78.小手毬 美薗と作る未来①
鳶田の妹さんが、恋愛相談部への入部を宣言した翌日。
いつも通り放課後になると、簗木が僕の席に近付いてきた。
お互いに部活で時間が取れないことも多いので、こうして放課後に軽く話すというのが、僕らのお約束である。
「今日も知麻が誰か連れてくるって聞いたんだが、それって恋愛相談部の新入部員なんだよな?」
「ああ。というか昨日、そっちに行ってた子と同一人物だぞ。まるで別人だから、多分見たら驚くだろうけど」
どうやら簗木は恋人である影戌後輩から、事前に鳶田さんのことを聞いているらしい。
……関係ないけど、鳶田さんもうちの部員になったんだから、影戌後輩に倣って「鳶田後輩」に呼び方を変えるべきだろうか。
「そういや、知麻がそんなこと言ってたな……変装してたんだったか」
鳶田さん改め鳶田後輩は、影戌後輩の紹介で柔道部のマネージャーも兼任すると決めた。
うちの学校は部活の掛け持ちを認めていないから、実際の籍は恋愛相談部に置くことになるけど、果たして影戌後輩のように受け入れてもらえるんだろうか?
あれは目の前にいる簗木がデタラメな身体能力を持っているから、他の部員も黙認してくれているという面が強いと思うんだけど。
まあ、今から僕が気にしたところで仕方ないか。
「ついでに言うと鳶田の妹だからな」
「マジか……何があったら、アイツの妹が柔道部に来るんだよ。お前のところって、相変わらず変な奴ばっか寄って来るんだな」
「人聞き悪いな……」
なんて文句を言ってはみたものの、最近は僕も恋愛相談部に対する、そういう評価を否定しきれなくなってきたのも事実だ。
杉崎先輩と二人だった頃は、もう少し平凡な恋愛相談をしていた気がするんだけどなあ……。
「まあ、知麻のタメがお前のとこに入ったのは、ちょっと安心したわ」
「それは僕もそう思う」
普段、割と不愛想な簗木の安心した表情というのも、なかなか珍しいものだ。
いかな筋肉ゴリラでも、流石に自分が卒業した後の彼女のことは心配していたらしい。
「んじゃ、そろそろ部活に行くかな」
そう言うと簗木は、横に置いていた鞄を肩に担いだ。
「うちの後輩たちをよろしくな、簗木」
「分かってるよ。まあ、一人は俺の彼女だしな」
自分のセリフをクサいと思ったのか、少しだけ恥ずかしそうな様子で簗木は僕に背を向け、そのまま手をヒラヒラと振りながら教室を出て行った。
さて、それじゃあ僕も部室に――と言いたいところだけど、今日は用事がある。
「小手毬さん、行こうか」
「うん。それじゃあ、また明日ね。里利ちゃん」
「あ、うん……じゃあね、小手毬ちゃん」
今日は部室に向かわず待っていてくれた小手毬さんと、二人で教室を出た。
ちなみに和やかな挨拶の裏で、信楽さんは当然のように僕を睨んでいた。
彼女も飽きずに、よくやるよな……。
「先輩、お待たせしました!」
教室を出た後、事前に決めていた待ち合わせ場所で鳶田後輩と合流する。
「望ちゃん、こんにちは」
「はい、こんにちは! てまりん先輩!」
「て、てまりん……?」
合流して早々、鳶田後輩は謎の言語を口にした。
もしかしなくても、今のって小手毬さんのことだよな……?
