53.高嶺の花よりもなりたいもの
「えっと……寺野さん、だよね? 急に変なお願いしちゃって、ごめんね?」
「いえ……」
目の前に立った勝くんから言われた言葉に、私は短く返した。
そっけなく思われたかもしれないけど、別人のような声で長時間喋る技術なんて私にはないから、違和感を持たれないくらいに短く話すしかない。
正直、影戌さんから連絡が来た時は、本当に驚いた。
勝くんの件で真壁くんの部に相談した時、影戌さんとも連絡先を交換していたんだけど、まさか昨日の今日で連絡が来るとは思ってなかったし。ちなみに小手毬さんとは前から連絡先の交換はしていて、頻繁じゃないけどやり取りはしていた。
影戌さんからの連絡で驚いたのは、連絡が来たこと自体だけじゃない。その内容が「建山先輩が小野寺先輩に告白するための練習をしたいそうなので、練習相手になってくれませんか?」というものだったからだ。
どうして昨日相談したばかりなのに、いきなり勝くんが告白する気になっているのかと思ったけど、影戌さんから詳しい話を聞いたら、すぐに分かった。なんと勝くんは、そもそも真壁くんたちに相談して私と親しくなったと言うのだ。
つ、つまり勝くんは、最初から私のことが好きだったってこと……? う、嬉しい、私も……なんて思ったけど、それならどうして告白してこなかったのかしら?
『建山先輩は、自分と小野寺先輩が釣り合っているか、気になっているようです』
『釣り合って……そんなの、別に……』
影戌さんから説明を聞いた時、私は「そんなの別にどうだっていいのに」って思ったけど、私だって周囲からどう見られているのかを気にして自分の趣味をひた隠しにしてきたんだから、勝くんのことを「気にし過ぎ」なんて責める権利はない。
学校という小さな社会の中にカーストというものが存在するのは事実で、多くの生徒はそれを意識して生活しているのだ。
私個人が勝くんをどう思っているかは別として、周囲から私が、そして勝くんがどういう評価を受けているのか。その評価を外れた行動を取ることに対して、勝くんが恐れを抱いてしまう気持ちは、私にも痛いほどに分かる。
でも、それでも私は、勝くんに連れ出してほしいのだ――その場所から。
「事情は影戌さんから聞いてるかな?」
「……はい」
「あ、そうだよね、緊張してるよね。ごめんね、変なことに付き合わせちゃって……。僕、女子に告白なんて今までしたことないからさ。それに僕の好きな人って、凄く美人なんだ。だから練習でもしておかないと、本番で何も言えなくなりそうで……」
勝くんは目の前にいるのが、その好きな相手だとは全く気付いていないようで、恥ずかしそうにしながらも割とよく話している。
……っていうか、ちょっと待って。確かに私、影戌さんに言われて変装してるけど? 影戌さんがどこかからカツラと伊達眼鏡を持ってきた時も驚いたし、意外とメイクが上手くて更に驚いたけど?
いくら変装が巧妙だからって、自分の好きな女子が目の前にいるのに、全然気付いてないってどういうことなの!?
そこは愛の力で気付くところじゃないの!? 勝くんの推しのマイルズ王子だったら、絶対に気付いてるわよ! もっと王子を見習いなさいよ!
「えーっと、もしかして怒ってる?」
「いえ、別に……」
「そ、そっか……。変なお願いだから、気を悪くしたのかと……」
いえ、怒ってますけど?
大好きな私に気付いてくれない鈍感な勝くんに、ご立腹ですけど?
でも、そうよね。勝くんって、私が彼のこと好きだったのに自信がなくて告白してきてくれないくらい、鈍感なんだもんね。
ま、まあ、そういうところも? 少しは可愛いと思えなくはないけど?
ハァ……これも恋は盲目ってやつなのかしら。
「じゃあ、あんまり長々と付き合わせるのも申し訳ないから、始めちゃおうか。基本的には女の子相手に告白の言葉を言えるように練習したいだけだから、寺野さんは僕の前に立っててくれるだけでいいよ」
「はい……」
それ、わざわざ私――というか関係ない女の子を連れてきて、相手役にする意味なんてあるのかしら?
恋愛相談部には女子が二人もいるんだし、あの子たちに協力してもらえば……って思ったけど、そういえば二人とも彼氏持ちなんだっけ。
影戌さんは唐変木マッチョ――じゃなくて神の弟さんと付き合ってるみたいだし、小手毬さんに至っては真壁くんの彼女だものね。真壁くんだって、練習とはいえ目の前で彼女が口説かれたりしたら、いい顔しないわよね。
その真壁くんだけど、小手毬さんや影戌さんと一緒に部室の中央にあるソファーに腰かけて、隅の方で向かい合っている私たちを眺めているみたいだった。
あくまで練習は勝くん主体で、口を挟むつもりはないように見える。
いえ、あれはもしかして小手毬さんとイチャついてるだけなのでは? 小手毬さんが淹れたコーヒーを飲んでいるのはいいとして、隣に座った小手毬さんと「理想のシステムキッチン」について話し合っているのは、どういうことなのかしら。その話題、今する必要あるの?
