68.真壁くんと小手毬ちゃんの、秘密のお昼休み
週末は男三人で買い物道中……のはずだったんだけど、気が付けば男は僕一人になっていて、何故か二ノ宮さんと内倉さんの二人と一緒に、ランチを楽しむという展開になっていた。
何故か……なんてカマトトぶった言い方をしてしまったけど、僕も健全な男子高校生なので男だけのランチよりも、可愛い女子と一緒のランチの方がよほどいい。
久々に顔を合わせた二ノ宮さんたちと、近況報告なんかをしながらの優雅なランチタイムは、なかなか有意義なものだったと思う。
教えてもらったイタリアンの店も良かったし、小手毬さんとも行きたいものだ。
そんな割と気分のいい週末を終え、月曜になったので当然のように登校する。
月曜と言えば憂鬱な一週間の始まりと評する人も多いだろうけど、僕としては週末に小手毬さんと会えなかった分、むしろ月曜の朝が待ち遠しくて仕方がなかったくらいだ。
土日にわたって小手毬さんの淹れてくれたコーヒーが飲めなかったという事は、つまり精神的に今の僕は半死半生と言っても過言ではないのである。
そんなわけで教室に行って早々、先に来ていた小手毬さんに話しかけたんだけど……。
「おはよう、小手毬さん。週末は会えなくて、凄く寂しかったよ」
「おはよう……でも真壁くん。土曜は二ノ宮さんと内倉さんと、楽しくランチしたんでしょ?」
「え……?」
僕の可愛い小手毬さんが、めちゃくちゃ拗ねていた。
「どうしよう簗木……小手毬さんが反抗期だ」
「いや、意味分かんねえんだけど……小手毬と喧嘩でもしたのか?」
一時限目が終わってすぐに、僕は簗木に相談を持ちかけた。
朝の時間は小手毬さんを宥めるのに費やしたんだけど、彼女の機嫌は直ることなく時間切れになってしまった。
謝っても「ふーん」と言ってそっぽを向く小手毬さんは、まあ正直言って可愛さが溢れ出ているとしか思えなかった。僕の小手毬さんは、怒っていても可愛い。
しかし、いくら可愛くても怒っている顔ばかりでは、僕の心は癒されない。嘘です、可愛いので少しくらいは癒されます。
何にせよ、このままの状態にしておくのは、どう考えても良くないだろう。
あと小手毬さんが僕に対して不機嫌だと、信楽さんがちょくちょくドヤ顔を向けてくるので、地味にイラっと来る。
「喧嘩っていうか、ちょっと怒らせちゃって」
「小手毬がお前に怒るとか、相当じゃねえか。何やったんだよ? ついに小手毬にも鬼畜な真似しちまったか?」
「そんな真似するわけないでしょうが。ただ週末に男だけで出かけたはずが、色々あって僕と女子二人でランチする事になっただけだ」
「してんじゃねえか、この鬼畜眼鏡が」
いきなり鬼畜眼鏡と言われて腹を立てそうになったが、ふと思いついた。
確かに「男だけで出かける」と言ったのに、蓋を開けてみれば彼氏が女子二人とランチを楽しんできたというのは、酷い裏切り行為に当たるのではないだろうか?
