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14章 取引の森(2)

 「それは……」


 メルエスがポシェットから黒い石を取り出すと、カルナックは賛嘆にも似た声を上げた。


 「まさしく儂が探し求めていたもの!」


 それは一見したところただの炭の塊と大差ない、石ころと呼ぶにはやや大きめなもの。見た目だけでは真の価値は想像しようもなかった。


 「おお、ついに……」

 「ちょっと待ってくださいっ」


 そうしてそのままよろよろ娘のもとへ歩み寄ろうとしかけたのを、バビルサのだみ声が引き止める。その表情はあくまで冷静かつ懐疑的だ。


 「まだ本物かどうか確認してませんぜ。見た目じゃまるでわかりゃしねえ」


 常識的な指摘にしかしカルナックはまったく動じることがない。彼は背後を振り向くとむしろ教え諭すように言ったのだ。すべては計画通りだとでもいうように。


 「そんなことは百も承知しておる。だが安心せい、<石>の真贋(しんがん)を見抜く道具があるのだ。それを使えば、たちまち真実は明らかとなろう」


 そして再びメルエスの方に目を向けると、ふいに声を落として凄みのある宣告を放った。それは盗賊もかくやと思われるほどの酷薄な声音であった。


 「むろん偽物の場合は分かっておるだろうな、お主たちの運命がどうなるか」

 「それは仰せの通りで、心ゆくまで調べて頂戴。まあこんなところでわざわざ詐欺なんて働かないけどね。それ、本当に洞窟で〝主〟が守っていたやつよ」

 「……大した自信だ。それが虚言でないことを願う」


 脅しにもまったく表情の変わらない娘をどう見たものか、カルナックは押し殺した声を出すと続いて小屋の左側に目をやった。むろんそこにいる彼女の仲間たちを観察するためだ。そして特に仮面越しの眼力に思わず身構えたイーサンに注目すると、いかにも呆れたように言ったのだった。


 「しかし本当にたったの3人とはな」

 「あら、何かご不満かしら?」

 「いや、かなり手練れの盗賊には相違ないと思っておったのだが、まさか女子供に猫人間とは……」

 「フフ、そんな連中に出し抜かれて悔しい?」


 どこか揶揄するようなメルエスの声。対してカルナックは何か言いかけたが、しかしそこで割りこんできたのが初めて口を開いた貴族風である。彼はそのやや甲高い声に高貴な者とは思えぬ露骨なまでの苛立ちを乗せていた。


 「カルナック、くだらんお喋りはもう良いっ。それより早く石を手に入れろ、そして本物か確かめよ!」


 命令することに慣れている、というかそれしか知らない口調はまさに高飛車の一言に尽きる。相手が拒否する可能性など微塵も考慮していないのだろう。性格的な問題は別として、あるいはその身なりの示す通り相当な良家の出身なのかもしれなかった。


 「これは失礼いたしました。確かにいらぬ話でしたな」


 カルナックは完全に目上の人物に対する慇懃(いんぎん)さで応える。そして後方を振り返ると、影のごとく控えるバビルサに命じた。


 「バビルサ、頼むぞ」

 「承知しました。おいジャック、あのお嬢さんから石を頂戴してこい! くれぐれも無礼のないようにな」

 「へい!」


 ボスの命を受けて黒ずくめの一人、頬に傷跡ある男がずいと前に進み出ると、慌ててメルエスは口を挟んだ。


 「ちょっと、まさか力ずくで奪い取る気? シルヴィとの交換が条件のはずよ!」

 「むろん承知しておる。これはあくまで公正な取引だ」


 鷹揚にうなずき、再び仮面の男はバビルサに告げた。


 「あの娘を前へ」


 すると首領の手振りにより黒ずくめたちが一斉に右へ移動を開始する。たちまち人の壁が消えて鎧たちとの間に隙間ができ、その奥のほうまで見晴るかせるようになった。


 「シルヴィ……!」


 そこに現れたのは二つの人影だった。片方は橙色の上衣と黄緑色のスカート、白い頭巾の女性、もう片方は頭巾が付いた青い修道士風長衣の男性である。メルエスの言の通り女性がシルヴィ・アルムなのはまず間違いないとして、いっぽう男性のいでたちは黒ずくめや鎧たちとはあまりにかけ離れており、ことによると集団の一員ながら連中とは異なるくくりの存在なのかもしれなかった。

