74.鳶田 望は兄思い⑤/鳶田くんの奮起と粉砕
昔から、大抵のことは要領良くこなせた。
足は速いし、手先も足先も割と器用で球技だってお手の物だった。
勉強は……まあ、そこそこだったけど、それでも親や教師からとやかく言われないくらいには問題なかった。
あと、顔がいい。そんな事を自分で言うと、周りには「ナルシストか」って思われるかもしれないから口には出さないけど、マジでいい。
流石に芸能人とまでは行かないが、少なくとも俺が通っていた中学校には、俺より格好いい奴はいなかっただずだ。
そんな……まあ控えめに言って天才少年だった俺なので、努力なんてしたことはなかった。
頑張らなくても大抵のことは人並み以上に出来るから、頑張る必要なんてない。
もっと上を目指したいものがあったわけでもないし、人並みになるために努力をしないといけない人たちは大変だな、なんて思っていたくらいだ。
多分、中学時代が俺の絶頂期だったと思う。
スポーツなら何でも人よりこなせる俺は、いろんな部活の助っ人をやっていた。
基本的にどこでも活躍できて、顔もいい俺の雄姿に女子は夢中だった。
特に同じ学年の二ノ宮 花蓮とは仲が良くて、周囲からはベストカップルみたいな扱いをされていたと思う。まあ、その時は花蓮とは付き合ってなかったけど。
花蓮は結構可愛い方で、性格も女々しいところがないから話していて楽しい。
物言いがきついから、たまに「もう少し俺を立てろ」と思うこともあったけど。
俺の一つ下の妹である望も、流石は俺と同じ血を引いているだけあって成長するにつれて可愛くなって、当然のようにイケメンの兄を慕ってくれていた。
周囲からはヒーロー扱い。しかも可愛い妹と彼女未満もいる。
まさに順風満帆。人生の絶頂期と呼ぶに相応しかった。
「勇、アンタ、あたしと付き合う気、ある?」
「は? お前、俺のこと好きなの?」
高校になってからも友達関係が続いていた花蓮から、突然告白めいたことを言われて、思わずそんな返し方をしてしまった。
今思えば割と酷い言い草だったが、花蓮は中学の頃から俺と距離は近いものの男女の好意なんて見せてこなかったから、驚いてしまったのも無理はない。
「まあ、そういうことよ。……アンタ、気付いてなかったわけ?」
「悪い。全然気付いてなかったわ」
だから花蓮から「中学の時から好きだった」と聞かされた時は、さらに驚いた。
花蓮は男勝りなタイプで全然甘えてこないから、そんな風には見えなかった。
同じギャルっぽいタイプでも、妹の望は素直に甘えてきてくれたんだが。
そのあたりを後で――花蓮と付き合っていることは伏せて望に聞いたら、「花蓮さんはツンデレってヤツなんだよ。分かっていないねー、お兄ちゃん」なんて言われてしまった。
好きなら好きで、もう少し分かりやすくしてくれたらいいのに。
結局、俺は花蓮と付き合うことに決めた。
花蓮は可愛いし、男女としてどうかはともかく付き合いも長いから愛着もあったし……それに高校に上がってから、自分のヒーロー性が薄れてきているのを感じていたからだ。
高校生になってから、助っ人に行った運動部で前ほど活躍できなくなってきた。
まあ、いくら俺が天才とはいえ、他の連中は中学の三年間を同じ競技に費やしてきた奴らが多い。
流石にそこまで差があると、練習量というのもバカには出来なかった。
だから高校で俺が助っ人に行ったのは、自分が活躍できるところだけだ。
特にバスケ部は一年の頃は行っていたけど、二年になると一個下にめちゃくちゃ上手いイケメン新入部員が入ったから、全然顔を出さなくなった。
渡辺とか、そんな感じの名前だったか? 確かに間近で見たけど、なかなかのイケメンだった。いや、顔は俺の方が上だったと思うが。
しかし顔は俺の方が上でも、バスケの実力は向こうが確実に上だ。
俺も全く活躍できないわけではないとはいえ、試合に出たとしてもエースは向こうで、俺はそのアシストとして活躍することになるだけだろう。
あくまで顔のいい俺が活躍する姿がウケるだけであって、顔の良さで活躍できるわけじゃないからな。
だからバスケ部を始めとした強い部活には、顔を出さなかった。あと柔道部とか剣道部も……あの辺はガチだし、道着とか防具って格好よくないし。
そんなわけで運動部の助っ人稼業にも限界を感じていた俺は、「高校生になったんだから、スポーツだけが青春じゃねえよな」なんてうそぶいて、花蓮と付き合い始めた。
