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8章 山上の村(1)

 カズフールはさほど峻険な山ではなかった。山道もとりたてて急ではなく、慣れた者ならば数時間で登り切れると思われる。だがごつごつした岩だらけの禿山で、辺りにはちらほらと灌木の姿しか見かけず、何に遮られることなく陽光が降り注ぐため体力の消耗は存外に激しい。また崩れた岩など足場も至って悪く、場所によっては登るのに相当難儀するのも仕方なしといえよう。

 そこはいくら低かろうと山は山、獣たちの棲み処でもあり決して油断して良い地ではない。上を目指すには、やはりそれなりの体力と根気が必要なのだ――。



 「ハア、ハア……」


 昨日廃城でルビーを手に入れたメルエスたちは、かくて半ばをとうに過ぎ、現在早くも山の上方へと果敢に挑んでいた。

 小さな案内者に導かれ、夜通し疾駆した猫目仕様の馬車が伯領中部地方の町へやって来たのは、ちょうど東空が明るくなりだした頃。すなわち昨日手に入れたルビーの中からは夜を迎えるとともに赤く輝く一匹の蝶が出現し、さらにメルエスが「愛する者のもとへ」と告げるといずこかを目指して一心不乱に飛び始めたのである。そう、まさしく羊皮紙にあった、2匹のルビーの蝶は闇の中どんなに離れていても必ず互いに引かれあい、そして近づくほどに激しく踊り出す、という説明の通りに――はたしてホブズの町に着いた時には、すでに姿の霞んだ光る虫の乱舞はまぎれもなく最高潮を迎えていた。

 午前中宿で少しの仮眠を取るとそこからは早くも情報収集で、すぐさま若い娘を含む怪しい集団が北に聳えるカズフール山へ今朝がた赴いていった、そして山上には誰も行かないような小さな村も存在する、そんな話をジェラルドが入手してきたわけである。

 ……今は両サイドを岩壁に挟まれた赤茶の凸凹道を、みな額に汗して懸命に登っていた。

 メルエスも、普段は文句の多いイーサンですら今は完全に黙々とした足取りだ。とても余計なことで体力を消耗している余裕などないのだろう。六時課(午後12時)の鐘の少しあと町を出発してからもうかれこれ三時間だから、すでに結構な時が経っていた。

 疲れも溜まってくるというもの――。

 実際かなりの間三人は歩き詰めで、イーサンなどは先ほどから相当足にきているらしかった。そこはませているとはいえまだ子供、息はぜえぜえと荒く今にもその場で立ち止まってしまいそうな按配である。

 彼は先を行く二人に目をやると、苦しげな息のまま何とか声をかけた。


 「な、なあ村、……村はまだなのかよ?」


 まず振り返ったのはすぐ前方のメルエスだった。彼女の足元では金色と灰色の猫がちょこまかと主人と歩みをともにしている。


 「何よイーサン、もうバテたの? 案外やわねえ」


 もっともそううそぶきつつも、彼女の表情もかなり厳しめだった。完全に肩で息をしていて、疲労が溜まりに溜まっているのは隠しようがない。それでも緑の瞳に宿るいつもの卑俗でいたずらっぽい光は健在だったが。


 「うっせえ! 山登りなんてほとんどしたことねえんだよ」

 「そもそも普段の鍛錬が足りないのよ。どうせ毎日遊んでるだけでしょ?」

 「んだとお」


 メルエスの嫌味にいきり立つ少年であったが、しかしその声に力はなくましてや強く反撃に出るなどもってのほかだった。結局いつもの負けん気は影を潜め、また相手の方もそれ以上けしかけることはなかったため、喧嘩の火は瞬く間に鎮火してしまう。

 するとメルエスのさらに上方から揶揄するような声が降ってきた。


 「どうした、もうそれで終わりか?」


 ジェラルドが道の左側の壁に肩を預け、二人を見下ろしていた。相変わらずスマートな立ち姿は、とても山登りの最中だとは思えない。そして彼の足元には大きな布袋が置かれていた。イーサンの大事な道具袋だ。

