16章 過去のあやまち(1)
黒のコーヒーに口をつけると、メルエスはテーブルに両肘を立て穏やかな口ぶりで言った。
「さあ、食事も済んだところだし、そろそろ話を始めようかしら。急ぐ必要があるかもしれないから」
そこはふたつのベッドの置かれた小ぢんまりとした部屋である。素朴とはいえ壁掛けが飾ってあるあたりそれなりに気を使っている感はあるが、その他には特に目立った装飾品も存在しない、ほぼ寝るだけに特化した部屋といえようか。
ホブズ近傍、街道沿いの宿場に建ち並ぶ隊商宿の一つ。一行は森を後にしてからこの店で昼食を取り、今は二階、二人の女性用部屋で休息がてら食後の会話の時間へ入った頃合いだった。ただしその内容はとても穏やかな団らんとはかけ離れたものだったのだが。
「――では最初の質問。<バシリスクの瞳>、あれはグリアモスの石の一つということね」
「はい。<コカトリスの瞳>とあわせ遠い昔私の先祖たちが作ったものです。もともと一つの大きなグループがあって、先祖たちはそこで錬金術を研究していたのです」
そしてシルヴィ・アルム。ステファンより救出を依頼された彼の恋人。小柄ながら彼女がまとうのは、見るからに活発そうな雰囲気だった。
黒髪に丸顔の可愛らしく愛嬌のある風貌である。黒い瞳は大きくつぶらでキラキラ輝き、その下の小ぶりな鼻と相まって年齢より幼く見せているかもしれない。口も小さく可憐な印象だが、しかし笑顔の方は見事なえくぼつき、そして何よりも良く日に焼けた肌が洗練された貴族令嬢とは異なる自然で輝ける魅力を存分に放つ。真昼の満開な花畑が良く似合うとでもいうべきか。
――そんな彼女の答えはまずイーサンをぐっと前へ乗り出させた。依頼内容外だが、いつの間にか彼も<石>探しに乗り気になっているようだ。
「じゃあ二つは昔同じ場所にあったってこと?」
「ええ。もちろん私も言い伝えでしか知りませんがそういうことのようです」
「でも今はバルト―とジェリコに離れて隠されていた……何だか色々ややこしい経緯がありそうね」
いつもの癖でメルエスが顎に手を当てた。その様子を見つめながら、シルヴィは記憶の扉を開けるためゆっくり話し出す。
「グリアモスの石、つまり動乱時代に造られた不完全な賢者の石……。先祖たちが研究の末創り上げたものですが、彼らはその作成法を〝師〟から教わったのだといいます」
「師? 先生がいたの?」
「そのようです。ただそれが誰かは伝わっていませんが。いずれにしても彼らのグループは師を中心としたある種の教団的なものでした。師の命には絶対従うような……」
「その師が二つの石の分かたれた原因に絡むと」
ここでジェラルドが静かに口を開く。普段から謎めいた色の瞳が、特にその強度を増している。シルヴィは一瞬幻めく紫水晶の輝きを吸いこまれたように見つめてしまったが、しかしすぐに今の状況を思い出した。
猫男に向かってうなずく。
「はい。つまりその師が教団を去ったあと後継者争いが生じ、結果石は分かれて隠されることとなったのです」
「去った? 何かトラブルでもあったのかよ」
「それに関しても何ら伝わっていません。ただある日こつ然と消えてしまったとしか」
「こつ然とねえ……」
ポツリと不審な感で呟くも、メルエスはすぐに切り替えて声を上げた。
「とりあえずそんな怪しい錬金術師のことはいいわ。要するにそいつのいなくなった後跡目争いが起きたわけね」
「そうです。後継者候補に名乗り出た者は二人いましたが、その二人を中心に教団が真っ二つになったほどでした。……ただしこの争いによって石が離れ離れになったわけではありません。直接の契機はその後一方の候補が勝利し新しい指導者となった時のことです」
そこまで喋るとシルヴィはいったんテーブルの面々を見渡す。いずれも真剣な面持ちで石を取り戻すことへの本気さを物語っている。今まで心細かった分やっと味方に巡りあえた気がして、シルヴィは胸に熱いものがこみ上げてきた。
「――争いに敗れた方はかなり執念深い人物のようでした。自分の敗北がどうしても納得できなかった彼はついに報復へと出ます。つまり腹いせと言うべきか、教団の作った二つの石の情報をとある貴族に売り飛ばしてしまったのです」
「そりゃ大変。醜い争いってやつかしら」
「まさにその通りですが、やがてその情報を伝え聞いた教団は大騒ぎとなりました。賢者の石のありかが外部の者に知られてしまったのですから。時は動乱時代、<石>を巡って権力者たちが激しく争うのはごく当たり前のことでした。
善後策を考えるべくさっそく新しい指導者は皆に意見を求めます。何しろ時間はもうないも同じ、のんびり構えている暇などありません。とにかく何か良い方法はないか議論は続きました。そして――」
「分けて隠す、ということになったのね」
盗賊の一言にシルヴィは深くうなずく。いにしえの記憶の重みか単に長く喋ったためか、その表情はどこか疲れ気味だった。
「はい。もちろん相手に見つけられにくくするのが大きいのですが、実はそれにはもう一つある重大な理由がありました。すなわちバシリスクの瞳とコカトリスの瞳、この二対は反応させることによって初めて力が使えるのです」
「反応……?」
「二つの石をエーテルの中で触れ合わせるんです。まるでバシリスクとコカトリスが見つめ合うように」
視線を交差させる二匹の怪物の姿が浮かんだのか、少し顔をしかめながらイーサンが口を挟んだ。
「じゃあそれはどんな力を持つんだ?」
「……それに関しては分かっていません。何も記録がないのです。おそらくジェリコ村の長老様も知らないんじゃないでしょうか?」