 いずれにせよ見張り役でもあるのか、猫つかい一味を前に修道士風が傍に立つシルヴィの肩へ手をかけ一言二言告げる。娘は従順に小さくうなずき返すと、自らもまっすぐ前方に目をやった。その黒く大きな瞳は黒曜石のごとくあえかな光を宿し、かつ生命力に溢れていた。

 ただし表情自体は緊張ゆえ哀れにも青ざめていたが。今にも糸が切れてくずおれてしまいそうなほどに。

 そんな人質の様子には一切頓着することなくカルナックが尊大に述べた。それは周りにあるもの全てを道具とみなす、真のエゴイストの声だった。


 「我々側からそちらに一人、娘を連れて行かせる。お主たちも一人選び、その者に石を持たせるがよい」



 黒ずくめたちの中より頬に傷跡ある男、ジャックがシルヴィを連れて歩き出すと、猫つかい側からはそれにタイミングを合わせてジェラルドが出てきた。もちろん黒い石を手にして。颯爽たる姿は一見緊迫感が希薄だが、しかしよく見れば瞳に映るのは紛れもなく警戒の色である。やはり彼我の人数差は相当なプレッシャーなのかもしれない。また相手の命により、ジャック同様彼も得物の剣を今は手放しているのが大きかった。

 もっとも警戒という意味では黒と銀の一団もさして変わるところはない。彼らの表情は明白に、近づいてくるジェラルドの顔が仮面や覆面の類ではないことへの驚きを示していたのだ。もはや完全に目を奪われてしまっている。そしてそれはシルヴィも同様のようで、彼女の目はジャックとともにメルエスたちのもとへ向かう途中、すれ違った彼の姿に状況も忘れて思わず真ん丸になっていた。まさか自分を猫男が助けに来たとはとても信じ難い、そんな驚愕もあったのかもしれない。対してジェラルドの方は礼儀正しくシルクハットに手を当てうなずいてみせたのだが。


 「こりゃたまげた、正真正銘の猫男じゃねえか……」


 バビルサの呟きは、まさしく一同の動揺した心境そのものなのであった。


 「獣憑き(ライカンスロープ)の一種か……。まあよい、今はとにかく石だ」


 ――ただし(ただ)一人冷静だったのがカルナックである。皆から驚異の視線を注がれる中ジェラルドがやって来ても、彼のみはあたかも獣人など珍しくないかのごとく独白したのだ。それは強がりでもないらしく、実際その目は猫の面をちらと見やった程度ですぐに猫男の胸あたり、左手を凝視していた。言うまでもなくその掌には真っ黒な石が載せられている。彼にとってそれは獣憑きなどよりよほど重要と見え、しばし魅了された者の感極まった沈黙が流れたほどだった。

 何の見映えもしないただの石ころ、これにいったいどんな価値があるというのか――?

 やがてゆっくりと口が開かれる。その声はやたらと重々しかった。


 「では<石>をいただこう」

 「……本物かどうかの判断は?」


 左手を差し出しながらのジェラルドの問いに、カルナックは何とも不敵な笑みを浮かべた。


 「心配せずともすぐやる。こいつでな」


 そしてその手から奪うように石を取ると、いつの間にかもう片方の手にあった小さな容器の方へ持っていった。それは陶製と思われ、掌に収まる書斎のインク壺めいたものである。中にあるのはどうやら液体らしく、壺口に石が近づくとその中身が零せるようにぐいと傾けられた。


 「見ているがよい、真偽はすぐさま知れることとなろう」


 物問いたげな猫男に向かって、勝ち誇った魔道士が言い放つ。そしてジェラルドが応じる間もなく、次の瞬間壺の中から赤い液体がポトリと数滴黒石の上へ零れ落ちたのだった。



 ジャックに連れられメルエスたちの前へとたどり着いたシルヴィだが、ようやく怪しい集団から解放されたというのにその表情を彩るのは戸惑い以外の何物でもなかった。久方ぶりに会った同性のメルエスを見てもさほど安心感は湧かず、むしろ正体不明ゆえに不安が頭をもたげてくる。