そんな俺の高校生活が転機を迎えたのは――俺が道を踏み誤ったのは、花蓮とは別の女子からも告白を受けた時だった。
「わ、私、鳶田くんのこと、いいなって思ってて……お、お友達からでいいから、仲良くしてくれると嬉しいです……!」
彼女――内倉 響から呼び出された俺は、そんな告白を受けた。
花蓮という恋人がいようと、お構いなしに略奪を考えた――わけではなく、俺が頼んで花蓮との関係は周りに伏せていたから、響も当然ながら知らなかったのだ。
花蓮との関係を隠していた理由は、まあ考えてみれば色々ある。
単純に照れくさいのもあったし、あと運動部の助っ人稼業を縮小して女に走ったというのが、まるで凡人になったことを認めるようだったというのもある。
だからだろうか。響の告白を受けた俺は、とんでもないことを彼女に言った。
「友達からなんてまどろっこしいから、彼女にならない?」
「え? そ、そんないきなり……」
「いいじゃん、俺、今フリーだし。付き合ってから分かることも、あると思うよ?」
花蓮のことが知られていないのを幸いとばかりに、響に交際を持ちかけた。
俺は顔がいいから。人より大抵のことは上手くこなせるから。だから恋人関係だって、二人同時くらいは出来るはずだ。
天才の俺には、むしろ彼女が複数いる方が自然だと、そう自分に言い聞かせた。
そうやって同時進行で二人と付き合って……そして最後には、バレて振られた。
「お、お兄ちゃん……? どうしたの、その頭?」
「い、いや、ちょっと気分転換にな……」
突然、頭を丸めて家に帰った俺を見て、妹は目を丸くしていた。
それまで割とチャラい格好をしていたら、驚くのは当然だろう。
だが、その理由を妹に話すことは出来なかった。
流石に同時進行は無理があったのか、花蓮と響に二股をかけていたことがバレてしまった俺は、自分のクラスで凄惨な公開処刑を受ける羽目になった。
クラスメイトの前で浮気の事実を暴露され、散々に罵声を浴びせられ、最後には土下座までさせられて……。
ぶっちゃけ気の強い花蓮よりも、おしとやかなタイプだったはずの響の方が怖かった。大人しい奴を怒らせると怖いというのは、迷信ではなかったらしい。
坊主頭にしたのは、別に花蓮たちに強制されたわけではない。
そのくらいしないと、二人の――特に響の怒りが収まらないと思ったからだ。
おまけにクラスメイトにまで二股の事実が知られてしまったわけだから、それなりに反省した態度をみせておかないと、ハブられてしまう可能性すらある。
「ふーん……ちょっといきなり過ぎるけど……。でも、坊主頭でも格好いいね! 流石お兄ちゃん!」
「の、望……お前は最高の妹だ……!」
「ええー、なにそれ? 私が可愛いのは事実だけど……お兄ちゃん、ちょっとシスコン過ぎない?」
口振りは素っ気なかったけど、妹は嬉しそうな顔をしていた。
二人の彼女に振られて、クラスメイトからは総スカンな俺にとっては、この笑顔だけが残された唯一の癒しだ。
――妹にだけは嫌われたくない。
それが道を踏み誤った俺に残された、切実な願いだった。
両足が地面――いや、畳を離れて、全身が宙を舞う。
そのまま背中から叩きつけられて、俺は仰向けになったまま天井を見上げた。
「あー、クソっ……! いってえ……」
思わずそんな声を漏らしたが、実は言うほど痛みは感じていない。
俺がこの部活――柔道部に入ってから、そこそこの時間が経過している。
最初の頃とは違って、今の俺は受け身も難なく取れるようになっていた。
「いつまでも寝てると危ねえぞ。それにしても最初の頃より、ずいぶん受け身が上手くなったじゃねえか、鳶田」
「……受け身なんて褒められても、嬉しくないっつーの。このクソゴリラ」
ちょうど考えていた通りのことを言われて――それでも素直に褒め言葉を受け取るのが癪だった俺は、手を差し出してきた相手に対して、思わずそんな悪態を返した。
その相手であり、さっき俺をぶん投げた張本人でもあるクソゴリラこと簗木は、厳めしい面構えをさらに歪ませて俺を睨んできた。おいおい、チビるだろうが。
「ああ?……あんま生意気言ってるようなら、また真壁に気合入れてもらうか?」
「ま、真壁……?」
その名前を聞いた瞬間、脳裏に少し前の光景がフラッシュバックした。
