89.内倉 響と新たな扉⑤/望ちゃんとお姉ちゃん
マッキー先輩からの無茶振りを受けた私は、知麻っちの手を引いて部室を飛び出した。
先輩たちの惚気を見ていられなかったというのも嘘じゃないけど、一番の理由は花蓮さんと仲直りするなら、勢いのあるうちにした方がいいと思ったからだ。
厳密には私と花蓮さんは喧嘩したわけじゃなくて、お兄ちゃんがやった事のせいで私が花蓮さんに引け目を感じてるだけなんだけどね。
とはいえ、昔は姉妹のように仲が良かった(と、私は思っている)花蓮さんと気まずいままというのは、私としても出来れば早めに解決したい問題だったので、マッキー先輩がこうして機会を作ってくれたのは渡りに船なのかもしれない。
……あの無茶振りは、流石に鬼畜眼鏡先輩だなって思ったけど。
「それで、どうするんですか? のぞぴー」
「うん、とりあえず花蓮さんに連絡してみよっかな」
部室を出て歩きながら、知麻っちの質問に答える。
ちなみに「のぞぴー」というのは、知麻っちに「同じ一年なんだから、もっと気軽な呼び方して!」とお願いして決まった私のあだ名だ。
本当なら敬語も要らないんだけど、知麻っちのは畏まってるわけじゃなくて素でこういう喋り方らしいから、呼び方だけ変えてもらった。敬語が素の女子高生なんて、漫画とかアニメだけの話だと思ってたよ。
勢いよく飛び出したのはいいものの、花蓮さんが学校に残っていなければ、どうしようもない。
流石に家まで押しかけてするような話でもないし、かと言ってメッセージだけで情報を引き出すのも難しい気がする。花蓮さんはあんまり隠し事とか得意じゃない――というより好きじゃないから、直接話した方が色々分かる気がするんだよね。
「てか、ごめんねー、知麻っち。私の用事に付き合わせちゃってさー」
よくよく考えたら結構面倒なことに巻き込んでいたと気付いて、私は知麻っちに向けて謝罪の言葉を口にした。
私にとっては花蓮さんとの仲直り(面倒だからこの表現でいいや)に友達が付いてきてくれて助かるんだけど、知麻っちからしたら面倒事を無理矢理押し付けられたようなものだろう。押し付けたのは私じゃなくて、マッキー先輩なんだけど。
だけど知麻っちは特に気にした風でもなく、いつも通りの薄い表情で首を振った。
「いえ、真壁先輩に任された以上、これは私の役目でもあります」
そして嫌味どころか、そんな嬉しいことを言ってくれる。
こんなにちっこいのに、知麻っちはいつだって真面目で真っ直ぐだ。
「これを解決してこそ、次期部長に相応しいというものです。ふふ……上腕二頭筋が鳴りますね」
……前言撤回。真面目ではあるけど、マッキー先輩の言う通りちょっとおバカさんなのかもしれない。
たまにすっごいアホなこと言うんだよね、知麻っちって。
「知麻っち、部長に相応しいとかって割とこだわるよね」
ふと思いついたことを、私は口にした。
知麻っちは結構頻繁に「次期部長として」とか言っているイメージがある。
別に特別なことなんてしなくても、来年になればマッキー先輩たちは卒業して、自動的に知麻っちが恋愛相談部の部長になれると思うんだけど。
そう思っていると、知麻っちは何でもないような顔で言った。
「のぞぴーが入部してからは、特に恋愛相談はありませんでしたからね。まだ実感はないかもしれませんが、真壁先輩が本気で相談を解決する時の手際は、とても鮮やかなものなんです」
「へえー、そうなんだ」
知麻っちは自分自身が恋愛相談に乗ってもらって、その後に入部したみたいだけど、私は別にそういうわけでもなかったからなあ。
その後も相談に来た人がいないから、マッキー先輩が相談を解決してる姿って、よく知らないんだよね。私にお兄ちゃんの件を説明した時は、それこそ花蓮さんたちに連絡を取ったりして丁寧にやってくれてたけど。
「あの先輩の跡を継ぐわけですから、私にもそれなりの手並みが求められます。私が部長になった後、『真壁先輩の時の方が良かった』なんて言われたら、あの人に顔向け出来ませんから」
真面目くさった顔で、知麻っちはそう言った。
……やっぱり知麻っちは、めちゃくちゃ真面目だよね。
恋愛相談なんて何度も来るものじゃないから、真壁先輩と比べられたりすることなんて、滅多にないと思うんだけどな。
でも、そうやって真壁先輩のことを語る知麻っちの顔は、まるで慕っているお兄さんを自慢するようで……。
