表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/25

第二十一話 露国の肝

明日から長野に出張

クリスマス?なにそれおいしいの?

北風が海の顔を切るように走る

耳の奥に思い押し付けるような暴音もたまに走り、穏やかな波の上にめまぐるしく走る世上の空気を感じさせている

ここは佐世保、大演習を終えた三笠達は舞鶴に戻ることはなかった


正確には何度も佐世保と舞鶴の間を行き来し演習を重ね、ようやくの休息のために佐世保湾に錨を下ろしている状態だった

舞鶴に比べると幾分南に位置する港に入ったというのに、代わることのない冬の訪れを海の上で冷たい風の中に浮かび味わっていた


舞鶴鎮守府を出港した三笠達は近海にて一度艦隊運動を行い、その足で佐世保から合流した巡洋艦達を含めさらに大きな演習を行った


大演習をおえたのは昨日の朝の事で

戦艦組総出になった演習は秋風を通り越し、氷の大地の破片を交えた凍土の風を鋭く吹かせ続けるという波濤の海だったが

そんなものなど何処吹く風と言わんばかりの猛演習に熱い息をあげていた


理由は件のロシア大公ポリス・ウラジミロヴィチが行った戦艦競争


突然の来訪をし横浜に迎え入れられた貴賓、朝日や初瀬がお迎えをした戦艦セヴァストポリに乗りやってきたロシア大公は、世界一周の旅ついでにロシア皇帝ニコライ二世にも評判の高い地である長崎にて遊興を楽しんでいた


そのまま、ただ普通に日本を楽しんで帰路につけば問題にはならなかったのだが、大公の一行は長崎を後にする日

九月三十日

ロシア貴賓である大公の迎えと称して長崎に入港した艦艇、ポルタワ、ペレスヴェートを従え旅順までの戦艦レースを行ったのだ


集まったロシア艦艇同士による海上競争に興じた

もっとも緊張を高めている相手国の目鼻先の前で


世界から要求されている満州撤兵を雲の中に隠し

帝国に対しても傲慢なまでな外交策を講じ続けるロシア

互いの利権や安全保障もままならぬ平行線にある両国の間にある海にて行われたこの出来事は大事件だった


ロシアの大公にとっては自分のお迎えにきた艦艇という大物軍艦を使ったほんの遊び心だったのかもしれないが、帝国上層部はそんなふうには取らなかった


船の上

手をふり日本を離れる大公だったが、最後に見せたお遊びは決して親善や友好的な態度として行われたものではなく

艦艇を使ってこんな遊びまでできる国に「逆らうなよ」という意思表示であったと睨み

軍部の対露関係に更なる緊張を持たせる事になったのは言うまでもない


そして大公達がレース興じた海の上にて大々的な演習は行われた


示威行動をシメされたのならば、それに匹敵する演習をと

おりよく三笠達が舞鶴を出て艦隊行動の演習に入った前日の出来事は、帝国海軍の疑心の闇に揺れた炎に油を注ぎ、六の戦艦達が並ぶ大演習へと発展したのだった




開けられた舷窓から赤いカーテンを揺らす冷たい風が部屋の中を通って行く

三笠艦長官公室

やっとでの上陸がかなう佐世保湾の中、鎮守府庁舎に足を運ばなかった東郷平八郎中将の前

桟橋に着いた三笠に乗り付けた士官達が揃っていた


「かけてくれ」


白髪も目立つ東郷は木製の色よいイスに座ったまま手を指し示して前に立つ士官達に着席を促すと

「酒を酌み交わすのも良うでごわす」と軍令部第一部長として少将になった瓜生の後ろに従う若い士官達に気を遣った笑みを見せた


瓜生は前年まで佐世保詰めで軍港部長をしていたが今年になり軍令部に移り、多忙にも横須賀と佐世保を行き来する状態となっていたが、今回は軍令部からのある資料を携え三笠艦にわざわざ出向いていた


