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10章 洞窟の主(1)

 「畜生、何て化け物だ!」


 バビルサのバカでかい胴間声が洞窟内に響き渡った。先程までの軽口とは甚だしく異なる、緊迫感溢れるものだ。おまけに短刀を握る右手は恐怖のあまり小刻みに震えている。

 見るからに剛胆なこの男をしてそこまで臆させた大トカゲは、洞窟の天井に届かんとする高みから大きく鼻息放つと、遠巻きに自分のことを窺っている侵入者どもを見やった。真黄色のぎょろりとした目が、荒ぶる凶暴性と果てなき食欲をあからさまに発露している。そいつの放つ威圧感は圧倒的で、体高4デールを超す巨躯といいほぼ鎧と変わらぬゴツゴツした黒肌といい、まさしく伝説上の(ドラゴン)と見まごうばかりだった。しかも異常に大きな口からシュウシュウと絶えず得体の知れない煙が出てくるとあっては、我先に飛びかかっていくなど無謀を通り越して自殺行為以外の何物でもない――。

 かくして〝洞窟の主〟はその威容を現すや、瞬時のうちに男たちを混乱と恐慌の嵐へ叩きこんでしまったのである。


 バビルサは短刀を持つ手に力をこめると、背後を振り返り怒鳴るように言い放った。


 「おい、カルナック、この先に本当に宝はあるんだな!」


 カルナック、そう呼ばれた仮面の男はこの緊急事態にあって不思議と冷静な様子でうなずく。


 「ウム。『村の宝は主が守っている』――長老が言った通りだ。<石>は必ず火喰いトカゲの背後にあるはず」

 「火喰いトカゲ? 何だそりゃ」

 「古の魔道が生み出した妖獣だ。かつては護衛や戦闘用に使役していたと聞く。とうの昔に滅んだはずだったが、まさかまだ生き残りがいたとはな……」


 いかにも興味深げなカルナックであったが、しかしむろんバビルサにとってはどうでもいいことだった。


 「そんなことより、あいつを倒さない限り石は手に入んねえぞ! あのトカゲの弱点は何だっ」

 「弱点? ウム、確か古代の博物書にその話が載っていたな……。そうだ、そこにはこうあった。『火喰いトカゲの一族は宝石の輝き、ことにエメラルドのそれを忌み嫌う』と」

 「エメラルドだあ? んなもんここでどうやって用意すりゃいいんだ!」

 「ウーム、難しい問題だ。まさか宝石商を呼ぶわけにもいくまい」


 何とも他人事めいた彼の物言いに、バビルサは忌々しげにしかめ面をするともはや顧みることなく再び前方を向いた。そこでは彼の手下たちが洞窟奥に立ちはだかる大トカゲの動きをじっと張っていた。皆いかにも緊張感みなぎる顔である。

 ドーナツ髭はその中の一人、ひょろりと背の高い男に声を掛けた。


 「リアム、奴の動きはどうだ?」

 「それがなぜかあの位置からなかなか前に出てきません。とにかくやたらと煙は噴き出しているのですが……」

 「煙か。まったく何なんだありゃ?」


 まったく未知の現象にバビルサも首を傾げる。いかに彼に経験値があろうとそれが一切通用しない相手であった。

 すると背後から仮面の男がまるでもののついでのように口を開いた。


 「言い忘れておったが奴の最大の武器は炎の息(ファイアブレス)。岩をも溶かす破壊力だ。あの煙はその前兆かもしれんな」

 「炎の息だと?」


 衝撃の一言にバビルサが血相を変えた、その時だった。


 グルルルルルルルッ


 火喰いトカゲがふいに躰をやや前傾させ人間たちを睨み据えたかと思うと、喉から身も凍るようなおぞましい音を発した。さながら雷鳴のごとき轟きだが、それはどうやらこの怪物の威嚇音らしい。

 何人かの男がその不穏極まりない音色に身をビクッと震わす。中には条件反射で思わず短刀を前に突き出した者までいた。

 こうして手下たちが皆固まる中、しかし一人バビルサのみは脅えの色を見せず外套の背中へ手を伸ばすと、真に無骨なフォルムの代物――(いしゆみ)を取り出していた。弓と直角に太い射軸のついたそれは巻き上げ装置によって人力を遙かにしのぎ矢を引き絞れる、大陸でもまだ稀少な最新鋭の武器だ。その威力たるや騎士の装甲すら容易に突き破るほどだという。

