59.茅ヶ原 有瀬は卵が割れない⑤
茅ヶ原先生の弟分である門脇を教室から連れ出すことに成功した僕たちは、詳しい話を聞くために恋愛相談部の部室へと彼を招待した。
一年の教室では緊張を紛らわせようと女子二人に任せたけど、ここからは僕が中心になって話すので、門脇が座ったソファーの正面に僕が座っている。小手毬さんは僕の隣で秘書スタイル、影戌後輩は後ろに立って弟子スタイルだ。
前から思っていたけど、今の人数だと相談者がいる時に、座る場所に困るな。昔は僕と杉崎先輩だけだったから、この間取りでも問題なかったんだけど。
この件が終わったら、茅ヶ原先生に相談してみようかな。そのためにも無事に相談を終わらせて、先生には気持ちよく協力してもらおう。
「あの……先輩。こんなとこに連れ込んで脅されても、俺と茅ヶ原先生には何の関係もないっすよ。時間のムダっすから、さっさと帰らせて下さい」
僕の思考が新しい間取りに少し脱線していると、門脇が何故か敵愾心を剥き出しにしながら僕を睨み付けてきた。相変わらず、相談の度に睨まれている僕である。
「いやいや、ちゃんと二人の関係は知ってるんだよ。隠す必要なんてないから、正直に話してくれると助かるんだけど」
「だから、知らないって言ってるじゃないっすか。しつこいっすよ、先輩」
僕は優しく語りかけたつもりなのに、門脇の語気は増すばかりだった。
おかしいな。さっきの教室では、割と緊張が解れていた気がするんだけど。
そんな風に内心で首を傾げていると、僕の背後に控えていた影戌後輩が耳元に口を寄せて、囁きかけてきた。
「あの、真壁先輩。おそらくですけど、門脇さんは茅ヶ原先輩との関係について、先輩から脅迫されると勘違いしているのではないかと……」
「は? 脅迫? なんで僕がそんな事をするんだ?」
「なんでと言われましても……門脇さんがどう思っているのかなんて、私には分かりませんよ。動機はともかく、先輩がそういう事をやりそうだと誤解しているのではないかと思っただけです」
「僕、そういう事やりそうなの……?」
影戌後輩から言われた予想があまりに悲しくて、思わず隣に座っている小手毬さんの方を見てしまった。
今までも「鬼畜眼鏡」だのと散々言われてきたけど、流石に「脅迫しそう」という印象を持たれているというのは、あまりにつらい。
そんな悲しみが僕の表情に現れていたのか、小手毬さんは眉を八の字にして困ったように笑いながら、僕の頭を撫でてくれた。
「よしよし。真壁くんが優しいのは、私が一番よく知ってるからね。真壁くんはいつも色々考えてるから、誤解されちゃうだけだよ」
「うう……ありがとう、小手毬さん。愛してる」
「うん、私も大好きだからね。真壁くん」
ああ、やっぱり小手毬さんが最高の女性だった。
前から分かりきっていた事実ではあるけど、改めて認識してしまった。
彼女は可愛さだけではなく、大いなる母性も兼ね備えていたのだ――。
「あの、そういうのは、お二人だけの時にしてくれませんか?」
「なあ影戌。この人たちって、いつもこんな感じなのか……?」
「……大体は」
ふと気付けば、影戌後輩と門脇が呆れた顔で、僕と小手毬さんを見ていた。
おっと、どうやら悲しみのあまり、周りの状況が見えていなかったようだ。
まあ、門脇も毒気を抜かれたような顔をしているし、結果オーライだろう。
僕はいつの間にか、小手毬さんの胸に埋めていた顔を上げて――。
「あっ……もういいの? 真壁くん」
――やっぱり、もう少しだけ埋めたままでもいいかな。
「真壁先輩」
そんな僕の気の迷いを、しっかり者の後輩は許してくれなかった。
決して荒げてはいないけど、よく通る声で僕の名を叱るように呼んでくる。
この声で呼ばれると一瞬動きが止まってしまうあたり、どうも僕は影戌後輩に飼い慣らされているような気がしてならない。
後輩の中での僕の立場は気になるところだけど、このままだと話が進まないのは分かっているので、渋々ながら小手毬さんの胸から顔を上げた。
仕方ない。後で二人きりになったら、めちゃくちゃ甘えよう。
影戌後輩は僕らのそんな姿に慣れているようだけど、一方で門脇の方は呆れた顔の中にどこか照れているような色が見えた。
「あの……先輩たちって、そういう関係なんすか?」
「そういう関係?」
門脇からの抽象的な質問に、僕と小手毬さんは思わず顔を見合わせる。
おそらく「恋人関係」という意味だろうか?
小手毬さんの方も僕と同じ解釈をしたらしく、二人同時に頷いた。
「まあな。多分、想像してる通りの関係だ」
「私と真壁くんは、とっても仲良しなんだよ♪」
「そ、そうなんすね……」
門脇は照れた顔で目を逸らしつつ、僕らの言葉に頷き返した。
どうやら意外とウブなタイプらしい。
後ろから影戌後輩の「まあ嘘は吐いていませんし……」というセリフが聞こえてきたけど、どういう意味なんだろうか?
