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19章 嵐の前(1)

 それはまさしく家の残骸だった。

 小高い丘の上で、ほとんど折れたり焼失した黒焦げの骨組みが寒々しく佇立している。当然屋根や壁は形跡をいっさい留めずとうに崩れ落ち、今はそこを冷たい風がびゅうびゅう吹き抜けていくのみだ。その成れの果てである黒い瓦礫の山を見るにつけ、この小屋がよほど激しい火勢に襲われたのは間違いない。


 「火をおさえるために投げ入れたガラス玉ですか。田舎ではまだこんな素朴な習わしが生き残っているんですね」


 小屋跡傍に立つジーナスが背後、丘の下り口より耳にしたのは、そんな現場に対してソエルが洩らした驚きの呟きだった。濃い青瞳を焦げついた地面上の透明な石に向けているのだろう。むろんあくまで懐疑的なその口ぶりだけで、彼女が迷信の類を信じない人間だというのは火を見るより明らかだった。

 ジーナスは有能だがやや合理的に過ぎるかような部下に、背中を向けたまま静かに応じる。


 「素朴か……オーガスタは百年前までまだ異教を信仰していた地だからな。いまだ師の偉大なる御教えも完全には勝てないらしい」

 「……あまり聖職に携わる方にふさわしいおっしゃりようとは思えませんが」

 「だがお前も同意見なのだろう?」


 そう言って珍しく皮肉な微笑を口元に浮かべると、探石使はようやく背後へ振り返った。ソエルにしてもほとんど遭遇したことのない笑みらしく、一瞬目をしばたたかせる。


 「同じですか、私が?」

 「ああ、長いつきあいだ。言わずとも分かる。そんなことより」


 だがイロニーに彩られた表情はほんのつかの間のことで、ソエルが反論する間もなく彼はすぐに顔を元の生真面目な青年へ戻していた。そしてそのまま再び焼け跡のほうに視線を戻し、何事もなかったかのようにあっさり話題を次のものへ変えたのだった。


 「シルヴィ・アルムの住家。何とも徹底して焼かれているな」


 何か言いかけようとしたソエルも、その言葉につられてジーナスの背中から今は虚ろなかつての小屋に目をやる。


 「……まったく焼き尽くしたって感じですね。やはりあれを相当執念深く探したとしか」

 「あぶり出しでも行ったものか。ご苦労なことだ。実際のところシルヴィはすでに逃げ出した後だったというからな。ここには結局てがかりらしきものは何もなかった――」

 「はい。また村人たちもアルム家がバシリスクの瞳の守護者であることは誰も知らない模様です。つまりはジェリコ村とまったく同じケースとなります」


 そしてここでふとソエルは表情を硬くする。ようやく話の本題を切り出すということらしい。声にもどこか仕事にふさわしい張り詰めた緊張感が漂い出していた。


 「――それで、肝心のこの村を襲った連中ですが」

 「何か分かったのか?」

 「全員黒ずくめ、それにかなり統率の取れた集団――少なくともそんな盗賊はどこにも存在しません」


 そこまで告げてふいに言葉を切った副官にジーナスが再度顔を向けた。もちろん今度はまごうかたなく彼もかなり真剣な風だった。


 「盗賊は――だが他ならいるということだな?」

 「はい。バルト―村を襲撃した一団――彼らはおそらく<黒い犬(ブラックハウンド)>ではないかと考えられます」

 「黒い犬?」

 「北のドガ侯国でかつて勇名を馳せた、まさしく黒ずくめの姿が特徴の部隊です。前現二代の侯爵に仕え、とにかく冷酷、屈強、往時は暗殺や破壊工作に従事していました。ほとんど表舞台に出ることはなかったのですが」


 ソエルが語調を強くして説明すると、ジーナスはいかにも懸念されるように眉間に皺を寄せた。


 「それは厄介だな。だがお前の話を聞く限りでは彼らの活動はもう終わっているようにも取れるが」


 その問いは核心を突いていたのだろう、応じるソエルは青い瞳の輝きをさらに力強くしたのだった。


 「まさにその通りです。ロナン前侯が護衛用に自ら組織した黒い犬は功績多いゆえ力を持ちすぎ、やがて傲慢に振舞うようになりました。時には大貴族にも平気で無礼を働いたといいます。しかしそれを苦々しく思った現侯爵は、ついに国の総力を挙げて彼らを滅ぼす、そう数年前決意なされたのです」

 「粛清、ということか。では彼らはその時全滅したのか?」


 その時ふと何かに気を取られジーナスがソエルの背後に目をやったが、彼女は話に熱中するあまりそれにまったく気づかないようだった。上官をじっと見つめたまま、さらに勢いこんで続けたのだ。


