70.鳶田 望は兄思い①/簗木くんのマッチョな日常
今回のエピソードは、少し実験的な構成になっています。
短めの一つの話を、様々な視点から描くという感じです。
少し読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。
放課後になると、いつものように近くの席の友人のところに顔を出した。
お互いに部活が忙しくて、なかなか一緒にバカをやる時間が取れないから、こうして短い会話を楽しむのが俺たちの日常風景だ。
「…………」
「おい真壁。難しい顔して、どうかしたのか?」
俺がすぐ近くに立っても、真壁の奴は俯いたまま何かを考えているようだった。
その顔付きは真剣そのものだが、こういう顔をしている時ほどコイツが碌な事を考えていないのだと、俺は今までの付き合いでよく知っている。
「なあ簗木。『妹の小手毬さん』って、どう思う?」
「はあ?」
ほらな。やっぱり意味が分からん。
真壁は頭が切れる奴なのは間違いないんだが、時々こうやってアホな事を言い出すのが玉に瑕だ。
特にクラスメイトの小手毬と付き合い始めてから――正確には付き合う前、小手毬が真壁と同じ部活に入ってから、色ボケによってアホさが増している気がする。
これでも友人だから、恋人が出来て幸せになるのは素直に祝福してやりたいところなんだが、ちょくちょく見せる浮かれ具合だけは、どうにかしてほしい。
「いきなり意味分かんねえんだけど……妹?」
「ああ、小手毬さんが妹だったら、超可愛いと思う」
「はあ……小手毬が妹ねえ」
わけは分からないが、一応想像だけはしてみる。
小手毬は小動物感が強いから、年下のように慕ってくるというのは、まあ似合うとは思う。思うが……そこで同意すると、コイツは「小手毬さんを変な目で見るな」と怒り出す可能性もあるから、適当に流しておくのが吉だ。
理不尽極まりない反応だとは思うものの、小手毬が絡んでいない時は気の合う友人でもあるので、少しくらいは大目に見てやってもいいかなという気分になる。
「小手毬さんが妹……最高だ……いや、でも妹じゃ結婚できないじゃないか……」
直前までウキウキした顔で妄想していた真壁だが、一転して絶望したような表情になった。
ダメだコイツ、明らかに正気を失っていやがる……。
しかし妹……妹ねえ……。
「……知麻も似合うよな、妹」
ふと思い付いて、俺は自分の彼女の名前を挙げた。
知麻はひとつ年下の一年生だが、それを考慮してもかなり小さい。
ぶっちゃけ中学生どころか、発育のいい小学生にすら負けるかもしれないレベルの小ささだ。
顔立ちはめちゃくちゃ整っているから、実際に目の前に立つと小学生には見えないんだが。
「確かに、影戌後輩は『可愛い妹分』みたいなところあるよな」
「…………」
ああ、なるほど。確かに嫉妬心が湧くな、こう言われると。
俺と小手毬とは違って、ただでさえ知麻は真壁と仲がいいから、余計にそう思う。
別に俺も小手毬とは会えば話すし、決して仲が悪いわけじゃないんだが、そもそも二人で話す機会がないんだよな。
小手毬は基本的に、いつも真壁と一緒にいるし。
少し前まで昼休みはお互い別々に過ごしていたんだが、気付いたら昼も二人でどこかに行くようになっていた。
大方、部室あたりでよろしくやっているんだろう。
それは別にいいんだが、真壁は急に昼休みに放置されるようになった俺のことも、少しは考慮しているんだろうか。
まったく友達甲斐のない奴だ。
「さて、俺はそろそろ部活行くわ」
「ん? そうか」
真壁の気のない返事を背後に俺が教室を出ようとすると、思い出したように声がかけられた。
「そうだ、簗木」
「あん?」
「大会近いんだろ? 頑張れよ」
「……ああ、まあな」
コイツ、性格は悪いくせに、こういう時は外さないんだよな……。
悪友のタチの悪さを再確認しながら、俺は今度こそ教室を後にした。
――両腕を引きながら、全身を捻るように後ろを向く。
一度落とした腰を持ち上げると、そこに自分以外の体重が乗ってきたので、前傾姿勢で腰を跳ね上げた。
すると、のしかかっていた重みが自分の上から消えてなくなり、代わりに足元で大きな音が立った。
いわゆる背負い投げというヤツだ。
「ふうっ……!」
乱取りの相手を投げ飛ばした俺は、大きく息を吐いた。
上手く勢いを利用しているとはいえ、自分と同じくらいの体格の相手を投げるのは、決して楽な事ではない。
見ての通り、俺は柔道部に所属している。
いや、正確には昔からプロレスが好きで、高校生になったらレスリング部に入ろうと心に決めていたんだが、迂闊な事にうちの高校にレスリング部がないという事実に、実際に入学するまで気付いていなかったのだ。
真壁と親しくなってその事を話した時は、「脳筋ゴリラ」と散々笑われたものだ。
ゴリラ呼ばわりはさておき、あの時の真壁の笑い顔は、今思い出しても腹が立つ。
……そのうち一発くらいぶん殴っても、許されるんじゃないか?
