08.小野寺 真世は高嶺の花④
流石にゲーム後半になると際どいシーンが増えてくるので、建山には部室でのプレイはお断りするようになった。なので彼はこの部室に用はない……はずなのだが、放課後になると毎日のように顔を出している。
まあ、クラスメイトに「BLゲーをプレイするのがキツい」なんて愚痴るわけにもいかないだろうし、ここでしか弱音を吐けないんだろう。
当初の不純な動機に反して頑張っているので、僕としても少しは優しくしてあげようという気になっている。
「そういえば真壁くん。今更だけど、こんなにたくさんのゲーム、どうしたの?」
いつも通り優雅にコーヒーを飲んでいると、小手毬さんがお茶請けのクッキーをテーブルに広げながら、僕に質問してきた。
ちなみにこのクッキー、小手毬さんの自作である。「コーヒーだけじゃ寂しいよね」と言って、家で作ってきてくれたのだ。このままだと彼女にダメにされてしまいそうな予感がするが、あまりの心地よさに逃げ出せる気がしない僕だった。
「ああ、これはゴリ……簗木のお姉さんの私物だよ」
「簗木くんのお姉さん?」
「そう。ちょっとした知り合いでね。簗木を通して貸してもらったんだ」
僕は小手毬さんに、テーブルの片隅に積まれたゲームの出所について説明する。PCゲームなのでインストールさえしてしまえば、建山がパッケージを持っている必要はない。家族に見付かったら危険だしな。
簗木の姉――佐紀さんは、小野寺さんと同じ腐女子という奴だ。ただし二次元限定の小野寺さんに対して、佐紀さんは生もイケる危険な女性である。
このゲームを借りる時も、「最近は唐変木マッチョ×クール眼鏡が熱い」という、恐ろしいメッセージを頂いてしまった。もう少し隠す努力をしてほしい。というか、実弟も対象なのかよ。
「……お姉さんと仲良いの?」
僕が佐紀さんへの恐怖心を深めている間に、小手毬さんはあらぬ方向に僕の言葉を解釈したらしい。少し不安げな顔で僕を見てくるが……実弟とのカップリングを熱弁してくる女性なんて、冗談じゃないぞ。
「まさか。弟の友達と、友達の姉でしかないよ。向こうは大学生だから、簗木の家にでも行かないと会う機会なんてないしね」
僕がそう言うと、小手毬さんは見るからに安心した表情になる。相変わらずの小動物ぶりに、僕の方が餌付けしたくなってくるな。
「二人とも、毎度僕を置いてきぼりにするの止めない?」
そして建山が不貞腐れるのも、最近の定番である。
別に建山を置いてきぼりにしてるつもりはないんだけどな……。僕が小手毬さんを構いたいだけで。
「それで建山。BLには目覚めそうか?」
「その言い方、凄く嫌なんだけど……。まあ、拒否感はなくなってきたよ。まだ完全には受け止めきれないけど、名作って言われてるのも分かる気がする」
めちゃくちゃ嫌そうな顔をしながらも、BLゲー自体への拒否感は薄れていることを窺わせる建山。うん、まあ今のは俺の聞き方が悪かった。
しかし思ったより順調だな。佐紀さんに頼み込んで、純粋なクオリティーの高い作品をピックアップしてもらった甲斐があったというものだ。僕がこれらのゲームを借りたことで、佐紀さんがどんな妄想をしているのかと考えると、今からあの人に会うのが怖くなる。
「いい調子じゃないか。小野寺さんと語り合えるようになれば、必然的に二人きりで会うことになるぞ。そうすれば建山の立場は盤石だ」
僕の激励を受けて、建山の表情に活力が戻る。
正直、BLトークが出来るなら建山でなくてもいい。同じ条件なら、もっとカースト上位の男子の方が、容姿なんかも含めて有利なはずだ。
だが建山には、元から「オタク」という素養がある。そもそも二次元に対して抵抗がなかったり、声優に興味があったりするのは、BLゲーを始める上でカースト上位陣にはない優位点だ。
「よ、よし、やるよ! まだ少し抵抗はあるけど、面白いことは確かだしね!」
完全にやる気を取り戻し、気合十分な様子を見せる建山。
そんな彼を見て、小手毬さんがぽつりと呟いた。
「そんなに面白いゲームなんだ。私も今度やってみようかなぁ」
「ま、待ってくれ、小手毬さん」
それはいけない。いかに僕が熱心な小手毬さん愛好家とはいえ、BLゲーにハマった彼女を心から愛でられる自信はないのだ。
でも正直、そろそろ小手毬さんを誤魔化すのも限界なんだよな……。
「ああいうゲームは上級者向けだから! 小手毬さんは、普段ゲームとかしないだろ? まずは……そうだ! 今度ゲーセンでも行こうか」
「え、ゲーセン? 真壁くんと?」
僕が二人で出かけようと誘うと、小手毬さんは目を輝かせて喜んだ。
良かった、誤魔化されてくれた……。やっぱり小手毬さんは、こうじゃないと。
そんな風に小手毬さんへの悪影響を防ぎながらも、建山の厳しいBL特訓は順調に進み――。
「どうだ、建山?」
