海の近い駅
終電間際の駅で券売機から切符を買う。スーツから覗く腕時計はちょうど12時かそこらだ。
人影はほとんどなく。見回してあるのは無機質な光と機械と疲れているのか傾いだ制服だけだ。
階段とエレベーターをみて、切れかけた蛍光灯の照らす階段を選ぶ。
朝はあんなに人がいたのに、月が真上に来る頃には駅以外の光がなくなる此処では見る影もない。
今日も大変だった。上司は話を聞かないし、会議ばかりで仕事は進まない。
ふと何かが動いて影ができたがきっと虫か何かだろう。田舎ではよくあることだ。
手すりはいい、掃除されて綺麗になった人工物は人がいるのだと教えてくれる。
ホームに降りるとあいも変わらず傾いた看板と、制服と、向かいのホームのわずかな影がゆらゆらと揺れている。
…田舎は嫌だ。この間は光に惹かれた蛾やらハエやらが近くを通り過ぎていったし、なんなら夏には田んぼから湧いた蚊に刺される。
それに海が近いのもよくない、都会の人が言えば磯の香りだかなんだかと持て囃すがずっとここにいればいつか自分もそこらの海藻と同じ臭いになるんじゃないかと思ってしまう。
「はぁ…」
息を吐く。
鞄が重い、鉛のようだ。ネクタイも苦しい、とってしまおうかな?
しかし妙だ。音が近い。
自分からこぼれた物のはずなのに何処か遠くに感じる。違和、何かを感じる。甲高い音、背筋がピンと伸びる。踏切、音、線路をかじる車輪の音。
自分の音が嫌に大きく感じる。
何かがおかしい、何がおかしい。
終電間近の田舎駅になんで俺はいるんだ?
電車が来る。来た。そうだ。俺は今日ここの取引先まで出張してきたんだった。そうだった。そして飲み会になだれ込んでしこたま酒を飲まされたんだっけ。
電車の扉が閉まる前、幾度も聴いたアナウンスが耳を打つ。それに急かされるように俺は電車に乗った。
どこもかしこも伽藍堂、閑古鳥が鳴いている。しかし疲れた体には丁度いい俺はまっすぐと席に向かい座り込む。
袖をまくって時計を見る。12時。
スマホで調べればどれくらいで家に着くかわかるだろう。顔を上げてホームの方を見るとスーツを着た人影が立っていた。可哀想に、きっとコレに乗ろうとしていたのだろう。脱力し切ったその姿に同情を禁じ得ない。
その横の柱に書かれた駅名はかすれてよく見えなかったが幸いにも今朝の履歴が残っていた。
幾つかのタブを漁るとふと目が止まった。
『崖 名所』
どうやらかなり疲れていたらしい、自然の雄大な景観を楽しんで少しでもこのうんざりな気持ちを晴らそうとしていたのか?
違う違う。俺が探しているのは乗り換え案内だ。
四苦八苦した末にスクショを発見、安心すると電車はトンネルに入っていた。
だが変わったことは他にもあった。どうやら俺が気がついていなかっただけで他にも乗客はいたようだ。
ネクタイが苦しいがうまく解けない。
ふと気がつく。
何故だろうか、車両の床が濡れている。いや濡れているだけでない。乗客の誰もがじっとりと湿っている。
ガタンゴトンと揺れる電車の慣性のままに乗客だと思っていたものは倒れていた。
「お客さん。」
「ッハ!あ?」
目の前にはぼんやりとした表情の車掌がいた。どうやら席につくなり寝ていたようだ。周りを見ても倒れ伏した乗客のようなものはないし、床も濡れていない、せいぜい少し磯臭いだけだ。
「もう終点だよ。降りてくんな。」
「あ、ああ。はい。」
ぼんやりとしていると車掌に促され電車から出される。そして電車はそのままどこかへ行ってしまった。
「はぁ…」
気がつけば散々弄っていたネクタイは外れており、おまけに鞄は軽くなっている。少し寝たおかげだろうか?
「それにしても…」
ここは何処だろうか。
「ここは駅ですよ」
そんなことは知っている。問題はここからどうすれば帰れるかだ。
「帰る?ああ、それならもう無理ですよ。最後の電車はここまでです。」
そんな、馬鹿な。スマホを見ると充電が切れていた。これでは帰り道を検索することもままならない。
「よければ案内しましょうか?私、ここの人なんです。」
おお、それはありがたい。白いワンピースにワンレンという今時見ないレベルでストレートに夏らしい少女の後ろにフラフラと続いていく。
そうすると今時珍しい…というほどでもないがど田舎の路線鉄道なのだろう。木造の駅舎と切手を切る車掌が持つような装置が置いてある寂れた改札があった。
少女は俺にその装置を渡すと、言う。
「切手を切って出てくださいね?」
切手に装置を近づける。
ダメだ。それはダメだ。もう後戻りができなくなる。じわじわと自分が内側から膨れていく様な気がする。
「切れば、終わりです。」
手が震える。いや、手が震えるなんて事はない、俺が揺れている。いや歪んでいる。
なんだ?なにが?どうして?
「切れば、楽になりますよ?」
ああ、そうなのか。よかった。バチンという音と共に俺の意識はなくなった。