「それ、小手毬さんのあだ名か?」
「そうですよ? マッキー先輩」
「マッキー……」
まるで当然のような顔で、またもや謎の名称を呼び始めた。
いや、「真壁」をもじった呼び方だっていうのは、なんとなく分かるんだけど。
困惑している僕と小手毬さんを余所に、鳶田後輩は満足げな顔をしている。
「私って新入りだから、やっぱりこういうところで親密さを上げていかないとって思うんですよ。昨日、寝る間を惜しんで考えました! 十分くらいですけど」
「誤差だろ、それ」
何故か自信満々な顔をしているけど、十分くらいなら普通にずれると思う。
まあ、別に不快なわけじゃないから、好きに呼んでもらえばいいか。
小手毬さんも同じ考えなのか、僕の顔を見て頷いていた。
「まあ、別にそれでいいよ。てまりんさんも可愛いしね」
「えへへ……マッキーくんもいいと思うよ?」
「わーお、なんか私の考えたあだ名でイチャついてるし」
呆れた風に言う鳶田後輩だけど、その表情は楽しげだ。
さて、こうして立ち話ばかりしていても仕方ない。
楽しいのは事実だけど、こうして集まったのは目的があってのことなのだ。
「そろそろ行こうか。鳶田後輩は、柔道部にも行かないといけないだろ?」
「あ、はいっ……って、その『鳶田後輩』っていうのが、私の呼び方なんですね」
「あはは、知麻ちゃんとお揃いだね」
そんなことを言い合いながら、僕らは目的地――職員室へと向かった。
職員室に辿り着いた僕たちは、目的の先生がいる場所へと一直線に向かった。
相変わらずの美人なので、多少離れた場所からでも目立っていて分かりやすい。
「お疲れ様です、茅ヶ原先生」
「あら、真壁くんに小手毬さん。それに……一年の子かしら?」
「あ、はい。鳶田 望です。恋愛相談部に入りたいので、入部届を持って来ました」
茅ヶ原先生に視線を向けられた鳶田後輩は、前に出て自身の目的を口にした。
彼女の言う通り、僕らがここに来たのは恋愛相談部の顧問である茅ヶ原先生に、入部届の提出と入部の挨拶をするためである。
以前までは佐々岡先生という人がうちの顧問だったけど、少し前に産休が生徒にも公表されて、茅ヶ原先生が正式に顧問を引き継いだのだ。
ちなみに影戌後輩がいないのは、ぞろぞろと大人数で行くのは邪魔だろうという理由であって、決して仲間はずれというわけではない。
小手毬さん? 彼女は生活必需品だから。
「新入部員? それに鳶田って……」
「あ、二年の鳶田の妹です」
どうやら茅ヶ原先生は、兄の方を知っていたらしい。
まあ自分が担任を務めているクラスの生徒ではなくても、同じ学年なら知っているのは不思議ではない。
鳶田は容姿の良さや運動部の助っ人をやっていたことから、この学校の生徒の中では割と有名だしな。
「やっぱり、鳶田くんの妹さんなのね」
「あははー、不肖の兄がいつもお世話になってます」
「私は彼の担任じゃないから、そこまでお世話もしてないけどね」
一見すると身内のことで謙遜しているような物言いだけど、鳶田後輩の言う「不肖の兄」っていうのは、多分本気なんだろうな……。
話題にも出したがらない内倉さんに比べれば相当マシとはいえ、以前と比べて兄への好感度がずいぶんと下がっているのが見て取れる。
当然、そんな事情を知らない先生は、鳶田後輩の複雑な内心には気付いていないだろうけど。
「ともかく入部届は受理します。私は顧問って言っても特にすることはないけど、たまには顔を出すからよろしくね、鳶田さん」
「はーい、よろしくお願いします――それにしても、茅ヶ原先生って……」
「ん? 何かしら?」
先生が入部届に問題がないことを確認して、挨拶は恙なく終わり――と思いきや、鳶田後輩が先生の顔をじっと見つめ始めた。
これはまさか……恋愛相談か? なんて、そんなわけないか。
そういうのは、二ノ宮さんと内倉さんだけでお腹いっぱいだ。
そして当然ながら、鳶田後輩は「そっち」ではないらしい。まあ彼氏いるしな。
