3話 江永「しかしあえて離れるのもまた一興」
四月十八日、火曜日。オレはノルマのように登校してきた坂原さんにこう言った。
「坂原さん、好きー! 愛してるー!」
「もう!」
いつもの反応を見せた坂原さん。しかし侮ることなかれ、今日のオレはいつものオレとは違う。具体的に何が違うのかと言うと、自信があるのだ。なぜか、それは秘策を用意しているからである。
その秘策、それはすなわち映画。そう、今どきの女子高生の間で流行っている恋愛映画が今映画館で放映されているのだ。
これは誘わない手はない。という秘策がある。
つまり、軽いデートのお誘いだ。
オレは歩いて下駄箱へ向かう坂原さんの横に並んで歩き、こう言う。
「坂原さん、『聖夜の夜にさよならを』っていう映画興味ある?」
坂原さんは迷うように黙った後、こう言った。
「ごめん、ないかな」
「あ、はい。了解です」
「ごめんね」
そう言って颯爽と下駄箱へ向かう彼女の背中を見つめながら、オレは笑顔で立ち止まった。
その後、叫ぶ。
「失恋したああああああああ!」
ぽこんとオレの頭を叩く女が一人。彼女は言った。
「うるさい!……なにがあったの?」
赤井なじみの登場である。オレは彼女にうんぬんかんぬんを説明した。
彼女は腹を抱えて笑い出す。
「ぶっははっ、ざまあー!」
「むっ、貴様それでも幼馴染なのか!? ああ悲しい、かわいい幼馴染であるオレがここまで傷ついているというのに……!」
「ぷぷぷ、そっかそっか」
なじみはそう言いながらオレの服を下に引っ張る。オレは引っ張られるまましゃがんだ。彼女はオレの頭を撫で始める。そしてこう言った。
「渚朝も傷つくんだね、分かるよ気持ち。でも、諦めちゃダメ。それが渚朝の良いところでしょ?」
オレは微笑む。そしてこう言った。
「なじみさん」
「なに?」
「恥ずかしいです」
ここは、下駄箱前。すなわち登校してきた生徒が絶対通る場所。ゆえに生徒が沢山おり、オレたちをチラチラと見ていたというわけである。
ふと知り合いを見つけた。江永亭徒、今日オレが会うべき人材。部活を始めるために集めなければならない人数は三人。坂原さんが柊さんを誘ってくれたおかげで残り二人。一人につき一人誘う予定なので、後はオレとなじみが誘わなければならない。
クラスメイトを雑に誘ったが、もう断られてある。中学からの友達にも断られた。なので、残る知り合いは江永亭徒だけなのだ。
彼が最後の砦、ゆえに、今日の昼休みに必ず誘う。
「……あの、なじみさん?」
「うん?」
彼女は未だオレの頭を撫でていた。
「いつまで撫でるおつもりで……?」
なじみはとろける笑顔を浮かべ、こう言う。
「満足するまでー」
「なんじゃそりゃ」
結局、遅刻ギリギリまで撫でられるという、公開ナデナデ羞恥刑を味わう羽目になった。
クラスメイトからそれを弄られる。なじみとなんたらだの、なじみと付き合ってるのかなど、いやただの幼馴染である。まずい、これで坂原さんとの距離が開いてしまったら。
などと考えながら坂原さんの席を見る。彼女はそこにはいなかった。
トイレにでも行っているのだろうか。早く顔を見たいと心の底から思う。
それからサクサクと授業を受け、念願の昼休みがやって来た。
「最初のテスト気合い入れ、勉強したのに三十点。武勇伝、武勇伝、ぶゆうでんでんででっで……レツゴっ!」
騒がしい男子がお笑いコンビのモノマネをしている。オレはそんな彼らには目もくれず食堂へ向かおうとしたが、横やりが入る。
「渚朝、お前の武勇伝を聞かせてくれ!」
「はあ!?」
聞き覚えのある曲が流れ始める。オレは仕方なくダンスを踊りながらこう言った。
「思い人ができまして、毎日欠かさず告ってます。武勇伝、武勇伝、ぶゆうでんでんででっで……チクショー!」
ああ、ごめんなさい、オリエ〇タルラジオさん。こんな低レベルのパロディをしてしまって。
物思いに耽るオレの耳に声が入って来る。
「なるほど、毎日告白しているつまり一度も成功してないという事ですね、角さん」
「そうですね、僕たちが毎日見ている光景ですね、飛車さん」
飛車角コンビと呼ばれる眼鏡をかけている二人。どこか知的で聡明だ。