まあ、そんなわけでレスリング部のない高校に入った事に気付いた俺は、悩んだ末に柔道部に道場破りを仕掛けた。
まさかレスリング部がないなんて理由で――しかも調べれば事前に分かったはずなのに、入学早々に転校するわけにもいかなかったし、そうなると本格的にレスリングが出来るのは大学に行ってからになる。
どこかのクラブを探すという手もあったが、金もかかるし色々と難しかった。
だから畳のある柔道場なら、上手いことレスリングの練習に使えるのではないかと思ったのだ。かなり無理があるのは、自分でも分かってはいたが。
結局、当時の柔道部員を全員、ちゃんと柔道の試合で倒した俺は、その時に倒した当時の部長から懇願されて、柔道部に入部する事になった。
レスリングの練習にも、無理がない範囲で付き合ってくれるという話だったし、俺も柔道場を独占したかったわけではないので、結果オーライというヤツだろう。
いずれ大学で本格的にレスリングを始めるのに備えて、他の競技を嗜んでおくのも悪くない。
そんな思いで、俺はこうして柔道に勤しんでいるのだ。
「あー、クソっ……! いってえ……」
俺が過去を懐かしんでいると、さっき投げ飛ばした相手が仰向けに倒れたまま、呻き声を上げていた。
他の部員の邪魔になるから、さっさと立ち上げれと何度も言っているんだが……。
相変わらず態度は不真面目だが、最初に比べれば動きは確実に良くなってきているから、その辺は評価しておいた方がやる気に繋がるだろう。
「いつまでも寝てると危ねえぞ。それにしても最初の頃より、ずいぶん受け身が上手くなったじゃねえか――鳶田」
言いながら俺は、倒れたままの鳶田に腕を差し出す。
この鳶田という男子生徒は、俺と同じ二年生だ。
元はといえば真壁のところ――恋愛相談部の厄介になっていたヤツで、女子二人を二股かけた上に小手毬まで口説き、最終的には知麻まで口説いたクソ野郎だ。
あまりのどうしようもなさに腹が立ったので、強制的に柔道部に入部させて、根性を叩き直している最中だった。
「受け身なんて褒められても、嬉しくないっつーの。このクソゴリラ」
「ああ?」
憎まれ口を叩きながら、鳶田は俺の腕を掴んでヨロヨロと立ち上がった。
見た目ほど痛みは感じていないようだし、やはり練習の成果が出ているんだろう。
しかし、こう反抗的な態度なのは、少し面倒だな。ゴリラ呼ばわりは構わないが。
ここは一つ、いつもの脅し文句と行くか。
「あんま生意気言ってるようなら、また真壁に気合入れてもらうか?」
「ま、真壁……?」
俺がその名前を口にした瞬間、鳶田はビクリと肩を跳ね上げた。
そして顔を青褪めさせて、怯えたような表情で悲鳴を上げる。
「ひぃっ!? ね、寝取られる……!?」
「いや、誰をだよ……」
予想通りの反応だったのに、何度聞いても意味不明なので、ついツッコミを入れてしまった。
どうもコイツは、以前に恋愛相談部の部室で真壁にされた事が、相当なトラウマになっているらしい。
いまだに真壁の名前を出すと、こうして怯えた反応を見せる。
確かにあの時の小手毬のセリフは、どう聞いても寝取られた元カノのようだったが、そもそも鳶田と小手毬は付き合ってはいなかったはずだ。
あくまで一度いい感じになっただけの相手なのに、寝取られ気分を味わわされたからといって、これだけ怯えるのもどうかと思う。
「ま、真壁は……寝取られは勘弁してくれ……真面目にやるから……」
「お、おう……まあ、ちゃんとやるって言うなら、別にいいけどよ」
真壁の名前を出すと、簡単に言うことを聞くから便利なんだが、こう過激な反応をされると逆に心配になってくるな……。
正直、言うだけあって鳶田の身体能力は結構なものだから、鍛え上げれば来年はレギュラーの一角になれるんじゃないかと、密かに期待しているんだが。
あまりプレッシャーばかりかけると、変に潰れそうで怖いな。
「とりあえず、ちょっと休憩してこいよ。ほれ、顔洗ってこいって」
「あ、ああ……行ってくる」
ひとまず休憩させようと促すと、鳶田は素直に頷いて道場を出て行った。
