81.小手毬 美薗と作る未来④/杉崎先輩と真壁くん
今日は大学の帰りに、行きつけのスーパーに寄って帰る。
高校卒業と同時に一人暮らしを始めたので、時折こうして食料品や生活用品なんかを買っておかないと、気付いた時にはストックがゼロなんてことも珍しくない。慣れない生活の中で親のありがたみを感じることもあるけど、総合的には気楽な一人暮らしを割と要領よく過ごしている方だと思う。
スーパーに到着したあたしは、今日の夕食をどうしようかと悩んだ。
まだ早い時間だし、何か安い材料でも買っていって料理をしようか。それとも棚に陳列されている充実した総菜から選りすぐって、浮いた時間を他のことに使おうか。自分で決めなければいけないのが一人暮らしのつらいところであり、自分で好きに決められるのが楽しいところでもある。
そんなことを適当に考えながらスーパーの中をうろうろしていると、お菓子売り場でイチャついている男女の姿が目に入った。あたしがこの春に卒業した高校の制服に身を包み、周囲の様子なんて目に入らないと言わんばかりの幸せな様子で、何かを話しているようだった。
あたしは昔から人の世話を焼くのが好きで、高校の時には「恋愛相談部」なんて部活を立ち上げて、他人の恋を応援していたくらいだ。そんな数多のカップルを見てきたあたしから見て、あの二人は明らかに恋人関係にあるだろう。付き合ってもいないのにあんな雰囲気を出しているのだとしたら、それはとんでもないことだ。
少しばかり二人組に興味を覚えて、お菓子売り場の入口に立つ。
相変わらず自分たちの世界に入り込んでいる二人は、あたしが横合いから見ていることには気付いていないみたいだけど、一方であたしはその二人が自分のよく知る人間であると気付いてしまった。
去年、一年間をあの部室で共に過ごした後輩・まかべぇと、あたしが卒業した後に入部してまかべぇといい感じになっていた小手毬ちゃん。
二人の後輩が、まるで将来を誓い合った夫婦のように、あたしの目の前で寄り添っていた。
まかべぇと初めて出会ったのは、一昨年の冬のことだった。
その日はうちの学校の受験当日で、本当なら在校生は全員休みだったんだけど、部室に忘れ物をしていたのを思い出したあたしは、制服に着替えて登校した。
休校とはいえ未来の後輩たちの受験はやっているし、生徒会を始めとして何人かの在校生は受験の手伝いに駆り出されていたから、制服姿なら特に見咎められるということはない。まるで手伝いのような顔で登校して、忘れ物を回収したらさっさと帰ればいい。
そう思っていたあたしは、しかし昇降口のあたりで意外なものを拾ってしまったことで、意外な出会いを果たすことになる。
「これ……受験票、だよね」
落ちていた封筒を偶然見つけて、あまりよろしくないかと思いつつ中身を検めると、そこには現在受験の真っ最中だと思われる男子生徒の受験票が入っていた。
「んー、どうしよっかなあ……」
呟きながら、周囲を見回す。近くに人は見当たらなかった。
確か聞いていた話だと、もう十分ほどで受験が始まるはずだから、受験生も大方揃って先生たちも会場である教室に行っているのだろう。
だったら適当な先生をつかまえて、この受験票を渡してしまえば、そこであたしの出番はおしまいだ。これを失くした子も不安がっているだろうし、順当に考えれば急いで届けてあげるべきだろう。
だけどあたしは、なんとなくすぐに先生に渡すべきではないと直感を覚えた。
理由なんて特にない。本当に、ただなんとなくだ。
こういう時は直感に従った方が、面白いことになる。大して長いわけでもない人生経験でそれを理解していたあたしは、本能に従って受験会場である教室に向かった。
幸い受験開始前で先生たちは忙しく、手伝いでもない生徒がいることに疑問を持つ人はいない。仮にあたしの顔と、あたしが手伝いでないことを知っている先生にあったとしても、まあ少し小言を言われるくらいで済むだろう。
受験票を失くした子を待たせ過ぎるのはマズいから、とりあえず手近な教室をいくつか覗いて、それで空振りだったら素直に先生に任せればいい。
そんな気持ちで教室を覗いていると、半泣きになった男子生徒が近くの教室から飛び出してきて、あたしと目が合った。
眼鏡をかけた、きっと普段は落ち着いていて、少し生意気なのだろうと感じさせる見た目の男子。きっとこの子がそうなのだと、直感的に理解した。
「アンタのお探しの品は、これかな?」
おどけた口調で封筒を掲げて見せると、彼はパッと表情を輝かせた。
