20章 嵐の前(2)
<黄金の鎌>の食堂――そこはテーブルが3台きりの大した広さのない部屋だが、作り自体はしっかりとし、加えて染みついた香ばしい料理の匂いや素朴な感じの家具など、全体的に客を迎えるにふさわしい温かみがあった。長旅の疲れも充分取れようというものだろう。シルヴィが胸を張って立派と紹介しただけのことはある。
何よりも、村で大事な話をするには最適なほどに。
「なぜあなたがそんなことを」
「そりゃ色々あるけど、とりあえず企業秘密ってとこかね」
「? それはどういう――」
「まあそんな余計な話より」
こうして相手の一言に探石使はひたすら戸惑いをみせたが、構わず老婆は座ったままぐるりと四方を見回した。かなり何かが気になるようだ。
「ここだけど、変な奴が隣で聞き耳立てたりしてないだろうね? 大丈夫かい」
「……ご安心ください。旅籠の主人に協力してもらって、この建物には今我々三人とあなた以外誰もおりません。そしていただいた情報は決して外に漏らさないと誓います」
「ふうん、まあそこまで言うなら信じるとするか」
大して納得したとも思えないが、それにしては妙にあっさり老婆は引き下がった。いかに疑り深そうな彼女でも、真摯で力のある口ぶりの前にはあらがえなかったのかもしれない。
「さてと、じゃあそろそろ良い頃合いだ、始めるかね。話すよ」
そしてぐっと前へ身を乗り出す――。
だが。
「おっと、少しお待ちください。その前に」
「え?」
その時、なぜか水を差すようなジーナスの声が突如として上がり、老婆の続く言葉を押しとどめたのだった。事務的ともいえる特段強さのない口調とはいえ、語りモードに入ったばかりの彼女に一瞬驚きの色を現わさせるには完璧なタイミングだ。まさに不意打ちも同然で、まるで狙っていたかのような一言といえようか。
むろん目を白黒させながらも、せっかくのモードを邪魔された老女がすぐさま怪訝そうに問うたのは言うまでもなかった。
「何だ、早く聞きたいんじゃないのかい?」
「それはそうですが、ただ現状あなたからお話をうかがっても、我々がたやすく信じるわけには参りません。あなたがなぜどうやってそうした情報を得たのか、すなわち企業秘密を教えていただかない限りは……」
生真面目に探石使が述べると、対して老婆はこれ見よがしに盛大な溜息をついた。まさしくやれやれとげんなりした感じだ。
「ハア、ったく本当しち面倒くさい。そんなことまで言わなきゃいけないのかい?」
「もちろん。我々としてもできうる限り正確な情報が欲しいので」
ジーナスはあくまで頑なだった。彼女からそのあたりの説明がない限り、どうあっても耳を貸すつもりはないらしい。
露骨に嫌な顔をして何か反論しかけた老婆も、その何ともしようのない様子に結局は諦めの表情を浮かべていた。これだから頭の固い奴は、などと思いながらだろう、彼女は卓に乗せていた両肘を離すと椅子の背もたれにさも億劫そうに身を預けたのだった。
「……仕方ない、そこまで気になるなら話しとくか。じゃあ聞くけど、あんたカズフールのジェリコ村に行ったんだろ?」
「え? なぜそれを」
「いいからいいから。なら長老から聞いているはずだ。村には仮面の男とガラの悪い奴らだけでなく、その日もう一組来訪者があったと」
唐突に予想外のことを喋り出した相手に戸惑いつつ、ジーナスはあの日の会話を思い起こす。確かに長老が洞窟の中で探石使隊に語ったのは、どうにも腑に落ちないとしか表わしようのない話だった。
「来訪者――そう、確かに長老の話では奇妙な三人組が連中の少し後にやって来たとか」
「奇妙、フム、まあそうさね。そしてあんたらが主のいる洞窟を調べた時にはいつの間にか悪党風ともどもそいつらも姿を消していた、どういう方法でかは見当もつかないが――違うかい?」
「! なぜそんなことまで、いや、そもそもジェリコ村の件をどうしてご存知なのです? あなたはいったい……」
驚愕もあらわな顔をジーナスが、いや傍らの二人も示すと、対して老婆は呆れたように言った。
「まったく鈍い。いい加減分かんないかねえ」
「え?」
「だからね……」
そして皺だらけの顔にシニカルな笑みを乗せて口を開いた時、その声はまったく別人の、やや尊大な感のある年若き女性――すなわちメルエス・マグレータのものへと一変していたのである。
「私が、その時いた変テコ三人組の一人なの」
◇
「……あなたが、その三人の?」
突然の衝撃的過ぎる事実に分かりやすく驚愕の表情を浮かべた探石使隊。その後ロディはポカンと口を開け、ジーナスはつと面を厳しくする。そしてとどめの、ソエルの信じられぬとばかりに発せられた言葉を軽く受け流し、メルエスは相も変わらず平然たる調子で続けた。
「そ。そして私がその中の若い女、ただし今は仮の姿ってわけ。もちろんまだ老人って年じゃないわ……。さて、ではこれで満足かしら? 充分気が済んだなら、早速話の続きを再開しましょう!」
「リゲル、プラド家、メオン……」