東郷より少し若い彼だが、髪は一時の苦労でめっきり減ってしまったのか薄く申し訳程度、それでも紳士らしさを現すように広くなって額の上で小綺麗に纏めている

軍港部長という業職をしていたにしては、愛嬌の良さそうな丸い目の下に皺を作った顔が東郷の手招きで自分の後ろに立っていた更に若い士官達にもと声をかけた


「中将もああ言っておられる座るが良い」


そういうと東郷の右手に腰掛け自分に続くようにとわざわざイスを引いて見せた


「座るがいいぜよ、長い話は立ってきけばダレちゅうぜ(疲れる)こん(今日の)話しはここにあつまっちゅう(あつまっている)艦隊のもんにとって大事なはなしじゃき」


東郷の左手の側、イスの背に手を置いたのは初瀬艦艦長の島村速雄大佐

お国言葉を柔らかく使うのは彼の特異な話術の一つだった


海軍の人事では一大勢力である薩摩出身者が多い中で

その薩摩と反目しあった長州と一つの力とする事に尽力し新たな御代への道を開いた男

坂本龍馬と故郷を同じくする土佐出身の島村は、未だ薩摩出身の士官達が幅をきかす海軍の中にあって

ダレよりも心広き知識者だった


すでに着座している三笠艦艦長早坂などの物腰穏やかな姿に

厳つく尖った眉頭の下、少し垂れ目で笑みも優しい上官島村の指示に各艦から収拾された士官達もやっと腰を降ろした。とはいえ

普段は座る事など出来ない公室用の座り心地のよいイスに座るのは背筋に緊張を促すもの、座りはしたがどこか腰の浮いた様子の士官達に東郷は苦く唇に笑みを浮かべて見せた


この集まりは軍本部とは関係なく不正期で行われるものだったため佐世保の庁舎に場所を移さず行われていた

各艦艇の中から主力艦の艦長数名ならび「一定の技能者」「知識者」を集めた談話会の中身とは


今日ここには一つの資料があり、それを陸で話し広めるでなく内密に話し合うためだけであるからだ


非公式の集まりである事が事実なのだから

厳しく士官を注意するようなやり方はせず、この絨毯の敷かれた公室での一時を楽しむように会を始めたいという統合の提案でもあった


士官達の背筋から緊張をほぐしとるために

盆に摘んだ酒をたーブルの真ん中に置き、自らいっぱいを口にしながら

酒も入れば緊張の糸も少しずつ暖まり緩くなる

将官達の気遣いと少しの談笑を挟み、時間を確認した瓜生はおもむろに軍令部の判を押した封筒を長官公室に置かれたテーブルを囲む者達の前、東郷の手元に写真を出した


「そろそろ本題に入ろうか。陸軍の諜報活動、写真についてだ」

「ダリーニーですか?」


差し出されたモノクロの写真に最初に反応を示したのは末席側に座っていた体躯のよい佐官だった

彼の位置からは遠い写真ではあったが、大きな体に比例したように大きな目玉は、束になって出された写真に釘つげになって最初の一枚目の地名を挙げていた


ロシア語に変えられた地名、青泥窪(後の大連)

その名を口にした佐官に島村は察しの良い目端で方眉を上げると


「そうか君は今年の頭までロシアにいっちょったの」


将官達より先に口を出してしまった彼は島村の問いに、雷をぶつけられたように硬直するとケツを蹴飛ばされイスを蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がって敬礼した


