3章 猫目館にて(2)
「なるほど、行方不明になった恋人を捜してほしい」
机に両肘をつき、胸の手前で左右の手を組んだ姿勢でメルエスが呟くように言った。やや低めの外見以上に大人びた声音だ。
「はい。バルト―村に住む、シルヴィ・アルムという女性です」
力をこめてステファンが応じる。
いわば、これから彼女の命を賭けて取引が始まるのだ。いくら真剣に臨もうと思っても足りないくらいだろう。普段の商談など、これに比べたら遥かに気楽といえようか。
だがそんな意気込みの商人をよそに、次いで盗賊が口にした質問は実に呑気なものだった。
「その娘、可愛いの?」
「え、シルヴィですか?」
「そう、後年齢も」
余りに予想外の問いだったためステファンは初め何かの冗談かとも思ったほどだが、しかし相手の方を窺うと案に相違してその表情は至って真面目そのものだ。まさか本当にそんなことがまず聞きたいというのだろうか?
大いなる怪訝さに包まれたまま、ステファンは答えた。
「可愛いかと言われれば、もちろん私には大変魅力的に映りますが……。歳は今年で21になると思います」
「21、悪くないわね」
何が悪くないのかは定かでないが、メルエスは納得したように一人うなずく。その様子に彼の方がなぜかおどおどしながら訊ねた。
「あの、それが仕事と何か関係が?」
「人捜しってことだから、相手の特徴はしっかり把握しておかないとね」
「なにが人捜しのため、だよ。単に若い方がやる気出るだけじゃんか」
ふいに隣のイーサンが横槍を入れてくると、図星なのかメルエスはそちらをきっと睨み、妙に力強く言い返した。
「失礼ね、そんな単純なはずないじゃない。そりゃおじさんより若い女の子探した方がよっぽど気分は良いけど、仕事は仕事、誰であろうととにかく全力でやるのが私の――」
「メルエス、お客様がお待ちしている。そろそろ本題に入ろう」
猫男ジェラルドが冷静な口ぶりで彼女の熱い主張を遮る。やはりこの三人の中では明らかに一番理性的だ。
その一言で我に返った美女は、水を差した相手に恨みがましげな一瞥をくれながらも、再び依頼人の方に向き直った。
「……要するに、そのシルヴィって娘を捜すわけね。その娘、家出でもしたの?」
話がようやく本筋に戻ったため、ステファンは姿勢を正し改めて盗賊をしかと見すえながら口を開いた。
「いえ、そういうわけではありません。彼女は盗賊たちに狙われたため、村から逃げ出したに違いないのです」
「盗賊?」
ふいに出てきた物騒な単語に、メルエスの瞳が今までとは異なる光を放つ。二人の仲間にもさざ波のように緊張感が伝わったのが傍目にも分かった。やはり同業者、盗賊という言葉に敏感に反応するのは当然のことといえよう。
ステファンは話を続ける。
「一週間前シルヴィは忽然といなくなりましたが、その直後村を正体不明の盗賊団が襲撃しています。奴らは村中彼女を探し回ったようで、最後にはその家に火まで放っているのです」
「それは完全に標的だったということね。でも、その狙いは? 彼女、そんなお金持ちだったの?」
メルエスの常識的な問いに、商人は頭を振った。
「シルヴィは言ってみれば、田舎の平凡な村娘です。生活はつましく、日々家の仕事に明け暮れていました。とても裕福とはいえず、普通に考えれば盗賊に襲われるなどあり得ません。ただ――」
「ただ?」
何か思うところがあるのか、彼がふいに話を止める。メルエスはおや、という顔をして続きを待った。
「シルヴィから以前聞いたのですが、彼女の家、すなわちアルム家には家宝のようなものが伝えられているらしいのです」
「家宝?」
「ええ、残念ながらそれが何かまでは聞いておりませんが……」
その言葉は心底悔やんでいるようだった。
「それがシルヴィの失踪に絡んでいると?」
「盗賊が襲う目的となると、今の所それしか思い浮かばないのです。そして何よりも、彼女自身がいずれ家宝を狙って何者かがやって来るのを危惧しているふしがありました」
「へえ、じゃその宝、かなりの値打ち物かもしれないわね」
好奇心に満ちた相手の一言に、ステファンはしかし曖昧にしか答えられなかった。
「宝の中身について彼女が語ったことといえば、『確かにあれは非常に貴重なものかもしれない。でも私には本当の価値は分からず、売ることはおろか使うこともできない』――これくらいでした。具体的には何一つ解明されていないに等しいのです」
