5章 ベルラック城(1)
一台の漆黒の馬車が細道を疾駆していた。
二頭引きの、大きさとしては中型クラスの箱馬車だ。実務に特化した仕様といった感で、貴族の馬車のような華美な装飾の類は一切なく、無骨で質素な作りをしている。恐らく庶民でも買えそうな価格帯だろうが、悪路などものともしない頑丈さなのは間違いあるまい。それが盛大に巻き上げる土埃を後方に残していく様は、まるで航跡を置いて海原を進む早舟のようだった。
だだっ広い平原の中を曲がりくねって伸びる、舗装も碌にされていない田舎道だ。なだらかな丘陵の続く辺りの景色は実に殺風景で、高くても膝丈程度の草むらの中から時おり灌木や大岩がにゅっと顔を出す以外は何も見えないに等しい。馬車の左手には森の姿が窺えるが、そこまでの距離があり過ぎてそれは遠く霞む像に過ぎなかった。
人の姿もまばらで、特にここしばらくは路上にも周りの草原にも人気は全く感じられない。大分前に旅の隊商一行とすれ違ったのが最後だ。後は鳥やら狐やら野生の動物がちらほらいるばかりで、のどかというにはあまりにも寂れた、虚ろともいえる一帯だった。
「ふわーあ」
……しかし辺りに漂うそこはかとなく虚無的な気分も、当の馬車に乗っている者にはまったく感じ取れないものらしい。
メルエスが座席で大きく一つ伸びをしてから洩らした淑女にはあるまじき豪快なあくびが、その何よりの証拠だった。何の恥じらいもない開放的な姿からはこれから仕事に向かうという緊張感はまるで感じられず、とても噂に名高い盗賊とは思われない。窓外に広がる寂れた景色も彼女にとっては眠気を誘うものでしかないようだ。
時刻は恐らく正午を二時間ほど過ぎたあたりで、日はまだ高い位置にある。時おり雲によって日光が遮られはするが、まずまずの晴天といって良い。それほど暑いわけでもなく、気候だけならむしろ清々しいくらいだ。
あくびで出た涙を拭うと、メルエスはそんなうららかな昼下がりの草原に目をやりつつさもうんざりしたように一人ごちるのだった。
「それにしてもひどい道ね」
その言の通り、凸凹道を進むせいで車内は決して快適とはいえなかった。振動も騒音もかなりのものだ。これでは道すがら優雅にお茶とはとてもいかず、よく整備された街道の旅とは雲泥の差といえる。
彼女の対面の席にはジェラルドが座っていた。彼は手にした小冊子に目を落としていたが、相手の声は聞こえたらしく、ふとその猫顔が上げられた。
「パウゼ地方――ギルバイスから西へ半日ほどだというのに、オーガスタ家にとってさほど重視すべき土地ではないようだな。まるで同じ伯領とは思えん」
落ち着き払った声色だが、彼もこの荒れ果てた道に辟易としているのは間違いない。気のせいかその顔は疲れ気味だ。
メルエスは目を窓の方に向けたまま、つまらなそうに応じた。
「言い換えれば、伯爵の権力から一番遠いところ。訳あり者にとっては格好の隠れ家ってやつね」
「フム、要するに栄華を極めるオーガスタ伯領の見えざる影ということか……」
「暗がりの方が住み易い人間なんていくらでもいるわ。やたら眩しい光の当たる場所を好む一等市民と同じくらいに――あれ?」
ふいにメルエスが言葉を切った。
快適に走っていた馬車が急減速しだしたのだ。窓外の景色の流れが遅くなる。
だが目的地はまだのはずだった。
それでもみるみるうちに速度は落ち、振動も緩やかなものとなっていく。馬の蹄や車輪の立てる音もおさまっていく。
どうしたのだろうとメルエスはジェラルドに目をやったが、彼は肩をすくめて分からないと意思表示するだけだった。
そしてやがて数秒もしないうちに、馬車は完全に路上で停止してしまった。同時に車内に久方ぶりの静寂が訪れる。聞こえてくるのは、今や先頭を行く二頭の馬の荒々しい鼻息ばかりだ。
怪訝に思ったメルエスは、窓から顔を出すと前方の御者台に向かって声を張り上げた。
