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85.内倉 響と新たな扉①

「簗木、うちの鳶田後輩、柔道部ではどんな感じだ? 浮いたりしてないか?」


 放課後の教室にて、僕はいつものように簗木との雑談に興じていた。

 今日の話題は先日から柔道部のマネージャーも兼任するようになった、我が部の新入部員である鳶田後輩のことだ。

 影戌後輩という前例があるとはいえ、彼女のマネージャー兼任が許容されているのは、目の前にいるゴリラが規格外のパワーを持っているという側面が強いので、そういった後ろ盾のない鳶田後輩が柔道部で受け入れられているか、先輩として少しばかり心配だった。

 本人に聞いた感じだと、主将と付き合っているのは公表してないみたいだけど。

 しかし、そんな僕の心配など杞憂であるとばかりに、簗木は首を横に振った。


「いや、良くやってるぞ。知麻と違って、他の部員の世話もちゃんとしてるからな。むしろ評判いいんじゃねえか?」

「……それは逆に、影戌後輩の方が問題あるんじゃないのか?」


 実はもう一人の後輩の方が問題児だったという事実に僕が眉を顰めると、その彼氏である簗木も困ったような顔を見せた。


「んなこと言われても、知麻は俺の世話しかしようとしねえからな……。一応、道場の片付けとか掃除なんかは、ちゃんとやってんだけどな」

「なるほど」


 要するに道場のメンテのような全体の作業には参加するけど、個人の世話は焼くのは簗木だけってことか。まあ普通のマネージャーと違って、影戌後輩の場合は簗木のトレーナーの役割も兼任しているから、単純に他のマネージャーより仕事量が少ないってわけでもないんだろうけど。

 とはいえ、そうやって擁護できるからと言って、影戌後輩のことが心配じゃなくなるわけでもない。容認されているというだけで、他の部員やマネージャーから不満を持たれていないとも限らないのだ。


「今の感じだと、俺が引退したら知麻も辞めるんだろうけど、もうちっと愛想よくしてくれると安心できるんだけどな……」


 そう言いながら、簗木は困った顔で自分の頭を掻いていた。




「――って、簗木の奴が心配してたぞ。ダメじゃないか、影戌後輩」


 その後、部室に向かった僕は、着いて早々に影戌後輩を注意した。理由は当然、さっきまで簗木と話していた彼女のマネージャー問題である。大会が近いとはいえ毎日追い込んでも逆効果なので、今日は柔道部が休みということで、後輩たちは二人ともうちに顔を出している。

 顔を合わせて間もなく叱られた影戌後輩は、憮然とした顔をして明らかに不貞腐れていた。


「私は最初から、篤先輩のお世話をすると言ってましたし……」

「あっははは! 知麻っち、叱られてやんのー」


 拗ねた口調で言い訳する影戌後輩を見て、鳶田後輩は大笑いしている。

 なかなか酷い反応だけど、まあ影戌後輩の行動に問題があったのは事実である。


「もう……望ちゃんってば、そんな風に言わないの」

「はーい、ごめんなさい」


 そんな鳶田後輩を嗜めるのは、僕の可愛い彼女である小手毬さんだ。

 小手毬さんから注意を受けた鳶田後輩は、素直にその言葉を受け入れる。

 そんな彼女を見て「うんうん」と頷いた後、小手毬さんは影戌後輩の方に向き直った。


「知麻ちゃんも、真壁くんは心配して言ってくれてるんだから、ちゃんと聞かないとダメだよ?」

「……はい、すみませんでした」

「うん。よし、いい子」


 あの小生意気な影戌後輩も、小手毬さんの前には形無しである。

 この間、二人で買い物デートに行って以来、小手毬さんの母性というか大人びた雰囲気は止まるところを知らない。

 以前は少しおどおどしたところが見られた小手毬さんだけど、最近はすっかり先輩らしいというか、もはや母親のような立ち位置になりつつあった。

 あと影戌後輩は謝るなら、僕の方を向いて謝りなさいよ。


「ちゃんと謝れる知麻ちゃんには、美味しいハーブティーを淹れてあげるね?」

「あ、ありがとうございます……」


 とはいえ小手毬さんとしては、影戌後輩が謝罪の言葉を口にしただけでも十分満足できたらしい。まあ僕だって、あの影戌後輩が僕に対して素直に謝るなんて思ってはいないから、それで十分だという小手毬さんの判断も理解できる。

 ちなみに以前なら影戌後輩のハーブティーは僕が淹れていたけど、最近は小手毬さんも僕と遜色ない味を出せるようになっている。以前の「とりあえずコーヒーさえ美味しく淹れられたら」という彼女の姿勢を思えば、ずいぶんと余裕が出来たものだと感じる。

 少し前、「知麻ちゃんたちのために、他のお茶も美味しく淹れられるようになりたい」と小手毬さんが言ってきた時は、密かに驚いたものだ。


「ええー、知麻っちばっかズルいですよー。私だって、ちゃんと『ごめんなさい』したじゃないですかー」


 影戌後輩の好きなハーブティーを淹れようとしている小手毬さんに、鳶田後輩は不満そうな声を漏らした。別に本気で不満に思っているわけではないだろうけど、確かにこの状況で影戌後輩だけ贔屓するのも良くないだろう。