彼はやはり悔やんでも悔やみきれない様子だったが、対して盗賊の表情には落胆の色は窺われなかった。むしろ不敵ともいえる笑みさえ零していたのだ。
「フフ、貴重かつ無駄、何とも気になる家宝ね。できればこの目で拝見したいくらい。もちろん彼女を救出してからの話になるけど」
「しかし恐らく盗賊団もシルヴィの行方を追っています。そう容易なこととは思われません」
「確かに気になる……連中に関して何か情報は?」
「詳しいことは分からないのですが、ただ盗賊を見かけた村の幾人かは、彼らが皆黒ずくめだったと申しておりました」
「黒ずくめだって?」
それまで黙って話を聞いていたイーサンが素っ頓狂な声を出す。ステファンは目を丸くした少年の方を向き、その疑問に答えた。
「黒ずくめというのはつまり、彼らが頭の上から足の先まで真っ黒なつなぎ服を着ていたということです。襲撃は宵の口あたりだったのですが、その姿の異様さはまるで生命を得た影そのものであったと皆口を揃えて証言しています」
話を聞くと、メルエスはやや俯き顎に手を当て何やら考えこむポーズを取った。その様子にひょっとして何か心当たりでもあるのかと一瞬期待は高まったが、しかし彼女はすぐに冴えない表情で面を上げる。
「ウーン、全員黒ずくめなんて全く見当もつかないわ。あるいは伯領の外からやって来た連中か……。盗賊たちを追うのもシルヴィに辿り着く一つの手かなんて思ったんだけど、正体不明となるとねえ。かなり難しい。他の手段で行くか――」
メルエスがそう面倒げに嘆いた瞬間だった。
「わっ」
ステファンが突然ガバッと立ち上がり、彼女と隣の少年を驚かせた。ジェラルドでさえ一瞬目を大きく見開いたほどの勢いだ。
「他の手段――私はそれを持っています」
そして彼は左手を盗賊たちによく見えるように差し出したのだが、その薬指には銀色の指輪がはめられているのだった。
「それは、どういうこと?」
「この指輪です。これが、彼女を見つけ出す手がかりに他ならないのです」
その指輪は銀とはいえ年代物なのか輝きは相当褪せ、それほど高価なものには見えなかった。失礼な話ギルバイスなら下町の小さな骨董屋でいくらでも安く手に入る代物かもしれない。
だがよく見ると指輪の台座には何かの図像が嵌め込んであった。かなり目を近づけないと分からないが、どうやら一羽の白い鳥が後光の如く青い五芒星を背にしている意匠のようだった。
不思議な図柄だが、むろんその意味するところは見当もつかない。
頭を捻るメルエスとイーサンに、再び椅子に腰を下ろしたステファンが静かに告げた。
「この指輪に描かれているのはアルム家の紋章です。私はシルヴィからこれを渡され、あることを依頼されていました。すなわちもし彼女が村から突然姿を消したら、指輪を持って村の北にあるベルラックという名の城に行って欲しいと。そこに行けば、彼女の行方に関する手がかりが得られるというのです」
「ベルラック……」
熱の入った説明を聞くと、メルエスはポツリと呟いただけで後は腕を組みしばし沈黙した。どこか一点を見つめ、かなり考えこんでいるようである。
よほど気になることでもあったのか、彼がそんな妙に長い間に耐え切れず何か尋ねようとしたその寸前まで、結局盗賊の口が開かれることはなかった。
――そして。
「これが、今のところ唯一の手がかりということ?」
ようやく呟くように言う。
「はい。限りなく小さなものかもしれませんが」
「でもかなりの助けとなるわ。他ならぬ本人が自分を捜すためのもの言っているのだから」
「では、仕事は引き受けてくださると?」
ふいにパッとステファンの表情が明るくなった。まさしく凍えるような真っ暗闇に、ようやく求め続けた一筋の光が射しこんだ、それは劇的たる福音の瞬間だった。
「そうね。盗賊も関わるとなると久々に歯ごたえのある仕事になりそうだけど」
はたして隠しようのない期待のこもった問いに、メルエスはまたもや口元へ不敵極まる笑みを浮かべる。あるいはその大胆で太々しささえ感じられる顔は、デインの商人が初めて垣間見た、まごうかたなき高名なる大盗賊のそれだったのかもしれなかった。
「あ、ありがとうございます!」
「喜ぶのはまだ、後は報酬次第。――さてそちらの方は心配ないかしら?」