80.小手毬 美薗と作る未来③
小手毬さんと話すことで恋愛相談部の部長として、そして彼女の恋人としての意識を新たにした僕は、彼女と手を繋いだまま目的地であったスーパーに辿り着いた。
流石に放課後――つまり夕方のスーパーは混み合っているので、さっきまでのように手を繋ぎながら周るというわけにもいかない。名残惜しさを感じながら彼女の手を離し、入口に並んでいたカートを引っ張り出すと、すかさず小手毬さんがカゴを載せてくれた。
「……なんかいいよね、こういうの。夫婦みたいって言うか」
僕が率直な感想を口にすると、小手毬さんは「にへら」と相好を崩して、同意の言葉を僕に返してくれる。
「私もそう思ってた……。その、将来の予行演習、みたいな……」
どうしようもなく恥ずかしいという気持ちが伝わりながらも、僕との未来を疑わないでいてくれる彼女の言葉に、また一層愛情が積み重なっていくのを感じる。
知識としては把握していたけど、こういう感情を実体験しないまま他人の恋愛相談に乗っていたというのだから、数か月前までの僕は上手くやっていたものだと思う。それを言ってしまえば、杉崎先輩だって特定の彼氏はいなかったはずだし、僕も先輩もそれで上手く相談を解決できていたのだから、実際のところは知識だけでもどうにかなるものなんだろう。
結局のところ、相談をするのも解決のために動くのも、最後には付き合っている、あるいは相手と付き合いたいと思っている当事者の問題なのだから、あくまで相談に乗っているだけの僕らが情熱に身を焦がす必要はないのだと思う。
「やっぱり近場のコンビニで済ませなくて良かったね」
「うん。そしたら、あっさりデートが終わっちゃってたもん」
実のところ、わざわざスーパーまで歩いて来なくても学校の近くにコンビニがあって、お菓子と飲み物くらいなら十分な種類が置かれているはずだ。
それでも敢えて、こうして十分以上の道のりを歩いてスーパーに出向いたのは、単純に商品がコンビニよりも種類豊富な上に安いのと、より「それっぽさ」が味わえると思ったからである。コンビニデートというのも恋人感が大いに味わえそうな気がするけど、やはり小手毬さんとはこういう「先」を意識したやり取りをしたいと思った。
今の僕らは、実家暮らしの高校生という身分。しかも進学して仮に一人暮らしを始めたところで、生活費を自分で賄えるわけでもない。そんな自立していない僕らの「先」の話なんて、単なる妄想や夢物語でしかないのかもしれないけど、これまで漠然と描くだけだった未来図に比べれば、ずっと確かな形を持っていた。
「小手毬さんは、将来なりたいものとかある?」
お菓子売り場に向けてカートを押しながら、僕は小手毬さんに声をかけた。
僕の押すカートに当たらないよう、斜め前あたりを歩いていた彼女は、唐突ともいえる質問に首を傾げた。
「将来?」
「うん。さっき言ったでしょ、『将来の予行演習』って」
「ああ、うん。そ、そうだね……」
僕の言葉を聞いた小手毬さんは、普段なら人よりも白いその肌を朱色に染める。
彼女がさっき言った「将来」という言葉は、明らかに僕と一緒に生活している前提のものだったから、それを思い出して恥ずかしさを覚えているのだろう。
こういう彼女の姿を見ると、思わず抱き締めたくなってしまうのが僕だ。しかし今いるのは人の多い夕方のスーパーなので、そんな真似をするわけにはいかない。この際、見られるのは仕方がないにしても、普通に邪魔になってしまうだろう。
「だから、進路の話……っていうと大袈裟だけどさ。一応、大学は杉崎先輩のいるとこに行くと思うんだけど、卒業した後はどうしたいのかなって思って」
大学卒業後の進路については、正直言って僕も大して明確なビジョンはない。
