49.小野寺 真世、再び①
今日は影戌後輩と部室で二人きりという珍しい放課後の時間だったけど、僕も――そして思い上がりでなければ彼女も、それなりに楽しく過ごせたと思う。
影戌後輩はいつもより言葉に棘がなかったどころか、簗木と付き合えたことについてお礼を言ったり、あまつさえ僕のことを「尊敬しています」なんて言ってくれた。
たまに「言い過ぎだろ、コイツ」と思うことはあれど、僕は基本的に影戌後輩の生意気な態度には大して腹を立てていなかったんだけど、ああいう素直な言葉を聞かされると愛着が湧いてくるというか、今後も生意気なことを言われても許してしまいそうである。
まさか、それを見越して僕を持ち上げたのでは……なんて思ってはいない。
本気で貶されているかどうかくらい、普段の影戌後輩を見れば分かるからね。
そんなわけで、いつもと違うけど悪くない気分で、放課後のひと時を過ごしていたんだけど……。
「実は真壁くんに、折り入って相談があって来たの」
「相談?」
部室を尋ねてきた女子生徒――小野寺 真世さんにお茶を用意した僕は、彼女と向かい合う形でソファーに腰かけて話を聞いていた。
影戌後輩のために淹れたハーブティーが残っていたので、ちょうどよかった。
その影戌後輩だけど、今は僕の後ろに控えるように立っている。
僕と小野寺さんで、二つのソファーを占領しているからだろう。
小手毬さんなら僕の隣に座るんだろうけど、それは影戌後輩も気が引けるか。
神妙な表情をしていた小野寺さんだったけど、目の前に置かれたハーブティーに口を付けた後、小さく顔を綻ばせた。
「美味しいわね、これ……」
「それはどうも。これでも、まあまあお茶にはこだわりがあるんだよ」
「え? これ、真壁くんが淹れたの?」
「そうだよ。可愛い後輩に振る舞ってあげようと思ってね。残りものを出したみたいで、小野寺さんには申し訳ないけど」
「そんなことないわ。こんなに美味しいんだから」
堅実に相談を解決するには、まず相談者をリラックスさせることが大切だ。
これは僕が恋愛相談を受ける時の大原則だけど、最近は飛び込みみたいな形で相談を受けたりすることも多かったから、こうして手順を踏めるのも久しぶりだな。
偶然とはいえ、ハーブティーも小野寺さんの口に合ったみたいだし、いつになく幸先のいい滑り出しと言えるだろう。
「そういえば、今日は小手毬さんはいないの?」
「ああ、今日は友達と遊びに行ってるよ」
僕がそう言うと、小野寺さんは何故か苦笑を顔に浮かべた。
「なんだか新婚夫婦の家を訪ねてる気分になるわね、この会話」
「まあ、そう言われると確かに」
新婚の友人夫婦を訪ねたけど、仲が良かった奥さんの方は不在だった……みたいな感じか。
そうなると、僕の後ろにいる影戌後輩は……本人に言ったら怒りそうだけど、ペットの犬かな。
「夫婦って言われても、全然照れたりしないのね」
「気持ちだけなら、いつそうなっても問題ないからね」
小手毬さんと夫婦? 言うまでもなく最高じゃないか。
彼女と幸せな家庭を築くことに、僕は全力を尽くす所存だ。
唯一の問題は、彼女のことを「小手毬さん」って呼べなくなることだけだな。どうも好きなんだよね、あの呼び方。
「ハァ……羨ましい」
「小野寺さん。もしかして建山と何かあったの?」
僕が小手毬さんとの幸せな結婚生活を思い浮かべていると、小野寺さんが溜め息混じりに言葉を吐いた。
彼女が僕と小手毬さんのことで羨ましがるなんて、建山が関係しているとしか思えない。
僕の質問を聞いているのかいないのか、小野寺さんは俯いて肩を震わせ始めた。
「ないのよ……」
「え? ない?」
何がないんだろう?