しかしネタの解説はやめてくれ、恥ずかしい。
そんなオレたちに対し、ある男子生徒一人が勢いよくこう言った。
「いや、ネガティブすぎるだろ! 武勇伝ってもっとポジティブなものなんじゃないのか!?」
笑いの渦が巻き起こった。オレはこの機にそっとこの場を離れる。
よし、食堂へ向かいましょう。
トコトコ歩いて三千里。申し訳ない、少々距離を盛ってしまった。
いつもより遅い時間に来たからか、食堂は少し混んでいた。江永はもう食べている頃かななどと思いながら周囲を見回したが、どうやら彼はここにはいないようだった。
「こんにちは、一草くん」
「どわっはっー!」
突然背後に現れたのは、江永亭徒であった。オレは振り返り苦笑いを浮かべてこう訊く。
「木の葉出身の忍者かよ」
「忍者? まっさかー」
「あはは、だよね」
オレと江永は列に並び話し始める。
「もう食べてるかと思ってた」
「待ってたんだよ、一草くんを」
「まじ?」
「まじ」
オレは少し考えこう言った。
「連絡先交換しよう。ほら、そっちの方が便利でしょ」
彼は少し驚いたような表情を浮かべた後、スマホを差し出してきた。
「よろしく」
「うん、よろしく」
そんな感じで彼の連絡先をゲットした。ふふふっ、地獄の先まで逃げたとしても勧誘しに行ってやるぞ。
この学校は、授業中以外でのスマホ使用は許可されている。明日からは食堂に何分くらいに行けそうだとか、どこで集まるだとか、何食べるんだとか、なんでも話し放題になったのだ。
これは進化である。
ここでふと、坂原さんの連絡先について考えが過る。
欲しい、欲しいが……どうやって聞き出せばいいのだろう。後でなじみに相談してみよう。
「江永はさ……」
他愛ない雑談を始まる。しばらくしてオレたちの番になったので注文した。
今日はラーメンの気分だ。
「ラーメンで」
空いていた場所に座り、オレ達は麵を啜る。三百円なので仕方ないのだが、なんとも質素なラーメンなのだろうか、モヤシと麺しか入っていない。
そんなラーメンを食べながら、オレは江永を勧誘する。
「実はさ、『映画鑑賞研究部』っていうの作ろうとしてて、部員を集めてるんだ。江永どう? 入って見ない?」
江永は少し考えた後、こう言った。
「ごめん、図書委員もあるからさ」
「そこをなんとかー」
彼は頬を少し赤らめた後、こう呟くように言う。
「あの、今日下駄箱で一草くんの頭を撫でてた女の子も入ってるんだよね?」
「え、なじみの事?」
「うん」
彼はオレの顔を見ずに下を向いた。だがオレは見逃さない、耳が赤くなっていることを。まさか、こやつ。……ふふふ、いいではないか。
これは使える。
「江永くん」
オレはお箸を置き真剣な表情でこう伝えた。
「なじみに会いたくないかね? 部活に入れば週一で会えるのだぞ」
わかる、恋をしている気分は分かる。毎日会いたいよな、出来ればずっと一緒にいたいよな。わかる、わかるよ。わかるからこそ……利用させてもらおう。
グヘヘと笑うオレに対し、彼は優しそうな笑顔でこう言った。どうやらオレが思っているより、美しくも儚い想いであったようだ。
「なおさら嫌だよ。僕は、遠くから彼女を見つめていたいんだ」
「そっか」
彼は、オレに聞かれないようにこう呟いた。
「嫌われたくないし」
ここは雑音が多い。お互いが黙っていても、気まずくならないのはとてもいいことだ。だが、オレは江永が気になる。彼が気になる。
そんなことを考えながら、ラーメンを啜る。その音が、儚くも散った。
昼休みも終わり、授業も終わり、放課後がやって来る。オレはなじみに呼び出され、人気のない廊下に来ていた。
「渚朝、協力しましょう」
「協力?」
「そう。このままだと私たち二人とも勧誘できなくて終わるわ」
「あははー」
「だからこそ協力するの。二人で二人勧誘作戦よ」
オレは髪を軽く弄った後、こう提案する。
「条件がある」
「なによ?」
「恋愛相談に乗ってほしい。乗ってくれたら協力する」
「いいの? そんな強がっちゃって」
オレはどや顔でこう言った。
「オレは今日、昼休みに江永亭徒っていう生徒を誘った」
「……っ!? 成功したの!?」