「申し訳ありません!!つい差し出がましく!!」


公室に響く大きな声は舷窓の窓にヒビを入れそうに野太く謝罪をした

「よか、ようごわす」

後ろにある飾り棚に頭をぶつけそうな大きな佐官に東郷が平手で座れと笑ってみせる


「君にも話しを聞こうおもうちょったからの広瀬少佐、忌憚のゆくぜよ」


末席にて急に立ち上がってしまった広瀬武夫少佐は島村が言うよう帝国海軍では数少ないロシアに駐在していた士官だった


今年の初めシベリア踏破という道を使いロシアを練り歩き三月十九日に旅順を後に、日本に帰国した彼は現在朝日艦の水雷長兼分隊長として勤務に励んでいた

口ひげをムスタッシュのスタイルに伸ばし、子供ぽい顔を士官らしく仕立てた広瀬は東郷に一礼、島村に一礼をして静かに着席をすると、テーブルの真ん中に広げられた写真を睨むように見つめた


「どこかわかるか?」


着席した広瀬の経歴を知った島村が酒を断り、茶を所望しながら尋ねた

広瀬は失礼しますと挨拶をすると何枚かの写真を手元にもちながら地名を挙げていった


「ウスリー鉄道、ウラジオ、ハルピン、奉天…青泥窪、ですね」


風景の多い写真の中、建物と駅、それに何も無いような山の絵など、素人が見たのではワカラナイものばかりでも広瀬には思い出せる事は多い

彼は懐かしそうな顔で数十枚に渡る写真を見ながらそれぞれを地域別に分けていった


「助かるな、浦塩ウラジオから旅順までの写真と言われても、網の目をかいくぐるためにバラバラに届けられてな。どれがどの土地のものかわからなくて困っていたが、広瀬君が6月に出してくれた報告書を目にして君に聞けば何とかなるのではと思い話しを持ちかけて陸軍から引っ張ってきた。その甲斐があったというものだ」


瓜生は軍本部に届いた大陸の写真で陸軍が対露作戦の想定戦を開始している事を理解していた


陸軍大将川上操六の死後、対露政策の後任として立たされた田村は本人的には対露戦に消極的な態度を見せていたが

待てど暮らせと良く成らぬ満州をめぐるロシアの対応から日露の関係の悪化を確認するに至り闇雲な消極論を振りかざすことが何の備えにもならぬと心に区切りをつけ

前向きな停戦を求めて情報を模索し始めていた

そのための諜報活動など地道な策と兼ね合わせるように実際の戦略などを練る日々が始まっていた


検策のために集められた写真は海軍にとっても必要な資料であった

陸軍ばかりで資料を纏めても、海を渡る仕事、大陸に兵員を送る任務に就き上陸可能な場所を最初に制圧するのは海軍の仕事でもある


ましてや前の戦争の時の地図を使うなどという粗末な策は立てられぬもの

時代の流れは清との戦争からすでに8年近く流れ、激流により多くの革新的技術がもたらされたり

新しい戦艦を必要としたりする中、土地もまた新たな大地として入れ替わったものと考えて行かねばならないからだ


三国干渉で取り上げられた半島、じりじりと侵略されてゆく朝鮮。熟知するためにも資料を分け貸し出しをされたしと瓜生は進言し今日ここに写真を運び込んだ


写真は束の帯に小さく地域名がうたれてはいたが、基本何も書き込まれない素の状態で届けられるため陸軍でも仕分けには苦労していたところに、広瀬の提出したロシア駐在の報告書から「海軍にも知識者あり」として仕分けを請け負う事を可能にしていた


「よくこれ程の写真が」


封筒から束になってだされた写真を、広瀬は3年近く駐在したロシアを懐かしむように見て頬の緩めた顔を上げて尋ねた

それ程に膨大な量だった。広瀬は軍籍を持っていたため写真などは限られた場所でしか取ることが出来ず、手に持って帰れた写真は世話になった家などでの集合写真や起点となる駅などしかない