 バビルサはそうしてその機械仕掛けの弓にベルトから引き抜いた矢をつがえると、眼の高さで真横に構えた。彼の血走った双眸が睨みつけるのは、当然ながら前方の大トカゲである。


 「そんなもので奴を倒せるかな?」

 「うるせえっ、こいつなら効き目はあるはずだ!」


 揶揄混じりのカルナックを一喝、弩の照準を合わせていく。


 「やられる前に()る、それが俺の流儀だ!」



 シルヴィはカルナックの背後で固唾を飲んでことの成り行きを見守っていた。自然と心臓の音が激しさを増している。

 今まさにバビルサが火喰いトカゲに必殺の矢を放とうとしている所だった。だが怪物の巨体を見るかぎりとても効果があるとは思えない。多少の傷はつけられるとしても、かえって逆上させる結果になるだけだろう。普通の獣とは格段にわけがちがうのだ。

 何よりも恐ろしいのはカルナックの告げた炎の息という言葉だった。あの巨体、それに禍々しい姿である。その威力たるや凄まじいものに違いない。特にこんな洞窟では周囲一帯瞬く間に火の海となるのは避けられなかった。

 そうなったらもう皆おしまいだ。

 ――逃げるなら今の内かもしれない。

 ふとそんな考えが脳裡に浮かぶ。

 確かにバビルサはじめいかつい男たちは皆火喰いトカゲに釘付けだし、カルナックも前方ばかりに気を取られている。


 (どうしよう……)


 シルヴィはちらとそれとなく左横を窺う。

 そこにはあの青年が皆と同じように怪物を見上げ無言のまま立っていた。だがなぜかその表情はバビルサたちの恐怖やカルナックの楽しげ(これはこれで奇妙だが)とは相当異なるものだった。それは哀しみとでもいうべきか、この場面にそぐわないのは確かで、何とも不思議な人物である。彼は隣の娘の視線に気づいた風もなく、ひたすら大トカゲに目を奪われている。

 明らかに最大の好機ではあった。

 さらにあるいは、と彼女の内心にもう一つ期待めいたものが芽生える。この青年なら、ひょっとしたら逃走に気づいても見逃してくれるのではないか、と。

 それはあまりに儚い希望、勝手な思いこみかもしれないが、しかしそこに賭けてみる価値はあった。どのみちこの機会を逸したら、おそらく二度と一味から脱することは適わないのだから。

 シルヴィは小さく息を吐くと、意を決した。

 脚にはそこそこ自信があるとはいえ、やはり本来ならば屈強な男たちのそれとはまるで比べ物にならないだろう。だが火喰いトカゲに全員かかりきりの今ならば、それなりの勝算はあるはずだった。後はとにかく洞窟を脱出し、村に助けを求める。長老たちには多大な迷惑をかけてしまうが今はこれしか方法がないのだ。


 (よし……)


 そして密かに周りの様子を窺うと、ままよとばかりに後方へ駆け出そうとした。もはや逡巡している暇などなかった――。


 「おい、何だありゃ!」


 だがその時手下の一人が驚愕の声を上げたのだった。

 機先を制せられたシルヴィは足が動かず、思わず声の主の方へ目をやってしまう。

 すると視線の先では、頬に傷跡残す強面がどこか洞窟内の一点を指さして喚いていた。周りにいる連中もつられて次々とそちらに目を向けていたが、何かがいたのか皆おしなべて口々に騒ぎ出す。

 その驚きぶりにシルヴィも知らず視線は彼らの注目の的を追っていた。


 (え?)


 そこで目に入った光景に娘は一瞬声を出してしまいそうになった。何とか心の中で留めたものの驚愕度は計り知れない。

 それくらい、今この場面には恐ろしくそぐわない絵だった。

 一匹の猫が壁の上方から突き出した小さな岩棚の上にちょこんと乗っていたのだ。青白い光の下でもはっきりそれとわかる見事な黄金色の猫で、獲物に飛びかかる寸前の前傾姿勢で前方、大トカゲを見すえている。その姿は場違いなこと甚だしいが、しかし妙に勇壮な雰囲気も持っていた。何よりも薄明りの中目立つ瞳が印象的といえよう。それはあたかも、並々ならぬ活力を示す朝日がごときヴァーミリオンの輝きを放っていたのである。

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