僕の問いかけに、建山は自信ありげな表情で頷いた。
「昨日、ようやく最後の一本をクリアしたよ。もう最高だったね。終盤の男の戦い(暗喩)では、僕の聖剣カリバーンが唸りを――」
「もういい、やめろ」
よし、完璧だな。ちょっと想像以上だったわ。
今日は小手毬さんに遅れて来てもらうように言って、本当に正解だった。
この堂々とした姿が僕のやらせたことの結果だと思うと、今更ながら罪悪感が湧いてくる。後で小手毬さんと触れ合って癒してもらおう……。
何故か僕が精神的ダメージを受けることになったが、これで準備は万端だ。
後は建山に言っておいた、もうひとつの課題の方だけど……。
「ダイエットの方はどうだ? 流石にまだ効果は見えてないけど」
僕の問いかけに、建山は再度頷いた。
「もちろん続けてるよ。というか最近はゲームに夢中で、間食とかしてる暇はないしね。運動も厳しめのはアレだけど、マイルズ王子たちに恥じない男になりたいから、ちゃんとやってる」
なるほど。マイルズ王子って誰だよ。……そういえば、建山が最後にプレイしたのはファンタジー風の世界観の作品だったな。
色々とアレではあるけど、予想以上にしっかりやっているらしい。
僕は建山に、BLゲー以外にダイエットもするよう助言していた。
多分、BLの話題だけでも小野寺さんと親しくなることは可能だけど、そこから恋人関係に進むとなると、外見も磨いておくに越したことはない。幸い建山は小太りではあるものの、顔立ちが特別悪いというわけでもないので、少し体を引き締めれば見られるようになるだろう。
ここまで来れば、後は小野寺さんと接触するだけだが……。
「真壁くーん。お願いされた通り、小野寺さんと話してきたよ」
完璧なタイミングで、小手毬さんが部室に戻ってきた。
彼女には小野寺さんを教室に引き留めるという、重大な役目をお願いしていたのだ。
「もー、真壁くんに言われて、ちょっと前から話すようにしてたから良かったけど、教室で二人きりは緊張しちゃったよ」
「ありがとう、小手毬さん。本当に助かったよ。今度、お茶でもご馳走するから」
僕の言葉を聞いた小手毬さんが破顔したのを確認すると、続いて緊張の面持ちになった建山の方に向き直った。
「よし、建山。状況は整ったぞ。例の物は持って来てるな?」
「当然。購入者特典のラバーストラップは、ちゃんと鞄に付けてあるよ。今日は勇気を分けてほしいから、マイルズ王子にしておいた」
そう言いながら建山は、自慢げな顔で鞄を掲げて見せる。そこにはSD体型にデフォルメされた、イケメンキャラのストラップが鎮座していた。
だから、お前のマイルズ王子推しは何なんだ。いや、聞きたくないけど。
「よし、それゲームを貸してくれた人の私物だから、汚すなよ」
「ああ、大丈夫。これは自分のだから」
「は?」
唐突な建山の発言に、僕は目を丸くした。
いや、だって作戦の最後に必要だからって、佐紀さんに無理を言って特典のストラップを貸してもらったはずだろ? 自分のってどういうことだ?
「あのストラップ、未使用だったじゃないか。そんなの使わせてもらうわけにはいかないし、借りたソフトじゃ王子たちに失礼だから、ちゃんと自分でソフトを買って、最初からプレイし直したよ」
「お、おう……」
妙に堂々とした顔で言う建山に、僕は思わず怯んでしまった。
こいつ、もしかしてあのゲーム二周したのか……? わざわざ自分で買って?
「そんなに面白いなら、やっぱり私も……」
「おっと! さあ、建山! 小野寺さんが帰る前に接触するんだ!」
「ああ、分かったよ! 行ってくる!」
小手毬さんが再び興味を示しかけていたので、強引に話を進めてしまった。
彼女には僕の癒しという重要な役目があるので、腐らせるわけにはいかないのだ。
「あ、行ってらっしゃーい」
意気揚々と部室を出て行った建山を、笑顔で見送る小手毬さん。守りたい、この笑顔。
「それじゃ、小手毬さん。心配だから、少しだけ見ていこうか」
「あ、うん、そうだね」
言葉を交わした僕と小手毬さんは、建山から一分ほど遅れて彼の教室まで向かう。
教室前の廊下で立ち止まると、中から男女の話し声が聞こえてくる。
「た、建山くん! あなた、そのストラップはどうしたの!?」
「ああ、これ? 最近やったゲームの特典で付いてきたんだけど……」
「あ、そ、そのゲームなら、私も――!」
うん、どうやら大丈夫そうだな。
隣にいる小手毬さんと顔を見合わせると、思わず二人で笑顔になってしまった。
「じゃあ、お疲れ様ってことで、約束してたゲーセンでも行こうか?」
「うん、行く行く! 真壁くん、私、プリクラ撮ってみたい!」
プリクラは、ちょっと恥ずかしいな……。
なんて会話をしながら、僕と小手毬さんはその場を後にした。
ここから先は、建山と小野寺さんの二人の時間だ。