 ここは一つ、世渡り上手な後輩には、部長である僕が手ずからお茶を淹れてやるとしよう。断じて小手毬さんと二人で並んでお茶を淹れることで、「夫婦の共同作業」っぽい雰囲気を出そうと狙っているわけではない。


「じゃあ鳶田後輩の飲みたいものは、僕が淹れてやるよ」

「あ、マジですか。サンキューです、マッキー先輩! 流石はお父さん!」

「誰がお父さんだ、誰が」


 調子のいいことを言う鳶田後輩に、思わず呆れた目を向ける。

 小手毬さんと影戌後輩が母娘のような雰囲気を醸し出しているので、そうなると僕は父親役というつもりなんだろうけど、全くもって冗談ではない。


「小手毬さんと夫婦なのはいいけど、いきなり子持ちなんて冗談じゃないぞ。まずは二人の生活を楽しませてくれ」

「わーお、ガチの答えだよ、この人」


 真面目に答えたら、今度は僕が呆れた目を向けられてしまった。この場合、真面目に答えたからこそ呆れられたとも言えるな。

 しかし言った彼女自身だって、僕が小手毬さんと夫婦になるのを嫌がるとは思っていないだろうに。

 そんな会話をしていると、横から話題の片割れである小手毬さんの声が聞こえた。


「えー? 私、真壁くんとの子供なら、早く欲しいんだけどなぁ」

「……こっ、小手毬さん?」


 割と物凄い発言に目を向けてみれば、小手毬さんはいつものほんわかした笑顔の中に、ほんの少しだけしっとりとした空気を含ませている。隠す気が全く感じられない全力の好意に、流石の僕も少しだけ狼狽えてしまった。

 ニコニコと笑う小手毬さんを見ていると、思わず「OK、今すぐにでも!」と答えそうになるけど、いくら何でもそういうわけにはいかない。


「その……自分たちで稼げるようになってからね?」

「はぁい、期待して待ってるね」


 結局、そんなありきたりな答え方しか出来ず、さらっと返してくる小手毬さんに押されまくる僕なのだった。

 どうするんだよ、この空気は――と、僕にしては珍しく小手毬さんに対して文句を思い浮かべていると、不意に制服の袖をチョイチョイと引っ張られる感覚があった。視線を移すと、鳶田後輩が訝しげな目で僕を見ている。

 一体なんだよと尋ねる前に、彼女は僕の耳元に口を寄せてきた。


「てまりん先輩、めっちゃ女の顔してるんですけど……。この間の買い物デート、本当に何もなかったんですか? マッキー先輩」

「前に説明した通り、普通の買い物だったよ……。しいて言うなら、前部長の杉崎先輩に途中で会ったくらいだけど」

「杉崎先輩……その人が原因なのかなぁ?」


 最近になって小手毬さんの雰囲気がグッと大人っぽくなった件について、鳶田後輩はそんな見解を述べた。

 確かに先輩と会う前後あたりで、小手毬さんとは色々と話した覚えはあるけど、ここまで変化する様な内容だっただろうか? 僕自身が分からないのだから、杉崎先輩に会ったことのない鳶田後輩は余計に理解できないだろう。うんうんと唸りながら、ただ首を傾げるばかりだった。


「まあ今は、その話はいいじゃないか。鳶田後輩は何飲みたい?」


 話を掘り下げたところで、僕が恥ずかしい思いをするだけのような気がしたので、鳶田後輩のお茶を淹れるという本題に戻すことにした。

 考えてみれば、彼女は入部してすぐに柔道部のマネージャーと掛け持ちを始めたので、好きなお茶って聞いたことなかったんだよな。歓迎会の時はジュースを買い込んだから、お茶を淹れるような状況にはならなかったし。

 そう思って返答を待っていると、彼女は自然な顔で口を開いた。


「あ、梅昆布茶があったら、それでお願いしまーす」

「分かった、梅昆布茶な……梅昆布茶!?」


 一瞬、自然に受け入れてしまった僕だけど、よくよく考えたら予想外の返答過ぎて、つい大声を上げてしまった。

 しかし鳶田後輩の方は、冗談で言ったつもりなど微塵もないらしく、当たり前のような顔で僕を見ている。


「あ、流石に梅昆布茶はありませんでした?」

「いや、あるけど……」


 あまり飲んではいないけど、粉末のヤツなら給茶スペースに置いてある。お茶の種類を豊富にしようと集めた際、とりあえず買っておいたのだ。

 それにしても、まさか見た目は割とギャルっぽい鳶田後輩の口から、「梅昆布茶」なんてリクエストが出てくるとは予想していなかった。てっきり「タピオカとかチーズティーないんすかw」と言われるかと思っていたのに……って、僕のギャルのイメージが酷過ぎるな。