「イーサン、どうしたっていうのよ!」
すると車台の向こうから赤髪の少年がひょっこり顔を出し、彼女に負けない大声で答えを返した。
「おい、分かれ道に着いたぜ!」
メルエスがつられてそちらを見ると、道先の傍らに木の看板が立っていて、なるほどその地点から道はそのまま真っすぐと左の方に分かれているのだった。
「てことは……」
「左に曲がればバルト―村、直進すればベルラック城だ。そして城までは後5リド(5キロ)というところか」
ジェラルドの言葉に、メルエスの目が左の道へ向けられる。
道は草原の上をほぼ真っすぐ延びていて、その先は小さな森へと続いていた。やはり馬車旅には厳しいかなりのガタガタ道だ。森はといえばそれなりに遠く、距離にして1リド以上あるかもしれない。
メルエスの視線はその道を辿り、そして尽きる地点でピタリと止まったのだった。
「――あの森の向こうに例の村があるのね」
「バルト―村だな。かなり小さな集落だとか」
「そんな所に盗賊団がやって来るなんて、確かにおかしな話ね。ステファンが言っていたように、どう考えてもシルヴィの持つ家宝を狙っていたとしか――」
「おい、どうすんだよ!」
二人の話に割って入るようにイーサンが再び大声を出した。その茶色の瞳は窓から顔を出すボスに向けられている。彼の言うどうする、とは事件の舞台となった村へ行くかどうか、という意味だろう。
メルエスは少年の方を見ると、軽く頭を振った。そして強い意志のこもった声できっぱりと言うのだった。
「いえ、村には行かないわ。得られる情報ももうないはず。――さあイーサン、城へ急いで! 後少しとはいえ、そこで宝探しがあることを考えるとあまり時間は残ってないの」
ジェラルドの言った通り5リド、時間にしておよそ30分で馬車はベルラック城へ着いた。
延々と続く道を北へと向かっているとやがて小高い丘に出くわし、城はその頂上にあった。規模としては小さいが、高みから辺りを睥睨するその姿には近寄りがたい威厳がある。
出入り口となる城門は丘の北側にあり、馬車は道をそこまで回りこまなければならなかった。途中谷状になった隘路が待ち構えており、それを上って行くといよいよ城が間近に姿を現わす。近頃の城郭は壁の要所に防御用の塔を建てるのが基本だが、この城には一つもそうした設備がなくいかに古い時代のものかを物語っている。そして主のいない廃城だけに城門前の空堀には跳ね橋が降りたままで、馬車は容易に中へ入ることができた。
外から見た規模から予想された通り、中庭も大きな城のそれと比べると明らかに手狭だった。真ん中に使われなくなってから久しい井戸があり、周りは居館やら塔やら幾つかの建物に囲まれている。廃墟なので当たり前だがそれらは皆苔むしたり亀裂が入ったりしていて、もはやとても人が住める状態ではなかった。庭も丈の高い雑草にすっかり覆われ、まさに荒れ放題である。
そんな廃城の門を抜けた馬車は中庭の片隅に停められ、降車した一行は今めいめいが<宝探し>の準備に取り掛かっているところだった。
イーサンは腰を屈めて地面に置かれた大きな布袋の中身を覗いていた。何やら道具類が色々入っているらしく、時折手を突っこんではガサゴソ丹念に点検している。特にランタンは傘を外して故障がないかじっくり確認するほどの念の入れようだった。服装はステファンと面会した時とほぼ同じ、白シャツ、レンガ色のベスト、茶色い膝丈ズボンというもので、今日はその上から頭巾つきの灰色外套を羽織っていた。
少年の隣ではジェラルドが腰に差してあった長剣を抜き、その具合を確かめていた。叩きつけて砕くというよりは、斬り、突くことに適した細身の剣だ。二、三度軽く振ると、その度に刃が日光を反射して鋭い銀光を放った。こちらは灰青色のジャケットと紺色のスラックス、それに黒のシルクハットという洗練されたいでたちである。背も高く、フォルム自体がぴしっとしている。