かくして意外きわまる正体の公開後、メルエスは自らの得た情報を惜しみなく与えた。最初はいまだ相手を訝しんでいたジーナスたちもやがてその内容に引きこまれ、気がつけば前のめりになっている。特にカルナックと会談していた貴族風に関して話がおよぶと、もはや怪しむどころではなく、彼らはその重みに圧倒すらされたようだった。
「本当気の短そうなお坊っちゃんだけど、その様子だと誰か分かるみたいね」
むろんメルエスがこの好機をむざむざ見逃すはずもない。彼女は期待に目を輝かせ真正面から訊ねた。
「……プラド家はドラゴール有数の貴族だ」
「ドラゴール?」
「特に前侯爵に側近として仕えた。ただし七年前までの話だが」
七年前。
オーガスタの隣ドラゴール侯国では、国中を巻きこむ大政変が発生した。
侯爵カリムが没すると、その息子を差し置いて甥のファラックが挙兵し侯都を占拠、自ら堂々と侯位に就いたのだ。騒乱は一年もかからずあっさり終結、その際息子は捕えられ、そして宮殿の奥深くに幽閉されたという。むろん侯爵位を狙う最大のライヴァルを、何としても排除するために。
『砂の国の大乱』――後年そう世間で呼ばれることとなる事件である。
「プラド家は前侯爵の側近……」
「そして今は表面上ファラック閣下に従うとはいえ、両者の間は相当な緊張関係だという。いつ戦が始まってもおかしくないくらいに。それゆえ前太子、すなわちメオン様はプラドにとって生き残るための切り札なのだろう」
「! じゃあリゲルは」
深くうなずく探石使。
「ああ、プラド家には二人息子がいる。そのうちの弟の名がリゲル。相当な不良でとにかく素行の悪さは一級品だが、当主はこの者にオーガスタでの工作を任せたらしい。すなわち太子救出の勢力を集めるという」
そこまで言うと、ジーナスはふうと息を吐く。彼の脳裡には先日グロユーズ宮殿で見かけた恰幅の良い男の姿がはっきりと浮かんでいた。
「やはり重要な目的があってあそこにいたのか……」
「……リゲルは囚われの太子のため、石を使おうとしている」
いっぽうメルエスはメルエスであまりのことに驚き一色だった。ただの貴族崩れ程度だと思っていたあの若造が、やたら巨大な存在になってしまったのだから。
だがそれゆえようやく分かったことも多い。複雑なパズルのピースが少しずつ合わさってきたように。
そしてもちろん後に残るのは、最大にして最も謎めいた、あのピースただ一つだった。
「なるほど、そういうこと。じゃあ次は、いよいよあのカルナックって男についてね」
こうして長い話はついに終わった。
「まさか事件の背景にそんなことが……」
「我々としても君のくれた情報は実にありがたい。大いに参考にさせてもらおう」
――だが目に見えて興奮ぎみのそんな盗賊に対して、同じく驚き冷めやらぬ部下たちはともかく、探石使の返事はやたら事務感みなぎる社交辞令にすぎなかった。ふいに浮かんだ表情も妙によそよそしいものだ。いや、それどころか彼は話の間熱意とともに卓上へ乗り出していた身をあからさまに引き、そのそぶりはまるで改めて相手から少し距離を置くかのようだったのである。
「さて、では以上となるが、君のおかげでようやく事件の真相が見えてきた。特に首謀者二人に関する情報は大きい。協力いたく感謝する。あとは専門家たる我々にすべて委ねたまえ」
「え」
「もう君がこの一件に手を出す必要はない」
はたして続けたのはまさしくばっさり突き放す感もあらわな、取り付く島もない声音といえようか。当然ながらそこにはプロとしての矜持が見受けられるが、しかしそれだけでなくこのまま話を早く切り上げたいという念もありありと含まれていた。そう、いくらなんでも盗賊とこれ以上膝突き合わせるのは職務上しごくはばかられることなのだ。そもそもしょせんは聖職者と犯罪者、住む世界など天国と地獄ほどかけ離れているに決まっている――。
だが。
「あら、本当にそれでいいの?」
突き放された当の本人は、なぜかさきほどと同じ不敵な笑みを零し、いやに悠々と応じたのだった。それも何とも匂わせぶりな口調である。
ジーナスが怪訝な顔で見返したのは言うまでもなかった。
「? どういうことだ」
「だって二人のボスの目指す先はそれぞれ方向が真逆よ。しかも相当な距離がある。対してあなたたちはたったの7人。はたして両方に割ける兵力はあるの?」
「むろん対応するのは我らだけではない。それこそ星室庁全勢力を挙げて――」
「でも建国祭まであと二日、ということは件の審問官はすでにガーセンの町に到着しているはず。そしてカルナックも行動を開始したとなれば、それこそ今日明日にでも計画を実行する可能性が高い。そんな中これから本庁と連絡を取る余裕なんて、いったいあるのかしら?」
「……何が言いたい」
メルエスの滑らかすぎる饒舌に嫌な予感を覚えながらも、ジーナスはそう問わざるをえなかった。自然と表情も険しくなっている。
「だからあ」
ここで対する盗賊の瞳に点ったのは、無邪気と狡猾のないまぜになったような怪しげな光――経験豊かなジーナスにとっても、それはこれまでついぞ見たことのない、あまりにも不可解な域に属す輝きなのであった。
「――この私、<猫つかい>が協力してあげるわ。とにかく今は、猫の手でも借りたい状況でなくて?」




