12章 洞窟の主(3)
洞窟の変事からおよそ1時間後――。
岩壁に刻まれた神殿正面付近には、探石使ジーナス・ミカエロの七人の部下、そしてもう一人胡乱な男がいた。七人はお揃いの制服である立襟で緑の上衣と黒ズボンおよび腰の剣、男は上衣、ズボン、マントともに灰一色といういでたちをしている。彼らは二頭のスフィンクスが左右から挟む入口を見つめていたが、長老の家にいた上司がやって来ると一斉に振り返り灰衣以外全員揃って敬礼したのだった。
まずひとり前に出てジーナスを迎えたのは、赤い短髪のまだ若い娘である。はっとするほど青い瞳はつぶらで大きく、鼻は小ぶり、頬にはそばかすも浮いている。卵形の丸顔、桃色の瑞々しい唇ともあいまって少女のごとき印象を与える魅力的な女性だった。
「お疲れ様ですっ。時間がかかりましたが報告の通り洞窟の探索が終了いたしました!」
姿勢よく声高らかな赤毛の娘にジーナスがうなずき返す。
「そのようだな、到着早々ご苦労。ソエル、それで何か見つかったか?」
「ハッ。それが洞窟の一番奥まで入ったのですが、石はまだ見つかっておりません。また誰の姿もなく、恐らく先に来た連中が持ち去った後かと」
まっすぐジーナスの目を見つめて返答するソエルという名の娘に対して、明らかに動揺を示した灰衣を一瞥しつつ彼は眉をひそめる。
「持ち去った? だが我々はここへ来る途中誰とも会っていない。なぜそう言い切れる」
言外にまだ洞窟に何か残っているのでは、そう現わしたのだろう。だが上司のそんな指摘にもソエルはまるで動じなかった。
「連中がどこに行ったかは分かりませんが、洞窟の最奥部に戦いの跡がありました。しかもついさっき終わったばかりの」
「どういうことだ」
「我々が発見したのは怪物の死骸です。つまりありえないくらい巨大なトカゲが血を流して息絶えていました。そして血はまだ乾いてなかったのです。そんな激しい戦闘からまだ間もないことを考えれば、洞窟か周辺で間違いなく怪しい者と遭遇したはず、しかしそうした気配は一切なかった――ならばむしろ魔法を含む何らかの方法ですでに姿を消したとしか」
「な、何と……」
ソエルが告げるとジーナスよりも前にその背後にいた老人――ジェリコ村の長老が露骨に反応を示した。黒い瞳は驚愕に大きく見開かれている。
探石使がそれを見逃すはずもなかった。
「魔道の民の廃神殿たる洞窟に棲む大トカゲ。長老様、これはいったいどういうことですか?」
「……我らの祖先がこの地へやって来た100年前、あのトカゲはすでに廃墟の中におりました。恐らくカズフールはもとは魔神を信仰するための拠点の一つ、妖獣もあそこを守っていたのだが、帝国崩壊後主人たちに置いていかれたのでしょう。その正式な名は火喰いトカゲ、もっとも我々はただ〝洞窟の主〟と呼んでいます」
これにはジーナス以外の者――灰衣も含めて――がやにわにざわついた。確かに長老の話が事実ならば、大トカゲは生きた化石どころかおよそありえない存在となる。少なくとも100年、生き永らえていたのだ。生命の規格などはるか超越した妖獣としか思えなかった。
――だが驚きも露わな一同の中で、隊長のみは一人冷静である。彼は右手を掲げて部下たちの動揺をひとまず静めると、枯れ草色の衣纏った長老へ静かに問いかけた。
「魔法生物の中には想像をはるかに超えて長生きするものもいるといいます。ただしそれはあくまで必要なエネルギーが枯渇しなかった事例に限られる。つまりジェリコの民は魔獣に欠かさず餌を与え続けていたのですね?」
「おっしゃる通り。だが餌はすべて山で捕えた獣や鳥、何も特別なものではなく、ましてや人間を与えていたわけではない」
「もちろんそれは理解しています。人のみ喰らう魔獣など古代でも相当例外だったとか。……だがいずれにせよそうやって大トカゲを飼い馴らし、<石>を守らせていたのは事実でしょう」
明瞭にそう言われると長老は一瞬答えに詰まるも、それでもやがて諦めて応じた。
「……さよう、これに優る隠し場所などないはずじゃった。だが」
「火喰いトカゲは殺されてしまった」
冷厳に宣告すると、ジーナスは後ろを振り返り部下のソエルに目をやった。
「現場の状況はどのようなものだ?」
「はい。私たちが辿り着いた時点で怪物は完全に息絶えていましたが、それは凄惨な状況でした。首や胴体など何箇所かに大きな傷があり、そこからおびただしい血が流れていたのです。特に首の傷は深く、明らかにそれが致命傷だと思われます」
「魔法生物に傷をつけたか……。剣や槍など何によるものかは見当がついているのか?」
「それが……」
ここで初めてソエルは口を濁す。だがそれは分からないというより、信じられないがゆえの躊躇のようだった。
「どうした、言ってみろ」
「はい。トカゲにつけられた傷はすべて何らかの獣に咬まれた、および爪で引き裂かれたものとしか思えないのです」




