91.扉をこじ開けて
恋愛相談部の扉を開けた瞬間、信じられない言葉が聞こえてきた。
響があたしと、恋人に?
え、響って実は男だったの? いや、そんなわけないか……。
「あ……ああ……」
あたしは呆然としていたけど、衝撃発言をした響の方も唖然としている。
さっきのはあたしに聞かせようとしていたわけじゃないから、当たり前だろう。
それにしても響があたしを……恋人にしたいってことは、その……好きって意味よね? 恋愛的な意味で。
「……なるほど。それで恋愛相談部ってわけね」
響の行動に納得がいったあたしは、思わずそう呟いた。
てっきり、あたしと鳶田の「恋愛」を心配してここに来たんだと思っていたけど、要するに響自身の「恋愛」について相談するために来たってことね。
「響……」
とりあえず何か言ってあげないと……。
そう思って響の方を見ると、真っ青な顔でガタガタと震えている。
「あ……や、やだっ……!」
「ちょ、響!?」
「ど、どいてっ、花蓮ちゃん!」
私がちゃんと声をかける前に、響は立ち上がって走り出した。
部室の入口にはあたしや望たちが立っていたけど、三人揃って響の剣幕に気圧されて道を譲ってしまう。
本来なら体を張ってでも止めるべきだったあたしも、目に涙を溜めた響の表情を見てしまうと、何も言えなかった。
そもそも止めたところで、響に何を言ってあげたらいいのか、ハッキリとした答えがあたしの中にはない。
響が出て行ってしまった後の部室は、火が消えたように静まり返った。
あの子がいなくなった空間の中で、あたしの心は困惑と後悔に苛まれる。
「……追いかけないと」
開いたままの扉を見つめて、あたしは呟いた。
何を言ってあげたらいいのか分からない。そんな戸惑いからあの子を見送ってしまったけど、このままでは二度とあの子と一緒にいられなくなる気がする。
それだけは嫌だと、あたしは確かに思った。たとえ女同士で本気の恋をするという気持ちが理解できなくても、あの子がいなくなるのだけは絶対に嫌だ。
「二ノ宮さん」
「っ!……何よ、真壁?」
今すぐにでも響を追いかけたかったのに、真壁に呼び止められてしまった。
思わず強く睨み返してしまって、自分でもマズったかと思ったけど、それでも真壁は怯んだ様子を見せない。
真壁はいつもの余裕のある表情ではなく、とても真剣な顔であたしを見つめていた。
以前の――真壁に恋をしていたあたしなら、真壁にこんな目で見られたら間違いなく動揺していただろうけど、今は響のことで頭がいっぱいでそれどころではない。
今のあたしは、何よりもあの子の傍に駆けつけてあげたかった。
「悪いけど、あたしは響を追いかけないといけないのよ。用があるなら――」
「追いかけてどうするんだ? 二ノ宮さん」
あたしの言葉を遮って、真壁は短く質問を飛ばしてくる。
別に語気が荒かったわけでもないのに、真壁の言葉はあたしを委縮させた。
真壁の鋭い視線が、あたしに突き刺さるように感じる。だけど、それはきっと錯覚だろう。真壁はいつだって、こんな感じの目付きをしているんだから。
あたしが響に何を言えばいいのか分からなくて、それなのにあの子を追いかけることが正しいのか不安に思う気持ちから、真壁の視線を必要以上に恐ろしく感じているだけだ。
「どうするって……追いかけて、とにかく話をするのよ」
「だから何の話をするんだ? 二ノ宮さんは、内倉さんの愛を受け入れられるのか? それとも……受け入れられないって断るのか?」
「それは……」
真壁の言葉に、あたしはすぐに言い返すことが出来ない。
それは間違いなく、今のあたしの心を見透かした言葉だったからだ。
女の子同士で愛してるなんて言われても、今のあたしには理解できない。そんな気持ちを向けられても、本気で受け入れられるわけがない。そんなあたしが響を追いかけたところで、あの子に一体何をしてあげられるのだろうか。
本心を隠したまま、その場しのぎで響の気持ちを受け入れたって、後で二人とも傷付くだけだ。
なら響を拒絶するのかと問われると、そんなことは絶対にしたくない。
鳶田に裏切られて、真壁にも失恋したあたしがこうして落ち込まずにやってこられたのは、間違いなくあの子のお陰だからだ。
「真壁くん、そんな風に言わなくても……」
真壁の隣にいた小手毬さんが、控えめながら窘めるように言う。
小手毬さんか……この子だって、あたしにとっては失恋の原因みたいなものなのよね。それなのに大して嫉妬心も湧かず嫌わないでいられたのは、響があたしの傍にいてくれたからだ。
女同士なんて理解できない。
響の気持ちを受け入れるなんて、簡単に言えない。
それでも、あたしには響が必要だと、それだけはハッキリと言える。
だったら、やっぱり今やるべきことは一つしかない。
「やっぱり、あたしは響を追いかけるわ。真壁」