腕っぷしは間違いなく鳶田の方が強いのに、あれだけ真壁に怯えているというのも、考えてみると凄い話だ。
凄いというか真壁の鬼畜ぶりが、とんでもないって事なんだが……。
「篤先輩、お疲れ様です!」
「……おう」
俺の練習相手だった鳶田が休憩に入ったのを見て、道場の隅から知麻が近付いてきた。
その手に持っていたドリンクを受け取り、さっと喉を潤す。
知麻は柔道部に所属しているわけではないんだが、俺の専属マネージャー兼トレーナーという名目で、こうして練習に顔を出している。
あくまで学校には認められていないものの、俺個人でやっているレスリング部のマネージャーとでも呼ぶのが正しいだろうか。
「見事な一本でした! いつもよりキレが良かった気がしますね……トレーニングの成果でしょうか?」
「ああ、そうかもな。知麻がいつも見てくれてるお陰だな」
「そ、そんな、私なんて大した事は……!」
俺の言葉を聞いて、知麻が照れた顔をする。
普段の知麻は無口ではないものの静かな方だが、俺の練習を見ている時はしっかり声を出してくれるし、さっきみたいな乱取りの最中も大きな声援を飛ばしてくれる。
知麻がこういう反応を見せてくれるのは、少なくとも学校では俺だけだろうから、我ながら女々しいとは思うが優越感を覚えずにはいられない。
とはいえ、真壁に対して生意気な事を言っている知麻を見ると、多少なりと嫉妬心が湧いているのもまた事実だ。
知麻は基本的に歯に衣着せぬ物言いで、俺に対して素直に甘えてくれるのが特別扱いだと分かってはいるんだが、真壁に対してもある意味では甘えているようなものだというのも、これでも彼氏なので見ていればすぐにわかる。
一度くらい俺のこともディスって欲しい――なんて言ったら、流石に引かれそうだな。そもそも俺に見せない甘え方が羨ましいだけで、別にディスられたいわけじゃないんだが。
「篤先輩? もしかして、お疲れですか?」
「ん? ああ、いや……大丈夫だ」
少し物思いに耽っていたのを、疲れてぼーっとしていると勘違いされたようだ。
心配そうに顔を覗き込んできた知麻に、問題ないことを伝える。
俺の顔色が特に悪くないと見て取った知麻は、「そうですか」と安心した顔で頷いた。
いかんな……こうやって妙なことを考えているようでは、真壁を悪く言えない。
彼女の言動で心を乱すあたり、俺もやはり健全な男子高校生であるということだな。
いや、だとしても俺は、真壁ほど酷くはないと思うが。
「大会も近いですから、無理だけはしないで下さいね? 篤先輩」
「ああ、分かってるよ」
「では、私はあっちの方を見てきますね」
そう言うと知麻は、道場の隅に戻って行った。
その先には、柔道部のマネージャーに混ざって、見慣れない女子生徒がいる。
一本にまとめた黒髪を背中に垂らした、黒縁眼鏡の地味な風貌の女子だ。
知麻が「見てくる」と言ったのは、あの女子のことだろう。
マネージャーに興味があるとか言って、知麻が見学に連れて来たんだったな。
名前は……たしか飛田とか言ったか。
そんな事を考えていると、道場の外まで顔を洗いに出ていた鳶田が戻ってきた。
……戻ってきたのはいいんだが、妙にテンションが高い。どうしたんだ一体?
「よっしゃ、俺はやるぜ! 今度こそぶん投げてやるからな、クソゴリラ!」
「ああ? なんだ、急にやる気になったんだな?」
「いいから、さっさと始めるぞ! ほれほれ!」
う、うぜえ……。やる気があるのは助かるが、かなりうざいな、これ。
よく分からないが、ご希望なら真面目に相手してやるか。
こうして、やたらと気合の入った鳶田と、部活時間が終わるまで練習を続けた。
威勢だけで埋まるような実力差ではないから、結局は俺がぶん投げまくる事になったんだが、鳶田はめげることなく何度も向かってきた。
コイツ、なんで急にやる気になったんだ? わけが分からん。
複数の視点で描く今回のエピソード。
最初は筋肉ゴリラこと簗木くんの視点でした。
70話目にして、ついに描かれることになった簗木くんの内面です。
真壁くんを友達だと思いつつ、意外とヤキモチを焼いていたりします。
次回は影戌ちゃんの視点になる予定です。