「ちなみに酢昆布もあるんだけど……」

「あ、マジですか!? 酢昆布、大好きなんですよ!」


 意外に渋いものをご所望ということで、備蓄のお菓子に紛れていた酢昆布も勧めてみたら、普通に喜ばれてしまった。

 緑茶好きな茅ヶ原先生のために、半分冗談で買っておいたものなんだけど。

 片耳にピアスまで開けた校則違反のギャルなのに、梅昆布茶と酢昆布が好きというだけで凄く良い子に見えてしまうのは何故だろうか……。JKと昆布という組み合わせには、謎の魔力があるな。

 僕が渡した酢昆布を片手に喜ぶ彼女を尻目に、小手毬さんと並んでお茶の準備を始める。ちなみに影戌後輩は、鳶田後輩から酢昆布の美味しさについてテンション高く語られて、明らかに戸惑っていた。


「言っても粉末のヤツだから、誰が淹れても同じだと思うけど……」

「でも、こうやって並んでるといいよね。将来もこんな風に二人でしたいから……たまには家事手伝ってね?」


 ただ並んで作業をしているだけだというのに、小手毬さんにかかれば一瞬で甘い二人の時間になってしまう。

 こうガンガン来られると少し照れるけど……まあ僕だって、それは望むところだ。


「たまにと言わず、いつでも一緒にやるよ。僕だって、小手毬さんと共同作業したいからね」

「えへへ……ありがとう。大好きだよ、真壁くん」


 そう言って小手毬さんは、後輩たちのいる方にチラリと目を向けた。

 釣られて僕も同じ方に目をやると、二人は酢昆布トークに夢中になっているようだ。正確には夢中なのは鳶田後輩だけで、影戌後輩は引き気味だけど。

 そんな二人の様子を確認した小手毬さんは、ニコリと笑って僕に囁きかけてきた。


「二人とも見てないし……ちょっとくらいなら、いいよね?」


 そう言って小手毬さんは手を止めて、僕の方に顔を寄せてくる。

 目を閉じながら小さくつま先立ちをした彼女に応えるべく、僕も同じように目を閉じ――ようとしたところで、部室の扉がノックされた。

 僕も小手毬さんも目を見開き、慌てて近付いていた体を離す。チラっと確認したところ、幸い後輩二人は扉の方を見ていて、僕らが何をしようとしていたのか気付いていないようだ。


「うーん……残念」

「……また後でね」


 本当に残念そうに苦笑を浮かべる小手毬さんにそう返して、僕は部室の扉に向かって歩き出した。その後ろに小手毬さんもついてくる。まるで慎ましやかな奥さんか秘書のような行動に、今度は僕の方が胸中で苦笑してしまう。


「どうぞ」


 背後に小手毬さんが立ち、ソファーから後輩二人が見守る中、僕は扉の前に立って外にいるであろう誰かに声をかけた。

 すると扉がゆっくりと開き、そこには――。


「……内倉さん?」


 妙に暗い顔をした内倉さんが、一人でポツンと立っていた。最近の彼女は、いつでも二ノ宮さんと一緒にいるイメージがあるので、一人のところを見るのは珍しい。そもそも二ノ宮さんとはクラスが違うので、授業中は一緒ではないのが当たり前なんだけど。


「えっと……どうかしたの?」


 僕の後ろから、小手毬さんが声をかけた。

 彼女も内倉さんの表情や、一人でいることについては気になるらしく、その言葉には心配そうな雰囲気を滲ませている。


「今日は一人なのかな?……二ノ宮さんは?」

「うう……」


 その言葉が切っ掛けになったのかは分からないけど、内倉さんは小さく声を漏らしたかと思えば、次の瞬間には目に涙を溜め始めてしまった。


「え、ちょ、どうしたの!?」

「内倉さん、大丈夫? 何かあったのか?」


 流石に目の前で泣かれては、小手毬さんだけでなく僕も冷静ではいられない。

 慌てて内倉さんに駆け寄ると、彼女は涙に濡れた目で縋るように僕らを見てきた。


「か、花蓮ちゃんが……花蓮ちゃんがぁ……」

「に、二ノ宮さんがどうかしたの? 内倉さん」


 小手毬さんが声をかけるものの、内倉さんは涙をボロボロと零すばかりで、こちらの声が聞こえているのかさっぱり分からない。

 室内にいる後輩たちからも心配そうな声が上がる中、内倉さんは悲鳴のように叫んだ。


「花蓮ちゃんが……花蓮ちゃんが、アレにぃ……!」

「……アレ?」


 唐突に出てきた「アレ」という言葉に、思わず小手毬さんと顔を見合わせてしまった。

 いや、まあ内倉さんがそう呼ぶものには、確かに心当たりがあるんだけど……。


 どうやら、またしても我が恋愛相談部に厄介事が転がり込んできたようだ。

望ちゃんは昆布系JK。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 小手毬さんが愛でられる存在だけではなくなってきましたね。 真壁君を愛でる存在になってきた気がします。 [気になる点] 新たな扉って(笑) [一言] 小手毬さんの変化速度が半端ないです。
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