「……追いかけて、どうするのか決めたのか?」
もう一度、真壁が同じ質問をしてくる。
落ち着いてみると、その視線の中にあたしや響を心配しているであろう感情が見て取れた。
やっぱりあたしが身構えていただけで、真壁自身は責めるようなつもりではなかったみたいだ。
あたしは真壁に向けて、小さく首を振って見せた。
「まだそんなの決まんないわよ。あの子の気持ちなんて、さっき初めて聞いたんだから。でもね……それでもあの子に言うべきことなんて、最初から一つしかないのよ」
「後悔するかもしれないけど、それでも大丈夫?」
念を押すように、真壁が尋ねてきた。
決して真っ直ぐじゃない言葉で、それでもあたしに「自分が納得できる道を選べ」と言い聞かせようとしている。
いつだって、コイツはそうやって性悪ぶって誰かを助けているんだろう。
まったく、とんだ鬼畜眼鏡だ。
そしてあたしは、そんな真壁のことが……好きだったんだ。
だけど、それは昔の話だ。
真壁の一番はあたしじゃないし、あたしの一番もきっと真壁じゃない。
だから、あたしはこの選択を後悔なんてしない。
「何も後悔しないかなんて、そんなの分かんないわよ。だけど、あたしは響と一緒にいることだけは、絶対に後悔しないわ」
あたしがそう言うと、真壁はようやく表情を緩めた。
「……そうか。やっぱり格好いいんだな、二ノ宮さんは」
「まあね、響がうっかり惚れちゃったくらいだもの」
「が、頑張ってね、二ノ宮さん!」
「ありがと、小手毬さん」
真壁と小手毬さんのエールを受けて、あたしは今度こそ部室を出る。
すると入口のところにいた望と影戌さんが声をかけてきた。
「あの、お姉ちゃん……」
「すみませんでした……」
二人は申し訳なさそうな顔で、あたしに謝罪の言葉を述べた。
そういえば、この子たちがあたしのところに来たのも、響の相談を解決するためってことになるのよね……。
「お、お姉ちゃん、私ね……」
「ハァ……分かってるわよ。アンタがあたしと仲直りしたかったのは、口実じゃなくて本気なんでしょ?」
「う、うん……」
「だったらいいわよ。まあ、他の恋愛相談の時には、口を滑らせないように注意しなさいよ」
あたしの場合、響がずっと一人で気持ちを抱え込むことにならなくて、逆に良かったとも言えるしね。
いつもそう上手く行くとは限らないんだから、あまり口が軽いのはどうかと思うけど、あたしと仲直り出来て気が緩んだと言えなくもないし。
「影戌さんも、気にしなくていいからね」
「……はい。ありがとうございます」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「はいはい、それじゃあね」
後輩二人とも話し終わり、今度こそあたしは響のところへ向かう。
あの子の想いにハッキリ答えることは出来ないけど、言うべきことは決まっている。
そしてあの子がいる場所も、何となく想像が付いていた。
「ほら、やっぱりここにいた」
今は使われていない文化部の部室の一つ。
かつて、あたしたちが友達になったその場所に、響は一人で佇んでいた。
あたしの声を聞いた響が振り向くと、その顔にはもう涙は見られない。だけど、よく見れば目元が赤くなってるのが分かる。
きっとあたしがここに来て落ち着くまで、涙を堪えていたんだろう。この子を一人で泣かせるような羽目にならなかっただけで、こうしてあたしが来たのは間違いじゃなかったと思える。
「やっぱり来ちゃったんだね、花蓮ちゃん」
「アンタだって、本気で逃げるつもりなんて無かったでしょ? こんなとこにいたら、見つけてくれって言ってるようなもんじゃない」
「……そうだね。でもここに来たのは、花蓮ちゃんに見つけてほしかっただけじゃないの」
そう言った響は、笑顔を浮かべている。
けどそれは、どこか寂しそうな笑顔だ。少なくとも、いつもあたしといる時に浮かべていたような、本当の笑顔じゃない。
「花蓮ちゃんと友達になった場所で……花蓮ちゃんを好きになった場所で、ちゃんとケリを付けたいなって思ったの。――私の、このバカな気持ちに」
バカな気持ち――響は自分の想いを、そう表現した。
そんな風に自分を卑下してほしくはなかったけど、女同士で恋愛なんてどう考えても茨の道で、賢い選択肢だなんて口が裂けても言えないだろう。
「花蓮ちゃん」
響は自分の想いに先がないことなんて、とっくに分かってる。
それでも胸に灯った火を消せなくて、全てを燃やし尽くそうとしている。
「私ね、花蓮ちゃんが好きなの。あの日、私に『友達になろう』って言ってくれた日から、ずっと。男の子とか女の子とか関係ない。花蓮ちゃんが大好きなの」
響の想いの丈を聞いた瞬間、あたしは自分の体の中を何かが走ったような、未知の感覚を覚えた。
これが何を意味するのか、あたしにはまだ分からない。
