98.中島 永那の謎めいた瞳④
小手毬さんが見つけた女子は、遠目に容姿を観察した限り、やはり春日井が言っていた中島さんで間違いなさそうだった。
春日井は自分で言っていたように中島さんの情報を大して知らなかったけど、そもそも会ったこともない僕らからすれば、見た目を把握できただけでも御の字だ。
「春日井くんが言ってた通り、大人しそうな子だけど……」
「うん、こう言ったら失礼かもしれないけど、普通に可愛いね」
本当に失礼な言い方だけど、春日井の説明だともっと地味な子に聞こえたのだ。
僕らの視線の先にいる中島さんの見た目は黒髪のポニーテールで、体格は高校一年生の女子としては平均的なものだろう。影戌後輩はもちろんとして、鳶田後輩もあまり背の高い方ではないので、僕が知る一年女子の中では彼女が一番大きい。
ポニーテールの陸上部といえば活発な印象を受けそうなものだけど、彼女の場合は片目が隠れそうな長さの前髪のせいか、どちらかと言うと暗そうな印象がある。僕としては遺憾ながら、いわゆる眼鏡女子であるという事実も、その印象を加速させているのかもしれない。
ただし本人の纏う静謐な雰囲気と、透明感のある引き込まれそうな目によって、暗いと言うより神秘的な印象になるのだ――と、春日井は前のめり気味に語っていた。そこまで熱く語れるのなら、もっと積極的に彼女と距離を縮めればいいのに、と内心で思ったものだ。
「ただまあ、控えめなタイプっていうのは本当らしいね」
「そうだね……。あんまり周りの子と喋ってないみたいだし」
小手毬さんの言う通り、中島さんは同じ陸上部員とも話している様子が見られない。今もウォーミングアップのためか、一人で黙々とストレッチをしていた。
ただ彼女がいじめを受けていたり、孤立しているように見えるかと問われれば、決してそうではない。
不自然に遠巻きにされているわけでもなく周囲には人がいるし、何というかひそひそと様子を窺われているような、厭らしい雰囲気が感じられない。
春日井も言っていた通り、あまり人と馴れ合わないタイプなんだろう。
ちなみに彼から得られた中島さんに関する情報は、これでほぼ打ち止めだ。
容姿の特徴と、陸上部に所属している事。あとはそこまで陸上の成績が優秀ではない事と、読書が趣味で教室ではいつも本を読んでいるくらいだろうか。
「どんな感じで春日井くんの相談に乗ればいいのかな、真壁くん」
「うーん……クラスも違うし、接点がないのが厄介だなあ……」
似たような相談内容――意中の女子と親しくなりたいと言ってきた建山の場合、相談する前から小野寺さんと同じクラスで、一応は面識があった。
しかし今回の場合、ほぼ正真正銘の初対面だ。知り合いになる段階まで手を貸したとして、建山の時以上に長い目で見る必要があるだろう。
そのあたりを小手毬さんに説明すると、納得したように頷き返してきた。
「それじゃあ、まずは接点を見つけないと……だよね、真壁くん?」
「うん、そういう事だね。とりあえず当初の予定通り、ちょっとお話ししてみようか。ストレッチ中じゃないと危ないかもしれないし。はい、小手毬さん」
僕はそう言って、ここに来る前に体育倉庫から拝借してきたサッカーボールを、小手毬さんに渡した。予備はたくさんあったし、この後ですぐに返却するので、多少の無作法は見逃してほしい。
小手毬さんと距離を取り、ストレッチをしている中島さんとの間に立つ。
それを見計らった小手毬さんが、手を振りながら声をかけてきた。
「真壁くん、いくよー」
「OK、いつでもどうぞ」
僕がOKを出すと、小手毬さんは「えいっ」という可愛らしい掛け声と共に、極めて緩い速度でボールを蹴り飛ばした。
小手毬さんはイメージ通り運動が得意な方ではないので、おそらく素でこの威力なのだろう。この球を自然な形でスルーするのは至難の業だけど、周囲の人間が僕らを気にしていないのは蹴る前に確認済みである。
僕らがジャージを着用しているのは、こうして目立たずグラウンドで行動するためだ。部活時間中なら、制服よりもこっちの方が溶け込める。断じて僕が小手毬さんのジャージ姿を間近で見たかったからではないし、体育の時間中は信楽さんがガードを固めていて小手毬さんに近付けないという理由でもない。
小手毬さんのほんわかシュートを華麗にスルーすると、狙い通りストレッチ中の中島さんの方に転がっていく。やがてボウリングのピンすら倒せそうにない勢いのボールが、中島さんに当たってその回転を止めた。