ロシアは日本の軍人が撮る写真についてはスパイとして見ていた向きが当然のようにあり

風景の写真を撮るのは諜報活動以外何者でもなかった

それ故に届けられる写真に地名が明記されていないのである


緊張が漂い始めた両国の中

軍部はそれなりの用意を開始していた。備えずに戦う事はできない、やりすぎても良いぐらいに構えていなくてはならない相手

超大国ロシアとのよもやの戦いへの準備

それ程に、時がロシアとの対話を否定し始め、対決へ加速し早めているともいえた


出された茶を啜りながら瓜生は声を少し小さくして広瀬と、一同に集まる者達に告げた


「青泥窪に設けた写真館、その前はハルピンに作ったのだがそこの店主が送ってくる。極秘なので現在軍籍はないが陸軍の援助で行われていて」


「石光さんですか?」


瓜生の小声に合わせて背中まで丸めテーブルに顔を擦りつけそうな位置から広瀬は聞いたが瓜生は目頭を少し動かしただけで答えなかった

それが機密であるという事を態度で示しながら


「とにかく、浦潮と旅順の写真を仕分けして欲しい。それが我が海軍の望むものにつながるハズだからな」


和やかな中にも緊張

そのために重責の将官、佐官とは個別に知識者として呼び出されていた広瀬


課された自分の任務を理解した彼は手早く写真の仕分けをし始めた

その広瀬に東郷が声をかけた


只でさえ秋を越し南に拠点を移した演習だったとはいえ、冬の冷めた風の中にある海の上

公室まで静まりれかえっては気持ちの温度も下がるという時に東郷が口にした質問に、一同の熱は少しばかり上がった


「アレクセーエフ大将はどんな人物だっか?」

「アレクセーエフ極東総督ですか」


オウム替えしの返事の広瀬に東郷は頷き、そうと問うた

広瀬はロシア最後の地、日本に向かう船に乗る旅順にてアレクセーエフ大将を表敬訪問していた

大陸を離れるギリギリの時間で相手の大将の顔を目に納めて来たのだ


「なんとも言えません、不敵にして大胆な方と…ただロシアは本気で極東の地に拠点を構えようとしています」


短時間の会見だったが、旅順に至るまでに見たものがこの大将の業であるとするならば

ロシアが朝鮮半島を伺っている長期的な展望の片鱗を見ることはできた


「ダリーニー、いえ青泥窪の町作りなどを見るに浦塩以上に皇帝の意識が極東に向いている証拠だと考えられます。それを押し進めているがアレクセーエフ大将である事も確かです」


広瀬はそういうと建造の途中である建物の写真をテーブルの真ん中に置いた

東清鉄道に勤めるドイツ技師達の手による冬に強いハーフテンバー様式の建築

二重に石段を組み合わせ床を高くさらに煉瓦を重ねるという最新の工法によって立てられようとするものが示すものは


「町作りの基本はフランスのパリスならっていると聞いていますが、それをここに持ってくる意図は…ここに長期的な居を構えるという事それが続く満州及び朝鮮までおもの完全征服ではと」