 緑瞳の娘は猫男の方を振り返ると呆れた口調で答える。


 「労力の温存よ。……それにしても相変わらず無尽蔵のスタミナね。息切れもしてないし、よくそれ担いでここまで登れたもんだわ」

 「イーサンの袋か。何これくらいどうということはない。それにしても二人ともフラフラだそ、一人くらいおぶってやろうか?」


 ジェラルドには珍しい軽口だが、むろん二人の同意はなくただ荒い息遣いのみが聞こえてくる。猫男はわざとらしく肩をすくめた。


 「つーか、それよりもまず休憩しようぜ……」


 やがてイーサンが息も絶え絶えといった(てい)で口を開いた。悪童らしからぬ弱々しげな声で、今にも道の真ん中に倒れ込みそうなほどだ。

 そんな哀れな様子を見やりながら、こちらも疲れたようにメルエスが口を添えた。


 「そうね、まああんたがそこまで言うなら。ジェラルド、少しくらいは休んでも良いでしょ?」


 彼女自身も休みたいのは見え見えだったが少年はあえて口を挟まず、二人は完全に休息モードに入りつつあった。こういう所は妙に気があうといえるだろう。

 だが上からの返事はにべもなかった。


 「そうしたいのは山々だが、しかしここで立ち止まるわけにはいかない」

 「へ? 何でだよ」

 「そうよ、私たちもうヘトヘトなのよ?」


 思わず本音の出た相棒を、猫の聡明な瞳が見つめる。そして彼は左手の親指で自分の背後を示すと、あっさり途方もなく大事なことを告げた。


 「ジェリコ村はすぐそこだからだ。ここまで来れば、もう見えるぞ」



 「本当だ、村に着いたぞ!」


 ジェラルドの言う通りジェリコ村はもう指呼の間にあった。疲労を押して歩く三人でも余裕で辿り着けるほどの。

 道は猫男のいる地点より平坦になり、そして今までのつづら折りとは異なりほぼ真っすぐ続いていた。ゆえにそこに立つと大分先の方まで見通せたが、メルエスたちは道の果て、岩壁の間についに数軒の家々の姿を確認することができたのだった。距離にしておよそ4~500デール。

 蜃気楼や幻覚の類でないならばそれはジェリコ村以外に考えられず、やっと直接目的地を目にしたメルエスとイーサンががぜんやる気を出したのは言うまでもない。

 さすがに勢いよく駆け出すというわけにはいかなかったが、それでも先ほどの弱音ぶりを考えると以降の彼女らの足取りは真に軽やかになっていた。現金といえばそれまでだが、人間とはえてしてそういうものである。

 かくして神殿の参道めいた岩の道を抜けると、ようやくにして旅の目標、ジェリコ村が三人と二匹の前にその全貌を露わにしたのだった。陽はまだ高いとはいえそろそろ傾きはじめ、もう二時間もしないうちに夕暮れを迎えるだろう。思えば予想外に難航した道のりであった。



 「何だここ?」


 ――しかし長旅を終えた感慨もなく、それが村の入口に差し掛かってのイーサンの第一声だった。すっとんきょうといっても過言ではない。明らかに戸惑っており、彼はしばし道の真ん中に突っ立つと呆然と辺りに目をやった。


 「すげえな、まるで城壁だ」


 彼がそう面食らったのも無理はない。あながちその呟きが的外れでないくらい、何とも奇抜な外観の村だったのだから。

 そう、まさしくジェリコ村は周囲をぐるりと岩の壁に囲まれていたのだ。それも高さ4デール以上はあるかと思えるほどの。もっとも壁といっても石や土を積み上げた人工物ではなく、むしろ岩の台地の一部が円形にポッカリと陥没して自然に形成されたもののようだが、いずれにせよ確かにそれだけを目にすればちょっとした規模の城に匹敵するほどの代物だった。壁に囲まれた空間自体は大した広さでないものの、とにかくぱっと見かなり威圧的な景観である。

 ただし圧巻ともいえる壁に比してその中身たる肝心の集落がやけにこぢんまりしており、相当な違和感を覚えざるを得ない。イーサンの疑問も半分はそちらの印象に対するものらしかった。


 「9,10,11……、家は12軒てところかしら?」


 少年の隣ではメルエスが村にある建物の数を指折りカウントしている。左手だけですぐ終わるほど、その数は明らかに少なかった。彼女としてもこんな形態の村落は初めてと見え、続けて思わず感嘆の一言が零れる。


 「こんな所があったなんて……」


 家々は空間の真ん中に屋根を寄せ合ってひっそりと建ち並んでいた。全体としては円を描いている。一応村の境界を示すためか外側の建物から2,3デールほどをおいて、申し訳程度に木製の柵が周囲を巡っていた。

 そして建物自体は距離をおいて見ても貧しげだと一目で分かるくらい、どれもこれも小ぶりで質素な佇まいだった。みな土壁で、その上に藁葺きの屋根が乗っかっている。さほど頑丈な作りとも思えず、嵐でも来ればひとたまりもないだろう。

 かように珍奇かつ小規模な村であったが、何よりも三人に訝しげな感を与えたのはその集落を間にして向こう側にある神殿らしき建造物の存在だった。壁をくり抜いて作られたそれは二階建てでやけに荘厳な正面(ファサード)をしており、造作はヘルメス教の会堂とは大いに異なっている。特に中央の入口を左右から挟む浮彫り(レリーフ)は人頭に獅子体、翼持つ獣スフィンクスだ。様々な寓意と象徴に彩られた錬金術ともまた一味違うモティーフである。

 かくのごとくメルエスたちのいる場所から眺める限り、そこはどう考えても古代異教の神域以外には考えられないのだった。

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