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9章 山上の村(2)

 また再び悪夢を見ているようだ。シルヴィは冷ややかな暗がりの中でそう思った。

 むろん夢の中ではたった一人だったのに対し、今は周りに大勢の男たちがいる。それもいかにも荒仕事に慣れた風の。だが努めて顔に出さないとはいえ、心細さに震えているという点ではあの時と大した差はなかった。むしろ常時逃げないよう監視付きであることを考えると、自由が利く分一人ぼっちの方がまだマシなのかもしれない。この状況では下手に溜息を吐くのさえはばかられるのだから。

 そう、まるで蛇に睨まれたひな鳥のように。

 そういえば昨日ホブズの名も知らぬ宿屋でローブの男から脅されて以来、配下らしき者と会っても彼女はロクに口をきいていなかった。会話というより向こう側のほとんど一方通行の話を顔をうつむけたまま相槌もなくただ耳にしていたばかりで、相手の方もたいしてシルヴィの反応は気にしていなかったと思われる。恐らく目の前の娘は恐怖で何もできる状態ではなく、これなら少し脅かすだけで簡単に言うことを聞くと高をくくっていたのだ。

 もちろんシルヴィは怖くてたまらなかった。内心では疑問と恐怖が渦巻き、今すぐにでも逃げ出したい、ずっとそう念じている。こんな時はいっそ絶望のあまり子供のように泣き喚くのもある種の自己防衛ではあろう。少なくともつかの間気持ちが晴れるかもしれない。

 しかし黒髪に黒い大きな瞳した娘は、昨夜の一件後そうした感情すらもできうる限り押し隠そうと強く心に決めていたのだった。それが自らの選択した精一杯の抵抗なのだから。

 恐怖に駆られた者を支配することくらい容易なことはない。無駄なあがきとはいえ、無闇に怯えた心を悟られるわけにはいかないのだ。特にこんな薄気味悪い洞窟の中では。


 

 「ちっ、何だここ、水溜まりだらけじゃねえか」


 ふいに辺りに君臨するしじまを、野太く耳障りなだみ声が無遠慮に粉砕した。洞内の闇の中それはいやに目立って響き、露骨に残響を伴っていく。

 シルヴィはハッとして、思わず声のした前方へ目を向けた。

 何とも気の滅入る、暗くじめついた洞窟だ。天井の何箇所かからはポタポタ水滴が落ち、また地下水とつながっているのか至る所に大小様々な水溜まりがある。その中には足の脛が隠れるくらい深いものもあり、それに捕まると途端進む速度は目に見えて落ちてしまうのだった。

 そんな陰鬱な岩屋でだみ声に思わず身体を強張らせたのは、どうやら娘一人ではないようである。周囲に身じろぐ男たちの間にも波紋のように緊張が伝わったのが、その空気感からだけでも容易に察せられるのだ。

 奇妙なことに、彼女を含めて謎めいた一団は誰一人として松明やランプを手にしていない。だがかといって照明が一切ないわけではなく、一団を包みこむように青白い光がぼんやりと周囲で輝いている。小さなランプよりはよほど視界が利き、しかもかなり広範囲をカバーしているとくれば、それはまず間違いなく魔法の力であった。それもかなりの上級者が扱うような。

 そんな胡乱な光の下で、シルヴィのすぐ手前を行くあのローブ姿が何とも苦り切った声を出した。


 「バビルサ、あれほど注意したではないか。ここでは決して大きな声を出すなと」


 力ある者に備わる類まれな威圧感をそれは有しており、常人ならば思わず背筋に冷たいものが走っただろう。シルヴィでさえ自然と身体がビクッとしてしまったのだから。だが名指しされた当の本人の返答は、至って平静なものだった。


 「こりゃ失礼。あまりにひでえ場所だったもんで」


 人を喰ったような、まったく悪びれることのない言い方である。一団の中では先頭から三、四番目くらいにいる男だった。シルヴィからは、数人の男たちの肩越しに自分と同じ赤茶の外套を纏った、ただし一人だけ背に仰々しいものを背負う、ずんぐりした後ろ姿が垣間見えている。


 「……ここの〝主〟のことをあまり恐れておらんようだが、油断などもってのほかだ。ゆめ警戒を怠るな」

 「へえ、そりゃもちろん。でももう少し明かりがあればもっと注意できるんですがね」

 「ウィル・オ・ウィスプの光はこれが限界だ、我慢しろ。それとも松明でも使いたいというのか? それだけはならんと言っておろうが、少しでも火を使えば、即座に〝主〟に気づかれてしまうのだ」

 「へいへい、承知しました」


 二人のやり取りを聞く限りでは、明らかにローブの方が上の位置であった。この洞窟に関してもそれなりに熟知していると思われる。当然ずんぐり男も決して真っ向から反論はしなかったが、しかしその口ぶりにどこか上役への納得できないものがあるのも事実だった。