詳しく聞く前に、小野寺さんはバッと顔を上げた。
そして涙目になりながら、その心情を吐露し始めた。
「何もないのよ! 勝くんったら、全然告白してくれないの!」
「……はい?」
意味不明だった。
彼女の言葉の意味が理解できず、思わず後ろにいる影戌後輩に視線を送ってしまった。
だが影戌後輩も困惑顔をしている。というか影戌後輩が入部したのは、小野寺さんと建山の件が解決した後だから、二人のことについては僕らから又聞きした知識しかないんだよな。彼女が困惑するのも当然か。
「ごめん、小野寺さん。ちょっと確認したいんだけど」
「……なに?」
「小野寺さんは、建山から告白されたいの?」
「うん、されたい」
なんか、ちょっと幼児退行してないか?
「えっと、じゃあ建山が好きってこと?」
「うん……す、好き」
「……小野寺さんからは、告白しないの?」
「やだ、恥ずかしいもん」
「ええ……?」
なんだそれ。要するに小野寺さんも建山を好きになったけど、自分から告白するのは恥ずかしいってこと? で、建山がなかなか告白してくれなくて悩んでいると。
なるほど。いや、なるほどじゃねえよ。
「あの、真壁先輩。この方、確かお相手の男性が相談に来て、親しい関係になったんですよね?」
「ああ、そのはずなんだけど……」
影戌後輩が小声で話しかけて来たので、それに答える。
幸い小野寺さんは幼児退行中なので、僕らの内緒話に気付いている様子はない。
「……なんで今度は女性の方が、うちに来るんですか?」
「いや、僕にも全く分からない」
さっき影戌後輩に「恋愛相談は観察力と想像力だ」なんて語っておいて情けない限りだけど、今回ばかりはどうしてそんなことになったのか想像が付かない。
だって要するに、両想いになったってことだろ?
念願叶ったはずなのに、建山は一体なにをしているんだ?
僕と影戌後輩が困惑していると、小野寺さんはポツポツと語り始めた。
「少し前から勝くんに告白してもらいたくて頑張ってたんだけど……真壁くんと小手毬さん、付き合い始めたんでしょ? 勝くんから聞いたよ。……勝くんってば私の気も知らないで、『おめでたいね』なんて暢気な顔で言って!」
「いや、まあね……」
「……小手毬さんがあなたのこと好きなのは気付いてたけど、まさか先を越されるなんて思ってなかったから、焦っちゃって」
小手毬さんは建山の相談を受けた際、足止めのために小野寺さんと接触してもらったことがある。
あれ以降、二人はそこそこの付き合いがあると、小手毬さんからは聞いていた。
「恋愛相談部の噂は前から聞いたことあったけど、まさか真壁くんのところだったなんて……」
その言葉を聞いて、建山が恋愛相談をしたことに小野寺さんが気付いたのかと思ったけど、どうやらそういうわけではないらしい。
「お願い、真壁くん! 影戌さんも! 私、勝くんに好きになってもらって、告白されたいの! 協力して!」
前のめりになって、僕らに懇願してくる小野寺さん。
どうしてこんな展開になったのかは分からないけど、まあ相談というなら断る理由もない。小野寺さんは、本気で悩んでいるみたいだし。
僕は影戌後輩に一瞬だけ視線を送った後、小野寺さんに向けて頷いた。
「分かった、協力するよ。とりあえず僕らの方で、建山と話してみる」
「ありがとう、真壁くん! あ、でも、くれぐれも……」
「大丈夫。勝手に小野寺さんの気持ちを、建山に話したりはしないよ」
「そ、そう? 流石は恋愛相談部ね」
光明が見えたせいか、小野寺さんは弾んだ声になっていた。
まあ、おそらく予想通りなら大して難しい内容でもないだろうし、さっさと二人には幸せになってもらおう。
小野寺さんは、カップに残っていたハーブティーをサッと飲み干した。
そして僕らに「よろしくね!」と言い残し、部室を出て行く。
後に残されたのは、複雑な表情をした僕と影戌後輩である。
「真壁先輩……恋愛相談って難しいんですね。私、改めて先輩を尊敬し直ました」
「いや、アレはかなり特殊なケースだと思うけどね……」
次期部長である影戌後輩が、自信なさげな様子を見せる。
流石に今回みたいなケースは僕も初めてなので、そこまで自信を無くさなくてもいいと思うんだけど。
何はともあれ、明日に持ち越しだ。
僕は疲れを取ろうと、自分で淹れたハーブティーを口に含んだ。
うん、やっぱり小手毬さんのコーヒーじゃないと、癒されないな……。