例えば小手毬さんが「女子会をする」と言って遊びに行ったのに、実際は簗木あたりと会っていたとしたら……。
「くっ……! 友達を手にかけるのは心苦しいけど、許してくれ簗木……!」
「……お前に初めて面と向かって『友達』って言われるのが、こんな場面だとは思ってなかったわ」
結局、簗木はまともに相談に乗ってくれず、小手毬さんと仲直りする名案が浮かばないまま、昼休みを迎える事になってしまった。
何故か簗木が嬉しいようなショックなような――いや、それどんな複雑な感情だよ、と言いたくなるような表情を浮かべていたけど、何だったんだろうか。
それはともかく、名案が浮かばないからといって、このまま放課後まで小手毬さんを放置するのは得策ではないだろう。
放課後になれば自然と部室に来てくれる……来てくれるよね? そうじゃないと、今日が僕の命日になる可能性があるんだけど。
……まあ、おそらく来てくれるだろうけど、そこでなし崩し的に仲直りというのは、恋愛相談部の部長としてあまりに情けない。
ここは奇をてらわず、正攻法で行くべきだろう。
「小手毬さん。もし良かったら、今日は僕と一緒にお昼食べない?」
つまり、小手毬さんをランチに誘うわけだ。
母親手製の弁当を片手に、僕は小手毬さんの席に近付いて彼女に声をかけた。
「……二ノ宮さんたちと一緒じゃなくていいの? 真壁くん」
……あっぶな! 一瞬、間違いなく心が折れかけた。
小手毬さんも、そんな寂しそうなジト目を向けてくるのは止めてほしい。
それは確実に僕を殺す力を秘めた、極めて危険な兵器だ。
「に、二ノ宮さんたちとは、今朝も言ったけど偶然会っただけだよ。最初は建山たちも一緒に行く予定だったんだけど、小野寺さんと楠さんに連れてかれちゃったからさ。だからって急に『やっぱ一緒にお昼行くの止めよう』って言うのも、ちょっとアレでしょ?」
今朝も一応は説明した内容を、再び繰り返した。
小野寺さんと楠さんが尾行をしていた事については、本題には関係ないので「偶然二人で出かけていた」という体で、小手毬さんには話している。
ちなみに僕と小手毬さんは、基本的に昼は別々に過ごしている。
元々クラスメイトだったけど教室では絡みがなくて、お互いに友人と昼食をとる習慣が身に付いているから、付き合ってからも特にそこは変えなかったのだ。
どちらにしろ放課後は一緒に過ごせるから、というのもある。
しかし今回は、昼食の件で小手毬さんを怒らせてしまったわけだし、まずは同じく昼食を取っ掛かりにして宥めるべきだろう。
「ただ、やっぱり僕と女子だけでランチに行っちゃったのは、今思えば軽率だったよ。その代わりってわけじゃないんだけど、小手毬さんが嫌じゃなければ部室で……二人きりなんて、どうかな?」
「二人きり……真壁くんと?」
「そうそう。二人きりで恋人ランチしてみない?」
まだ表面上の態度は素っ気ないけど、どことなく興味津々というオーラが小手毬さんから漏れ出ているように感じる。
これはもう一押しで行けそうな気がする。
「週末会えなかった分の時間を、二人だけで過ごしたいんだ……ダメかな?」
「ちょっと真壁くん、いつまで小手毬ちゃんにちょっかい出してるのよ? 小手毬ちゃんも、そろそろお昼にしましょう?」
僕が最後の一押しを小手毬さんに決めると同時に、信楽さんが声をかけてきた。
その表情は呆れた様子……というより「ムダな足搔きはさっさと止めなさい」とでも言いたげだ。やはり少しイラっとした。
普段、小手毬さんは信楽さんを含む友人と昼休みを過ごしているので、そういう意味ではイレギュラーな行動を取っているのは僕の方なんだけど。
しかし今日ばかりは、信楽さんの思うようにはならなかった。
「……ごめんね、里利ちゃん。私、今日は真壁くんと食べるから」
「え? ちょっと小手毬ちゃん……?」
「みんなにも言っておいて!」
そう言って小手毬さんは、机の上に出していた弁当箱の入った包みを手に取った。
そして席を立つと、僕の手を掴んで一目散に走りだす。
「こ、小手毬ちゃん!?」
我ながら性格が悪いと思うけど、背後から聞こえる信楽さんの慌てた声が、少しだけ心地よかった。
小手毬さんと一緒に走って教室を飛び出した後、僕らは部室に辿り着いた。
気恥ずかしさからか最初は走っていた小手毬さんだけど、イメージ通り体力に自信のある方ではないので、割とすぐに徒歩に切り替えて僕が前を歩いた。
部室に行くまで小手毬さんはずっと無言で、僕はただ後ろを付いてくる聞き慣れた足音や息遣いを感じていただけだ。
部室の扉を開けて中に入ると、一旦立ち止まる。
後ろで小手毬さんが、扉を閉めた音が聞こえた。
さて、ここからが本番だ。
小手毬さんの方から僕を連れ出したとはいえ、まだ完全に彼女の機嫌が直ったわけではないだろう。
