05.小野寺 真世は高嶺の花①
「解せぬ……」
放課後の教室にて、僕はいつかのように呟いた。
僕としては独り言のつもりだったのだが、やはり聞いている奴はいるもので。
「何だよ。また部活に行きたくないってか?」
「別にそういうわけじゃない」
案の定、僕の呟きを耳聡く聞きつけたゴリラ――じゃなくて簗木に、僕は素っ気なく返した。こいつはゴリラ呼ばわりすると喜ぶ変態だから、気を付けないと。
「前にも言ったけど、うちの部に新入部員が入ったんだよ」
「ああ、小手毬な」
僕の言葉を受けて、簗木は同じ教室内にいる小手毬さんにチラリと目をやった。
簗木に倣って僕も視線を向けると、そこでは小手毬さんが友人と楽しそうに談笑を――いや、あれはこっちをチラチラ見てるな。あっ、こっちの視線に気付いて顔を逸らした。大方、今日は部室に行くのか僕に聞きたいけど、声がかけづらいのでああやって様子を窺っているんだろう。
どうやら今日の小手毬さんは、警戒心の強い小動物らしい。猫かな?
「あの小手毬が、お前のとこに入るなんてな。一体何やったら、そうなるんだ?」
「だから、それも前に言っただろ。小手毬さんが相談に来て、話を聞いて解決したんだよ。そうしたら何故か次の日に、入部届を持ってきた」
「うーん……分からん」
せっかく説明し直してやったのに、簗木はあっさりと考えることを放棄した。まあ当事者の僕が分かっていないことが、この筋肉ゴリラに分かるとは思っていなかったが。いや、ゴリラはあれでかなり賢いらしいけど。
「せっかくならうちに来てほしかったぜ。いつまでも柔道部の連中を付き合わせるのも悪いからな」
「お前、小手毬さんに何やらせる気だよ」
「レスリングだけど?」
普通に答えるんじゃないよ。小手毬さんがレスリングとか、ありえないだろ。レスラー姿の小手毬さんは、ちょっと見てみたいけど。
簗木は一人レスリング部という意味不明な活動をしていて、現在は柔道部の道場を練習場所として間借りしている。たまに柔道部員に練習相手として付き合ってもらう代わりに、向こうの練習にも参加しているらしい。多分、じわじわと柔道部に取り込もうとしてるんだと思う。
「マネージャーにしとけよ。いや、そっちには渡さないけど」
「はいはい。ま、事情は分かんねえけど仲良くやれよ」
そう言うと簗木は手をヒラヒラと振りながら、教室を出て行った。
道着を持っているから、今日は柔道部の練習に付き合うのだろう。もう諦めて柔道部で活躍した方がいいんじゃないか?
「あ、あのっ、真壁くん……」
僕が呆れた顔で簗木を見送っていると、いつの間にか小手毬さんがすぐ傍まで来ていた。一生懸命さが伝わってくる真っ赤な顔で、僕に声をかけてくる。
「今日、部室行くの?」
「あ、うん。行くよ」
僕が答えると、小手毬さんはホッとした表情になる。
「じゃあ、一緒に部室まで行こ?」
さっき簗木にも話したけど、小手毬さんの悩みを解決した翌日、何故か彼女は入部届を持参して再びうちの部室を訪れた。ちょうど相談を受けたその日に鳶田の処断が行われたので、何かしら思うところがあったのかと勘ぐった僕は、再訪の目的が恋愛相談部への入部だと聞いて非常に驚いた。
とはいえ、僕としても先輩の期待に応えるために、部を盛り上げるのは吝かではない。それに小手毬さんの人柄も気に入っているので、理由は分からないものの我が部への入部を拒んだりはしなかった。
まあ、そうは言っても理由が分からないというのは気になるわけで。
「真壁くん、こんな感じでどうかな?」
一緒に部室まで来た後、甲斐甲斐しくコーヒーを淹れてくれる小手毬さんの姿を眺めて、どうしてこうなったと首を捻っているわけである。
「美味しい? 真壁くん」
いや、首を捻ってるのは、小手毬さんも一緒だったわ。
自分の淹れたコーヒーが僕に受け入れられるか、気になっているのだろう。部長席に座る僕の横に立った小手毬さんは、お盆で口元を隠しながらチラチラとこちらの様子を窺ってくる。まるで新米の秘書でも雇ったような気分だ。可愛いけど。
「美味しいよ、小手毬さん。まだ少ししか練習してないのに、かなり上手くなったね。僕が追い越される日も、そう遠くはなさそうだ」
「そう?……嬉しい。おかわりも淹れるから、いつでも言ってね?」
新入部員となった小手毬さんは、自主的にお茶を淹れる練習を始めた。
恋愛相談で役に立てるか分からないから、何か自分でできる仕事がほしかったとのことだ。まあ恋愛相談なんてマニュアル通りにできるものじゃないし、小手毬さんの後は特に相談者も来ていないので、練習のしようもない。そうなると行き着く先がお茶を淹れることになるのも、それほど不思議ではないだろう。
「でも小手毬さん。新入社員じゃないんだから、お茶汲みなんて買って出なくてもいいんだよ」
一応、小手毬さんが気を張っている可能性も考慮して、軽く言っておく。まあ、僕も会社で働いたことはないから、今時の新入社員がお茶汲みなんてやってるかは知らないんだけど。
僕としては、あくまで念を押して言っただけなんだけど、小手毬さんはそれを聞いて気分を損ねてしまったらしい。いかにも怒ってます……というより「ぷんすか」という感じで、頬を膨らませた。やっぱりリスかな。
「もう、私がやりたいの。ふふー、毎日淹れてあげるからね?」
と思ったら、すぐに笑顔になる。なんとも表情の豊かな小動物だ。
それにしても……。
「毎日か……」
「え? あっ、その……へ、変な意味じゃないよ? 部室。部室でだからね!」
自分の発言が取り様によっては、かなり大胆に聞こえると理解したらしい。小手毬さんは顔を真っ赤にして、あわあわと否定し始めた。あ、またお盆で顔隠した。
そんな風に、小手毬さんと心温まる放課後を過ごしていると……。
「あのー、そろそろ入っても大丈夫ですかー?」
部室の外から、聞き慣れない声が問いかけてきた。ちなみに男子っぽい。
予期せぬ来訪者に、思わず黙り込んで顔を見合わせる、僕と小手毬さん。しかし小手毬さんの入部から、今日で三日目だ。普段の傾向なら、そろそろ新しい相談者が来てもおかしくはない。
そう考えた僕は、いつも通り客人を招き入れることにした。
「どうぞ」
「あ、はい。失礼しまーす」
僕が入室許可を出すと、部室の扉が開かれて一人の男子生徒が顔を出す。
「いやあ、何やら中でラブコメしてるようだったので、お邪魔かなーって」
そう言いながら、「へへへ」と笑う男子生徒。
その風貌は小太りで眼鏡の……いかにもオタクという感じだった。
「えーっと、ここで恋愛相談を聞いてくれるんですよね?」
なるほど、今回の相談者は彼か。……テンション上がらないなあ。