が通り過ぎていった。
今世で結ばれなかった二人は今、身分や柵に囚われない一番幸せだった子ども時代に還っていったのかもしれない。
「痛てっ。まだ身体中がみしみしするぜ……」
一方、トマスは筋肉痛で痛む身体をなだめつつ、えっちらおっちらと宿舎に戻って行く。
トマスが向かう先の空には虹がかかっていた。
次回、最終回です。
18時頃に投稿します。




