歯ブラシの日
「あっ……」
カルヴァルカに移動し始めて初日。
森の中の休憩所で一泊することになって、シルクに用事があって部屋へ行ったところ、荷物を見たシルクが困ったように声を上げた。
「どうしたのシルク?」
「あ・いや大したことないよ。歯ブラシを忘れてしまったのを思い出して……失敗したな」
「あらまぁ、ちょっと待っててね」
わたしはすぐに部屋に戻り歯ブラシを取ると、急いでシルクの元へと戻り、洗面台に向かう。
「姉さんの予備?」
「いや、わたくしの。大丈夫!まだわたしもこれからで使ってないし!」
「はぁ!?」
後ろで驚いた声を上げるシルクに笑みを返し、魔石に触れて流れる水で一度洗ってから渡してあげようと洗って水を切る。
「ほら、後からちゃぁんと綺麗に洗って使うし、つまり今は新品だから。お姉ちゃんは気にしないわ!」
「逆に気にして!!?」
「気になるなら……そうだわ!お膝でお口あーんしててらわたくし磨いて差し上げてよ!?」
「そこじゃないし、なんで無駄に目を輝かせて言うのさ!」
ズイズイと近付けば、後退りで逃げられるのを更に壁まで追い詰めるとそのまま壁に手をつき……、
「シルク……もうこのわたくしから逃げられなくてよ」
口をへの字に曲げて頑なに顔を背けるシルクに、悪役令嬢の笑みを浮かべる。
「だ……誰か……っ」
可愛らしい声を上げるシルクを見上げ、わたしはその顎に手を伸ばし………、
「何をしてるのかな?」
そういえば今日はシルクの部屋の警備担当はレイさんだったとその声に振り向けば、その隙をついてシルクがわたしの腕の中から逃げ出した。
「レイさん助けて下さい!姉さんが……!」
「う〜ん、だから君たちは何をしてるのかな?」
レイさんの後ろに隠れて告げ口するシルクに、
「騎士様の影に隠れるなんて……」
そうギリリと歯を噛み締める。
「……ユリエルくん?」
シルクを差し出すことなくこちらに視線を送るレイさんに慌ててわたしも反論をする。
「わ、わたくしは悪くないのですわ!その子がわたくしの親切を無下にいたしますの」
「親切って辞書で引いてから言って!?」
レイさんの苦笑いを見て、そこまでの会話が気がつけばまるで悪役令嬢のソレだと気が付き、シルクがヒナタさんと重なり青ざめて一歩後ずさり……。
「わたくし……嫌がる娘さんになんてことを……」
「いや、シルクくんは娘さんではないけどね」
「モノの例えですわ……」
一度深呼吸をして冷静になろうと大きく息を吸って吐くいて……、改めて出来るだけ柔らかく笑みを浮かべて、
「よしっ!お姉ちゃんが歯を磨いてあげるわ♡」
「言い方の問題じゃないからね!!!」
「………歯磨き?」
改めて落ち着いて言えば大丈夫かと思うが、首を縦に振らないシルクに一歩踏み出せば、レイさんの後ろでわたしの逆側になろうと一歩動く。
「お嬢様突然歯ブラシを取りにきて消えたと思えば……、そういうことでしたか。ちゃんと予備でしたら持ってきてございます」
いつの間にか部屋に入っていたアナの手には新品の歯ブラシ。
「あら流石アナねぇ〜、良かったわ。ならわたくしが磨くだけでいいわね」
「磨かせないし磨かなくていいし僕は自分で磨くし!!」
シルクの三段活用のような勢いの言葉にわたしが頬を膨らませれば、状況を察したのかレイさんが苦笑いを浮かべる。
「ユリエルくん。シルクくんも大人だからね」
「それは存じておりますが……」
久々の愛でるスイッチオンのわたしはウズウズワキワキと手が動けば、レイさんがう〜んと少し頭を悩ませたようすをみせ、
「そうだね。ならユリエルくんの歯を私が磨こうか?そしたらシルクくんの気持ちもわかるんじゃないかい?」
「わたくしが?」
首を傾げて意味を問えば、レイさんはあっという間に近付きわたしの手から歯ブラシを手に取り……、
「はい、ユリエルくん口を開けて?」
「わ、わたくしもう磨きましたわ」
「新品ということはまだなんだろう?それにシルクくんの気持ちになってみるのも大切だよ?はい、口をあけて?」
麗しく微笑み、そっと頬に当てられたその左手の親指を開くのを促すように唇に当てられれば照れ臭くさ過ぎて言われた通りに口を開く。
「いい子だね」
「やめますやめますわっ!ごめんなさぁい!」
若者とは思えぬ妙な色気に、あがががと変な声を出しながら離れようとするが、レイさんは微笑みその手を離してくれない。
「姉さんわかった? 嫌でしょう?」
「ごめんなさい……って、レイひゃん、歯ブラシお終い……や、入れないでぇ〜」
妙に麗しさと煌めきを携えて歯磨き粉し始めるレイさんに、心から恥ずかしくなったところで、シルクが何かに気が付いたように後ろから両腕を羽交締めにし、
「もうっ、レイさん、僕も、大丈夫っ、ですので!」
そう言いながら何故か必死に止めてくれる。ソフトタッチで触れるだけだけど人に口の中を見られるのはなんだかとてつもなく恥ずかしいのを学習したわ!!
「ユリエルくん、シルクくんにしたい事があるなら、私が代わりにユリエルくんにしてあげるよ」
「いや、その、うん。大丈夫ですわ?いや、して貰いたいんじゃなく、してあげたいのですの」
「なら私にするといいよ」
「うん???」
それは解決なのかどうなのかいやシルクだからしたいのか、麗しさに毎回目がやられる恐怖なのかなんなのか、甘さ濃いめのレイさんがいて、混乱する頭にぐるぐると頭が働かなくなったところで、アナが「クロモリ様」とその名を呼べば、執事服の人型のクロモリが現れて……。
「先程甘いもの食べられてましたね。是非お嬢様に歯磨きを教わって下さい」
目を伏せてそっと部屋を出ていこうとするクロモリに、
「よぉっし!クロモリ!わたくしと早速練習だわ!」
そう言って洗面台まで押していけば、「おや、残念」そんなレイさんの呟きに気がつかないふりをして、クロモリの手に歯ブラシを握らせると嫌々そうに口に入れたのを見てわたしもエア歯ブラシで先導をする。
「ハイッ、1.2.3.1.2.3シャカシャカゴシゴシ綺麗にしますわ!うん上手!では続きはお部屋でやりましょうか!ではシルク、レイさん、また明日〜!」
ニッコリと笑って部屋を出る時に、
「姉さん……クロモリの歯ブラシ、結局姉さんの……」
とかなんとかシルクが呟いてたけど、レイさんに撫でられた唇の熱が引かなくて、逃げるように部屋に帰りました。
本人はそんな気にしてないのかもしれないけれど、あのお顔で無意識だろうとあのスケコマシな動きは照れもMAXだと、さっさと歯磨きをやめて黒豹になったクロモリに乗って部屋へと帰りました。
8月24日は『歯ブラシの日』でした。
サクッと相変わらずの姉弟話のはずが、レイはツッコミ役が居ないと……助けてロット!!
「ハックシ!………なんや、嫌な予感がする……。せや!はよ寝よ」