「ほら、パトラにヨルグ、お昼寝はもう終わり。そろそろ仕事の時間よ」
そして三人組のリーダー、<猫つかい>メルエスは両手で二匹の猫が入った大きな籠を抱えていた。中にいるのは猫目館でオルゴールを聴いていたあの灰毛猫と輝かんばかりの金毛猫だ。仲良く並んで横になっている二匹とも明らかにまだ寝惚けまなこで、籠を揺さぶってもなかなか反応を示さない。灰猫の方はそれでもあくび混じりにやがて何とか目を開いたが、一方金猫は揺れが逆に心地良かったのかまた目を閉じてしまい、夢の中へ再突入しそうな気配である。そのマイペースな様子に彼女は嘆息せざるをえなかった。
「こりゃヨルグは当分起きないな……」
そう呟くと、とりあえず灰猫だけを地面に降ろしてやる。
そんな女盗賊の服装は、三人の中でも際立ってきらびやかだった。
襟と袖に優美で繊細なレース飾りの施された真っ白なブラウスは涼やかで気品に溢れている。シルクのスカートは琥珀色で、こちらも裾の方には帯状の銀糸の縫い取りがあった。腰には都会で流行の紫色のサッシュが巻かれ、両肩で留めるマントは鮮やかな深紅だ。若草色のお洒落な鍔広帽子を被り、足の橙色の革長靴も間違いなく高級品――。
その姿は、さながら春の晴れた日に優雅な散策に出かけた貴族令嬢のようだった。
「メルエス、もう用意はできたぜ」
籠の中ですやすや寝息を立て始めたヨルグを渋い顔で見つめるメルエスに、イーサンが声をかけた。その言葉通り点検はすべて終わったらしく、袋の口は閉じられそれを背負うようにしていた。
「ヨルグは起きそうもないか?」
振り返った彼女にさらにそう尋ねる。メルエスの返答は溜息交じりだった。
「駄目ね。馬車で留守番ってことになりそう」
「そうか。まあ一度寝たらなかなか起きない奴だからな」
訳知り顔でそう零すと、ふいに少年は口を噤み表情を曇らせた。それがいかにも何かありげだったので、メルエスが訝しさも露わに問い質す。
「何よ、何か言いたいの?」
「いや、本当に隠し部屋があるのかと思ってさ」
何とも疑わしさ満点のその一言に、美女は緑瞳に過剰なまでの自信漲らせて応じた。
「当然あるわ。何せ昔『壁抜け男』から聞いたネタよ」
彼女の口にした自らに勝るとも劣らない奇妙な二つ名は、イーサンの顔を大仰にしかめさせた。
「名うての財宝探し屋か。でもあいつ大嘘つきとしても有名なんだけどな……」
「確かによく出鱈目言って人を困らせるわね。詐欺とか以前に相手を騙すのが無性に楽しいらしいから。だけど心配ご無用、この情報ばかりは正真正銘本物よ」
「だから何でそんなこと言い切れんだよ」
なおも不平顔のイーサンに、ふいにメルエスが大人びた微笑を口元へ浮かべ秘密を告白するように答える。
「たって彼、ベッドの中では馬鹿正直だから」
一瞬耳にした言葉の意味が分からなかったものの、しかしすぐにその際どい情景が脳裡へ浮かんだらしく、少年は思わずポカンと固まってしまった。そんな彼を放っておいて、女盗賊はジェラルドの方へ顔を向ける。
「ジェラルド、あんたも準備OKね?」
「ああ、もちろんだ。……しかしメルエス、イーサンはまだ子供だ。彼相手にあまりそうした話をするのはどうかと思うが」
すると相手は妙にあっけらかんと言った。
「何誤解してんの? 私は宴会で酔い潰れた彼を寝床まで運んでやった時、たまたま呟いた話を耳にしただけよ」
猫男は一瞬呆気に取られたが、しかしその時にはカメレオンの目の如くメルエスの関心はすでに次のことへ移ってしまっていた。彼女は意を決したように城の建物の中でも一番目立って大きい居館に目をくれると、力強く言い放ったのだ。
「さあ、みんな準備が終わったならいよいよ仕事に取り掛かるわよ! ステファンの言っていた手がかりは絶対あそこにあるはずなんだから」