 やはりどうにも現在自分の置かれている状況が掴めないのは大きかった。ジェリコ村の洞窟から脱出した昨日の夜、何者かがお前の身を引き取りたいと言っている、そう唐突に告げられたばかりなのだ。しかもそれが誰なのか、目的が何なのかに関しては情報などまったくなかった。そして命じられるまま森まで来てみれば、よりにもよって待っていたのはこの何とも胡乱(うろん)な三人組である。一見したところ傭兵の類とも思えず、むろん面識もまるでない。青天のへきれきとはまさしくこのような状況を言うのかもしれなかった。


 「ほらよ、これがおたくらの探していた娘だ、受け取りな」


 どうすればいいのか分からず呆けたようにつっ立っていると、ふいに傍らのジャックがぞんざいに口を開いた。まるでモノ扱いだが、しかし短い間とはいえ彼らと接してきたシルヴィにとってはもう見慣れた光景といえる。そもそも彼女を捕えた経緯からして、女性に対する礼儀などはなから期待できない連中であることは明らかなのだから。

 それでもその言葉でどうやら本当におさらばできると分かり、途端にこみ上げる嬉しさを抑えられなくなったのは事実である。それほどまでにこの数日間は緊張と恐怖の連続だったのだ。

 思い切りそれが顔に出ていたのだろう、すぐににこやかな面のままメルエスが近づいてきた。女性のシルヴィでもどきりとする艶然たる笑顔だ。そして一瞬ジャックのほうに視線をやってから、しげしげと何か異常はないか探し人の様子を見やる。その間に限っては実に真剣な眼差しをしていた。

 納得したのか、一つ小さくうなずく。


 「うん、怪我はないようね。とくに手荒な真似はされていなくて安心したわ」

 「当然だ、俺たちゃ女性(レディ)に対する扱いはちゃんとわきまえているからな」


 ジャックのまるで柄にもない一言にシルヴィは知らず顔を強張らせた。世の中には笑えない冗談というものも存在するのだ。しかしメルエスはそんな彼女の内心など素知らぬ顔で、あくまで悪漢に対して友好的な態度を崩さなかった。


 「あなたを見ていると確かにそんな気がする。実際、結構モテるんでしょ?」

 「へ、俺が?」


 いきなり蠱惑的な瞳を向けられて、ジャックの表情が一瞬虚を衝かれたものとなる。だが客観的になれば信憑性ゼロと分かるその言葉に対して、どうやらかなりのお調子者らしくいかつい顔はすぐ満更でもないものへと変化したのだった。


 「まあ、酒場じゃよく女に声をかけられるがな……」

 「やっぱり。女は強くて精力的(エネルギッシュ)な男を放っとかないものよ」

 「そ、そうかなあ? それにしてもあんたもいい女だな……」


 実に分かりやすくおだてに乗ると、脈ありと見たのか勢いづいたジャックは色目まで使ってきた。そこには自制心のかけらもない。いっぽうよくこんな男に甘い言葉をかけられるものだ、とシルヴィは自分をほったらかして突如始まったこの三文劇をなかば呆れながらしばし見守るしかなかった。


 「フフ、ありがと。ここで会ったのも何かの縁だしこれからデートでも、と言いたいところだけど、さすがにそれは無理な話ね」

 「そうだな、仕事の最中だし……」


 もっと根本的な問題があるはずだが、ジャックには考慮の外のようである。もはやメルエスに夢中と見え、シルヴィの方には目もくれない。恋の力とはかようにかくも甚大な副作用を及ぼすのだった。


 「だからせめて私からの親愛の印として、これをあなたにあげるわ」

 「え、俺にプレゼント」


 はたしてとどめにも等しき想定外の一言は、男の目を白黒させた。その顔を見れば一目瞭然のように、よもや自分は(もてあそ)ばれているのでは、などという発想には一厘たりとも至っていない。ある種幸福ともいえる相手に、緑瞳輝く娘はすっと右手を差し出した。

 ジャックがぎょっとして目を見開く。


 「? おい、こいつはひょっとして……」

 「他の人には内緒よ、ね」


 あまりに意外な贈り物が隠せぬ驚きをもたらした、その時。


 「おい、ジャック何してやがる、早く戻って来い! <石>は本物だったぞ!」


 バビルサの胴間声が響き渡ったのだった。

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