83.真壁くんと私の恋愛相談
真壁くんと二人で買い物に行った次の日、私は部室で望ちゃんの歓迎会の準備をしながら、彼が来るのを待っていた。
「いやー、なんかすいませんねえ、こんな歓迎会まで用意してもらっちゃって!」
すでに部室に来ていた望ちゃんが、これから自分の歓迎会が開かれると知って、嬉しそうな顔で笑っている。
柔道部は大会前で忙しいみたいだけど、今日は望ちゃんが歓迎会をするということで、知麻ちゃんと二人で抜けてもらった。正確には二人とも柔道部員じゃないから、自分の都合で休んでもいいのかもしれないけど。
「というか、真壁先輩はどうしたんですか? 美薗先輩に準備を任せるなんて、とんだ亭主関白ですね」
真壁くんがまだ来ていないことに、知麻ちゃんがそんな愚痴を漏らした。
そうは言っても、知麻ちゃんが本気で真壁くんのことを悪く思っているわけではないと、私もそこそこの付き合いになったので理解している。
こうやって憎まれ口を叩くのが、真壁くんに対する知麻ちゃんなりの親愛表現なんだろうと思う。二人って、なんだかんだで少し似ているところがあるしね。
「そんなんじゃないよ。真壁くんは、ちょっと用事があるから」
知麻ちゃんも本気で言っているわけじゃないだろうけど、念のため真壁くんのフォローをしておいた。
お菓子とジュースだけだと味気ないということで、今日はケーキも用意している。というか、今まさに真壁くんが買いに行っている最中だ。
ケーキばかりは、昨日のうちに買って傷んでしまうといけないので、当日に買った方がいいという話になっていた。
本当なら私も一緒に行って、もう一度買い物デートをしたいところなんだけど、昨日買ったお菓子や飲み物の準備もしないといけない。
「そうですか。まあ真壁先輩が、美薗先輩を放っておくとは思っていませんでしたが」
「というか、『亭主』ってところには、何も引っかからないのね……」
ソファーに座ってお茶を飲んでいた茅ヶ原先生が、私を見てそんなことを言った。
今日は望ちゃんの歓迎会なので、顧問である先生にも来てもらっている。
歓迎会のためにお菓子どころかケーキまで買えたのも、先生が自腹で協力してくれたおかげだったりする。
真壁くんと私のお小遣いでは、流石にお菓子を買うだけで精一杯だ。
そんな先生は、私が知麻ちゃんの言った「亭主関白」という言葉に反応しなかったせいか、少しだけ呆れたような顔をしていた。よくよく見ると、知麻ちゃんと望ちゃんも似たような反応をしている。
「そういえば……いつもの美薗先輩なら、真壁先輩と夫婦扱いなんてされたら、分かりやすく照れていたような……」
「うん、確かに。でも今日は、全然そんな感じじゃないね」
「もしや、倦怠期というヤツでは……?」
「マジで!? ヤバいじゃん!」
いつの間にか、真壁くんと私が倦怠期なのではないかという話になってしまったけど、全くもって不本意だ。
「もう、二人とも勝手なこと言わないの。真壁くんと私が、そんなのなるわけないでしょ?」
「いえ、分からないわよ」
後輩二人を嗜めようとした私の言葉に応えたのは、何故か無関係なはずの先生だった。
先生は手に持ったマグカップの中を見つめながら、神妙な表情を浮かべている。
「ずっと一緒にいれば、いくら特別な相手とは言っても、その関係に慣れてしまうものよ。そして最初の頃の高揚感を忘れて、新鮮味のある別の相手に目移りするんだわ……。そう、もっと若い子に……! ううぅ……」
「……何かと思えば、先生の話じゃないですか」
ひとしきり話したと思ったら落ち込み始めてしまった先生に、知麻ちゃんが呆れた目を向けた。そういう目を向けてしまう気持ちは私も分かるけど、知麻ちゃんは先生相手でも容赦ないなあ……。
そんな視線と言葉を向けられた先生は、慌てたように顔を上げた。
「わ、私はまだ、ヒロくんに捨てられてないわよ!?」
