97.中島 永那の謎めいた瞳③
「さて、中島さんとは知り合いでもないって話だったけど、好きな相手なんだから何も知らないって事はないだろ?」
気が済むまで小手毬さんの頭を撫で回した後、感心した顔でそれを眺めていた春日井に声をかけた。ちなみに茅ヶ原先生は、撫でている途中に部室を出て行ってしまった。羊羹食べ終わったからね。
「ええ、まあそうですね。そこまで知ってるわけじゃないですけど」
自信なさげな春日井だが、今は小さな情報も必要なのだ。
「何でもいいから、とにかく教えてくれ。中島さんの情報が少なすぎる」
「情報収集だねっ、真壁くん」
どこか楽しそうな表情で、小手毬さんが言った。
久々に二人で臨む恋愛相談だからか、今日の彼女は大いに張り切っている。
思わずもう一撫でしたくなるけど、それをしたら無限に撫でてしまって話が進まなくなるので、遺憾ながら今は我慢するしかない。
とりあえず今のところは、彼女に向けて微笑んでおくだけにする。
僕の笑顔を見た小手毬さんは、少しだけ呆けた顔をした後、頬を緩めた。
「……えへ♪」
いかん、今日の小手毬さんは可愛すぎる。
いつだって可愛い小手毬さんだけど、今日はうきうきした雰囲気が実に最高だ。
とびきりの笑顔を見た僕の顔が、さらに緩む。あれ、これって無限ループでは?
我に返った僕が春日井の方を見ると、何かを納得したように頷いていた。
影戌後輩たちが不在の上に、さっき先生も席を外してしまったから、今日は完全にツッコミ不在だな……。気を引き締めないと、すぐに脱線しそうだ。
僕は軽く咳払いをした後、春日井の顔を正面から見据えた。
「えー、それでだな。中島さんについて知ってる事があれば、何でもいいから教えてくれ」
「あ、そうでしたね。先輩たちの仲睦まじさを参考にしたいと思って、つい夢中になってました」
「……えへへ、仲睦まじいなんて言い方、ちょっと恥ずかしいなぁ」
待って小手毬さん。そういうこと言ってると、確実にまた脱線するから。
僕の嫌な予感は残念ながら外れることなく、この後も情報収集は難航を極めた。
予期せぬところで、影戌後輩たちのありがたみを思い知ってしまった……。
翌日の放課後、僕と小手毬さんは二人でグラウンドに出ていた。
色々と諸事情があって、今日は二人揃ってジャージを着用している。
「体育の時間に見たことあったけど、小手毬さんはジャージ姿も可愛いね」
「そう? ありがとう、真壁くん」
小手毬さんにスポーティーな印象はないけど、だからこそギャップが生まれる。
普段はスカートが多めな小手毬さんがジャージを着ていると、決して貧相ではないスタイルが浮き出て見えるのだ。
加えて今日はジャージに合わせてか頭の後ろで髪を縛っているので、いつもと違った魅力をひしひしと感じてしまう。端的に言うと、めちゃくちゃ可愛い。
僕が小手毬さんの新たな魅力に見惚れていると、彼女の方もニコニコとした笑顔で僕の全身を眺めるようにしていた。
何だろう。僕の方は超絶可愛い小手毬さんと違って、大して面白みなんてないと思うんだけど。
「私も真壁くんのそういう格好は体育で見てたけど、改めて近くで見ると凄く格好いいよ!」
「え、そ、そうかな……?」
「うん。最初にあった頃より、ずっと逞しくなったよね。男の子って感じだなぁ」
「ええ……な、何か照れるな」
マジかよ。筋トレ続けてて、本当に良かった……。
比較相手が簗木とか建山だから、いまいち実感が薄かったんだけど、小手毬さんに褒めてもらえたら後は言う事はないな。
喜びを噛み締めていると、小手毬さんが興味深そうに僕の体を見てくる。
「真壁くん、ちょっと触ってみてもいい?」
「もちろん。いくらでも触っていいよ」
僕からしたら、小手毬さんのために付けた筋肉と言っても過言ではない。
嬉しそうに「ありがとう」と言った後、小手毬さんは僕の腕や胸をペタペタと触ってくる。あまりに熱心かつ楽しそうだったので、調子に乗って腕を持ち上げて力こぶなんて作ってしまった。