なんだ、生意気そうだと思ったけど、笑うと意外に可愛いじゃないか。
それが――あたしとまかべぇの、最初の出会いだった。
「それにしても、まさか本当にうちの部に入るなんてなぁ……」
「なんでですか。ちゃんと『恩返し』するって言ったのに、信じてなかったんですか?」
あたしが思わず呟いた言葉に、まかべぇは不満そうな表情をして見せた。
自分がいい加減なことを言ったと思われていたのかと、あたしの言葉を捉えたのだろう。もちろん、別にそんなつもりで言ったわけじゃないんだけど。
「信じてなかったわけじゃないけど、あたしもそこまで真剣に部員が欲しかったわけじゃないからさ。ただ、まかべぇが『このご恩は絶対にお返しします!』なんて言うもんだから、じゃあ合格したらねって発破を掛けるつもりで言っただけだし」
「ええ……そうだったんですか? てっきり僕は、先輩がぼっちで寂しいから、中学生の僕に粉をかけたのかと思ってました」
「だーれがぼっちだ、コラァーッ!!」
「いててて……っ! じょ、冗談ですよ、先輩!」
生意気な口を叩く後輩に、ヘッドロックをかましてやった。
少しばかり胸がまかべぇの顔に当たっている気もするけど、まあそれ以上に痛めつけてやれば勝ちということでいいだろう。
――あの日、受験が終わるのを待たずに、あたしは学校から帰った。
無事に受験票を受け取った男子生徒――まかべぇは、気を取り直して受験に挑んでいった。
あたしは特に忙しかったわけじゃないんだけど、待っていたところで今日のうちに合否が分かるわけでもないし、縁があれば新年度にまた会えるだろうと、名乗ることもせずに彼と別れた。
受験に挑む彼に言った「じゃあ入学したら、うちの部活に入ってよ」という言葉は、さっき説明した通り「受験頑張れよ」という応援の意味合いが強く、本気で新しい部員を求めていたわけではない。あたしは人と絡むのは嫌いじゃないけど、一人の時間も大事にしたいタイプだ。
まあ彼が無事に合格して、入学してからあたしと再会するようなことがあれば、その時には合格を祝ってジュースでも奢ってやろう。そのくらいの気持ちで、特に待ちわびることもなく……それでも少しだけ「そうなったら面白いな」と思いながら、一人の時間を過ごしていた。
そして三年生になった直後、新入生の部活動が解禁になった途端に、彼はあたしの前に再び現れた。
その手に記入済みの入部届を携えて、生意気な笑みを浮かべながら。
『約束通り来ました! これからよろしくお願いします、先輩!』
あの時のあたしの顔は、きっと呆気に取られた間抜け面になっていただろう。
軽い気持ちで「うちの部に入って」と言っただけだし、あたしは自分の名前も教えずに別れたはずなのに、いつの間にか恋愛相談部の存在を突き止めて、入部届まで用意しているのだから、その周到さに驚くのも無理はない。
だけど、あたしはすぐに笑っていたはずだ。面白い子だ、と思いながら。
思えば今まで他人の相談にはよく乗ってきたけど、男女問わず特定の人間と、そこまで深い関係になったことはなかった。
友達と呼べる相手はそれなりにいるし、恋愛相談部を作った時も「部員になるよ!」と言ってくれた子はいたけど、一人の気ままな時間が惜しかったあたしは、敢えてそれを断った。
だから、まかべぇを誘ったのだって本気じゃなかったし、まずは受験に集中させようとするための方便だったはずだ。それなのに、こうして恋愛相談部に辿り着いた彼を見て、あたしは大いに興味を覚えた。こんな子と一緒の学校生活というのも、面白いのではないかと。
「……ったく! 相変わらず生意気なヤツだなぁ、まかべぇは。ちったあ先輩ってもんを敬って――って、お?」
「……あ、ほら先輩、誰か来たみたいですよ」
あたしが生意気な後輩に折檻をしていると、不意に部室の扉がノックされた。
ガッツリ組み合ったまま、あたしとまかべぇは顔を見合わせる。
「チッ、命拾いしたな、まかべぇ。んじゃ、お客様を迎え入れるから、気合入れな」
「まるでヤクザですね……いや、なんでもないです。ほら、お客さんお客さん」
「……後でボコる」
お客さんが来たならと、仕方なく拘束状態から解放してやったというのに、まかべぇの減らず口は止まることを知らない。ちょっと生意気過ぎでしょ、この眼鏡。
まあ、生意気クソ眼鏡への折檻は、お客さんが帰った後でもいい。
こうして一人ではなくなった、あたしの――あたしたちの恋愛相談が、今日も始まるのだった。
先輩視点は、もう一話続きます。




