17章 過去のあやまち(2)
「ふうん、両者を反応させる……つまり<瞳>は一つだけだとそれこそただの石ころってわけね」
「はい、ただ彼らはその二つを手に入れてしまいました。間違いなく力を使おうとするはずです。目的は分かりませんが……」
いかにも不安な面持ちのシルヴィに、メルエスは元気づけるように笑みを浮かべた。
「大丈夫、私たちが必ず二つの石を取り戻すわ。猫つかいに盗めないものはないんだから。――ただ一つ気になるのが、あいつらがどうやってバシリスクの瞳のありかを知ったのかってこと。ステファンの話だと初めからあなたの家を狙っていたみたいだし、完全に情報を掴んでいたとしか考えられない」
メルエスの疑問にシルヴィは一瞬口を噤んだ。どう答えるべきか迷ったからだ。なぜならそれは自分の過去のあやまちを語ることに他ならない――だがむろん大切な助力者に隠すわけにもいかず、しばしの逡巡の後ようやく彼女は口を開いた。哀切とも後悔ともとれるものが宿った声だった。
「――すべては私の責任です。私が村外の者にバシリスクの瞳のことを教えてしまったのです」
「え、姉ちゃんが?」
あまりに意外な言葉にあっけに取られてイーサンが声を洩らす。それは他の二人にしても同様で、つかの間虚を衝かれたような妙な時間が流れた。
「……何だ、シルヴィさんが誰かに売りつけたのかよ」
「いえ、決してお金目当てだったわけではありません! ……ただ私があまりに愚かであったことには変わりないのですが」
「じゃあ話してくれる? いったい誰に教えたのかを」
肩を落とした妹のような娘に、メルエスが優しく声をかけた。女性同士ならではの気遣いのこもった瞳であった。
「私の、恋人です」
「え? でもステファンは」
「いえ、彼じゃありません。その前に付き合っていた人、ダニエル・クルスという男性です……」
今から四年前の六月、シルヴィがステファンと出会う前。
バルト―にほど近いファルドの町から、この村に立ち寄った一人の錬金術師がいた。
もっとも大した用があったわけではなく、ただ伯都へ向かう途中天候が怪しくなったので一晩休みたい、その程度の目的である。
村には旅籠が一軒だけあった。町の宿屋に比べると遥かに小さく料理も目を丸くする豪華さではないが、村一番の大きくて立派な建物だった。当然のごとく錬金術師のその日の宿となる。
――そのころシルヴィはその店で時々お手伝いをしていた。彼女の父である前村長が病で亡くなった後旅籠の主人が世話してくれた縁もあり、忙しい時などよく駆けつけたのだ。
そして錬金術師が来たその日の夕方も、女将さんが病気で人手が足りないというので、シルヴィは食堂で給仕することになったのだった。
「町から来たお方だ」
店に着いたシルヴィに、主人はなぜか妙に困った顔で一言声を掛けた。
「もちろんこれから食事をなさるが、その後しばらくゆっくり誰かと話でもしたいそうだ。だがあいにく儂はまだ色々やることがある。今日は他に人もおらん。悪いがシルヴィ、彼の相手を頼まれてくれんか?」
初めて会った男性と二人きりで会話――冷静に考えれば教会の司祭が叱るような行為だったが、しかし主人の困り顔もあり、その時シルヴィはどうせ今夜一度限りならと魔が差してしまった。結局ほんの軽い気持ちで、あっさり引き受けていたのだ。
もちろんまだ知らない都会の話を聞いてみたいという純粋な好奇心も大きかった。何せそのころの彼女は、ただ心ときめかす何かを一心に探し求める少女だったのだから。そして実際彼はそんなワクワクしたい心をかき立ててくれる様々なものを持っていた。そう、陰、怪しさ、寂しさ――平凡な村娘には何一つないものばかりを。
食堂のテーブルの向こうから微笑みかけてくる、黒髪灰瞳のさかしげな若者。
……シルヴィのまだ幼さ残る心を途端がっしと掴むには充分な、それは光と影の交差したような不可思議な様相としか言いようがなかった。
「それがダニエルとのなれそめってわけ」
メルエスが妙に冷めた声で口を挟んだ。むろん現状を知っているがゆえのものだ。
「……あの日の出会いがとても良い印象すぎて、結局彼とは一年あまり付き合うことになります。さすがに村内では目立つので、大抵外でしか会っていません。でも時には村で遊ぶこともありました」
「都会の男ねえ。で、そいつに石の情報を教えちまったってことか」
「最初に言った通り彼は錬金術師です。それも教会の達人を目指す。……当然そのためにはかなりの実力と実績が必要で、私は少しでもその助けになればと、彼にある日アルム家に伝わる古文書を見せてしまったのです。バルト―とジェリコに隠された二つの石のことが記された――ただしそれはすべて暗号文で表記され、普通は正確に読むことはまずできない。もちろんだからといってさすがに渡すつもりはなかったのですが、ここにはグリアモスの石のありかが書かれているの、試験で暗号解読の問題が出たら役に立つかもね、なんて呑気に話したりもしました。――それがまさかこんなことになるなんて」
「その後ダニエルとは?」
「それが、古文書のことを教えてからは妙に雰囲気が変わってしまいました。次第に連絡をよこさなくなり、会うことも少なくなる。それでも何回かは私の家を訪れることがあったのですが、しかし大抵笑顔も見せずふさぎこんだままです。元々影のある人だったとはいえ、いつも思案顔で楽しい話もまるでしなくなった……そしてそんなある日、私ははたと気づいたのです。家から古文書が消えていることに。最初泥棒のしわざかとも思ったけど、でも床下の隠し場所を知っているはずはないしそもそもそこには乱暴に荒らされた形跡がない。
では、誰が……まさか、ひょっとして?