何枚かの写真が話しながら並べられて行く

大きく円形に作られた町の中心となる公園、それを巻くように立てられる官舎

特に旧埠頭に向かう側に整理されている町並み、それを見通せる道からとられた写真

表向き、貿易港として門戸を開くとされている青泥窪事ダリーニーだが浦塩、旅順を隠れ蓑に永久に居住まう領土の突端としての開花を続けていた


港の貿易や収益の元となっているのは

朝鮮半島に続く森林伐採や鉱山採掘、それらの足場としての町


「前の戦争の時には北の山に大砲があっただけの何もなんもなかところじゃったのにの」


広瀬の並べてゆく写真は瓜生の手から東郷に手渡される

「発展を促すのは、皇帝の意志か?それを司る極東総督の意志か?どちらにしてもよくないこっちゃ」


選び出された青泥窪の写真は島村にも渡り各々の思案を見るために手の中で睨まれる


「旅順はどうであったか?」

「前に言った時よりは遙かに拡張されているのは確認できました」


手の中の束から旅順の写真をみつけられないままの瓜生の問いに広瀬は答えた

広瀬は前の戦い

大清帝国との戦争の時、威海衛で捕獲した鎮遠の日本への回航を任され旅順に入港していた

当時は清国が作ったドライドックが一つ、湾を囲む小山の尾根に大砲を何門か揃えた簡素な港だったが、今回旅の最後に見た港の景色は一転していた


だが多くを見ることは出来なかった

それは広瀬の出港時間が夕闇の時間になってしまったからだ

昼過ぎに表敬訪問をしたアレクセーエフ大将は広瀬を夕暮れ時まで邸内から出す事はなかった


広く、高く天井を取られた部屋

優雅なロココ調を描いた絨毯床に足を踏み入れるのを躊躇する程の豪奢な総督官舎の中、髭の下に隠した唇は重くゆっくりとした口調で訪問者広瀬との談話を楽しんだ

ウォッカと夫人の出す手料理、酒とタバコの煙が緩く流れる時間を重く腰を据えたアレクセーエフは自邸のカーテンを閉め切ったところで時間を止めてしまった


湾を囲む狂気を見せないために。彩りの幕の下で何が行われているかを広瀬が判断する事は出来なくなっていた


口に残った焼け付くウォッカの味と、自分の姿から日本人というものを遠望しようとした彼の青い目を思い出しながら

それでも暗闇時になった町の景色を覚えているところまでで広瀬は語った


「前は平地の建物しかなかった港に、青泥窪と同じような建物を複数見ました。さらに港には大きな官舎なども見受けられました。たぶん新たなドックも作られていると思います」


見つけられない写真を諦めテーブルに戻しながら、夕暮れ時を馬車で港に向かう間にかすめた人気

多く力を感じ兵員の充足率も高いのではという予想


湾内に見えた戦艦の影、しかし全てが夕闇の影としてしか見ることのできなかった旅順に広瀬は多くの事を語ることを慎んだ


「旅順については残念ながら多くを知る事は出来ませんでした」と礼をした

「そうでごわすか…露国の肝は太いようでごわすな」東郷も手元にあった写真を下ろすと張りつめていた場に息を落とした


「旅順は一つの鍵となる港と変わったか、これからは情報を奪い合い、それらによる牽制を続ける戦いが必要となってくる…かもしれぬな」


瓜生は並べられた風景を凝視しながらこぼした

ここから約一年、日本はロシアとの対決のための試行錯誤と情報戦略の日々を歩むことになる




「とこんで、情報ちゃあれよ無線機ってのは…役にたたんものかもしれんのぉ」


一つの懸案に区切りがついたのを見て声を挙げたのは

敷島艦艦長富岡定恭大佐だった

前の戦い、黄海海戦では厳島の副長として参加していた彼は通信機にそれなりの期待を寄せていた

黄海海戦は市井に流れる「圧勝」などというものとはほど遠い辛酸をなめる不出来な戦いで、最初から最後まで混乱の中での撃ち合いだったと考えていた彼は、自艦である敷島に新たに搭載された無線機の試験を積極的におこなっていたのだが


