79.小手毬 美薗と作る未来②
職員室を出た僕たちは、それぞれ別行動をすることになる。
と言っても鳶田後輩は柔道部に行くだけで、僕と小手毬さんは一緒だけど。
「マッキー先輩とてまりん先輩は、これから二人でイチャイチャですか?」
僕ら二人を見ながら、ニヤついた顔で鳶田後輩が言った。
その表情からは「どうせ二人になったらイチャつくんだろう」という思いが透けて見える。まあ、どう考えても僕らの普段の行動が原因なんだろうけど。
とはいえ、今日はしっかり予定があるので、僕らも部室には向かわない。
いつもがそうだからと言って、イチャつくばかりの僕たちではないのだ。
「今日はこれから用事があるから、イチャつくわけじゃないよ」
「え?」
「……え?」
何故か横合いから声が上がったので、そちらに目を向ける。
すると小手毬さんが、なんだか寂しそうな表情をこちらに向けていた。
「今日……イチャイチャしないの? 真壁くん」
「あ、えーっと……」
いや、なんで小手毬さんが寂しそうにしているんだ。
今日の予定については、事前にしっかり話し合っていたじゃないか。
そう言いたい僕だけど、小手毬さんの目を見ていると何も言えなくなる。
「……します」
「だよね?」
結局、こうして呆気なく陥落してしまうのだった。
でも僕の言葉を聞いて「にへら」と恥ずかしげな笑みを浮かべた小手毬さんを見ると、自分は何も間違ってないのだと思わされる。
小手毬さんの笑顔は無敵なので、僕程度では到底論破など不可能なのだ。
「なーんだ、やっぱりするんじゃないですかー。マッキー先輩ってば、格好つけちゃって」
コロッと意見を変えてしまったので、鳶田後輩にからかわれてしまった。
だけど仕方ないだろう。あそこで小手毬さんに「今日はイチャイチャしないよ」なんて言って、彼女を悲しませてみろ。死ぬぞ、僕が。
「小手毬さんとイチャイチャするのは、僕の生き甲斐だから仕方ない」
「うわー、開き直った。ここまでくると一周回って、格好いい気がするかも」
「真壁くんは、いつも格好いいよ?」
僕に追撃を加えるつもりだったであろう鳶田後輩だけど、小手毬さんから無自覚な攻撃を受けて「うへあ」と苦い顔をした。
やはり我が部の最強は小手毬さんなのだと、今更ながら再確認してしまう。
小手毬さんが実戦配備されたら、テロリストも即陥落だろう。
しかし可愛い小手毬さんを、そんな危険な場所に送り込むわけにはいかない。
こうして世界はまた一歩、平和から遠ざかっていくのだった。
「……マッキー先輩、なんかアホなこと考えてません?」
「バカを言うな。僕はさっきから、ずっと小手毬さんのことを考えてるぞ」
いきなり失礼なことを言い出した鳶田後輩に、全力で反論する。
しかし、そんな訴えも空しく――。
「それを『アホなこと』って言ってるんですけど?」
呆れた顔で、そう言い捨てられてしまった。
……この子、だんだん影戌後輩に似てきてない?
鳶田後輩と別れた僕らは、学校を出て二人で並び歩いていた。
去り際の鳶田後輩から「不純異性交遊は、ほどほどにして下さいね」なんて言われたけど、そもそも僕の小手毬さんへの想いは純粋そのものなので、無用の心配である。
「望ちゃん、喜んでくれるといいね。真壁くん」
「そうだね。そのためには、ちゃんと歓迎会の準備をしないと」
楽しそうに笑う小手毬さんに、僕はそう返した。
今日の僕らの予定とは、ズバリ鳶田後輩の歓迎会の準備である。
まあ歓迎会なんて仰々しい言い方をしているけど、要するにお菓子と飲み物を買ってお喋りするだけの会だ。それでも僕らが鳶田後輩を歓迎したいのは事実だし、影戌後輩が入部した時にも似たような催しをやったのだから、今回もやらないわけにはいかないだろう。
そんなわけで僕と小手毬さんは、二人で明日の歓迎会のために買い物をすることになったのだ。要するにデートである。ただ二人でスーパーに行くだけの行動を、「デート」と呼んでいいのかは疑問だけど。
「でも、おかげで今日は真壁くんと買い物デートだね」
どうやらデートでいいらしい。こんなに可愛い小手毬さんが言うのだから、間違いなどあるはずもない。
もっと言うなら普段、小手毬さんと部室で過ごすのも「部室デート」と呼べるのかもしれない。むしろ僕の人生そのものが、小手毬さんとの壮大なデートという可能性すらある。……何を言っているんだ、僕は。
冗談はさておいて、小手毬さんがこの買い物をデートだと認識している以上、彼氏として単なる買い物だけで終わらせるわけにはいかない。