だけど、少なくとも響の真剣な気持ちを聞かされて、不快に思うようなことは少しもなかった。
「……ごめんね、こんな気持ち悪いこと言って。女の子同士なんて意味分かんないよね。でもね、私は花蓮ちゃんが女の子だからじゃなくて、花蓮ちゃんだから好きになったの。たとえ私と友達になったのが、裏切られた傷の舐め合いのためだったとしても」
響の言う通り、あたしが友達になろうと持ちかけたのは傷の舐め合いのためだ。
鳶田の愚痴を誰かに言いたくても、二股をかけられたなんて広めるのは嫌だった。同じ被害者である響なら、お互い惨めさを覚えず愚痴を言い合えると思った。もちろんそれだけじゃなくて、わざわざ謝りに来た響の不器用さを気に入ったっていうのもあるけど。
「だから……ごめんね……ほんとごめん……こんな私で……」
最初に会った時から、響は不器用な子だった。
自分だって騙されたはずなのに、わざわざあたしに謝りに来たりして。
今だって誤魔化し様はあったはずなのに、こうやってバカ正直に自分の気持ちを伝えて、あたしへの想いと決別しようとしている。
泣きたいくらいに嫌なんだって、丸分かりな顔をしているくせに。
きっとこのままなら、響はあたしの傍からいなくなるだろう。
想いを秘めていた頃ならまだしも、全てを伝えて拒否された上で、それでも平気な顔をして一緒にいられるはずがない。
だけど、それがきっと唯一の賢い選択肢なのだ。
響があたしへの想いと決別して、ちゃんと前に進んで行くための。
だから――そんな選択肢を選べないあたしも、きっとバカな人間なんだろう。
「響……アンタは好きなだけ、あたしの傍にいなさい」
「……花蓮ちゃん?」
ずっと黙っていたあたしが唐突に口にした言葉に、響は目を丸くした。
「悪いけど、女同士で恋愛とか全然分かんないわ」
「……そうだよね」
目を伏せる響に構わず、あたしは話し続ける。
「でもね、アンタのことは好き。恋人になるとかは分かんないけど、友達としては間違いなく好きよ。だから、あたしの傍からいなくなるなんて止めてよね」
「で、でも私、もう友達だけじゃ……!」
響が追い縋るように言う。
一度覚悟を決めてしまった以上、元通りには戻れない。それは分かる。
分かるけど、それなら――。
「だったら、あたしの気持ちを変えて見せなさいよ。アンタの気持ちが本気だって言うなら、好きな人を振り向かせる努力くらいしなさいよ。勝手に諦めて、あたしの傍からいなくなるんじゃないわよ!」
あたしは自分なりに考え抜いたバカな答えを、響に叩きつけた。
響がいない毎日なんて嫌だ。
たとえ最後に傷付くことになっても、あたしは響と一緒がいい。
きっとこの先、つらいことだってあると思うけど、それでもあたしは響と一緒にいたことだけは絶対に後悔しないという確信がある。
「……いいのかな、私。まだ花蓮ちゃんの傍にいて」
「いいって言ってんでしょ。何度も言わせんじゃないわよ。それともアンタの方が、実は一緒にいたくないわけ?」
「そんなことない! そんなことないけど……」
「だったらいいじゃない。あたしはアンタが好き。アンタはあたしが好き。何か問題あるわけ?」
「大ありだよぉ……」
さっきとは別の理由で、響は泣きそうな顔をしていた。
まあ好きって言ってもお互いにスタンスが合ってないし、仮にいずれスタンスが一致したとしても問題は山積みだ。響が色々と不安に思うのも無理はない。
だけど、そんなの関係ない。あたしにとっては響が傍にいるという事実が、何より最優先なんだから。
「そんなの後で考えればいいでしょ。とりあえずアンタは嫌になるまで、あたしの傍にいればいいわよ。他の男に心変わりしたら、早めに教えなさいよ」
「……そんなの、絶対しないもん」
「それならあたしの気が変わるように、精々頑張りなさい。他の男なんて目に入らないくらい、あたしを夢中にさせて見せなさいよ」
あたしがそう言うと、響はようやく大人しくなる。
ただし今度はどこか拗ねたような表情をしていた。
「……後悔しないでよね、花蓮ちゃん」
「それはアンタ次第ね。後悔させないでよ、響」
お互いにそう言った後、あたしと響は揃って吹き出した。
響もようやくいつもの笑顔を見せてくれて、どこか安心した気持ちになる。
「もうっ、花蓮ちゃんってば……大好き!」
「ハイハイ、あたしもよ」
満面の笑顔を受かべて胸に飛び込んできた響を、ギュッと受け止めた。
多分……いや、確実にあたしは間違った選択肢を選んでいる。
だけど人生なんて、いつも正しいことばかりじゃない。
だから……こんなバカな選択をする人間だって、いてもいいとあたしは思う。
これにて内倉さん編は終了です。
中途半端に見えるかもしれませんが、二ノ宮さんらしい選択だと思っています。
本気になった内倉さんに、「あたし、墓穴掘った?」となるかもしれませんが。
次回は鳶田くんの閑話です。