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21章 嵐の前(3)

 <黄金の鎌>の外ではもう陽の光が大分斜めに差し掛かっていた。後半刻もすれば辺りはとっぷりと四月の夕暮れに染まることだろう。特に伯領の中でも寒冷で知られる地にある村だけに、正午はそれほどでもなかった風の冷たさがかなり強さを増したように感じられる。まるでやっとほの見えてきた夏へのきざしを無情にも吹き払っていくかのようだ。かてて加えて夜ともなれば一帯の気温がなおさら身を縮めるほど下がってしまうのは想像に難くなく、なるほどそれを思えば虫や動物たちが活発に動き出す時節の到来もこの地においてはまだまだ先のことのように思われるのだった――。


 

 「おお、寒っ」


 はたしてそんな寒々しい風景の中、旅籠の扉を開け思わず驚きの声を洩らしたのは老婆姿の盗賊、すなわちメルエスである。あまりにも室内との変化が大きすぎて、気づけば慌ててケープの襟を合わせている。むろん今は伸ばしっ放しの白髪をもてあそぶように揺らすのは、草原をはるか渡ってきた冷ややかな風だ。

 ジーナスたちは建物の中でまだ打ち合わせ中で、一人きりの彼女はしばし人気のない広場を前にポツンと突っ立ち、震えながら両腕でギュッと自分を抱き締めるようにしていた。その大袈裟な仕草からするに、この盗賊とことん寒さの方には耐性がないらしい。

 ゆえにその視線は一瞬旅籠に戻って少し暖でも取ろうかと後ろへ向いたが、しかしすぐ我に返りブルブルと首を横に振ると、強引に前方に向け直した。やはり仕事は仕事、特に今はとてものんびり休んでいる場合などではないのだ。

 確かにもし今日にでもカルナックが石を使うつもりなら、残された時間はあまりにわずかだった。これから彼との対決のためまずは村近くの森で待つ仲間たちと合流し、文字通り全速力で北のガーセンへ向かわなくてはならない。だが件の町ではあの仮面の男のみならず<黒い犬>も待ち構えているはずで、普通に考えれば魔道士のもとへ無事たどり着くことさえ至難のわざといえよう。

 要するに、歴戦の彼女にとってもこれほどシビアでタイトなものの経験は滅多になく、思わずその面に隠しようのない焦慮の色が走る、そんなある種()()()()めいた案件が今目の前に凝然(ぎょうぜん)と立ちはだかっているのだった。



 「あの……」


 かくしてメルエスがはやる気持ちを抑えんと大きく息を吐いた、その時である。ふいに彼女に声を掛ける一人の人物があった。

 左手の方より聞こえてきたどこかおずおずした声音に、メルエスは一瞬驚いた顔をしてから振り向く。単に唐突だったこともあるが、加えて村人たちは皆こんな寒さならすでに家の中にいるはず、と油断していたことも大きかった。


 「何……。誰、あんた?」


 それゆえ誰何の声も自然と訝しさのこもったものである。あるいはこの状況でまさか呑気に挨拶でもあるまいとすばやく推察したのかもしれない。

 実際彼女の視線は、笑み一つなくとても友好的とは言いかねる雰囲気で、じっと旅籠の軒先にたたずみこちらを窺う男性の姿を捉えていた。鎌の形をしたしゃれた看板の下、彼は妙に印象深くも冬の曇り空を思わせる、上衣、ズボンからマントに至るまで全身灰色のいでたちをしている。

 むろん見覚えはないが、しかしどこかでその情報を耳にしたような気もする、そんな何となく引っかかりのある人物だった――。


 「……急にもうしわけありません。ひとつお聞きしたいのですが、あなたが探石使隊へ情報提供された方なのでしょうか?」


 恐縮した口調はそのまま、男が重ねて問いかけてきた。

 見たところ30代そこそこだろうか、風貌等にやけにくたびれた感もあるが、さりとてさほど老けて見えるわけでもない。むしろ調子さえよければ頭の切れる青年というようななかなか端正な面立ちである。

 ただこけた頬やどんよりした目つきなどなぜか全体的に陰鬱な印象は拭えず、それゆえこれから彼が何を語るにしても、少なくともそれが楽しい話題でないことだけは確実だった。


 「何よ突然……、っていうか何であんたがそんなこと知りたいのよ。まさか探石使のお仲間って訳じゃないでしょ?」


 そんな男のまとう妙な空気にメルエスが口ぶりへ険を乗せて応じると、彼は何とも微妙な表情を見せた。どう説明してよいものか、うまく言葉を探すのに手間取っているようだ。


 「……もちろん私は星室庁の者ではありません。ただ探石使様と行動をしばらく供にしているのは事実でして」

 「ふうん。ひょっとして入隊志望の見習いか何かってこと?」

 「いえ、とんでもない! 私はただのしがない一錬金術師にすぎません」


 相手の回答はどうにも要領を得ず、さすがにメルエルをしてさらなるいら立ちを覚えさせるに申し分なかった。むろん本来の性格によるところも大きいが、それよりもやはり今は時間がとてつもなく惜しいというのが重みになっているに違いあるまい。

 その焦慮は、当然ながら早くしろとでも言わんばかりのきつい響きを続けての言葉に混じらせたのだった。


 「ああそう、まあなんでもいいけど。で、私に何か用なの? こっちは急いでいるの、あるならさっさとして」

 「では先ほどの質問の答えはイエスなのですね?」

 「……そうよ、私は悪党たちのタレコミに来たの」


 かなりぶっきらぼうな相手の言に、男はふいに顔色を強張らせた。心なしか気おくれしたようにも見える。あるいはそれは連中と何か接点があるゆえの怯え、というやつかもしれなかった。


 「おお、やはり……では<黒い犬>に関しては?」

 「そりゃ知ってるっちゃ知ってるけど、それがどうしたのよ」

 「その理由はただひとつです――」


 次第に邪険さを増していくメルエスにも、気づいているのかいないのか男がめげることはない。かえって彼は意を決して、これまで以上に声を強くしたほどなのだった。


 「連中のもとに若い娘が一人いなかったか、それを教えてほしいのです」

 

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