「ちっちっち」
オレは指を前で左右に動かした後、キメ顔でこう言った。
「失敗した」
「失敗したんかい」
呆れたようにこちらを見つめてくるなじみ。彼女は少しした後、堪えきれなかった笑みを浮かべこう続けた。
「はいはい、わかった。恋愛相談乗るから手伝ってよ」
「やった、ありがとう!」
話の流れでまずはオレの恋愛相談に乗ってもらうことに。オレとなじみは階段に腰を据えて、会話を始める。スマホを見せた。彼女は顔を近づけてくる。これが坂原さんなら我慢できなかっただろう、しかし幼馴染であるが故、少ししか緊張しなかった。
「相談っていうのは坂原さんの連絡先についてなんだ」
なじみは軽い口調で言う。
「なんだそれか。だったら教えてあげようか? わたし知ってるよ」
「は!?」
「ほら」
なじみは坂原さんのプロフィール画面を見せて来た。オレはそれを見る。背景画像は何かのぬいぐるみ、アイコンはかわいらしい女のキャラだった。
なじみは言う。
「坂原さん、絵上手いよね」
「描いたの!?」
「らしいよ」
「ふぐう! かわいい、かわいすぎる……!」
「むっ、やっぱ教えるのやめた」
「え!?」
なじみはスマートフォンを懐に入れた。オレはそんななじみにこう言う。
「な、なんで?」
「……」
なじみは少し考えた後、こう言った。
「あんた、初めて好きな子できたのよね?」
オレは勢いよく首を縦に振る。彼女はいたずらな笑顔を浮かべこう言った。
「アドバイス。好きな人へ送るメッセージは大体キモくなるものだからやめといたほうがいい。慣れてくるとそのキモさを抑えれるようになるんだけど、初めてなんだったら絶対むりだからやめといたほうがいい。絶対キモくなる」
「むっ」
そこまで言われて黙ってられるほど、オレのプライドは低くない。
「だったら鑑定してみてよ」
「え?」
オレはなじみに坂原さんに送るという想定でメッセージを送った。
文章はこうだ。
『坂原さん、おはよう、大好きだよ♡ 今日もちゅっ。学校で会うの楽しみだネ✨ 今日も一日頑張ろう! そういえば昨日はちょっと体調悪そうだったね、アレだったのかナ?』
「んきもおおおおおおおおお! ホラーよもう、怪文書だわこれ」
「なんだと!?」
「なんで付き合ってもないのに『ちゅっ』とか書いちゃうの!?」
「好きだからさ」
「なんでアレに言及するの!?」
「心配だからさ」
「もうだめ、全体的にダメ。こんなの百年の恋も冷めるレベル。そもそも付き合ってもないのにメッセが朝来るのきつすぎ。決まり、あんたは今後一切坂原さんに連絡しないで」
「ええ!?」
「もし何かで連絡先を手に入れてしまった場合、送る文章は遊びの約束とかだけにしなさい。雑談は無し。したいなら電話して」
「そんな……」
「いい? わたしはあんたより経験豊富なの! 信じて」
「恋人いたことないくせに」
「……! 好きな人はいっぱいいたの!……で、皆に嫌われた。メッセージ送りすぎて」
「あ、そうだったんだ」
なじみはオレの目を見つめながらこう言う。
「あんたには嫌われてなかったわね」
「当たり前じゃん。オレなじみラブだもん! うげっ!」
突然下から顎を押されてしまう。一体なじみがどんな顔をしているのか見れないのでわからない。怒らせてしまったのだろうか。
「……なじみさん?」
「ごめん、びっくりしただけ」
「オレもびっくりしたよ」
「そっか」
頑なにこちらを見ようともしないなじみ。彼女はそのまま立って、どこかへ歩いて行く。姿が見えなくなった頃、声が聞こえた。
「付いてきて!」
オレは微笑んでこう返す。
「了解」
□■□■□
なじみと学校を歩き回って二時間。もう時刻は十八時になろうとしていた。
「見つかんないわね」
「ね」
いろんな人に片っ端から声をかけまくったが成果はゼロ。皆映画に興味が無いのだろうか。正直言うとオレもそこまであるわけではないのだが。
そんな時、声が聞こえた。これは人の声。内容はどうやら言い争っているようだ。
「この声、もしかして……」
「渚朝?」
「なじみ、耳を澄ましてみて、声が聞こえる」
「ほんとだ、何の声だろう? アニメ?」