今となっては「小手毬さんとずっと一緒にいる」という、人生の最大目標が出来た僕だけど、彼女と親しくなるまでは具体的な夢や展望を持って生きてきたわけではないのだ。なんとなく大学に進学して、なんとなく就職するのだろうという、ありきたりで行き当たりばったりな未来図しか描けていなかった。
「僕は具体的にやりたい仕事とかないから、小手毬さんはどうかなって……え、何その顔?」
「むうー……」
高校二年生のカップルとしては、割とポピュラーな話をしたつもりだったんだけど、小手毬さんは何故か不満そうに頬を膨らませていた。子供っぽい仕草と唸り声が合わさり、その可愛さは前人未到の域に達している。つつきたい、そのほっぺ。
冗談はさておき(小手毬さんが可愛すぎるのは冗談じゃないけど)、卒業後の進路について聞いただけで、ここまで不満を覚えるものだろうか。
そんな風に困惑していると、小手毬さんはジト目で僕を見たまま口を開いた。
「真壁くん、将来は専業主婦になってほしいんじゃなかったの?」
「……!」
思わず目を見開いてしまった。そのくらい、小手毬さんの言葉は衝撃的だった。
僕が以前、口にした戯言……僕としては別にふざけて言ったわけじゃないけど、まだ何の実現性もないその言葉を、小手毬さんは律儀に覚えていて、叶えようとしてくれているのだ。
「子供の頃は、それこそ花屋とかケーキ屋に憧れたりしたけど……今はちょっと無理かな。だって、どうせ最後には専業主婦になっちゃんだから」
そう言って照れくさそうに笑う小手毬さんに、また愛情が積み重なっていく。
小手毬さんときたら、僕の「好き」という気持ちを際限なく引っ張り出してくるものだから、いずれ積み重なり過ぎて月にまで届いてしまいそうだ。
「あ、でも腰掛けで就職するのって、ちょっとアレかな……? でも真壁くんのお給料だって、就職してすぐには上がらないだろうし、バイトとか内職だと流石に生活費が足りなさそうだよね」
僕の内心でどんどん積み重なっているものなど知らずに、小手毬さんは当たり前のような顔で将来の展望を語る。その内容は些か所帯じみているけど、僕と一緒にいることを寸分も疑わない発言に、彼女への愛情は積み重なるばかりだった。
「その……なるべく早く僕の給料だけでやっていけるように、頑張るから」
油断すると、場所も弁えずに彼女への想いが溢れ出そうになる。どうにか普通の態度を装って、それでも心の中では小手毬さんが愛しすぎると叫びながら、僕はやっとの思いで彼女への返事を口にした。
今までも似たようなことは言ってきたはずなのに、どうにも照れくさく感じてしまうのは、さっき小手毬さんに対して覚えた「綺麗だ」という印象のせいだろうか。僕は自分のことを、こういう気持ちを自然と口に出来る人間だと思っていたんだけど。
しかし、そんな僕の密かな葛藤も空しく、小手毬さんは花の咲いたような美しい笑顔で、再び心をかき乱してくるのだった。
「うんっ! 私も応援してるから、一緒に頑張ろうね、あなた――なんて」
頬を赤く染め、幸せそうな笑顔をした小手毬さんを見て、僕の心はどうしようもなく――。
「ありゃー、まるで新婚夫婦ですなー」
昂るかと思いきや、突然横から聞こえた声のせいで、冷や水を浴びせられたような気分になってしまった。
流石に無粋では、と思いながら声のした方を向けば、そこにはチェシャ猫のごとくニヤけた顔をしている、見知った人物が立っていた。
派手めなライトブラウンのショートヘア、大学生になってから力を入れるようになったらしい化粧で、元より端正な顔を巧みに彩った彼女は――。
「杉崎先輩……」
「利佳子さん?」
「やっほー、まかべぇ。それに小手毬ちゃんも」
恋愛相談部の前部長、杉崎 利佳子先輩だった。