「はいはい、そうですね。門脇くんは、お姉ちゃん大好きですもんねー」
そして望ちゃんに、軽くあしらわれてしまう。
ちなみに先生がいつ口を滑らせてしまうか分からないということで、この機会に望ちゃんには門脇くんとの関係を話してある。最初は「禁断の関係!?」と驚いて……というか喜んでいた望ちゃんだったけど、まだ正式に付き合っているわけではないと聞いて「なあんだ」と落ち着きを取り戻していた。
「先生は、もうちょっと自信持っていいと思います! とっても美人なんですから、門脇くんだって夢中に決まってますよ!」
「うう……小手毬さん、ありがとう……」
一年生コンビにあしらわれて落ち込み気味の先生を励まそうと、声をかける。
先生、普段はしっかりしていて「クールビューティー」なんて言われてるんだけど、門脇くんのことになると途端に弱気になるんだよね。元は門脇くんの方が先生を追いかける感じだったはずなのに、彼への好意を自覚したせいか、今では先生の方が年の差なんかで悩むようになっている。
私からすると、そういう先生の方が親しみがあっていいと思うんだけどね。
「そんなことより、美薗先輩です」
「そ、そんなこと!?」
「なんだか今日の先輩は、いつもより余裕がある気がします。昨日は真壁先輩と一緒に出かけてたはずですけど、何かありましたか?」
「うう……生徒が私をいじめる……」
私はいつもの自分とそこまで違うつもりはないんだけど、知麻ちゃんから見るとそうでもないらしい。スルーされた先生が嘆いているせいで、まるで冗談みたいな雰囲気になっている中、知麻ちゃんは真っ直ぐ私を見つめていた。
「はいはい、よしよーし。美味しいお菓子ですよ、先生」
「んむ……甘い……」
先生のことは望ちゃんが慰めてくれているので、とりあえず放っておこう。
私は知麻ちゃんに向き直って、疑問に答えようとする。
まあ、そうは言っても……。
「別に変わったことはなかったよ? ただ真壁くんと、楽しくデートしただけ」
そう、別に変ったことなんて何もない。
ただ真壁くんと一緒に出かけて、二人でちょっとした話をしながら買い物をして、そして利佳子さんに会った。ただそれだけの、ありふれた放課後だった。
「それだけなんだけど、少しだけ自信が持てるようになったの」
「自信、ですか?」
「うん」
ただ二人で買い物をして、利佳子さんに会っただけ。
たったそれだけのデートだけど、私は真壁くんのことを今までより知ることが出来た。
いつもたくさんの人の悩みを解決している真壁くんでも、自分の恋愛だけは何もかも分かっているわけじゃないこと。
そして利佳子さんが、きっと真壁くんに特別な感情を持っていたことも。
真壁くんと私に会った時、利佳子さんはほんの少しだけショックを受けたような表情を見せた。
本当に一瞬だったし、真壁くんは多分気付いてなかったみたいだけど。
真壁くんと利佳子さん――あの二人の関係を、私はよく知らない。
真壁くんは利佳子さんのことを「大恩ある先輩」と言っているし、利佳子さんも「生意気な後輩」みたいな話はしてくれたけど、きっと二人きりで過ごした一年間の中で、私には分からない二人の関係があったんだと思う。
それでも二人は先輩後輩のまま先には進まず、そして私が真壁くんと恋人同士になれた。
真壁くんなら、自分の恋愛だって上手くこなしてしまうのだと思っていた。
利佳子さんみたいな素敵な人が真壁くんの過去にいて、あの人が本気になったら、私なんて太刀打ちできないのだろうと思っていた。
でも、そうじゃない。
真壁くんだって自分の恋愛では迷うし、利佳子さんだって後悔することはある。
特別だと思っていたあの人たちだって、迷ったり後悔したりするのだ。
真壁くんや利佳子さんが凄いことに変わりはないけど、だからと言って悩まなかったり、失敗しないほどに特別なわけじゃない。