「知麻っちって、何気にマッキー先輩のこと大好きだよね」
「なっ!? 何を……」
「いやいや、照れなくたっていいじゃん。めっちゃ尊敬してるよね」
「むぅ……」
からかうように私が言うと、知麻っちはいつもの無表情な顔を赤く染めた。
ドヤ顔とか呆れた顔は結構見るけど、こういう表情は珍しいかも。
「べ、別に真壁先輩だけじゃなくて、美薗先輩だって好きですよ……。あの人だけ特別なわけじゃありません」
あ、尊敬してるのは否定しないんだ。
なんて思ったけど、それを言うと知麻っちが拗ねちゃいそうだから、これ以上は言わないでおこう。
今は知麻っちの先輩大好き話じゃなくて、花蓮さんのことが本題だしね。
「さあ行きますよ、のぞぴー。二ノ宮先輩の情報を引き出して、私たちの手並みを先輩たちに見せつけるんです」
「はいはい。ちゃんとやって、先輩たちに褒めてもらえるといいね?」
「だ、だから……っ!」
そんな風にわいわいと騒ぎながら、私と知麻っちは二年生の教室に向けて歩き続けた。
「来たわね、望……って、影戌さんまでいるの? どうかしたわけ?」
知麻っちと歩いている途中で連絡を取ったところ、運よく花蓮さんは学校に残っていた。
ちょっと話をしたいとお願いしたら「じゃあ教室で待ってる」と言ってくれたので、こうして二人で花蓮さんのクラスを訪ねたわけだ。
一応、ここに来るまでの間に、話の流れも知麻っちと一緒に考えてある。
「えーっとですね、花蓮さん。もしかしたらお兄ちゃんって、花蓮さんのところに来てないですか?」
「ん? ああ、来たわよ。なんで望が知ってんのよ?」
「あー、それはですねえ……」
そこから私は、二人で考えた話を説明した。
お兄ちゃんがどこかの先輩に一目惚れしたらしいけど、その前にちゃんと花蓮さんたちに謝るよう私が言った。その結果がどうなったのか、妹として心配になったので話を聞きに来たという形だ。別に嘘は言ってないし、何なら本当に確認したかったくらいなので、私にとっては好都合とも言える。
知麻っちが同席しているのは、恋愛相談部も絡んだ話ということでマッキー先輩に確認してきてほしいと言い付けられたという建前だ。あと私が花蓮さんと仲直りしたいので、同席をお願いしたということにもしてある。花蓮さん相手なら、そういうのはちゃんと言葉にした方がいいからね。
「ああ、望が吹き込んだのね、アレ。あの鳶田が素直に謝ってくるなんて、どういう風の吹き回しかと思ったけど、アンタが言ったなら納得ね」
「あははー……」
前に話した時点で分かってたけど、昔の花蓮さんはお兄ちゃんのこと「勇」って、下の名前で呼んでたんだよね。二人が仲良かったから、私も花蓮さんのことを本当のお姉ちゃんみたいに思ってたんだけどな……。ちょっと寂しいかも。
そんな私の感情を読み取ったのか、花蓮さんは優しく笑いかけてくれる。
「アンタの差し金とはいえ、兄貴とは一応和解したわよ。和解っていうか、『あたしは気にしないから好きにすれば?』って感じだけどね」
好きにすれば……か。お兄ちゃんのことは、もうどうでもいいって事かな。
そうなるとお兄ちゃんの妹である私とも、繋がりがなくなる。
それは寂しくて仕方ないけど、花蓮さんがお兄ちゃんを好きだった過去を吹っ切れたのなら、それはいい事なんだろう。
そう思った私に、しかし花蓮さんはまだ笑顔を見せたまま、言葉を続ける。
「だからアンタも兄貴のことは気にしないで、昔みたいに声かけなさいよ。あたしにとっては、可愛い妹みたいなもんなのよ、アンタって」
「……花蓮さん」
私は嬉しくて……本当に嬉しくて、今の感情を言葉に出来そうになかった。
元は「好きな同級生の妹」でしかなかった私だけど――お兄ちゃんは花蓮さんに酷いことをしたけど、花蓮さんは私をまだ妹だと言ってくれるんだ。
お兄ちゃんとの関係が終わっても、私のことを、これからも。
「そういえば、望。未だに『花蓮さん』なんて、妹のくせに他人行儀なんじゃないの?」
何も言えないでいる私に、花蓮さんはそんな追い打ちをかけてきた。
さっきまでの優しい笑顔ではなく、今度はいたずらっぽい笑顔を浮かべている。
こういう花蓮さんの面倒見のいいところが、お姉ちゃんみたいで好きだったんだと、改めて思い出した。
「ううぅ……お姉ちゃーんっ!」
「はいはい、仕方ない妹ね、まったく……」
思わず胸に飛び込んだ私を、花蓮さん――お姉ちゃんは優しく抱きとめてくれた。