「これは、賞を取ったこともあるアニメーション映画」
オレは走ってその音がする方へ向かう。なじみも後をつけて来た。
オレは声の聞こえる場所に着き、大声でこう言う。
「見つけたー!」
「うきゃん!」
教室、それも二年生の教室、そこで一人残って耳にイヤホンを挿しながらスマートフォンの画面を凝視する女学生がいた。
彼女はオレの方を向いて、目を丸くする。オレは、教室の電気をつけた。
彼女は焦りながらこんなことを言っていた。
「あ、え、いっ、イヤホン抜けてた……!?」
オレはできうる限りのイケメンボイスでこう言った。
「目、悪くなりますよ」
「え?」
「君の目は特別な目だ、暗闇ではなく、光でこそ輝くもの」
「え、何言って……はっ!」
「僕はそんな君を照らしたい。行こう、あの場所へ。輝こう、ステージの上で!」
女学生は目を輝かせて、オレのセリフに合わせてこう言った。
「はい、あなたと共に、あのステージへ!」
オレはその言葉を聞き、微笑む。なじみはわけのわからないようにこちらを見つめる。オレはこう続けた。
「オレ達は『映画鑑賞研究部』の部員です。先輩を、勧誘しに来ました」
この二年の先輩が見ていたのは、一度落ちたアイドルが這い上がる物語その二作目。先ほど一作目のセリフを言ってみた結果、この先輩は暗記しているようでちゃんと返してきた。すなわちガチファン。言い換えればガチ映画ファン。
ありがとう、小鉄。中学時代のオタク小鉄がいなければ、この展開は生まれなかった。懐かしい、小鉄にお勧めされて何十回も見させられたこの映画が、あの努力が、今……実を結ぶ。
先輩はこう言う。
「わたしを誘いに?」
この時間まで残っている、そして映画を見ている。これは、部活でも同じ。教室ではなく部室になることで、映画を見やすくなる分、先輩的にはプラスなはずだ。オレは伝える。
「部活の活動内容は映画を見て感想を伝え合うこと。もちろん部室もあります」
「感想、伝え合う……!」
先輩の目が輝いた。どうやら、勝ったようだ。
オレは頭を下げる。
「お願いします」
先輩は焦ったように頭を下げ、こう言った。
「いえいえ、こ、こちらこそ。よ、よ、よろしくお願いします……!」
なじみはすかさずバッグから入部届を先輩に渡す。
「ぜひ、入ってください。待ってます」
「あ、はい。わたしも、感想伝えあえる仲間欲しかったので」
彼女は照れながらお礼を言う。一通り説明した後、オレ達は教室を出た。そういえば、名前も聞いてなかったな。
なじみは言う。
「渚朝に先越されちゃった」
「まだわかんないよ、先輩が提出してくれるかどうかなんだよね」
「だね、入部届は渡したから、あとは書いて出してもらうだけ」
「……なじみの手柄でもいいんだよ?」
「いやいや、あれは渚朝の手柄だよ。それに、私は私で準備してるからね。問題なし」
「そっか、ならいや」
なじみは窓の外を見る。すっかり夜だった。
「もう暗いし、帰ろっか」
「うん」
オレはなじみと家に帰る。今日、分かったことがある。
オレは文章を書く才能がないという事だ。
恋愛は、どうにもこうにも難しい。
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一草渚朝の勧誘が成功し、残るは赤井なじみのみとなる。しかし赤井なじみも手は打っていた。
それはポスター。急遽作ったものであるが故、出来は最高ではないものの、なかなかいいものではあった。坂原華音が描いた絵を、なじみのセンスで配置し作ったポスター。
そんなポスターを見つめるぼさぼさの長い金髪を持つ人物がいた。スカートに、龍の刻印が刻まれたスカジャンという厳つい服装をしている。そして飴を舐めていた。
「ひっ、狼栄だ」
狼栄という人物は、他の生徒から避けられている。大きな胸に大きな背丈、大きなお尻と、何とも女性らしい体つきであるが、その天性の鋭い瞳とギラギラとしているその闘志ゆえ、男子生徒すらも恐れさせる人物。
そんな狼栄という人物は、気だるそうに『映画鑑賞研究部』のポスターを眺める。そして最後には、そのポスターをはぎ取った。
彼女の名前は、狼栄美女。この学校きっての女番長である。