まあ、とりあえず気を取り直して、門脇と茅ヶ原先生の話に戻るか。
「それで門脇。茅ヶ原先生との関係についてなんだけど……」
僕が話題を変えると、門脇は途端に表情を引き締めた。
「む……だから、俺と先生には何の関係も――」
「一応言っておくけど、お前と先生のことを脅そうとか、そういう意図はないからな」
「へ? そうなんすか?」
僕の言葉に、門脇は呆気にとられたような顔になる。
この反応からして、本当に僕がそういうことをすると思ってたんだな……。
後で小手毬さんに物凄く甘えよう。
「まず始めに、ここが何の部屋なのか知ってるか?」
「ここっすか? いや、なんか焦ってて、よく見てなかったっす」
まあ、そうだろうな。脅迫犯の本拠地だと思ってたみたいだし。
「ここは恋愛相談部で、僕たちはその部員だ……ってのは、最初に言ったか」
「あー、なんか言ってましたね。冗談みたいな名前だったから、てっきり適当なこと言ってるのかと……って、す、すいません!」
「いや、いいよ……」
やっぱり「恋愛相談部」って、ふざけてると思われても仕方ないよな……。
僕もいまだに「恋愛相談部の部長」っていう肩書だけは、あまり大っぴらに名乗りたくないし。
僕が密かに落ち込んでいると、小手毬さんと影戌後輩が部の説明を引き継いでくれた。
「私たちはその名の通り、恋愛について悩んでいる人の相談を聞く部活です」
「あんまり知られてないと思うけど、いろんな人の悩みを解決してるんだよ。……まあ、私はお手伝いしてるだけで、大体は真壁くんか知麻ちゃんがやってくれてるんだけどね」
「いやいや。小手毬さんにも、いつも助けられてるよ」
「そう? ありがとう、真壁くん」
いや、本当に。恋愛相談で疲れた僕を癒してくれるという、ある意味では非常に重要な役割を背負っているのが、小手毬さんという天使なのだ。彼女がいなかったら、もう少し僕の心は荒んでいるに違いない。
「えー、それで茅ヶ原先生が、この度うちの部の顧問になることが決まったんですが、門脇さんは何か聞いていますか?」
「えっ、有瀬姉がここの顧問に?……ああ、そういえば何日か前に、『産休の先生の代わりに顧問をやらないといけなくなった』って荒れてたような……あっ!」
「やっぱり門脇くんは、茅ヶ原先生と仲良しなんだねえ」
黙っていないといけなかったはずの秘密をうっかり口にしてしまい、門脇は慌てたように声を上げた。訂正しようにも悪気ゼロの小手毬さんにより退路を塞がれてしまったので、観念したように頷く。
「な、仲良しって……先輩たちみたいな関係じゃないっすけど。まあ、有瀬姉と付き合いがあるのは事実っす」
何故か少しだけ赤らんだ顔でそう言う門脇。
まあ、先生と恋人関係じゃないのは聞いてるから、僕と小手毬さんとは違うと言われても、「確かにそうだろう」と納得するだけだ。
しかし、この反応を見る限りだと、門脇の方は脈ありっぽいな。
やはり男子高校生だし、無償で女性の世話を焼くのは逆に不健全という僕の予想は、間違っていなかったのかもしれない。
「で、その有瀬姉が、どうかしたんすか?」
「ああ、先生の婚活が上手く行ってないのは、門脇も知ってるだろ?」
「そうですね。飯の時なんかに、ちょいちょい愚痴ってきますし」
ちょいちょい愚痴ってるのか……茅ヶ原先生。
気を許してるのかもしれないけど、男子高校生に聞かせる話じゃないだろうに。
そこを今ツッコんでも仕方ないから、何も言わないでおくけど。
「先生が顧問になったついで……って言っちゃうとアレかな? とりあえず、そんな感じで私たちが先生の相談に乗ることになったの」
「えっ、先輩たちが……?」
「まだ、どうなるかは分かりませんが、これでもうちはいくつかのカップル成立に貢献した実績のある部ですから、もしかしたら上手く行くかもしれませんよ」
「え、そんな、いきなり言われても……」
女子二人の言葉に狼狽える門脇を見て、僕は確信を持った。
この後輩は、間違いなく茅ヶ原先生に好意を持っている。
それなら彼にも納得してもらうのが、恋愛相談部の正しい姿というものだ。
「門脇。お前の正直な言葉が聞きたい」
「俺の……?」
不安そうに揺れる門脇の目を真っ直ぐに見据えて、僕は言葉を続ける。
「未成年とはいえ、先生の周りに男がいるのは今後の婚活に不利だろう。それに上手く行ったとしても、結局はお前が今まで通り世話を焼くわけにはいかなくなる。――だから聞かせてくれ、門脇。お前はそうなってもいいのか?」
僕の言葉を聞いた門脇は、何かを言いたげにしながら視線を彷徨わせる。
まるで今すぐにでも叫びたいのに、それを理性でどうにか抑えているようだ。
だけど門脇。今この場では、理性なんて余計なものは捨ててしまえ。
「お、俺は……」
先生に対するその気持ちが本気なら、僕に全部ぶちまけてみろ。