 こうして単なる御用聞きに徹しないあたり、恐らくかなり腕に自信持つ猛者なのだろう。


 「それにしても本当にここが隠し場所なんですかね?」


 と、閑話休題とばかりにふとバビルサが話題を変える。その口調はやはりやたら気楽だった。


 「どういうことだ?」

 「いやね、あの爺さんに俺らまんまと担がれてんじゃないかと思って」

 「ほう、なぜだ?」


 ローブ姿がなぜかどこか愉しげに問うと、バビルサは道の先でふいに足を止めた。そしてゆっくりと後方を振り返る。間にいる男たちが気を利かせて左右にどいたため、シルヴィにも青い光の下その顔がはっきり窺えた。

 短髪に太い真っ黒な眉、やたらと大きなぎょろりとした双眸、そして団子鼻および分厚い唇と四角い顎。すべての造作が大胆かつ大ぶりでそれだけでも特徴的といえるが、やはり一番に目を引くのはその口髭だった。口の周りを一周する太々したそれは、まさに黒いドーナツを彷彿とさせるのだ。シルヴィもこれまで幾度も見ているが、しかしそれにも関わらずどうしても慣れることのできない強烈な印象であった。

 そのドーナツの中の大きな口が開いた。


 「つまり、あの長老は俺たちのことを良く思っていない。それは話し合いの時の態度を見てりゃ分かります。そこで一計を案じ、実ははなから宝なんてない、ただ化け物の棲み処となっているこの洞窟にうまく誘いこむことにした。後は化け物がノコノコやってきた獲物を夜のご馳走にでもしてくれりゃ大成功、てなわけです」


 ポチャリ、ローブ姿がバビルサへ答える一瞬の間に、天井から水溜まりへと水滴が落ちる。やけに大きな音がしたが、しかし誰も二人の会話より耳を逸らすことはなかった。


 「……フム、多少短絡的だがなかなかどうして理に適った推理ではある。確かに長老は我々を危険分子と見ていたからな。本心では何があっても宝など渡したくはあるまい――だが全く問題ない。ここには間違いなく我らの探す<石>が隠されている」

 「へえ、そんなにハッキリ断言できるもんですかい」


 自信ありげな上役に対する、挑戦的もあらわな言葉。だがローブの男はそんな失礼をまるで意に介していない。彼はむしろ得意げにさえ言うのだった。


 「当然だ。なぜならこちらには貴重な人質がいるのだからな」


 そしてちらりと背後の娘を見やった。彼は昨晩とは異なり、目元だけを覆う赤色の仮面を着けていた。鳥類、それも猛禽を想起させる奇妙な形だ。あまり良い趣味とは言い難い。


 「人質……爺さんにとってその娘が非常に重要だとでも?」

 「むろん、よもや()()をむざむざ見殺しにはするまい」


 バビルサは言葉の意味を計りかねたようで、なおも疑わしげな眼を今度はその背後のシルヴィに向けた。思わぬ形でぶしつけな視線を受けた娘は、ただならぬ悪寒を感じ知らず一、二歩下がってしまう。


 「大丈夫かい?」


 すると背後から彼女の肩に優しく触れる手があった。場違いとさえいえる思いやりのこもった声を連れて。

 対照的にちっと髭の男が舌打ちを放つ。

 シルヴィには手の主が誰か見当がついていたが、それでも振り返った。

 予想通り静かな湖面を思わせる青い瞳が彼女を気づかわしげに見つめていた。美しい二重まぶたの、切れ長の瞳だ。黒くさらさらの髪は肩の少し上あたりまで伸び、透き通るような白肌の細面をしている。鼻筋はすっと通り唇は薄く、まるでその風貌は高貴な家の御曹司を想起させた。


 「え、ええ。何でもないわ」

 「そう、もし疲れているのなら、少し休むよう頼むけど」


 まだこの美しい青年と出会ってから一日くらいしか経っていないのに、それは上辺でなく心からの言葉だとはっきり分かるのだった。もちろん物静かで穏やかな印象のたまものである。

 いずれにせよシルヴィは一瞬心がぐらつきかけたものの、すんでの所で正気に戻り慌てて首を横に振った。


 「そんな、大丈夫よ。まだ歩けるわ」


 そして未練を断ち切るように青年の応えを待たず前方を、見たくもない現実の方を振り向こうとした、その時だった。


 「わあっ、で、出た、怪物だ―!」


 突然恐怖に満ちた絶叫が洞窟内に轟いたのであった。



 「もとより村で騒ぎを起こされたくはないのでな、いくら宝石を積まれようとも。可哀想だがここは帰ってもらうより仕方あるまい」


 椅子に腰かけた白髪白髭の老人は表情をやおら峻険なものにすると、一つ小さく息を吐いた。

 完全な交渉決裂だった。そこには断固とした拒絶の色がある。もはや取り入る隙は無いと瞬時にメルエスたちが悟ったほどの。

 そこは親切な村人から案内された、長老の家の一室である。事情を聞いた女性はついでにいくらか話もつけてくれたらしく、3人は家の前に来るや簡単に中へ通されている。もっとも外観、内部ともに長老の名にふさわしい設えをここはまるで備えておらず、正直なイーサンなどは入るなり露骨に戸惑いの色を浮かべたほどだった。壁の材料は安価な荒壁土だし、床も地面を踏み固めただけのものなのだ。室内には箪笥や小さな本棚、また暖炉も一応あるものの、全体的につましく地味な見た目であるのは否めなかった。