勝ち誇ったような鬼畜顔と、その腕に抱かれる陶酔したような顔の女子生徒。
思い出したのは一瞬だったというのに、俺の体は恐怖で震えていた。
「ひぃっ!? ね、寝取られる……!?」
「いや、誰をだよ……」
簗木の呆れた声が聞こえたような気がしたが、俺は恐怖で震えるばかりで返事をすることが出来なかった。
真壁……アイツは恐ろしい男だ。容姿は平凡な……ちょっと目つきの悪い眼鏡くんって感じで、「恋愛相談部」なんてチャラけた部の部長を名乗っているが、その実態はとんでもない鬼畜眼鏡だった。
――今でも思い出す、こうして柔道部に来る羽目になった「あの日」のことを。
花蓮と響によって公開処刑され、頭を丸めた俺はその後、イメージ回復を図って謙虚に振る舞っていた。
幸いと言うべきか、花蓮たちも自分が二股をかけられたという事実を周囲に知られたくないので、公開処刑なんてしながらも俺のクラスメイトたちには「あんまり言いふらさないでね」と頼んでくれていた。いや、俺のためじゃないのは分かってるけど。
教室で公開処刑をしたのは、あくまで俺の逃げ場をなくすためであって、事実を広く周知したいわけではなかったということだろう。
ともあれ、クラスメイト以外に自分の悪行が知られていないというのは、俺にとって不幸中の幸いだった。
全校生徒や学年中の全員が相手ならともかく、クラスメイトだけなら時間をかければ悪印象を払拭することも不可能ではない。
そう思って、しばらくは大人しくしていたわけだが……。
そんな俺の謙虚さは、残念ながら長くは続かなかった。
元々、俺は自尊心の強い方だ――なんてことは、言わなくても分かるだろう。
練習なんてしなくても、大抵のスポーツで活躍できる自分が誇らしかった。
高校生になって、練習なしでは通用しなくなってきた現実を認められなかった。
だから恋人を作り――その恋人関係でも「自分は特別なんだ」という自尊心が悪い方向に行ってしまい、大失敗をやらかした。
そんな醜態を見せた俺を、クラスメイトはなかなか受け入れてくれず……まあ男子の場合、あからさまに邪険にされていたわけじゃなくて、節々で「あ、俺、信用されてねえな」という雰囲気を感じていただけなんだが。
当然ながら女子はもっと冷たくて、中には口を聞いてくれないような子もいた。
そんな環境に俺の自尊心は削り取られて――最後には爆発したのだった。
ちやほやされる環境に慣れていた俺は、いよいよ耐えられなくなった。
しかしクラスメイトの……それも女子には、しこたま嫌われている。基本的には花蓮たちの頼みを聞いて噂を広めないでいる連中も、俺が別のクラスの女子に手を出そうとしたら黙っていないだろう。
そんな八方塞がりの状況で俺が考え付いたのは、「花蓮か響と元鞘に戻って、許してもらおう」という冷静になってみれば相当ヤバい手段だった。
だがすでにヤケクソ気味だった俺は、性懲りもなく「どっちかと付き合えればいいから」と二人を個別に口説き、そして当然ながら逃げられて……。
そして俺は、何気なく声をかけてきた「恋愛相談部」を名乗る眼鏡の同級生に、相談に乗ってもらうことにしたのだった。
――その後の展開は、今思い出しても体が震えるほどの衝撃を俺に与えた。
俺といい感じになっていた美薗ちゃん――花蓮たちと同時進行で付き合っていた頃、調子に乗った俺が三人目の彼女にしようと声をかけていた子なんだが、純朴さが魅力で俺に憧れるような目を向けていた美薗ちゃんが、真壁に抱かれて雌の顔をしていたのは、かなり心に来た。
美薗ちゃんと俺は付き合っていたわけじゃなくて、「俺に気がありそうだな」と薄々感じていたくらいなんだが、むしろ本当に付き合っている相手が真壁の餌食になっていたら、俺のダメージはこんなものじゃなかっただろう。
俺の前で美薗ちゃんに愛を囁き、勝ち誇ったような顔を見せた真壁。
そんな真壁の言葉に従って、俺に向けて「真壁くんに開発されちゃいました」的なことを言い放った美薗ちゃん。
あの子があんなセリフを言うようになるなんて……地味な顔をしているくせに、真壁はとんでもない鬼畜眼鏡だったということだろう。
その後、俺は真壁の取り巻きをしていた簗木に連行されて、こうして柔道部に入部させられてしまったわけだ。
簗木には「根性を叩き直す」なんて言われたが……俺より先に、真壁の鬼畜の方をどうにかした方がいいんじゃないか?