結果の悪さに激するを通り越す倦怠感を帯びた目で

目玉の新兵器だった三四式改無線機を持ち込んでいた阿賀野を見た


広瀬のとなりに座った阿賀野は痩せてはいるが身の丈は広瀬と変わらぬものだったが、姿勢は歴然な程に低く背中を丸めた様子で


「はあ、そのそれでも富士艦、八島艦では二十里前後までは」

「わしのところから三笠艦に届いたのは十里いかなんだぞ」


最新の三四式を持ち込んだ通信試験は演習においても寝る間を惜しむように続けられていたが、阿賀野が考えていた程の結果は得られていなかった

率先して試験を買って出た富岡にとって、一つ前の富士艦八島艦の接続に劣る敷島艦の成績は眉間に皺を作ってしまう程のものにもなる

阿賀野は無線機を預かる乗員中尉に指導をしながら各艦に詰める通信旗手の記録簿と睨めっこをする日々を送っていたがどれも芳しくなく、改善策もなかった

伸び悩む距離への対応が現状手元にない事詫び、申し訳ないと頭を下げた


「最新鋭の船と相性が悪いなどとはいわんでくれよ。海軍省は君らの通信機には大きな期待を寄せているのじゃからの」


東郷の許可が出ているので酒を少しずつ煽りながら話す富岡の前、惨憺たる結果に言い訳のしようもない阿賀野の背は更に丸く小さくなってしまう

身の丈ならば広瀬少佐と代わらぬほどの男なのに、こうも差が出る知識者と技能者

役割の差はあるが、見えぬものに向かう手探りの作業はどちらも一緒だ


「今週末に朝日艦に乗り東京に帰ります。松代技師と木村技師を交え必ず海の上でも確実な成果を出せる形を作って参ります」


阿賀野の精一杯の返事

地上試験では150キロを記録する事も出来た三四式だっが海の上ではまったく安定しない状態を続けた上、夜はつながるが昼はつながらないなど不安定要素は山盛りだった

だが、出来ないとは決して言えない


阿賀野は自分がこの場所に呼ばれた本当の意味に気がついた


この場に集まる中で一番階級の低い一介の技術尉官が、試験結果の悪さに怒鳴りつけられるのではなく、焦りを覚えさせられる大陸の写真

にじり寄る焦燥感は、海軍もまた戦争に対する備えを万全に期そうしている事を知ることで冷たい汗となって額からこぼれ落ちた


無線機には海軍の艦艇をつなぐ大切な役目がある

陸軍にとってもいち早く敵とする者達の情報を得る必要がある


児玉源太郎

この年の2月までを陸軍トップとして働いた彼が躍起になって権利を買い取った海底ケーブル


明治維新直後にはすでに大北電信社(great Northern Telegraph)によって、長崎〜上海と長崎〜ウラジオストーク間は完成していた

ロシアの息が掛かったこのケーブルは拡張を続けていた

1871年にこれらを完成させた大北はさらに、東京〜長崎のラインも視野に入れて行動を開始していたが日本政府はこれを本当の水際で防ぐ


維新で目を覚ましたばかりの国にあって武官となったもの達も政府の官民となった者達も

日本を廻る外からの脅威に敏感だった


しかしこの後もあの手この手と大北は迂回ルート廻って日本政府と争い

政府はそれをあらゆる条件を付けて回避し続けた


そして日清戦争を経て、三国干渉の平手打ちを喰らったとき日本はこれ以上ロシアに情報を取られてはいけないと確信する


既に出遅れ、長崎〜釜山の間のケーブルを間借りしていた日本は児玉源太郎指揮の元、日本国独自の海底ケーブルの設置を始める

九州〜台湾の接続に成功、これを英国と結ぶという方法でさらに世界の情報網を独自手に入れられる基礎を築きつつ、日本国内の情報も逐一帝都に届けられる体制を作り上げた


だからこそ海軍もそれらを十分に使う必要性を迫られていた



何も言わず皆の話を聞いていた東郷は

責任を痛感してテーブルにお辞儀するように顔を伏せてしまった阿賀野に声をかけた


「「その日」が来ないことを願ごうが、じっやどん憂いは残したくないでごわす。たのんますよ」


東郷の重くない、少し間延びした柔らかい声に阿賀野は擦りつけるようにテーブルに伏した顔のまま、はいと答えてやっと背筋を戻した

起きあがった年若の尉官の顔に、まるで自分が責め立ててしまったのか?と顔をしかめた富岡は顎をさすりながら


