95.中島 永那の謎めいた瞳①
ある日の昼休み、僕は教室で簗木と向き合って持参の弁当を突いていた。
本当なら毎日どころか毎食でも小手毬さんとご一緒したいところなんだけど、流石にお互い友達付き合いというものがあるので、こうして彼女とは別行動をする日もしっかり設けている。具体的には「ぐぬぬ」と唸りながら、鋭い目で僕を睨み付けてくる信楽さん対策だ。彼女もいい加減、僕と小手毬さんの仲を認めてくれてもいい頃だと思うんだけど。
まあ信楽さんのことは別にいい。彼女に何を言われようと、僕は小手毬さんと別れたりするつもりはないし、ちゃんと大事にしていれば文句を言われる筋合いなんてないだろう。
今のところ信楽さんも苦々しい顔で僕を睨むだけで、「別れろ」だのと言ってきたことは一度もないんだけどね。もちろん小手毬さんを睨んだりすることもないから、僕としてはそこまで深刻に受け止めていなかったりする。
そんなことを考えながら弁当を味わっていると、正面で同じように昼食をとっている簗木の表情が普段とは少しばかり違うことに気付いた。眉根を寄せて俯きがちな様子は、どことなく悩みを抱えているようにも見える。
簗木という男は、基本的に表情豊かな方ではない。笑いもするし怒りもするけど、顔全体ではなく口元や眉の動きで感情を表現するタイプだ。
そんな簗木にしては、今の表情は分かりやすい方だろう。
これでも心の中では友人だと認めている身として、僕は少しばかり悩み相談に乗ってやることにした。
「なにか悩みでもあるのか? 浮かない顔してるけど」
僕の質問に、簗木は軽く驚いたような顔をした。
黙々と弁当を口に運んでいた手を止めて、何かを確認するように自分の手で顔を触る。
「ん……そんな顔してたか、俺」
どうやら自分が感情を露わにしているという自覚がなかったようだ。
とは言っても、それなりに付き合いの長い僕でなければ気付かないような、些細な変化だったとは思うけど。
「そこまで分かりやすくないけど、まあ分かる人なら分かるくらいかな」
「で、お前は分かるってわけか」
そう言って簗木は、ほんの少し表情を和らいだものに変える。
確かに僕は表情の変化を読み取れたけど、そこまで嬉しそうにするような話ではないだろうに。
この間の内倉さんたちの一件もあって、思わず身構えそうになる。小野寺さんが喜ぶような話題を増やす趣味は、残念ながら僕にはないのだ。
「そういう冗談はさておき、実際のところどうなんだ? 悩んでるって言うなら、話くらいは聞くけど」
「そうだな、お前のところなら……。いや、止めとくわ」
「……なんだよ? えらく中途半端な物言いじゃないか。らしくもない」
いつもの簗木ならもっと率直な言葉で話していたはずだけど、今日のコイツは妙に歯切れが悪い。こうも普段と調子が違うと、いよいよ本気で深刻な悩みを抱えているのではないかと心配になってしまう。
しかし簗木は口を割るつもりはないらしく、ゆるゆると首を振った。
「いや、もう少し自分で考えてみたいからな。それでもダメなら、改めて相談させてくれ」
「……まあ、お前がそう言うなら僕は別に良いけど。面倒なことになる前に、ちゃんと知らせてくれよ?」
「ああ、分かってるよ」
簗木は神妙な顔で頷いた後、弁当を食べる作業を再開した。
結局、この休み時間が終わるまで、簗木は自分の悩みを僕に打ち明けることはなかった。
「そんなわけで、簗木が何か悩んでるみたいなんだよね」
「そうなんだ……心配だね」
見上げた先にある小手毬さんの可愛いらしい顔を眺めて幸せな気分に浸りながら、僕は昼休みの会話について彼女に話した。
その顔が心配そうに曇るのを見て「おのれゴリラめ」という理不尽な怒りが湧いてくるけど、よくよく考えなくても僕が簗木のことを話したせいなのだから、悩んでいる当人に文句を言うのは筋違いというものだろう。
「まあ早めに相談しろとは言ってあるし、いざとなれば影戌後輩を言い含めれば何とかなるんじゃないかな?」
「もう真壁くんったら、またそんな悪い人ぶった言い方して……。素直に『簗木くんが心配で仕方ない』って言えばいいのに」
