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61.茅ヶ原 有瀬は卵が割れない⑦

 うちの部室にある部長用の席は、校長室なんかにあるエグゼクティブデスクだ。

 なんでも杉崎先輩が部を発足させる際、ちょうど校長室の机を交換するタイミングだったとかで、どうにかしてそれを譲ってもらったらしい。

 どう見ても高価なものだし、一体どんな交渉をすればこんなものを譲ってもらえるのか不思議て仕方ないけど、まあ先輩ならこの程度はやりそうな気もする。


 入手の経緯はともかくとして重要なのは、この机は正面から足下が見えないという点である。奥行きもあるので、その気になれば横からも全く分からない。

 なので、今しがた机の下から出てきた茅ヶ原先生のように、机の下に人が隠れていても気付けるはずがないのだ。


「まったく、純粋な後輩を騙して、あんなのを私に聞かせるなんて……。真壁くん、あなた本当にいい性格してるわね?」


 茅ヶ原先生は不機嫌そうな顔で僕を睨みつけてくるけど、門脇との話で最後に出てきた「想像を絶する不器用さ」という内容のせいで、あまり怖さは感じない。

 小手毬さんと影戌後輩も同様らしく、剣呑な先生の様子とは裏腹に、部室内にはどこか弛緩した雰囲気が漂っていた。


「でも、ああやって本人の言葉を聞かなければ、先生はいつまでも門脇のことを弟分としか見れなかったでしょう?」

「……まあ、そうだけど。急にあんなこと言われると、ちょっと困るわね」


 言葉の通り、困ったような顔をする先生。

 気持ちは分からないでもないけど、どちらにしろあのまま門脇が先生の世話を焼く状況を、ずっと続けるわけにもいかなかった。


 そう思っていると、影戌後輩が口を開いた。


「というか今になってみると、先生って自分に好意を寄せている男子に家事をさせながら、別の相手を探そうとしていたことになるんですね」

「ちょ、知麻ちゃん、それは……」

「うう……」


 僕が敢えて口に出さなかった酷い事実を、影戌後輩は遠慮なく明言してしまった。……彼女の嫌みは親愛の表現だと思っていたけど、もしかしたら僕も今まで普通にディスられていたのだろうか? 違うと思いたいなあ。

 痛いところを的確に突かれてしまった先生は、さっきまでの困り顔から一転して落ち込んだ顔になり、シュンと項垂れてしまった。


「ご、ごめんなさい……。冷静に考えると、酷すぎるわよね、私」

「いや、僕らに言われても困るんですが……」


 一応、先生には悪気はなかったわけだしな。

 あくまで門脇のことは弟分としか見ていなくて、どちらかというと門脇の方が自主的に世話を焼いていたわけだし。まあ、結局それに甘えていた先生にも、非はあるんだけど。


 落ち込む先生に向けて、小手毬さんがエールを送るように声をかけた。


「だ、大丈夫ですよ、先生! これからしっかりすれはいいんですから。きっと帰ったら門脇くんが告白してくれますから、ちゃんと答えてあげて下さい!」

「……え? あ、ああ、そうね。告白……されるのよね、私」


 先生は一瞬だけ驚いた後、狼狽えるように落ち着かない様子を見せる。

 あれ、なんか思っていた反応と少し違うな。僕が首を傾げていると、先生は縋るような目で僕らを見てきた。


「ど、どうしたらいいのかしら? 何て答えれば……」

「何と言われましても……好きなら受け入れて、そうでないなら断ればいいのでは?」

「そ、そんな簡単に言わないで……!」


 影戌後輩の至極当然な言葉に、先生は必死の叫びで反論した。

 何事かと目を丸くする僕らの前で、しどろもどろになりながら話し続ける。


「ヒ、ヒロくんは私にとって、ずっと弟みたいなものだったのよ。急に女として見てるなんて言われても、どう答えたらいいのか分からないわ……!」


 へー、先生って門脇のこと「ヒロくん」って呼んでるんだ。なんて関係のないことが、妙に気になってしまった。

 僕の横で不思議そうな顔をしている小手毬さんが、先生に問いかける。


「先生って、男の子から告白された経験ないんですか? 美人だし慣れてるかと思ったんですけど」

「慣れてはいないけど、一応あるわよ。で、でもヒロくんから告白されるのは、これが初めてだもの。今までとは全然違うわよ」


 先生はそう言いながら、不安な顔で頭を振る。

 うーん、これってもしかして脈ありなのか?