「しかし通信機のアレは届かんが、恋女房からの手紙はよくとどいとるのぉ」


そういうと素早く話題を切り替え、阿賀野と広瀬の顔を交互に見た


「恋女房ですか?」

手元に広げていた写真のまとめをしていた広瀬は焦った顔を起こすと頭の後ろを掻いた


「おおっ広瀬君はロシア貴族のお嬢様にずいぶんと言い寄られたと聞いていたが」


態度を隠せない巨漢は直立不動に立ち上がり敬礼すると

「そっそんな事はありません!」と顔を真っ赤にして返答したが

東郷に瓜生は声無しの笑み、富岡はテーブルを叩いて笑う


「きいちょるぜよ!朝日艦に乗って2ヶ月もせんうちにロシアのお嬢様からの手紙がきよったて、のろけちょったと!!」

「そうよ、水兵達にのろけとったわな!広瀬君」


島村は楽しそうに指差し確認をし

富岡は敷島艦と交友を持つ水兵達からきいたのろけ具合を手を広げて語った


「手紙の朗読でもしてもらうまいか」


重い話しの連続でカラリと冷めていた部屋の中。突然滝のように汗を流す広瀬の姿に東郷も笑う

阿賀野もロシア駐在までした名物少佐の意外な一面に笑みを浮かべたが

今度はそれを狙ったように三笠艦艦長の早坂大佐が真っ白になった髪の下で目を合わすと


「阿賀野くんも奥方殿からすでに三通もの手紙がきとるのぉ、わざわざ横須賀まで来て郵便受けに通すなんぞ、さぞや可愛い女房殿だろうに」

東郷より年を経たロマンスグレーを通り越す白の総髪、日本人しては鼻筋もよく通った早坂は薄い唇に笑みを浮かべて言う


「ほう、わざわざ横鎮(横須賀鎮守府)に来てから、手紙をだしょうるぜよ?」


聞き上手の話し上手、島村は新たな標的に満面の笑みを見せるが、阿賀野は急に振られた自分の話に声が出ない

広瀬は自分の話題から遠ざかりたいのか


「阿賀野大尉はよほどの愛妻家なんだねぇ」


うわずった声で

肩を押す


「広瀬少佐、それは」


部屋の中、他の将官佐官に比べると格段に若い二人は焦りまくり、お互いの肩を押し合うという何ともおかしな図となっていた


「東京に実家があるのじゃろ?わざわざ横鎮まで来て手紙を出すのは大変じゃろうに」


島村は両手を組んで弾む話に乗っている

「ああ、その、横鎮にこれば私がいるのではと…横鎮に勤めると言ってありましたので、ただ船の勤務ですから」

「そうぜよ、ええ奥さんやのぉ」

「はい、私にはもったいない程の…」


はやし立てる上官達の中、広瀬と同じように顔を赤くした阿賀野に助け船を出したのは瓜生だった


「いやいや良い女房がいる事は宝である。阿賀野くん、大事にしてあげたまえ」


夫婦共々アメリカ留学の経験を持つ瓜生は、日本的夫婦の秘めやかなあり方も好きではあったが、反面進歩的で情熱的な妻というものにも理解を働かせていた

東京の実家から記者を乗り継いで夫が働くとされる横須賀までは三時間はかかるであろう道

それを乗り継いでやってきては旦那の仕事場を見ながら手紙を投函するなど、とても良い妻であるとべた褒めのうえに拍手をした


瓜生のアメリカ談議に移ろう中で阿賀野はどこかやるせなさ下に顔を下げたまま話しを聞き続けた


「良き女房殿を安心させるためにも良い仕事をして貰わねばのぉ」


終始にこやかに会話を聞く東郷の前、二人は泡を食った後半戦を味わい

同時に各々の役割により邁進せねば成らぬと思い直した時間となった




少しの談議を終えた東郷達は夕暮れが柄ずく時間を待たず佐世保に上陸する事になり甲板に上がった

昼過ぎの少しの時間、すでに太陽は海に向かって傾きを強くし

水面に光りの線を幾重も走らせている

冬の冷たい風の中、大きな声が桟橋の向こうに響き渡っていた


「また、負けもうしたな」


下艦のための支度をして進んでいた一行の中、足を止めた東郷の目線の先に早坂三笠艦艦長は眉をしかめた


連日続いた演習に三笠は一度も、他の艦より優れた成績を残すことが出来なかった

富士、八島を始め敷島、朝日、初瀬と続き六の戦艦の要として日本に来た最新鋭の艦艇である三笠は、演習項目のどれをとっても他の艦艇の成績に及ぶものはなく最下位の赤点軍艦と笑われていた