「……そこまでじゃないよ。ちょっと気になるくらいだよ、ちょっとね」
少しだけ呆れたような困り顔で見下ろしてくる小手毬さんに、つい強がりのような言葉を返してしまった。
バツが悪くなって体の向きを変えると、小手毬さんが身じろぎをする。
「んっ……いきなり動くと、くすぐったいよぉ」
「あ、ごめんね、小手毬さん」
現在、僕は小手毬さんに膝枕をしてもらっている最中である。
場所はいつもの部室で、時間もいつもの放課後だ。
柔道部は大会が目前になったので、練習も最後の追い込みに入ったらしい。
そのためマネージャーを兼任している後輩二人は、そちらに行っている。
もしかしたら簗木の悩みも大会に関係しているのかもと思ったけど、あのゴリラがよりによって運動方面で悩むというのが考えづらいし、仮にそうだとしたら僕に相談しようとはしないだろう。
そもそも一瞬とはいえ僕に相談するか迷ったくらいだから、恋愛関係の内容――要するに影戌後輩が絡んでいる可能性もあるな。だとしたら彼女をけしかけて悩みを解決するのは難しいから、やはり僕が直接話を聞いた方がいいのかもしれない。
「……真壁くん、まだ簗木くんのこと考えてるの?」
「ん……まあそうだね。ごめんね、せっかく小手毬さんが膝枕してくれているのに、気もそぞろで」
可愛い彼女が尽くしてくれているというのに、他のことを考えているのは失礼だな。
そう考えた僕に、小手毬さんはニコリと天使のような笑顔を向けてくれた。
「ううん。友達思いの旦那様で、私は嬉しいなあ」
そう言って小手毬さんは、僕の頭を撫で回してくれる。
その幸福感たるや筆舌に尽くし難く、この世にこれほど心を満たしてくれる場所があるという事実が、少し信じられないほどだ。
「……小手毬さん」
「なあに? 真壁くん」
胸に沸き上がった感謝やら何やらを小手毬さんに伝えようと思ったけど、そうなると僕が簗木のことを心配していたことを認めなければならない。
「いや……やっぱり好きだなあって。小手毬さんが」
小手毬さんはともかく簗木に対してそこまで素直になれず、僕は結局いつものように小手毬さんに対する想いだけを告げるのだった。
「えへへ……私も大好きだよ、真壁くん。――ちょっと素直じゃないところもね?」
いつものように小手毬さんは僕に……と思ったけど、なんだか僕にとっては余計な一言が付け加えられていた。
……本当に最近の小手毬さんは、僕の手に負えなくて困る。
けど、そんなままならない部分があってこそ、以前よりもずっと彼女を愛しく感じるのだ。
小手毬さんの言葉の後、部室は心地よい静寂に包まれている。
聞こえてくるのは、僕と小手毬さんの息遣いだけだ。
このままキスでもしたいな……なんて気分になっていると、ふと部室の外が少し騒がしいことに気付いた。
「え、ちょっと先生! 今入って大丈夫なんですか!?」
「大丈夫よ。どうせ、いつものことだわ」
「い、いつもこうなんですか!? 完全に致してる雰囲気なんですけど!?」
「……流石にそんなだったら、私も放置したりしないわよ」
僕と小手毬さんは目を見合わせる。
当然ながら外の言い合いは、小手毬さんにも聞こえていただろう。
「……先生だね」
「……うん、あとお客さんもいるみたいだよね」
名残惜しいけど、二人きりの時間はここまでのようだ。
僕は小手毬さんの膝から身を起こし、先生たちが外にいるであろう扉に歩み寄る。その後ろに、何も言わなくても当たり前のように小手毬さんがついて来た。
「茅ヶ原先生、入っても大丈夫ですよ」
言いながら扉を開けると、そこには予想通り茅ヶ原先生と見慣れぬ男子生徒が立っている。慌てた顔の男子生徒に対して、先生の方は「ほらね?」と呆れた顔を見せていた。
「言ったでしょう、大丈夫だって。――真壁くん小手毬さん、お客さんよ。ちょっと相談に乗ってあげなさいな」
「よ、よろしくお願いします!」
「はあ……」
どういう経緯か分からないけど、今回は先生が相談者を連れて来たようだ。
何気に久しぶりだな、こうやって普通に相談が入ってくるのは。
出さないとか言ってた新ヒロイン登場……!