まずは最低限……と、僕は小手毬さんに向けて片手を伸ばした。
「デートなら、やっぱり手を繋がないとね」
「あっ……うん、そうだね」
小手毬さんは顔を綻ばせて、僕の手を取ってくれた。
手を繋いだまま、僕らはさっきよりも少しだけ遅い足取りで歩を進める。
こうして彼女と手を繋いだというだけで、さっきまで歩いていた道が全く別の景色にさえ見えてくるのだから、人間がいかに思い込みに振り回されて生きているのか分かろうというものだ。
そもそも小手毬さんが恋愛相談部に入部してくれなかったら、僕の放課後は他人の恋愛相談を受けながら、淡々と読書をするだけだっただろう。流石に僕一人の部に、影戌後輩や鳶田後輩も入ってこなかっただろうしな。
杉崎先輩が卒業してしまった時は少し寂しかったけど、かと言って一人になっても恋愛相談部に入ったこと自体を後悔したりはしなかった。あくまで親しい先輩との別れが寂しかっただけで、一人になることは別に苦でもなかった。
でも今となっては、一人だったあの頃に戻れと言われても絶対に頷けない。
小手毬さんのいない日々なんて、もはや灰色もいいところだ。
「……真壁くん? どうかしたの?」
小手毬さんに声をかけられて、僕はハッとした。
どうやら物思いに耽っているうちに、少し手に力が入っていたらしい。
その手は小手毬さんの手を握り締めているのだから、当然のように彼女にもそれが分かってしまう。
ほんの少しだけ心配そうな色を混ぜた表情をしている小手毬さんに、僕はなんでもないように笑いかけた。
せっかくのデートなのだから、センチメンタルな気分は控えめにするべきだろう。
「いや……なんでもないよ」
「そう? なんだか真壁くん、ちょっと寂しそうに見えたから……」
少しだけドキッとしたのを、どうにか彼女に悟られないように隠す。
小手毬さんはぽわぽわした印象の強い子だけど、別に鈍いわけじゃない。
特に僕のことは強く想ってくれているから、ちょっとしたことでも気付いてくれたりする。……なんて、自分で言うと自惚れているみたいだけど。
だから、変に勘繰られてしまう前に、思ったことは口にしておくべきだろう。
恋人同士はそうする方がいいと、僕はこれまでの恋愛相談で学んできたはずだ。
「なんでもない……というより、大したことじゃない、かな」
「……?」
僕の抽象的な物言いに、小手毬さんは首を傾げた。
何度も見てきたはずなのに、相も変わらず愛らしい仕草だと感心してしまう。
また一つ彼女への「好き」が積み重なっていくのを感じながら、僕は言葉を続けた。
「ほんの何か月か前は、小手毬さんとこんな風に手を繋いで歩くなんて思わなかったはずなのに、今では君が隣にいないと嫌だと思ってる。あの頃は何とも思わなかったはずなのに、今では一人が寂しくて仕方ないんだ」
「……真壁くん」
「不思議なもんだよね。当たり前だったはずのことが、すっかりダメになるなんて」
見方によっては、「弱くなった」と取れないこともない。
それが悪いとか嫌だとかは、少しも思わないけど。
「……それって、ただ知らなかっただけだと思うよ」
ポツリと呟きながら、今度は小手毬さんが僕と繋いだ手に力を入れる。
「知らなかった?」
「うん。だって私も知らなかったもの。真壁くんの手があったかいことも、真壁くんのことを『好き』って思う気持ちも」
「…………」
「きっと知っちゃったら、もう戻れないんだよ。恋って、そういうものだと思う」
そう言って小手毬さんは、いつもより少しだけ大人びた笑みを見せた。
それは僕が初めて見る彼女の表情で、とてもじゃないけど「小動物」なんて呼べないくらいに、ただ綺麗だと思った。
「恋ってそういうもの……か、なるほど。恋愛相談なんてやってるのに、意外とよく分かってないもんだね」
「しょうがないよ。恋愛相談はたくさんしても、恋愛は初心者だもん」
「確かに……そうかもね」
「だから私と一緒に、もっと色々知っていこうね?」
「……うん、そうだね」
小手毬さんの語りかけるような声に答えながら、僕は少しだけ手に力を込める。
さっきまでよりも熱く感じるのは気のせいか、それとも僕の持つ小手毬さんへの「好き」が、また少し強くなったせいだろうか。
恋愛相談部の部長なんて名乗っていても、まだまだ恋愛について学ぶことは多いらしい。
小手毬さんと歩きながら、僕はそんなことを再確認したのだった。
スーパーに向かって歩いているだけなのに、一体何をやっているんでしょうか。