「ま、真壁は……寝取られは勘弁してくれ……真面目にやるから……」
「お、おう……まあ、ちゃんとやるって言うなら、別にいいけどよ」
とはいえ、簗木はゴリラなので怖い。俺は人間だから、ゴリラには勝てない。
だが、それ以上に俺は、真壁が怖い。
真壁が本気になったら、俺の大事な相手が寝取られるかもしれない――ありえないかもしれないが、アイツの鬼畜さは俺の想像を遥かに上回っているはずだ。
出来ることなら、アイツの不興を買うような真似はしたくなかった。
だから俺は、基本的に柔道部の練習には真面目に参加している。
まあ子供の頃から一つのことに打ち込んだ経験なんてなかったから、新鮮で楽しい――悪くないと思う気持ちも、ないわけではない。
この短期間にしては結構上達していて、他の部員はもちろん簗木だって、そこは意外と素直に認めてくれているほどだ。
それと柔道部に入れられて好都合だったのは、妹への言い訳が出来たことだな。
追及はしてこなかったが、妹は俺が坊主頭にしたことを納得したわけじゃないのは感じていたから、「実は柔道部に入った」というのは上手い言い訳だった。
まあ、多少なりと溜まっていた鬱憤を晴らしたくて、つい「実は鬼畜野郎に、彼女が寝取られて」とか「しかも強制入部させられて厳しいしごきを受けている」と言ったのは、流石に盛り過ぎだったと反省しているが……。
美薗ちゃんは彼女じゃなかったし、柔道部の練習もぬるくはないけど、別に理不尽ってほどの厳しさではないからな。まあ、真壁が鬼畜なのは事実だが。
「とりあえず、ちょっと休憩してこいよ。ほれ、顔洗ってこいって」
「あ、ああ……行ってくる」
とはいえ、理不尽ではなくても、きついものはきつい。
簗木の言葉に素直に従って、俺は休憩を取らせてもらうことにした。
水道に向かう途中で道場の隅を見ると、簗木専属のマネージャーをやっている知麻ちゃんが、見慣れない女子と話しているのが見えた。
ちなみに「知麻ちゃん」というのは、俺が心の中で呼んでいるだけだ。
実際に本人を下の名前で呼んだら、簗木に殺されかねないからな。
それはともかくあの見慣れない方の子は、確か知麻ちゃんが連れて来たマネージャー志望の見学者だったか。
ちょっと地味な感じだが、意外と顔立ち自体は悪くないように見える。心なしか、うちの妹に似ているような……いや、妹はもっとギャルっぽい感じだから、他人の空似というヤツだろう。
可愛いマネージャーが増えてくれたら、むさ苦しい柔道部の練習も少しは楽しくなるかなと思ったが、知麻ちゃんと離れたその子は、今度は主将と話し始めた。初対面のはずなのに、めちゃくちゃ仲が良さそうだ。
うちにもマネージャーは数人いるし、何より体型は小学生だけど顔は超美人の知麻ちゃんもいるんだが、その知麻ちゃんは簗木の専属だから部員一同、密かに嫉妬心を抱いていたりする。俺がモテない側の妬みというものを味わうことになるとは、中学時代の俺なら想像もしなかっただろうな……。
とにかく、ここにも俺の新しい春はないらしい。
俺は希望を持つことを諦めて、水道に向かうために歩き出したのだった。
「ハァー……きっつ……」
顔を洗ってスッキリした俺は、道場の外で座り込んで空を眺めていた。
口では「きつい」なんて言っているが、実はそこまで不快感はない。
人生で初めて真面目に練習している今の状況は、意外と悪くなかった。
今だって疲れはあるが、なんというか「程よいつらさ」といった感じだ。