「わあっ、凄い凄い! 真壁くん、格好いい!」
何が楽しいのかという感じだけど、小手毬さんは大喜びだ。
自分で思っていたよりも大きく力こぶが出来たので、ついホッとしてしまう。
「あの……ボールとか当たると危ないんで、イチャつくなら余所でやってもらえません?」
「あ、すみません」
「ご、ごめんなさい……!」
小手毬さんが触ってくるのに身を任せていたら、サッカー部らしき男子生徒から注意を受けてしまった。いやはや申し訳ない。
「よし。気を取り直して、中島さんを見に行ってみようか」
「そ、そうだね……」
注意を受けた僕らはその場を退散して、陸上部の活動場所に近付いていた。
どうして陸上部なのかと言えば、春日井から得た情報によると中島さんがここに所属しているからである。
せめて二人が友達関係なら、春日井の背中を押してアタックするように差し向けるという手も有効かもしれないけど、今回は友達未満どころか知り合いですらない。
そうなると僕らも中島さんの人となりを多少は知らないと、まともに恋愛相談をするのは難しいだろう。そういう理由で、今日は彼女の部活風景を観察しにやって来たのだった。
「今日こそ情報収集、頑張ろうね!」
小手毬さんがいつものように体の前で両手を握り、グッと気合を入れる。
見慣れた仕草だけど、ジャージ姿でやると普段とは少し違った印象を受けた。
何というか、運動部のマネージャーっぽいな。是非とも僕の専属マネージャーになっていただきたい。……今も似たようなものか。
マネージャーと言えば、影戌後輩たちは小手毬さんから今回の相談のことを聞いて、こちらに合流したがっていたけど、柔道部の方に専念するよう言い聞かせておいた。
正確には熱烈に来たがったのは影戌後輩だけで、鳶田後輩は普通に「柔道部が忙しいから仕方ないですね」という感じだった。
影戌後輩ときたら「相手が一年生なら、私が行くべきです!」なんて言って譲らないものだから、説得するのにずいぶんと苦労したものだ。
やる気があり過ぎるのも困り者だな。
そして相談者である春日井もバスケ部に所属しているので、今日はそちらに参加している。
柔道部と同じく向こうも大会が近く、昨日は少ない部活休みを利用して恋愛相談部に来たらしい。その割には結構悠長に、僕と小手毬さんのイチャイチャを眺めていた気がするけど。
それにしても今日の――というか昨日からの小手毬さんは、いつもよりテンションが高めだ。
僕とデートしてる時なんかも浮かれた感じになっていることが多いけど、そういう時とはまた一味違う喜び方に見える。
やはり二人きりの状況ではしゃいでいるのだろうか?
「小手毬さん、昨日から何だかご機嫌だね」
「え、そうかな?」
言われた小手毬さんは自覚がなかったらしく、不思議そうに首を傾げた。
数秒考え込んだ後、答えを見つけたように口を開く。
「今回は真壁くんと二人きりだからかな」
「そうなんだ。それでそんなに喜んでもらえるなら、僕も嬉しいよ」
本音では「やっぱりそうか」なんて思ったけど、それを口にすると思い上がっているみたいなので止めておく。
すると小手毬さんは、はにかんだ顔でこう続けた。
「前は真壁くんと二人きりでも、私は見てるだけだったから……。こうやって二人で相談を解決できるのって、凄く嬉しい」
「小手毬さん……」
はっきりと言葉にしてくれたことで、ようやく僕は彼女が嬉しそうにしている理由を正しく理解することが出来た。
以前、小手毬さんと二人きりだった頃は、まだ入部したての彼女に本格的な役割を持たせることはなかった。だからこそ彼女は、今こうして僕と二人で相談解決に臨めることを、心から喜んでいるのだろう。
そんなことを言われてしまっては、僕もやる気を出さざるを得ない。
「よし、それじゃあ張り切って情報を集めようか。僕ら二人でね」
「うんっ!……あ、真壁くん、あの子じゃない?」
どうやら気合十分な小手毬さんが、早くも中島さんを見つけたようだ。
彼女が指差す方向に目やると、春日井から聞いた通りの容姿をした女子がいた。