ようやくお姉ちゃんとのわだかまりがなくなった私は、その胸の中で喜びを噛み締めたのだった。
「あの……そろそろいいでしょうか?」
たっぷり数分ほどお姉ちゃんと抱き合った頃、知麻っちから遠慮しがちな声がかけられた。……そういえば、ずっと放置したままだった。
「あっ……ご、ごめんね、知麻っち。放っといちゃって」
「あたしからも、悪かったわね。あたしたちの仲直りに付き合わせたみたいで」
「いえ、それはいいんですが。というか、良かったですね、お二人とも」
しばらく放置されたというのに、知麻っちは私たちの仲直りを祝福してくれる。
私は本当にいい友達を持ったなあ……なんて、また感動を覚えてしまった。
そんな私を余所に、知麻っちは話を続ける。
「水を差すようで申し訳ないんですが……二ノ宮先輩のところに謝りに来たということは、鳶田先輩は次に内倉先輩のところにも来るんですよね?」
「あ、そうだった」
お姉ちゃんと仲直り出来たのが嬉しくて忘れてたけど、そういう流れで内倉先輩の話をするつもりだったんだっけ。
「んんー、そうなのよね……。アイツ、響にも謝りたいみたいなんだけど、なんかあの子にビビってるみたいで」
「ああー……」
困ったように苦笑するお姉ちゃんを見て、私も知麻っちも納得の声を漏らしてしまった。
内倉先輩って普段は大人しい感じの人なんだけど、怒った時――特にお兄ちゃん関係の時は、めちゃくちゃ怖いんだよね……。怒鳴ったりするわけじゃないのに、変に迫力があるっていうか。
「だからアイツ、あたしに取り持ってほしいって頼んできたのよ。まさか土下座までされるなんて思ってなかったわ」
「ど、土下座……?」
「必死ですね……」
お兄ちゃん、そんな事してたんだ……。謝れって言ったのは、私だけどさ。
流石に土下座までするのは、ちょっとドン引きかなーって。
それだけ例の先輩とのことが本気なのか、それとも内倉先輩がよっぽど怖かったのか……。前者だと思いたいなあ。
それにしても、お姉ちゃんが内倉先輩に「お兄ちゃんが反省してる」って言った理由が、うっかり分かっちゃった。
お兄ちゃんの謝罪を見て、本気で反省してると思ったっていうより、お兄ちゃんに頼まれて内倉先輩との間を取り持とうとしたんだ。
「あー、だからお姉ちゃん、『お兄ちゃんも反省してる』なんて言ったんだ」
「ん? なんで望が、そんなの知ってんの?」
「……あ」
「……のぞぴー」
思わず口にしてしまった言葉に、お姉ちゃんは怪訝そうな顔を見せた。
ヤバ……お姉ちゃんがそれを言ったのは、内倉先輩しか知らないはずなのに。
見れば知麻っちも、私の失言に溜め息を零している。ご、ごめんね、マジで……。
「……もしかして、響に何か聞いたの? 鳶田のことで話したいんだけど、今日は見当たらないと思ってたのよね。アンタたちが来たってことは、真壁のとこにいるんじゃないの?」
「あ、あー、それはー……」
「……来てませんよ」
お姉ちゃんの追求に、知麻っちはしれっと「来ていない」と答える。
とはいえ、知麻っちも無表情な割に、実は嘘が上手い方じゃない。
それに何より、お姉ちゃんと私は結構長い付き合いなので、嘘なんて吐いてもバレるに決まっている。
「……嘘ね。事情はよく分かんないけど、真壁のとこに行くってことは、響が何か悩んでるんでしょ?」
「いや、お姉ちゃん、それは……」
ヤバい、お姉ちゃんの面倒見の良さが、完全に発揮されてる。
いまさら内倉先輩が恋愛相談部に来てないなんて誤魔化せないし、そうなると次は間違いなく……。
「今から行くわよ、恋愛相談部に! 響が悩んでるっていうのに、あたしが聞いてやらなくてどうすんのよ!」
完全に友達思いの顔になってしまったお姉ちゃんは、威勢よく宣言した。
ヤバいヤバい……こうなったら完全に、私じゃ止められない。
知麻っちを見ると、いつもの無表情……じゃない。これ、結構焦ってるな……。
「ま、待って、お姉ちゃん!」
「そ、そうです。慌てる必要は……」
「待たない! 響のことは、一番の親友のあたしが助けるのよ!」
そう言って歩き出したお姉ちゃんを、私と知麻っちが慌てて追いかける。
ダメだこれ、絶対止められない……。
後はもう、最悪のタイミングで部室に戻らないことを、祈るばかりだった。
次回は内倉さん視点で……締めません。
二ノ宮さんもやる予定です。