彼女が自分にぶつかった物の正体に気付き、キョロキョロと周囲を見回し始めたところで、僕と小手毬さんは何食わぬ顔で近付いて声をかける。
「すみません。ボールがそっちに行ってしまって……」
「ごめんなさい! 怪我とかないですか?」
あのボールに当たって怪我することはないだろうけど、こういう風に言った方が第一印象は良くなるだろう。
周囲の陸上部員たちの視線がわずかに集まるものの、僕らが大きめの声で事情を話しながら近づいたので、すぐに問題ないと理解してくれたようだ。
とはいえ部活動の邪魔をしたいわけではないので、手早く会話を済ませてしまおう。一言二言で彼女の何が分かるわけでもないだろうけど、もしかしたら意外な発見があるかもしれない。
中島さんはボールを拾いながら立ち上がり、僕らの方を見て口を開いた。
「平気」
僕と小手毬さんが初めて聞いた、彼女の肉声である。
あまりに端的なので、どういう感情が含まれているのかは読み取れない。
それにしても、こうして近くに立つと春日井の言っていた「透明感のある目」という言葉の意味がよく分かる。
僕らに向けられた中島さんの瞳はとても澄んでいて、さっきの端的な言葉以上に何を含んでいるのか読み取れなかった。
僕としては、小動物のような小手毬さんのつぶらな瞳の方が魅力的に感じるけど、春日井のように彼女の放つ神秘性を好む人間がいるというのも理解できる。
僕の周囲で無表情と言えば、やはり影戌後輩だろう。
しかし彼女は表情の変化が薄いだけで、喋ってみれば割と感情豊かなのに対して、中島さんは発言も淡々としているので、さらに感情が読みづらい。
「……サッカー部?」
僕たちに視線を向けたまま、中島さんは小首を傾げた。
意外とこういうリアクションはするらしい。もっと微動だにせず話すようなイメージだったけど、流石にそれは偏見が過ぎるか。
おそらく彼女も、本気で僕らがサッカー部だと思っているわけではない。
明らかに違うとは思いつつ、念のために聞いてみたというところだろう。
「いえ、ちょっと彼女と遊んでただけです」
「本当にごめんなさい。部活の邪魔しちゃったみたいで……」
僕らの説明を聞いた中島さんは、納得したように小さく頷いた。
ちなみに僕らがいまだに敬語で話しているのは、彼女がユニフォーム姿なので学年が分からないという前提だからである。
中島さんは一瞬だけ考え込むように視線を動かした後、再び口を開く。
「今はどこも大会前でピリピリしてるから、遊ぶなら余所でやった方がいい」
思った以上に長文が出てきたので、少し驚いてしまった。
いや、まあ言うほど長いセリフでもないんだけど、さっきからずっと一言ずつしか話してなかったし。
僕と小手毬さんが軽く狼狽えているのには気付かないまま、中島さんは始めから変わらない調子で言葉を続ける。
「――でないと、紅蓮の炎に灼かれることになる」
「いや本当に申し訳……ん?」
ちょっと待って。今なんかおかしくなかった?
「……紅蓮の炎?」
僕よりも先に、小手毬さんの方が疑問を口にした。
そう、それだよ。いきなり言い出したから戸惑ったけど、日常会話で「紅蓮の炎」って言葉が出てくるのはおかしいだろ。
小手毬さんの言葉を聞いた中島さんは、相変わらずの透明な表情……と思いきや、じっくり観察すると少し慌てているように見える。何だか急に、彼女の神秘性が薄れてしまったような気がするな……。
「何でもな――」
「ちょっと聞いてもいいかな?」
「――何?」
おそらく「紅蓮の炎」発言を誤魔化そうとしていた中島さんだったけど、僕に言葉を遮られて訝しげな目を向けてくる。
訝しげと分かる時点で、その神秘性はかなり失われていた。
彼女に対する予想の正否を確かめるため、僕は一つの質問を投げかける。
「生徒会長の異名――『氷の女王』って、どう思う?」
「ありきたり過ぎる。せめて『絶氷の魔妃』くらいは言うべき」
「……なるほど、どうも」
ここに来て、急速に彼女の人となりが理解できた。
要するに彼女は……。
「ぜっひょうのマキ?」
「……っ!? もう部活始まるから……!」
小手毬さんが不思議そうに首を傾げると、中島さんは焦ったように背を向けて、他の部員がいる方へと歩き去っていった。
残された小手毬さんは、まだ納得できていない顔を僕に向ける。
「真壁くん、天ちー先輩の名前って、天乃さんだよね?」
「小手毬さん、今のは『マキさん』っていう意味じゃないから……」
どうやら小手毬さんに「そっち」の気はないらしい。
いまだに首を傾げる彼女を見て、僕は心の中で安堵の息を吐いた。
本人の知らないところで、時々ネタにされる天ちー先輩。