このまま状況に任せて二人で弁当を食べ始めるというのは、あまりにスマートさに欠けている。
もう一度、僕の誠意を小手毬さんに伝えて――。
「……っ!」
トン、という感じの音と衝撃が、僕の背中に与えられた。
そしてすぐに柔らかな感触と、ほのかな温かさが背中に広がってくる。
「え……こ、小手毬さん?」
背後を確認しなくても、何が起こっているのかはすぐに分かった。
この感触と温度は、何度も感じた事がある。
小手毬さんが僕の背に、縋り付いているのだ。
小手毬さんは僕の背にくっついたまま、何も言わない。
そこまで不安にさせて――悲しませてしまったのだろうか。
そう思った僕は、改めてもう一度謝罪をしようと口を開く。
「小手毬さん、本当にごめん――」
「真壁くん……」
だけど僕の言葉は、小手毬さんの腕が前に回された事で中断させられてしまった。
そのまま黙ってしまった僕の背中に、何かを擦り付けるような感触が走る。
これも覚えがある感触だ。後ろから僕に抱き付いた小手毬さんが、僕の背に頬ずりをしている感触。
「真壁くん、真壁くん……」
「こ、小手毬さん? 怒ってたんじゃないの?」
「んー? えへへ……」
僕が戸惑った声を上げると、背後から甘く蕩けるような声が返ってきた。
後ろだから僕には当然見えないけど、小手毬さんがほにゃっとした笑顔を浮かべているであろう事が、声だけでも手に取るように分かった。
小手毬さんは頬ずりを続けたまま、僕の質問に答える。
「真世ちゃんから土曜のこと聞いて、怒ってなかったって言ったら嘘になるよ? でも本当は真壁くんが浮気するなんて、絶対にないって分かってたもん。きっと真壁くんが言った通り、色々あって結果的にそうなっちゃっただけなんだよね?」
「え、じゃあ何であんなに怒ってる感じだったの?」
朝一はともかく、昼までずっと不機嫌さを引きずっていた雰囲気でもない。
それならどうして小手毬さんは、さっきまであんなに素っ気なかったんだろうか?
あと小手毬さんにどこから情報が漏れたのか不思議だったんだけど、どうやら小野寺さんが発信源だったらしい。くそう、あの腐女子め……。
「んー、それはねえ? えへへ……」
言いながら小手毬さんは、僕を抱き締める力を強める。
その可愛さもさることながら、背中に押し付けられた感触や体温のせいで、僕は冷静さを失いそうになってしまう。
え、小手毬さんだけずるくない? 僕も抱き締めたいんだけど?
もしや、これが小手毬さんを怒らせてしまった罰なのか……と思ったけど、すぐにそんなアホな罰があるわけないと思い至った。
案の定、小手毬さんに他意はないようで、僕の背にすりついたまま、上機嫌な声で話を続けてきた。
「寂しくて真壁くんに甘えたかったけど、教室でこんなことしてたら恥ずかしいでしょ? だから意地悪な態度で、真壁くんのこと避けてたの……ごめんね?」
「……っ! 小手毬さん……!」
「え?……きゃう!?」
そんな可愛いことを言われてしまって、耐えられる僕ではなかった。
僕の体の前に回されていた小手毬さんの手の片方を掴むと、その手を引くようにしながら体を反転させて、小手毬さんと正面から向き合う体勢に代わった。
「ま、真壁く――んん!?」
そのまま呆けた彼女に顔を寄せて、唇を奪う。
あんないじらしい事を言われたら、唇の一つや二つ、奪いたくなっても仕方ないだろう。恨むなら、迂闊に愛らしさを見せてしまった自分を恨んでほしい。
単なるキスだけでは高まりが収まらない僕は、深めのキスに移行する。
小手毬さんも最初は戸惑っていたものの、結局は僕の背中に腕を回し直して、全てを受け入れてくれた。
そうしてゼロ距離のまま、数分が経過して――。
「ぷはっ……! ま、真壁くん……今日のキスは、ちょっと激しかったね……」
流石に息苦しくて唇を離した後、呼吸を荒げた小手毬さんがそう言った。
だけど僕はそれに取り合わず、もう一度彼女の後頭部に手を回す。
「『今日の』っていうか、『今のキス』かな」
「え? ま、真壁くん……?」
立ったままだと疲れるだろうから、小手毬さんをそっとソファーへと移動させる。
頬を紅潮させながら不安げに僕を見上げる小手毬さんの姿に、やはり冷静さなど保っていられない。
「まだ『今日のキス』は、全部終わってないから」
「で、でもお弁当も食べないと、時間が……」
「大丈夫。その分の時間くらいは計算するから。だから、その前にまずは小手毬さんをいただこうかな」
「わ、私、真壁くんのお弁当じゃ……ひゃあっ!?」
そんな感じで楽しい恋人ランチの時間を過ごし、僕と小手毬さんは仲直りしたのだった。
ちなみに今回の件により、週に何度か二人で昼を過ごすという話になった。
その話を伝えた時の信楽さんのぐぬぬ顔は、やはり少しだけ心地よかった。
小手毬さん成分を一気に補充する回。