まだ日本に来たばかりで乗り合わせの兵員に不手際も多かったとはいえ、あんまりな成績に早坂は肩を落とし

「自分の時代は終わったか」とぼやいたほどだ


そういう機械的な面での負けで付けられた汚名を返上しようと今日は昼前から端艇競争会が行われていたのだが


「朝日艦に一番も二番も持って行かれましたな…」


長い溜息の早坂

ワンツーフィニッシュの朝日艦水兵達は飛び上がって喜び歓声を挙げる向こう、続く八島艦、敷島艦、富士艦、初瀬艦


最後にゴールラインに到達したよれよれになった三笠艦端艇の声も出ない水兵達の姿


「明後日からがまた心配です。善処するよう鍛えなおす所存ですが」


明後日からは巡洋艦を交えた艦隊演習が始まる

艦隊の勤務忙しい、寸間を惜しむように続けられる訓練


「ずんばい、頑張るしかないでごわすな」

斜陽の輝きに目を細めながら東郷は目深に被った帽子の下で、笑みとも歪みとも言えぬ口元を見せながら船を下りていった




一方当の三笠艦の魂、三笠は負け続ける日々に爆発寸前になっていた

思うようにいかない日々に改善の鉄槌を降す者が来る日は明日


切磋琢磨を地で行く成長劇が始まるのは、まだまだこれから先の事だった


カセイウラバナダイアル〜〜現実と嘘〜〜


ぷはー

疲れました

今話での演習は実は一ヶ月ずれてます、現実の三笠艦日程からみると大幅に…

それに朝日艦はけっこう多忙に動いていて、こんなに長く演習に携わったことはあまりないです

少しずつずれるのは、後で見つかった資料でわかる事が多いからです


そもそも

ヒボシは本伝の艦魂物語,魂の軌跡〜こんごう〜を書くまで、海上自衛隊って何?とりあえずイージス艦ってのはわかる

ぐらいの知識で始めた人です


当然帝国海軍の事など何も知らなかったに等しいもので、見苦しい事も多々あると思いますが優しい目でみてやってくださいませ〜〜〜


小説なのでゆるしてやってくださいませ〜〜〜平に


本当とにかく今回は

こういう時間軸との摺り合わせのがいかに大変かというのを痛感した新話でした


さらに

今回は艦魂が出てませんしwww

艦魂ばかりでは日本がどんな時期にいるのかがわからなくなってしまうので人間の側の話しもバランスよくいれたかったのですが


人間一色の一話になってしまいました


嘘も現実ぐらいにかけるようになったらいっぱしなのかなぁとおもいつつも

できるだけ真実をわかりやすい形で皆様に知って欲しいとこころかげて描いてますが

ヒボシは物書きに向いてないなぁと痛感してます


突っ込みどころも満載ですから、色々とご指導下さる方も歓迎ですよぉうぅ!!


ちなみに

今話の端艇競技会のアレは真実です

マジで勝てない三笠様、朝日は本当に強かったようで競技会のたびに1.2を独占したりしてます

優勝旗なんかも頂いてます

その次に強いのが八島、敷島で次が富士、初瀬、ドンケツの三笠様


そのうち三笠様も勝てるようになるのですが、

現在の資料の中では明治36年の11月まで朝日に勝てません

勝った事がありません。どうなの三笠様?

これ以降の年数だと戦争はじまってたりだし…酔っぱらってたのか?


そんな外伝ですが

次回は巡洋艦達がやってきます!!

楽しみにしてくださいませ〜〜



ところでイブ…イブってなんだよ?



でわ〜〜〜〜またウラバナダイアルでお会いしましょ〜〜〜

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