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15章 取引の森(3)

 「おおっ」


 突然石の発した炎に、一同が驚愕してどよめく。炎は黒石を包みこみさらに高く立ち昇るや幻のごとく消えてしまったが、その光景はまるで大陸ではいまだ希少品の火薬の発火を彷彿とさせるものだった。ただし煙も匂いも一切伴ってはおらず、どう考えても自然の理に従う物質のわざではありえない。

 それは壺の中の赤い液体を石に数滴垂らした直後数秒間のことであった。さすがに手品だと騒ぎ立てる者はいなかったものの、しかしその仕組みがまったくもって不明ゆえ皆言葉を失いポカンとしている。まさに狐につままれたを地で行く空気だ。

 むろん以上の怪現象の意味を知るのはカルナック一人であり、それゆえ彼のみは石を手にしたままさも満足そうにうなずいていた。表情は仮面に隠されているとはいえ、そこに漂うのは明らかに望むものを手に入れた高揚感である。一心に石を見つめ、あるいは隣からの痺れを切らした声がなければそうやっていつまでも耽溺していたかもしれない。

 すなわちカルナックを振り向かせたのは、当惑げながら隠しようのない期待のこもった貴族風の声であった。


 「カ、カルナック、まさか今の炎が本物という証なのか……?」

 「いかにも。これは間違いなく<グリアモスの石>です」


 今にも石に近寄らんばかりの貴族風に、至って平静に魔道士が応じる。それは言外に自分にとってはこの現象も計算通りのものに過ぎないと告げていた。


 「しかしいったい何が起こったのだ?」

 「<イビスの血>を使ったのです」


 そう言うとカルナックが手にした壺を相手に掲げてみせる。壺の口にはすでにコルク製の栓がしてあった。


 「イビスの血?」

 「古来より賢者の石の判定に使われてきた、真実を知る聖鳥イビス(トキ)の血です。すなわちこれを石に振りかけて炎を発すれば、それは本物ということになる」

 「では……」


 貴族風がゴクリと唾を飲みこんだ。もちろん答えは言わずもがなだった。


 「ええ、御覧の通りです。これこそは我々が探し求めていた<コカトリスの瞳>、むろんバルト―村にあった<バシリスクの瞳>と対になる石。つまりはこの二つが揃った上は」


 ここでカルナックはいったん言葉を切る。それはもったいぶるというより、自らのたかぶる気持ちを抑えようとする間だった。


 「――貴殿も、そして私もついに宿願を果たせるのです」

 「これで、やっと復讐を……」

 「どうやら本物だと確かめられたようだな」


 カルナックの呼びかけに貴族風は拳を握り締めうわごとめいた呟きを洩らしたが、しかしそれはジェラルドの冷静な一言によって中断された。彼がハッとして不機嫌にそちらを見やると、白猫の怜悧な紫瞳が魔道士を射抜くように向けられている。今までの二人の会話に何を感じたのかは、やはり窺い知ることのできない表情だ。


 「もう用は済んだはずだが」


 さらにジェラルドが言葉を継ぐと、カルナックが事務的ともいえる口調で応じた。


 「確かに真正の賢者の石であった。取り決め通り娘を連れて行くがよい」

 「取引終了後も我らへの手出しはしないと約束していただきたい」

 「むろんだ。そのような真似は決して――」

 「待てカルナック!」


 が、そこでふいに貴族風が声を荒げてカルナックを遮った。

 一瞬ジェラルドを刺し貫いたのは不穏ともとれる視線――町のスラム街でよく見かける、いかにも荒仕事に慣れた者の持つ眼光である。もともとあまり芳しからぬ人相が、その時さらに悪さを増したように見えた。


 「今ここで始末しなくてもよいのか?」

 「……始末ですか」

 「そうだ、余計なことをよそでペラペラ喋られる前にな」


 貴族風がえらく物騒なことを口走ると、背後の鎧たちが一斉に腰の長剣に手をかけた。主人の号令一下、いつでもメルエス一味へ斬りかかれる臨戦態勢に入った、というわけだ。兜の下の各々の顔も、先ほどよりずっと緊迫度を高めている。

 場の空気がその動作で一挙に剣呑なものとなったのは確実だった。


 「たったの三人だ、臆するには当たらん」


 始末する気満々らしい貴族風も、自ら剣を抜くため柄に手をやった。そこには殺人に対する躊躇など微塵も感じられない。ひょっとしたら何度か経験でもあるのだろうか。

 そのあまりにも危険極まりない様子にジェラルドが知らず身構えたのは当然だった。それでも敵陣の真っただ中、しかも丸腰でありながら恐慌をきたすことなくまず腰を落とし、この場で応戦する姿勢を取ったのはさすがといえる。むろん隙あらば逃走路を確保する、そんな計算もあるはずで、その証拠に彼は眼で慎重に相手との間合いを測っていた――。


 「お待ちください」


 だが一触触発の事態を、カルナックが押しとどめた。相も変わらず威厳ある声にはさらに力が入っている。それには貴族風も下手に逆らえないとみえ、怪訝な表情とともにいったん動きを止め魔道士の方を見やった。当然配下も主に従ったため、状況を確認したジェラルドは心持ち戦闘モードを和らげる。警戒自体は決して緩めなかったが。


 「何だ、異議でもあるのか!」


 若者の怒声に、しかしカルナックは平然と答えた。


 「異議、確かにそうですな。無礼を承知で申し上げます。まずはこの取引は先ほども言ったようにあくまで公正なものとお考えいただきたい。相手が少人数だろうとそれは関係ありません。とにかく彼女らは交換条件を提示し、そして実際本物の石を持ってきたのです。ルールの(のっと)っている以上、我々がこれを覆すのはあまりに信義にもとると言わざるをえない。いくら今は捲土重来を期す身とはいえ、そのような手を使う者に未来の信望が集まりましょうか」


 一息に言うと、貴族風を正面から見据える。仮面越しとはいえその眼力に射すくめられた若者は若干たじろぎを見せた。特に未来の信望なる言葉が強く響いたようだ。返す言葉が探せないでいる。

 そんな内心を知ってか知らずか、仮面の男の長広舌はなおも続いた。


 「さらにまだあります。むしろ理由としてはこちらの方が大きいかもしれない。すなわち、決してあの三人を侮ってはなりません。これはただの想像ではなく、昨日実際彼女らの魔法を見た私の直観です。そう、下手をしたら宮廷魔術師、いやそれをしのぐ実力という可能性もある――。

 そんな者相手に無闇に手を出せば、こちらの損害も計り知れないでしょう。全滅する危険すらありうる。せっかく苦心のすえ石を手に入れておきながらそうした事態を招くのは、それこそ藪蛇以外の何物でもないではありませんか」

 「そ、そうだな……」


 ふいに振られると、貴族風はただうなずくしかなかった。赤い仮面の憎らしいまでに理路整然とした言葉にもはや反論する力はないようで、瞳の色もいつしか先ほどまでの凶悪さを失くしている。そしてそれは配下も同様らしく、彼らの手はすでに剣から離れていた。

 ――こうして場の荒れた空気がようやく収まると、やがてカルナックはことの推移を見守っていたジェラルドに顔を向けた。その様はいかにも落ち着き払っていて、まさに成功者の大いなる余裕を感じさせるのだった。

 彼は静かに告げた。


 「――話の通りだ。さあ、行くがよい。取引が終わった以上、我々もすぐここを立ち去ろう」

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