これが努力をして、その努力が自分の血肉になっている痛みというものだろうか。
そうだというなら、もう少し前から知っていれば良かったかな、とも思う。
「でも……モテたいよなぁ……」
そんな声が、意図せず口から漏れてしまった。
柔道部の練習自体は、別につらくはない。
以前と違って活躍できなくて燻っているわけじゃないから、現状に対して焦りを感じているわけでもない。
だが、やはり俺はモテたいのだ。
流石にいまさら「何でも出来る天才」とまでは思い上がっていないが、それでもせめて彼女くらいには持て囃されたい。
幸い、坊主頭にしても問題ないくらい、顔は整っているわけだし……。
「あら……どうしたの? そんなところで座り込んで、体調でも悪い?」
そんなことを考えていたら、不意に鈴の音のような綺麗な声が耳に入った。
「は? あ、え……」
「道着ってことは柔道部? 調子が悪いなら、他の部員の子を呼んで――」
「あ、いや! 大丈夫っす! ちょっと休憩中で、ぼーっとしてただけっすから!」
言いながら俺は、いつの間にか近くに立っていた相手を見た。
綺麗な黒髪の……制服のリボンを見る限りでは、一つ上の三年生だ。
正直、他に見たことがないレベルの美人で、めちゃくちゃ好みのタイプだった。
少なくとも知り合いではないが、どこかで見たことあったような気がする。
なんだったかな……生徒会? いや、どうだっけな……?
「そう……? それならいいけど」
「ハハハ……紛らわしい格好してて、すんません」
らしくもなく緊張してしまった俺が空笑いをしていると、その先輩は興味深そうな目で俺の体を上から下まで確認するように見てきた。
え、なにこれ、もしかして脈ありなの? 俺、新しい春来ちゃった?
「流石、柔道部だけあって逞しいわね」
「そ、そうっすか? 俺なんか大したことないっていうか……まだまだっすよ!」
「あら謙虚。体つきもしっかりしてるし、私の知り合いの子が見たら凄く喜びそう」
「そ、そうすか……」
おいおい、どっちだこれ……脈ありなのか? なしなのか?
知り合いの子が……って、自分のことを誤魔化してるパターンなんじゃないのか? なんか前に、妹がそんなこと言ってたような気がするぞ。
つまりこの人は、俺の逞しさに惚れた……?
いやいや、それは早計過ぎる。思い上がりで失敗したのを忘れたのか、俺。
「凄く強そうだし……もしかしてレギュラーだったりするの?」
「え? ああ、そりゃあ――」
レギュラーかどうかを尋ねられて、思わず「そうです」と見栄を張りそうになったが、ここでそんな見栄を張っても本気で調べればすぐにバレてしまう。
そんな一時の見栄が原因で、この先輩に幻滅されるのは勿体ない……いや、そんなのは嫌だと思った。
だから俺はありのままを、少しだけ格好つけて言うことにした。
「……実はまだ入部して、あんまり経ってないんすよ」
「あら、そうなの?」
「でも『筋がいい』とは言われてますからね! そのうち他の部員を全員ぶん投げて、すぐにレギュラーになってやりますよ!」
「へえ、格好いいわね……。流石はスポーツ少年」
「はい! ハハハ……!」
か、格好いいって言われた……!
これはスポーツマン路線の方が、この先輩にはウケるのでは……!?
ま、まあ最近は柔道も悪くないと思ってたしな。
ここらで本腰を入れて上を目指すって言うのも、青春かもしれないな……!