 

 (こりゃ無理ね……)


 万策尽きたか。

 長老から怪しげな連中の行方を教えてもらおうとした盗賊は、なおも突破口はないかと思考を巡らせたものの、しかしそれも数秒のことですぐに白旗が上がった。この威厳ある老人を翻意させるのは到底不可能――刹那のうちにそう判断したのだ。まさしく猫の眼のごとき急転換であった。

 そしてこうなると次の行動に移るのも音速並みに速い。さっと表情が緊張のとけたものに変わったかと思うと、何の未練もなく贈り物用のエメラルドへ手を伸ばしていた。


 「お、おい本当にいいのかよ?」


 慌てて机の右隣にいるイーサンが声を出す。彼はあっさりと再びポシェットに仕舞われていく宝石、次いで泰然たる様子でこちらを窺う長老の顔とを見比べた。


 「ひとまず退散よ。何事にも時機というものがあるわ」

 「けど、この辺にいるんだろ、奴ら?」

 「大丈夫、次の機会(チャンス)は必ずあるはず。ただシルヴィの救出はすこし遅れそうだからステファンには悪いけど。とりあえず今はホブズであいつらが降りてくるのを待ちましょう、居酒屋で焼き鳥とワインでも楽しみながら」


 そして視線を戻して改めて言った。


 「色々お手数をかけてすいませんでした。私たちとしてもこの静かな村に争いを持ちこむのは本意ではありません。それはエゴというものです。今すぐにでも山を降り――」


 だがメルエスは最後まで言い切ることができなかった。ふいに長老が驚愕に目を見開いたのだ。今までの鷹揚さが嘘のような緊迫感溢れる表情だった。あまりの豹変ぶりに彼女は自分が何かしでかしたかと自問してしまう。


 「あの……どうかなさいました?」


 知らず恐る恐る声を掛けると、長老はようやくにして口を開いた。


 「お前さん、今その子に何と言った?」

 「え、イーサンに? えっと、居酒屋で焼き鳥とワイン……」

 「違う違う、その少し前、誰かの名を言っただろう。シルヴィの名前とともに」


 何がそんなに老人を取り乱させたのか怪訝に思いながらも、メルエスは依頼人の名を告げた。


 「ステファン、と言いましたが」

 「その者の姓は何と言う?」

 「クリエ。ステファン・クリエです」


 それは決定的な一言だったようだ。老人は大きく息を吐くと、つかの間目をつぶった。眉間に皺を寄せ、途方もなく重大なことを思い出すように。

 やがて開かれた両眼には限りなく真摯な輝きが宿っていた。


 「お前さんは確か、あの連中は女性を連れ回していると言ったな?」

 「え? は、はい」

 「その娘の名はシルヴィ・アルムというはずだ――なぜ知っておるかといえば、連中の首領らしき男が話し合いの際そう紹介したのでな。すなわちあれはバルト―村に住むあなた方の大切な同朋だ、と。部屋の隅にいた彼女はこちらをちらと見るとまた俯いてしまったが」


 ふいに出た予想外の言葉にメルエスは目を丸くした。


 「バルト―村の、同朋?」

 「今は詳しく話す余裕はないが、まさしくバルト―の民は我がジェリコの民と使命を同じくする仲間。そのバルト―の、しかもアルム家の末裔が人質にされていると知って、儂にはもはや奴らに抵抗するすべはなかった。後は唯々諾々とこの村に眠る宝のありかを教えてしまったのだ。情けなくも」


 長老の顔は後悔と憤りに染まっていた。それはまさに彼が客人たちに初めて見せたありのままの感情だった。


 「では奴らは今宝の所にいる……。でもなぜ急にそんな大事なことを教えてくれたのです?」

 「シルヴィが、話も終わって男たちが出て行く際、一瞬の隙をついて一枚の紙を渡してくれたのじゃ。恐らく急いで書いたのだろう、たどたどしい字ではあったがまさに彼女からの必死のメッセージじゃった」


 ここで長老は一拍置く。メルエスを見る目には今や哀切ささえあった。やはりシルヴィの身が案じられて仕方ないのだろう。

 そして彼はゆっくりと、一字一句正確に思い出すように言葉を紡いでいくのだった。


 「――小さな紙にはこう記されていた。

 『ジェリコ村の(おさ)様へ。私はシルヴィ・アルム、バルト―村の民です。私はならず者たちに捕えられ、あろうことかこの村のことを喋ってしまいました。本当にごめんなさい。もしあれが奴らの手に渡ったら……。そんな愚かな私から、厚かましいかもしれませんが一つ大切なお願いがあります。ステファン・クリエという男性(ひと)、もしくはその仲間が私を助けにここを訪れたら、できる限り協力してやってください。彼は私の希望の星、私を救ってくれるのはあの人をおいて他にいないのです――』」

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