50.小野寺 真世、再び②
「真壁、知麻は今日もそっちに行くんだよな?」
小野寺さんから恋愛相談を受けた翌朝、教室で簗木に話しかけられた。
建山の相談を解決して親しい間柄になったはずの彼女から、その建山と親しくなりたいと相談されるという未曾有の事態だけど、影戌後輩は次期部長としての使命感を覚えているらしく、今回の相談も解決まで見届けたいとのことだ。
あまりに状況が特殊なので、今後の参考になるかは怪しいところだけど。
ともあれ影戌後輩がうちに来るということは、簗木のマネージャー兼トレーナーとしての業務が、多少なりとはいえ疎かになるということでもある。
二人は恋人同士でもあるわけだし、あまり邪魔をするのも申し訳ないな。
「ああ、悪いな。連日こっちに付き合わせて」
「いや、知麻が自分で行くって言ったんだろ。なら構わねえよ」
簗木はヒラヒラと手を振りながら、さほど気にしていない風に言った。
そう言ってもらえると助かるけど、本当に気にしていないかは分からないから、あまり時間はかけないようにしておこう。
「真壁くん、真壁くん」
僕と簗木の会話が一段落すると、小手毬さんが愛らしい笑顔で僕を呼びながら、こちらに歩いてきた。今日も最高に可愛くて、こんな彼女を一人占めしている僕は法律に抵触しているのではないかと、つい心配になってしまう。
「小手毬さん、おはよう」
僕が挨拶をすると、小手毬さんの笑顔が深まる。
まさか、さっき話しかけてきた時よりも素敵な笑顔が、こんなにあっさり出てくるとは。
小手毬さんの愛らしさに、限界などないのだろうか。
「うん、おはよう、真壁くん。昨日はごめんね? 一緒にいられなくて」
「いいよ。友達付き合いだって、大事だからね。彼氏にばかり構ってるわけにもいかないでしょ」
「彼氏……えへへ……うん!」
小手毬さんは、いまだに僕が彼氏だと言うと喜んでくれる。
そして小手毬さんが喜んでくれると、僕も幸せな気分になる。
こんなに手軽に幸せになれるなんて、やはり小手毬さんの所持は違法なのでは? だが小手毬さんを愛でたいという僕の思いの前に、遵法精神など無力なのだ。
「朝からニヤケ面を晒さない方がいいわよ、真壁くん」
朝から温かな気持ちになっていると、やたらと不機嫌な様子の信楽さんに声をかけられた。
というか彼女は、僕が小手毬さんと付き合うようになってから、僕の前では大体こんな感じだ。
「やあ、おはよう、信楽さん。昨日は小手毬さんがお世話になったみたいだね」
「……まるで亭主気取りね。もう結婚したつもりなのかしら?」
信楽さんは僕に嫌みを言ったつもりなんだろうけど、そういうのは通じないのが小手毬さんである。
彼女は何故か照れた様子で、嬉しそうに笑っていた。
「里利ちゃんってば、結婚とか亭主とかおしどり夫婦とか、恥ずかしいよお」
「そ、そこまで言ってないでしょ!?」
「えっ……ち、違うの?」
ガーン、という効果音が見えるかのような、いかにもショックを受けた顔をする小手毬さん。
しょんぼりしてしまった彼女を見て、信楽さんは途端に慌て始めた。
「ち、違わないわよ? 小手毬ちゃんなら、きっと素敵な奥さんになれるわ!」
「そ、そうかな? ありがとう、里利ちゃんっ」
「ぐぬぬ……!」
小手毬さんに輝くような笑顔を向けられて、信楽さんは僕を睨み付け……って、なんで僕が睨まれるんだよ。
完全に信楽さんの自爆だったじゃないか。
「真壁くん、今日は私も部室に行くから。昨日一緒にいられなかった分、たくさん色々しようね?」
「うん、そうだね。楽しみにしてるよ、小手毬さん」
「うぐぐ……鬼畜眼鏡ぇっ……!」
コーヒーを淹れてもらったり、抱き締め合ったり、色々とね。
僕が小手毬さんと微笑み合っていると、周囲のクラスメイト――特に男子から、刺すような視線を向けられる。女子の一部は、何だか顔を赤らめていた。あれはあれで、勘違いされているような気がしないでもないな。
視線の端では、離れたところで楠さんが「ねー、京介。私たちも色々しよ?」と金名に甘えていて、金名はそんな彼女を宥めるのに苦心しているようだ。
そして信楽さんは、相変わらず辛辣な目を僕に向けている。
いや、なんで僕が鬼畜扱いされてるんだ?