ああ、ほら影戌さんも向かいの席で、遠い目をしながらお茶を啜ってるし。あんな感じで、よく部室に顔を出せるわね。彼女のお茶は真壁くんが淹れてるみたいだけど、確かにあれは美味しかったから、胃袋を掴まれちゃった感じかしら。
私が余計なことを考えていると、ようやく決心をしたらしい勝くんが、真剣な目で見つめてきた。やだ、真剣な勝くんって、ちょっと格好いいかも……。
「えっと……君が好きです! 付き合って下さい!」
「――っ!?」
勝くんがそのセリフを口にした瞬間、私の心臓が跳ね上がったかと思った。
あまりの嬉しさについ「はい!」なんて返事をしそうになってしまうけど、残念ながら今の告白はあくまで練習。勝くんは、小野寺 真世ではなく寺野さんに言っているつもりなのだ。
私が返事をするのは、ちゃんと私に向けて言ってくれた言葉じゃないとダメだ。
「建山先輩。小野寺先輩は告白なんて慣れていると思いますから、あまり芸のない内容では響かないかもしれませんよ」
「あ……そ、そっか。今のは、ちょっとあっさり過ぎだったよね……」
「あ、ちが……」
思わぬところで、影戌さんが口を出してきた。
確かに私は「高嶺の花」なんて言われてきたし、男子から告白されることは何度かあったけど、それでも勝くんの告白をありきたりなものだなんて思わない。
どんな言葉であれ、誰に言われるのかが大事なのであって、たとえ言葉そのものはシンプルでも勝くんが言ったというだけで、私にとっては万の価値がある。
だけど否定の言葉を、今この場で口にすることは出来ない。まともに喋ったら、きっと目の前にいるのが私であると勝くんにバレてしまうから。
「もうちょっと工夫を……愛して……いや、流石に恥ずかしいな」
「それよりも、どこが好きなのか言った方が、気持ちが伝わるのでは?」
「あ、そ、そうだね……どこが好きか、か……」
影戌さんのアドバイスを受けながら、勝くんは告白の言葉を選んでいる。
別に「愛してる」って言ってくれても、私は嬉しいんだけど……。まあ、いくらカップルっていっても、日常的にそんなこと言ったりはしないわよね、普通。
「美人で可愛くて、話してると楽しくて……」
「……」
自分の考えをまとめるためなのか、口に出して唱えるようにしている勝くんの姿を、私は黙ったまま眺めていた。
一応、人より容姿が整っている自覚はあったんだけど、勝くんも私のことを美人だとか可愛いだとか思っていてくれていたのは、凄く嬉しい。
それに「話していると楽しい」とも言ってくれた。私と勝くんが話すのは大抵BLゲーの話題だけど、勝くんと仲良くなるまでは、誰とも好きなものの話なんて出来なかった。自分の本当に好きなものをひた隠して、当たり障りのないものを「好き」と偽って話を合わせてきただけ。
本当の私を見付けて、受け入れてくれたのは、勝くんなのだ。勝くんが私と話していて「楽しい」と思えるのは、きっと私が勝くんと話して「楽しい」と思っていて、その気持ちが伝わっているからだ。
そう、きっと私がいるべき場所は、手の届かない高嶺なんかじゃなくて――。
「僕は君の、美人なところも好きだ。BLゲーが大好きで、楽しそうに話をしてくれるところも好きだ。僕なんかと一緒にいてくれて、笑ってくれるところも好きだ。……君は高嶺の花で、僕は釣り合わないかもしれないけど、それでも――」
「――わないで……」
「……え? て、寺野さん?」
ようやく考えがまとまって、勝くんは告白の言葉を口にし始めた。
だけど私は……他ならぬ私自身が、勝くんの言葉を遮ってしまった。
最初は嬉しかった。勝くんが私のことを好きだって、言葉にしてくれて。
だけど、すぐに悲しくなった。だって勝くんの言葉は――。
「そんなこと、言わないで……」
「え、あの……てら、真世さん、泣いてる?」
私は悲しくて悲しくて、涙が溢れてくるのを止められなかった。
勝くんが困っているのが分かるけど、それでも私の気持ちは止まらない。
「私じゃない子に、そんなこと言わないで……。自分は釣り合わないとか、そんな悲しいこと言わないで……。私を、『高嶺の花』なんて呼ばないで……!」
私は、好きで高嶺に咲いたわけじゃない。
ただ自分を偽って、誰からも嫌われたくなくて真面目にしていたら、いつの間にかそんなところに迷い込んでしまっただけだ。
それが勝くんと付き合う上で邪魔になるというのなら、私は「高嶺の花」なんかじゃなくていい。不特定多数の誰かよりも、私は勝くんに好かれていたい。
だから――。
「ちゃんと言ってよ……私のことが好きなら、ちゃんと好きって言って! 『高嶺の花』なんて、どうでもいいの! 私は、勝くんさえいてくれれば……!」
「真世さん……」
勝くんが私の名前を呼びながら、きつく抱き締めてくれた。
何かがおかしいという気も一瞬したけど、そんなのはすぐに忘れてしまった。
だって勝くんが、私のすぐ傍にいてくれるんだから。
他のことなんて、もうどうだっていい。
「真世さん、君が好きだ」
「私も……私も好き。勝くんが好き」
「僕が恋人でも、いいんだよね?」
「勝くんじゃないとイヤ。あなたのことを『釣り合わない』って言う人なんて、私は要らない」
ああ、ようやく言えた。
ただ「好き」って言うだけなのに、どうしてあんなに躊躇していたんだろう。
きっと私にも、下らないプライドが残っていたのかもしれない。
でも、そんなのはもう過去の話だ。
今の私は、もう「高嶺の花」なんかじゃない。
勝くんの隣に立つ、ただ一人の女の子だ。
私の全ては、ただそれだけでいい。
これにて小野寺さん編は終了……なんですが。
次回はエピローグ的な女子会をやる予定です。