「いえ……先生、肌綺麗だなって思って」
「あ、私も思いました。先生、前より綺麗になってませんか?」
「え、そ、そうかしら……?」
鳶田後輩だけではなく小手毬さんにも同意されて、先生は照れた様子を見せる。
言われて僕も意識してみるけど、元が綺麗な人なのでハッキリ分からない。
まあ僕の場合、性別的な意味合いで先生の顔をジロジロと見たことがないから、肌の調子なんて覚えていないというのが大きい。
「これは、その、ヒロくんが……って、あ……」
僕にはよく分からなかったけど、先生には言われる心当たりがあったのだろう。
おそらく理由を口にしようとした途中で、「ヒロくん」こと門脇との関係を知らない鳶田後輩がいることを思い出し、口ごもってしまった。
「ヒロくん……先生の彼氏ですか?」
「えっと、それは、その……」
しかし明らかに男の愛称としか思えない名前を呼んでしまったので、鳶田後輩には当然勘付かれてしまっている。
ここまで来ると下手に隠すより、さわりだけでも話しておいた方が無難だろう。
そう思った僕は、声を潜めて鳶田後輩に事情を説明する。
「彼氏は彼氏だけど、うちで取り扱った案件なんだよ。他言無用で頼む」
「お、訳ありってヤツですね? 了解です」
どうやら鳶田後輩は、すぐに言いたいことを察してくれたようだ。
物分かりのいい後輩で助かる。
先生もそんな彼女の様子を見て、安心した顔をしていた。
「助かるわ……ちょっと事情があって、あまり言いふらせないのよ」
「はー、禁断の関係ってヤツですか」
「そ、そこまでじゃないと思うんだけど……」
まだ直接関係を持っていないというだけで、世間的には十分禁断だと思う。
「で、その彼氏さんが、先生のお肌が綺麗になった原因なんですか? あ、もしかして、そっちの……?」
言いながら、鳶田後輩は少しだけ頬を赤く染めた。
おそらく下世話なことでも考えているんだろう。
先生もそれを察したのか、鳶田後輩以上に真っ赤な顔になる。
「ち、違うわよ……! ヒロくんと、そんな……そんなの、まだ……」
いやいや、赤くなり過ぎでしょう。
女性にこんなこと言うべきじゃないけど、いくつだと思っているんだ、この人。
まあ、こんな美人の割に、昔から門脇以外の男っ気はなかったみたいだから、結構初心なんだろう。
「そ、そうじゃなくて、ヒロくん……その子は年下で、私が年の差を気にしてるのを知ってるから、最近は気を遣った料理を作ってくれるのよ」
「わあ……! 愛されてますね、先生!」
「ま、まあ、そうね……」
小手毬さんから悪気ゼロのキラキラした眼差しを向けられて、先生は恥ずかしそうに目を逸らした。
なるほど。先生の肌が綺麗になった(らしい)のは、門脇が彼女のために美容を意識したメニューを作っているからなのか。相変わらず献身的なヤツだ。
ちなみに今の発言で、先生が男に家事をやってもらっていることが鳶田後輩にもバレていたけど、僕が「訳あり」と先に説明しておいたせいか、特にツッコミを入れる様子は見られなかった。
というか、茅ヶ原先生が迂闊すぎるな……。事情を知っている僕たちが相手だから、普段よりも口が緩んでいるということなんだろうけど。
ゆるゆる――というか、少し残念な雰囲気を漂わせていた先生だったけど、僕が密かに呆れた目を向けていたのに気付いて、気を取り直すように咳払いをした。
「んんっ……さて、話はこれで終わりかしら? 三人とも、これから部活でしょう? あまり職員室に長居するのも良くないし、そろそろ行きなさいな」
「はーい、分かりました」
「あはは……そうですね」
先生の露骨な変わり様に、女子二人は特に言及するつもりはないらしい。
素直に頷いて、僕らは職員室を後にすることにした。
今回は恋愛相談ではなく、望ちゃんの歓迎会エピソードになります。
正確には歓迎会をダシにして、いつも通りイチャつく話ですが。