「頑張ってね。応援してるわ」
「は、はい! あざっす!」
最後に綺麗な声で俺を激励して、先輩は歩き去っていった。
その背中を眺めながら、俺は柔道部の頂点を目指すことを心に決めたのだった。
……あ、そういえば先輩の名前聞くの、すっかり忘れてた。
「ただいまぁ……ハァー、きつかったぜ……」
部活が終わった後、家に帰った俺は挨拶もそこそこに音を上げた。
先輩と話してやる気が漲った俺は、休憩明けに意気揚々と簗木に挑んだんだが、やはり気合一つで実力の差は埋まらず何度も投げ飛ばされた。
しかし強くなりたいなら、やはり強い相手とやり合うのが最短ルートだろう。
アイツも「威勢は悪くない」って言ってたし、すぐに差も縮まるはずだ。
なにせ俺は――上には上がいるとはいえ、天才だからな!
「おう望、ただいま。いやー、今日の練習もしんどくてさあ……」
リビングで寛いでいる妹を見た俺は、そんな風に愚痴を零した。
俺のやらかしを知らない妹は、今の俺に優しくしてくれる数少ない女子だ。
あの先輩には次いつ会えるか分からないので、ここは可愛い妹に部活の疲れを癒してもらおうと思ったんだが――。
「お兄ちゃん、そこ座って」
何故か冷たい目をした妹から、重苦しい声でそんなことを言われた。
ソファーに座った妹の指は、間違いなく床を指し示している。
一応、カーペットは敷いてあるが……。
「は? の、望? 怖い顔して、どうしたんだ?」
「いいから、座って」
「は、はい……」
あまりの威圧感に、うっかり敬語で答えてしまった。
すごすごと――胡坐で座ろうとしたら妹の視線が鋭くなったので、とりあえず正座をする。柔道部で慣れた正座が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
普段は俺を尊敬の眼差しで見てくれる妹だが、今はなんというか……信じたくはないが、まるで汚いものでも見るような侮蔑の感情を浮かべていた。
この反論できない雰囲気は、どこかで覚えがある。
あれは確か放課後の教室で――。
「お兄ちゃん、私に嘘吐いたでしょ」
「な……っ」
そう、これは花蓮と響に公開処刑された時と、似たような雰囲気だった。
「元カノがいたのは本当だけど、二股かけてたんだってね? しかも一人は、あの花蓮さんだったんでしょ? 私、花蓮さんと仲良かったのに、これからどんな顔して付き合えばいいのか分かんないよ」
「あ、いや……それは……」
「言い訳しなくていいよ。ちゃんと本人たちに聞いたから」
「本人、たち……?」
「そ、内倉先輩もね。あんまり申し訳ないから私、泣いて謝っちゃったよ。二人とも優しいから、私のことは責めなかったけどね」
まずい……どうやら妹は、花蓮と響に事情を聞いてしまったらしい。
わざわざ二人が妹に言いふらすとも思えないが、一体何があったんだろうか?
「あと……寝取られた、だっけ? これも嘘だよね? 花蓮さんと内倉先輩には二股がバレて振られただけだし、小手毬先輩とも付き合ってなかったでしょ?」
「は? 小手毬って……なんでその名前を……?」
花蓮たちの口から、美薗ちゃんの名前が出たのか?