 「いえ、軍の襲撃後首領のバビルサはじめ何人かはかろうじて逃げることができ、姿をくらませました。おそらく国外にでも身を隠したものと思われます」


 ソエルが述べると、ジーナスは納得した印に深くうなずいた。


 「ウム、それで合点がいった。その残党が今回の事件に関わっている、そう言いたいのだな?」

 「はい。ただ石をいったい何に使うのかは不明ですが」

 「だが敵の正体がおぼろげながら分かったのは何よりの収穫だ。むろんこれからも地道な情報収集は必要だろう。――ちょうど彼からも何か知らせがあるようだからな」


 そう言ってジーナスは副官の背後に向かって片手を掲げる。親しみのこもった素振りだ。


 「え?」

 「ロディだ」


 そして驚いたソエルが後ろを振り返った時には、同じ制服まとった探石使隊の若い同僚が丘の上目指してまっしぐらに駆けてきたのである。


                  ◇


 「あなたが、私と話がしたいと?」


 村中心に立つ、唯一の旅籠<黄金の鎌>の食堂にてジーナスが発した第一声は、どうにも予想外の感を隠し切れぬものだった。それは常に冷静かつ礼儀正しい彼にしては珍しい反応といえるかもしれない。そう、相手への丁寧な会釈はしたものの、普段なら容易に遮蔽できるはずのとまどいが、今とっさのことでつい出てきてしまったのだ。背後に控えるソエルが一瞬意外な表情を浮かべたほど、まことに分かりやすく。


 「そうさね。あたしがあんたに大事な話があるからわざわざこんな所まで来たんだ」


 するとそんな若き探石使の様子に何を感じたものか、食堂の椅子に深々と腰かけた老婆は、前歯の数本欠けた口からいかにも押しつけがましくそう応答したのだった。年輪を重ねた者特有の気の強さが窺え、また元気の方もだいぶありそうである。


 「村民たちに聞いたところ、この村の方ではないようです。我々が来ていると知り、急いで駆けつけたらしくて……」


 付け加えて白髪の老婆の傍らに立つ若者、黒い短髪をしたロディがなぜか申し訳なさそうに言った。彼がシルヴィの家跡にいた二人を呼びに来て、ジーナスと話がしたい人が旅籠で待っていると告げたのだ。

 隊長は若い部下に小さくうなずくと、再びテーブルを挟んで対面に座る老婆の方に視線を向けた。つとめて冷静な表情は維持したままだ。


 「さて、もういいかい?」


 対してさも待たされたと言わんばかりに、いらいらと指先で向かいの席を示しながら老婆が口を開く。ジーナスにさっさとそこへ座れ、ということらしい。ゆったりした灰色の上衣の上に肩を覆う黄色いケープという至ってありふれたいでたちながら、まるで魔女のような雰囲気漂わす人物だった。


 「では失礼します」


 軽く会釈すると、ジーナスはぞんざいな指示にあっさり従った。とにかく怪しげで、どんな情報を持っているか見当もつかないが、話を聞くつもりには変わりない。

 だがあくまで礼に適った態度の彼を見て、よほど性格が悪いのか老女が次に口にしたのはまぎれもない揶揄(やゆ)だった。


 「フフン、さすが星室庁のエリート、さまになってるねえ。それにその顔、女なんてあんた選び放題だろう?」

 「……さあ、どうでしょう」

 「謙遜するだけ無駄。こんないい男ほっとく女いるもんかい。現にあたしだって……」

 「いい加減にしてください!」


 放っとけばさらに言葉を連ねかねない老婆に、たまらずソエルが声を上げた。険のある表情になり、特に目にはありありと怒りの色が映っている。気の強さにかけては、彼女もまったく引けを取らないのだ。

 当然老女はソエルに目をやったものの、しかし赤毛の娘とは対照的にニヤリとし、その表情はまるでおどけているようだった。


 「おお、こわ。可愛いお嬢ちゃんを怒らせちまった。勘弁勘弁……さて、ではそろそろ本題に入るとするかね。何せあたしはすごい情報を持って来たんだから」


 そしてコホンと一つ咳払いする。

 ジーナスはその大風呂敷的態度に一瞬眉をひそめたものの、静かに問いかけた。


 「ほう、それはやはりシルヴィ・アルムについてですか」

 「シルヴィ――まあ関係することには違いないけど、要するにあたしの持つネタってのは、悪党を使ってこの村を襲わせた首謀者についてなんだよ」

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