 僕としては、先生が門脇を振ってケジメをつけるという流れも想定していたんだけど、少なくとも先生にとって門脇が特別な相手だというのは、間違いないらしい。


「まあ、事前に知れて良かったじゃないですか。その様子だと、いきなり告白されてたらテンパって答えられなかったんじゃないですか?」

「良くないわよ! もう、どうしたらいいの?」


 僕が門脇との会話を先生に聞かせたのは、まさにそのためだった。

 昨日の時点では、先生は一貫して「あの子はそういうのじゃない」としか言わなかったし、どうにも門脇を異性として意識したこと自体がないようだった。

 だけど僕の予想では門脇の方は先生に恋愛感情を持っているので、そのあたりの認識を先生に改めてもらおうと思ったのだ。

 門脇だけを焚き付けて告白させても、「そんなの考えたこともない」で済まされたら気の毒だったからな。

 実行する前は考えすぎかもと思っていたけど、今の先生の様子を見る限りでは、あながち間違いではなかったような気もする。


 結局のところ、先生は昔からの付き合いがあるせいで、門脇のことを異性とは別の枠に置いていたのだ。

 だけど仮に先生が門脇以外の相手を見つけたとして、その相手も門脇のことを単なる「弟分」として容認してくれるとは限らない。

 ここまで整理すると、楠さんと金名の件に少し状況が似ている気がするな。

 今回は教師と生徒という立場の違いがある分、より面倒になっているんだけど。


「先生、その気がないのなら、きっぱりと門脇さんの告白をお断りして諦めさせてあげるのも、大人の務めだと思いますが」

「な、ないなんて言ってないでしょ!? ただ、どうしたらいいか分からないだけで……」

「でも多分、門脇くんは今日にでも告白してきますよ? ちゃんと真剣に答えてあげないと、可哀想です」

「そ、それは分かってるけど……」


 ただ、今のところ教師と生徒という関係以前の問題なんだよな。

 さっきから小手毬さんと影戌後輩が色々と言い聞かせているけど、相変わらず先生は「どうしたらいいのか分からない」としか言わない。長年、弟分として接してきた門脇から告白されそうという事態を、受け止められずにいるのだ。


「私は教師で、それにヒロくんは弟みたいな子で……付き合うなんて……」

「では振りますか」

「そんなことして、ヒロくんが泣いちゃったら……」

「先生、それじゃ決まんないですよ……」


 せっかく先生が自分の考えを整理できる様、事前に門脇の気持ちを聞かせたというのに、このままでは何も変わらない。おそらく夜になって門脇から告白されたら、先生はテンパって「分からない」で済ませてしまうだろう。

 男が一世一代の告白をしようというのに、そんな返事はあんまりだ。

 ただでさえ付き合った先にも問題が控えているんだから、ハッキリ受け入れないと門脇の方が折れてしまう可能性だって十分に考えられるのだ。

 告白を受け入れるかどうかまで今ここで決めなくてもいいが、少なくとも落ち着いて告白を聞き入れられる状態になってくれないと、どうにもならない。


「先生」

「……真壁くん?」


 一向に女子二人の説得を受け入れない先生に、僕は短く声をかけた。

 声のトーンが少し真面目なものになっていると気付いたのか、先生は不思議そうな顔で僕を見返してくる。いつの間にか、その目は少し涙ぐんでいた。

 ……そんなに悩むってことは、それだけ特別な相手だって証拠だろうに。


 小手毬さんと影戌後輩に目配せをして、その場を引き継ぐことを伝える。

 二人が頷いたのを確認してから、僕は改めて口を開いた。


「まず教師と生徒っていう問題は横に置いて、考えてみて下さい。先生が門脇の告白を受け入れれば、今まで通りの生活が送れる……かもしれません」


 正確には諸問題で、生活が一変する可能性もあるけど。

 とりあえず、この場はそういう可能性は除外して考えてもらうべきだろう。


「でも先生が受け入れなければ、近いうちに門脇は先生から離れていきます」

「ヒロくんが、離れて……」

「そうじゃないと、先生の婚活の邪魔になりますからね」

「そんな、ヒロくんが邪魔なんて……!」

「先生がどう思おうと、結果的にはそうなるんですよ。それは分かるでしょう?」


 自分の言葉を遮られた先生は、下を向いて歯噛みする。

 僕の言葉が高い確率で現実になると、先生だって本当は分かっているはずだ。

 ただ事態の変化を受け入れられず、現実逃避しているだけ。逃げることを悪だとは言わないけど、この問題から逃げてしまったら、先生も門脇もきっと幸せにはなれないだろう。


「先生。今この場で告白にどう答えるのか、決める必要はありません。ただ、ちゃんと聞いてやってほしいんです。あなたの弟が、一生懸命に伝えてくる言葉を」

「ヒロくんが、一生懸命に……」

「ええ。そして先生も、本気で答えてやって下さい。それで門脇が泣くことになったとしても、きっと大丈夫です。アイツだって、男なんですから」


 なまじ幼稚園児の頃から見知っているせいで、先生にとって門脇はいつまでも子供のイメージなのだろう。

 だけどアイツも、もう高校生なのだ。完全な大人とは言い難いとはいえ、子供扱いのままでいられる年齢でもない。


「この先、何十年と隣に立つかもしれない相手にアイツを選びたいのなら、今日が最初で最後のチャンスかもしれないんです。それだけは忘れないで下さい」


 僕の言葉を聞いても、先生は俯いたままで顔を上げない。

 それでも、さっきまでのように困惑しているだけという雰囲気でもなかった。


 もうこれ以上、僕から伝えられることは何もない。

 後は先生が「ちゃんとした大人」であると信じるだけだ。


「私は……」


 何かを噛み締めるような呟きが、先生の口から小さく漏れた。

次回、先生視点で……と思いきや、意表を突いて門脇くん視点です。

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― 新着の感想 ―
[一言] これで先生は付き合うにしろ振るにしろ、覚悟を決めることが出来ましたね。 それにしても好意を寄せらる側のある種の甘えを(無自覚に?)叩き斬る影戌後輩は流石やでぇ……。 正論なだけに逃げ道がな…
[良い点] 真壁君が、鬼畜眼鏡ではないだと!
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