これが最近の、割とありがちな教室の風景だった。
「じゃあコーヒー淹れるから、待っててね。真壁くん」
放課後になって部室に行くと、一緒に来た小手毬さんがまず僕のために、とびきりのコーヒーを淹れてくれようとする。
その後姿を眺めながら幸福感を覚えるのが僕の日常なんだけど、今日は少し違う行動を取らせてもらう。
「小手毬さん。僕もお茶淹れるから、多めにお湯沸かしてくれる?」
「え……?」
ガチャン、という音が部室内に響き渡った。
僕のセリフを聞いた小手毬さんが、手に持っていたケトルを落とした音だ。
幸い中には何も入っていないし、水を汲む直前に流しの上で落としただけだったので、小手毬さんの怪我もケトルの故障もないようだ。
予想外の反応に僕が驚いた一瞬後、その理由を察して「しまった」と思う前に、小手毬さん目に見る見るうちに涙が溜まってきた。
「ま、真壁くん……。私のコーヒー、もう要らないの……?」
「え、ち、違うよ、小手毬さん! 僕はただ、後から来る影戌後輩のために、ハーブティーを淹れてあげようと思っただけだって!」
「うう……知麻ちゃんの……?」
そのままでは本当に大泣きしてしまいそうな小手毬さんに、僕は昨日の影戌後輩とのやり取りを話した。もちろん「尊敬しています」と言われたこととか、影戌後輩が隠してほしいであろうことまでは言わなかったけど。
僕の説明を聞いた小手毬さんは、うっすらと目尻に涙を浮かべたまま、ホッとした表情になった。
「そ、そうなんだ……良かった。私、捨てられちゃうのかと思った」
「僕が小手毬さんを捨てるなんて、絶対にないから」
小手毬さんを手放すくらいなら、僕は死を選ぶね。
「でも知麻ちゃん、コーヒーよりハーブティーの方が好きだったんだね。それならそうって言ってくれれば良かったのに」
「まあ、普段はちょっと生意気だけど、アレで後輩らしいところもあるからね。小手毬さんが楽しそうにコーヒーを淹れてるから、自分の注文もすると二度手間になると思ったんじゃないかな」
「あ……そ、そっか……そんなに楽しそうだったかな」
まあ、僕が幸せになれる程度には楽しそうだし、愛らしかったと思う。
「あ、それなら真壁くんが教えてくれれば、ハーブティーも私が淹れるよ?」
「いや、そっちは僕がやるよ」
「なんで?」
小手毬さんが、不思議そうに首を傾げる。可愛いな……。
それはともかく、僕がハーブティーを淹れるのにこだわる理由はいろいろある。
影戌後輩は、僕の淹れたハーブティーを気に入ってくれたみたいだから、彼女に先輩として慕われる要素を残しておきたいというのが一つ。
それと――。
「僕は今後一生、コーヒーを淹れる機会なんてないだろうからね。お茶を淹れる技術が鈍らないように、ハーブティーは僕が担当しようかなって」
「真壁くん……」
少し恥ずかしいことを言ってしまったけど、小手毬さんは嬉しそうなので良しとしよう。真っ赤な顔で目をキラキラと輝かせているのを見ると、恥なんていくらかいても問題ないと思えてくる。
「うんっ、そうだよ真壁くん! もう一生、真壁くんにコーヒーなんて淹れさせてあげないんだからねっ」
ああ、本当に。
今日も息が止まりそうなほどに、僕の小手毬さんは可愛い。
「あの……先輩方」
「あれ、知麻ちゃん? こんにちわ」
僕が今日も世界の美しさと小手毬さんの愛らしさに感謝していると、いつの間にか部室に来ていた影戌後輩に声をかけられた。
今のやり取りをみていたせいか、彼女は居心地悪そうにしている。
うん、ごめんね。でも小手毬さんが可愛いのが悪いんだ。僕は悪くない。
僕がまったく悪びれていないのは知らないだろう影戌後輩は、深く溜息を吐いた後に部室の入口を指差した。
「はい、こんにちわ。それと――来ていますよ、彼」
その言葉と手振りに誘導されて、僕らが入口の方を見るとそこには――。
「はは……相変わらず仲良いね、二人とも……」
苦笑いを浮かべる被告・建山の姿があった。
罪状? そりゃあ、小野寺さんを焦らした罪だよ。
久々に気持ち悪い真壁くんを書けて、大満足です。