その時脳裡に浮かんだ顔は、ただ一つ。――そう、可能性でいえば、それはダニエルのやったこと以外考えられなかったのです。何よりも、それ以来彼と会うことは一切なかったのですから」
そこまで言うと、シルヴィは目を伏せた。さすがに当時の失望や後悔が頭をもたげてきたのだろう。明らかに気が沈んでいる。むろんそれくらい、錬金術師のことを真剣に愛していたともいえるが。
「なるほど、そして古文書を解読したダニエルが盗賊に石のありかを教えた」
机に肘をつき顔の前で両手を組んだメルエスが静かに告げる。男に対する憤りの現れか、どこか冷ややかな声音だった。
「それにしてもよく盗賊が来る前に逃げられたわね。どうやって気づいたの?」
「ダニエルのおかげです」
「え?」
「彼は錬金術を勉強するかたわら、古代魔法の勉強もしていました。それも実際いくらか使えるくらいに。そして付き合ってからしばらく経ったある日のこと、贈り物として自分の作った遠眼鏡をくれたんです。それはもちろん魔法じかけで、とても遠くまで見ることのできる道具でした」
そこでいったん一息つくと、シルヴィは盗賊の目をしっかりと見つめた。
「私はすぐそれがお気に入りになりました。自宅のある丘から使えばとにかくどこまでも外の世界が見られる気がして。実際ベルラック城ですら視界に捉えることが可能で、結局ダニエルとはもう会うこともありませんでしたが、遠眼鏡だけはずっと大切に取っておいたのです。本当宝物のようだった――そしてそこから大分時は経ち、襲撃のあった日。
私はその日、朝から暇さえあれば遠眼鏡を覗いていました。なぜかといえば、一年に数回村を訪れる行商人が来る日だったからです。特に前回来た時におしゃれな服を何着か頼んでいたため、本当に心待ちの日でした。いつ来るかいつ来るかと、一日中西の街道の方を見てはとにかく気持ちがはやる一方だった。
そしてあれはもう何回遠眼鏡を使ったか分からない、おそらく九時課(午後三時)から半刻以上は過ぎた頃――私は街道に、ふとこの村を目指して凄い勢いでやってくる怪しげな集団を見つけてしまったのです。全員黒ずくめで、馬に乗った連中を。
その忌々しい姿を見た瞬間ハッとしました。あいつらは絶対アルム家の家宝を狙っている、ついにずっと恐れていた事態が訪れた……。
そうなるともう居てもたってもいられず、とりあえず村から避難することにしました。石を守るのが家の役目である以上は。
ちなみに<瞳>について知っているのはアルム家の当主のみです。代々親から一子相伝され、他の村人に関しては昔魔法の力であえてその記憶を消してしまったのです。もちろん情報の流出を防ぐために――。
こうして私は石とわずかな荷物を持って逃げ出しました。後に残された人々のことは心配でしたが、しかし皆は石の記憶がない以上盗賊たちもすぐ諦めてしまうはずです。さらにわざと村の中に自分の頭巾を落としてシルヴィ・アルムが出て行った証とし、彼らに無駄に荒らさせないよう仕向けました。とにかく被害を最小限にしたい、その一心だった。
……でも急ごしらえの策は結局あだとなってしまいます。盗賊団の中に恐ろしく鼻の利く者がいて、そいつが頭巾の匂いを嗅いで追跡してきたのですから。――そしてわずか数日後、私は連中に追いつかれ囚われの身となったのでした」
「よく話してくれたわ」
深くうなずくとメルエスがねぎらいをこめて言った。瞳にはやる気めいた力強い輝きが宿っている。そのまぶしい緑色がシルヴィを何とも救われる思いにさせたのは言うまでもなかった。
「さて、事件のあらましは大体分かったから、あとはどうやって石を取り戻すかだけね」
「でも、彼らはもう行ってしまいました。どこに住んでいるかもわかりません。一体どうすれば……」
いかにも不安なシルヴィの声。確かにカルナックたちに関する手がかりが何もない以上、嘆きたくなるのは当然だ。五里霧中もはなはだしい。
だが、彼女とは対照的にメルエスの答えはなぜかやけに自信満々だった。
「大丈夫、手はちゃんと打っておいたから」
「手を?」
「そう、後はシルヴィ、あなたの持っているルビーがあれば――」
「ルビー……え、まさか!」
メルエスの謎めいた言葉に一瞬首を傾げたシルヴィだが、しかしすぐに驚きの声をあげた。そして目を丸くしたまま慌ててスカートの隠しに手をやると、中から赤い宝石を取り出したのだった。
そう、それは猫つかい一味がシルヴィの捜索に使ったあの魔法のルビーの片割れだった。相変わらず中で小さな蝶が眠っている。
シルヴィはその石を顔の手前まで持ってくるとまじまじ見つめる。ルビーの向こうではメルエスが勝ち気な笑みを浮かべていた。
「そのまさか。あなたも見ていたでしょ、取引の時あの男に赤い宝石を渡したのを。今頃あいつ、ルビーを見つめて一人にやけているかもね」