そう思った――思いたかった俺だが、現実は想像以上に絶望的だった。
「なんでって……私が恋愛相談部に行ったからだよ。だーい好きなお兄ちゃんがいじめられるって聞かされて、居ても立っても居られなくなってねー?」
「あ、ああ……っ」
おどけたような口調で言う妹だったが、俺の体は震えが止まらなかった。
恋愛相談部に行った……つまり妹が、真壁に会ったということだ。
「の、望! お前、真壁に何か――」
「座んなよ、お兄ちゃん。まだ話の途中でしょ?」
立ち上がって望に近付こうとした俺だったが、かがみ込んだところを妹の足でトンと押されて、尻もちをつく形で後ろに倒れてしまった。
妹に手を――足を上げられるなんて初めてで、軽く押されただけなのにズキズキと痛むような錯覚を感じてしまう。
「う、あ……」
「真壁先輩にも失礼な事しちゃったよねえ。お兄ちゃんの嘘を信じ込んで、『お兄ちゃんをいじめるな!』なんて怒鳴り込んじゃってさ。……まあ、真壁先輩はそんな私にも優しくしてくれたけどね」
「や、優しくって……」
「そうだよ? 先輩は失礼な事した私にも怒らないで、ちゃーんと優しく色々教えてくれたよ? あ、そうそう。全然関係ないけど私、彼氏できたから」
「か、かれっ……!?」
「ほらほら、お兄ちゃん。可愛い妹に彼氏が出来たんだから、ちゃんと喜んでよ?」
楽しそうな声音の妹だが、俺は到底そんな気分にはなれない。
妹は彼氏のことを思い浮かべているのか、少しだけ頬を赤らめている。
年頃とはいえブラコン気味なところがあった妹のそんな表情を、俺は今まで一度も見たことがなかった。
「ま、花蓮さんたちは、もう大丈夫そうだし……ていうか、ちょっと付いていけない世界に行っちゃったし……お兄ちゃんも私には嘘吐いてたけど、柔道部の方は意外と真面目に頑張ってるみたいだから、これ以上は言わないでおくよ」
そこまで行った妹は、すでに最初の冷たい目をしていなかった。
まるで普段の人懐っこい妹のような笑顔で、俺の顔を見ている。
だが――。
「でも……まあ私も、そろそろ兄離れの時期だよね」
俺を無邪気に慕ってくれていた妹は、もうどこにもいなかった。
真実を知った妹は俺から離れて――寝取られてしまったのだろう。
「あ、それとね……」
最後に付け加えるように、妹は言った。
いや、ちょっと待って。まだ何かあるのか?
そろそろ俺の心が耐えられなくなりそうなんだが……。
そんな俺の無言の懇願など意に介さず、妹は残酷な真実を告げる。
「私、恋愛相談部に入ったから」
「はぇ……?」
その言葉はあまりに受け入れ難く、思考停止して思わず変な声が漏れた。
今の俺の顔を鏡で見たら、流石のイケメンでも台無しな間抜け面になっていることだろう。
しかし妹は、そんな俺の醜態には何一つ触れてこない。
数日前までなら、俺がダサい振る舞いをしていれば「もう、お兄ちゃんはせっかく格好いいんだから、ちゃんとしてなよ」なんて言ってくれたものなんだが。
そんな妹も、もう俺の前から姿を消してしまったのだ。
妹は最後にニッコリと笑って、俺を見た。
そしてトドメの一言を、俺に向けて放ったのだった。
「だから――お兄ちゃんがまた悪いことしたら、真壁先輩に言いつけちゃうからね?」
「ま……ま、真壁……」
「……あれ? お兄ちゃん? おーい……?」
俺を慕ってくれた妹は、真壁によって寝取られてしまった。
そしてこれからは妹が、真壁の息がかかった監視役として、家の中でも目を光らせているのだ。
――鬼畜眼鏡。
心の中で何度呼んだか分からない真壁の異名が、俺の脳裏にハッキリと浮かんだ。
もはや俺は、真壁という鬼畜からは逃げられないのだろう。
誠実に……そう、奴に目を付けられないよう、清く正しく生きていくしかないのだ。
そうでないと、きっとあの美しい先輩まで真壁に寝取られてしまうに違いない。
俺はもう、二度と真壁には歯向かわない。
そう心に決めたのを最後に、俺はショックのあまり意識を失ったのだった。
鳶田くんは今回の中心過ぎて、情報量が集中してましたね……。
うっかり一万文字を越えてしまいました。
バスケ部の渡辺くん(仮)は別作品のキャラです。
今作ではセリフ解禁ということは絶対にないので、ご安心下さい。
次回は天ちー先輩の視点で、その次が望ちゃんで締めになります。
今回で出てきた謎の答えも、その二つで分かるはずです。
また、明楽様よりレビューを頂きました。
この場を借りてお礼申し上げます。
感想も多く頂けて、本当に感謝の念に堪えません。
年末と言えば色々イベントがありますが、このように素敵なレビューなど頂いてしまうと「あ、クリスマスとかどうでもいいな、続き書こう」という気分になりますね。
……嘘です。最初からクリスマスに予定なんてありません。
ともあれ意欲が湧いたのは事実ですので、今後も本作をよろしくお願い致します。