だから私でも――特別でも何でもない私でも、真壁くんの隣にいていいのだ。
真壁くんだって自分の恋愛では戸惑ったりするんだから、私はそれを隣で支えてあげよう。真壁くんの彼女として、そして恋愛相談部の部員として。
きっと一生続く、真壁くんと私の恋愛相談だ。
「えへへ……知麻ちゃん。真壁くんって、結構可愛いところあるんだよ?」
「はあ……可愛い、ですか?」
昨日、初めての気持ちに戸惑っていた真壁くんは、凄く可愛かった。思わず今いる場所も忘れて、抱き締めてしまいたくなるくらいに。
真壁くんが時々私を抱き締めてくる気持ちが、少し分かった気がする。
「うん。だからね、可愛くて格好いい真壁くんと、ずっと一緒にいたいなって思ったの。真壁くんの奥さんになって、ずっと隣にいるよ」
だから「亭主」なんて一言で、恥ずかしがってなんかいられない。
だって真壁くんが私の旦那様になるなんて、当たり前のことなんだから。
「な、なんだか一皮剥けたというか……逞しいですね、美薗先輩」
「そう? ありがとう、知麻ちゃん」
驚いている知麻ちゃんに、私は笑顔でお礼を言う。
「小手毬さん、ちょっといいかしら?」
「はい?」
すると、横から茅ヶ原先生に声をかけられた。
顔を向けてみれば、先生は何やら真剣な顔をしている。
私が高校生の身分で「結婚」なんて言っているから、心配しているんだろうか。
一生の問題を、軽い気持ちで考えているんじゃないかって。
「あなたと真壁くんに、くれぐれも言っておきたいことがあるの」
「……はい」
私は表情を引き締めて、先生の言葉に応えた。
まだ私たちは高校生だから、将来結婚するなんて夢を見ているように感じるかもしれないけど、私は本気で真壁くんと一生を共にしたいと思っている。
だから何を言われても、私は真壁くんと離れたりなんてしない。
そんな決意を込めた私に向けて、先生はソファーに座ったままの姿勢で頭を下げて……え? なんで先生が頭を下げるの?
「お願いだから……後生だから、私とヒロくんが結婚するまで待ってほしいの……! 教え子の結婚式に、独り身で参加するなんて耐えられないわ……!」
動揺する私を余所に、先生は悲痛な叫びを上げた……って、ええ……?
てっきり、もっと真面目な話かと思ったのに……。先生にとっては、これ以上なく真剣な話なのかもしれないけど。
横で聞いている知麻ちゃんたちも、明らかに呆れた顔をしている。
「先生、美薗先輩を行き遅れにさせるつもりですか……?」
「どういう意味よ!? そんなに待たせたりしないわよ!」
「あはは……先生、まあまあ」
相変わらず、知麻ちゃんは人をからかう時に生き生きとしてるなあ……。
今までは真壁くんが相手だったけど、最近は茅ヶ原先生もすっかりその対象になっている。わざわざ先輩男子と先生をからかい相手にするあたり、凄く知麻ちゃんっぽいと思う。
「……あっ」
そんな三人を見て苦笑していると、扉の向こうから聞き慣れた足音が聞こえた。
すかさずその場を離れて、扉の前で待機する。
「……どうしたのかしら? 小手毬さん」
「あれは真壁先輩の足音が聞こえた時の反応ですね」
「え、そんなの分かるもんなの? てまりん先輩、嫁力たっか……先生、やっぱ先越されますよ、アレは」
「そもそも先生は家事が出来ないから、それ以前の話ですよ」
「私が担当だったら、貴方たちの内申を下げまくったのに……」
三人が後ろで何か言っているけど、それを聞いている余裕はない。
今の私は、私たちのためにケーキを買ってきてくれた真壁くんを、しっかりお出迎えしないといけないのだ。
そう――将来の予行演習のためにも。
目の前の扉が開き、大好きな人の顔が見えたと同時に、私は声を上げた。
「おかえりなさい! あなたっ」
すでにメロメロな彼女が、さらに攻めてくる……。
これにて、今回のエピソードは終了です。
次回は閑話的な感じで、最近の鳶田くんに触れます。