48.生意気後輩・影戌ちゃんと鬼畜眼鏡先輩
私には最近、悩んでいることがあります。
同じ部活に所属している美薗先輩は、私の悩みを察して心配してくれているのが分かるのですが、残念ながら彼女に相談するわけにはいきません。
もちろん美薗先輩を信用していないわけではありません。
先輩はぽわっとした部分はありますが、とても優しくて包容力のある方です。
その包容力が、約一名に対しては異常に発揮されるのが問題なんですが……。
今日も今日とて私は、恋愛相談部の部室に足を運びました。
部員とはいえ私には篤先輩の筋肥大という天命があるので、毎日ここに来るわけではないのですが、それでも美薗先輩と……まあ大きな声では言いませんが真壁先輩のことも慕っていますので、ほどほどに顔を出すようにはしています。
「こんにちわ。……今日は真壁先輩だけですか?」
「おお、影戌後輩」
私が部室に到着すると、珍しく中には真壁先輩しかいませんでした。
これまた珍しく、あまり使っている印象のない部長席に座って、読書に耽っていたようです。
私が来たのに気付くと、先輩は本から顔を上げて小さく微笑んで見せました。
「小手毬さんは友達と買い物だってさ」
「それは……真壁先輩にとっては残念でしょうね」
すると先輩は、クスクスと笑い出しました。
……なにかおかしかったでしょうか?
「いや悪い。その友達が『小手毬ちゃんは私と買い物に行くから! あなたは一人寂しくしてなさい』なんて噛み付いてきたのを思い出してね」
「どういうお友達なんですか、その人……?」
美薗先輩のことで真壁先輩にマウントを取るなんて、正気とは思えません。どうせ痛い目を見るに違いないのに。
「いやいや、いい子だよ。小手毬さんは少し隙が多いところがあるから、ああいうしっかりした子が傍にいてくれると、安心できるよ」
「……まるで保護者目線ですね」
私がそう言うと、真壁先輩は「確かに」と笑った後、持っていた本を置いて立ち上がりました。
「いつまでも立ってないで座りなよ。今日は部長直々に、お茶を淹れてやろう」
「……真壁先輩が? 大丈夫なんですか?」
私がここに入部してからというもの、真壁先輩がお茶を淹れているところなんて、一度も見たことがありません。
真壁先輩が亭主関白だとは思いませんが、少なくともお茶汲みに関しては、美薗先輩に任せていると思っていたんですが……。
すると真壁先輩は「心外だ」という顔をして、私の予想を裏切る発言を繰り出してきました。
「そもそも小手毬さんにお茶の淹れ方を教えたのは、僕なんだけどな」
「え? そうなんですか?」
そのまま真壁先輩が説明してくれたところによると、入部直後の美薗先輩が自分も何かしたいということで、真壁先輩からお茶の淹れ方を習ったとか。
真壁先輩は前部長が卒業してからは一人で活動していて、その間にいろいろあってお茶の淹れ方を学んだそうですが……どうして苦い顔をしているんでしょう?
「それにしては、真壁先輩がお茶を淹れている姿を見た覚えがありませんね」
「そりゃあ、小手毬さんが淹れさせてくれないからね」
どこか嬉しそうに苦笑する真壁先輩の言葉を聞いて、私は納得しました。
美薗先輩は、真壁先輩のためにお茶を淹れるのが大好きな人ですから、自分の仕事を取られるのが嫌だったのでしょう。
「まあ今じゃ小手毬さんの方が、よっぽど上手いしね……よし、出来たぞ」
私にいろいろと話しながらでしたが、真壁先輩はしっかりお茶を淹れていたようです。この手際の良さを見ると、美薗先輩の師匠という話も信憑性があります。
そうして私の前に置かれたのは――。
「これは……ハーブティーですか?」
てっきりコーヒーが出されると思っていたので、少し驚きました。
よくよく考えたら、淹れている途中の段階から香りで気付きそうなものですが、真壁先輩といえばコーヒーという先入観があったのでしょう。
瞬きをしてカップを見つめる私に向けて、真壁先輩は面白そうに笑います。
「影戌後輩は、そっちの方が好きだろ? いつも僕と小手毬さんに付き合わせてるから、たまには好きなものをと思ってね」
「……どうして私が、ハーブティーを好きだと?」
私が真壁先輩の言葉に目を丸くしたのは、先輩が隠していたはずの私の好みを把握していたから。もっと言うなら、コーヒーよりもハーブティーの方が好きなのに、先輩方に合わせていたことを見破られていたからです。
美薗先輩は、結局のところ真壁先輩にコーヒーを淹れるのが一番大切なので、わざわざ私の好みにまで合わせて頂くのは悪いと思ってたのですが……。
「そんなの見れば分かるよ。恋愛相談は、観察力と想像力が大切なんだ」
「観察力と、想像力……」
確かに真壁先輩が、これまで恋愛相談を解決してきた際の手並みを思い返すと、私には思いもよらないことに気付いていたり、私では想像も出来なかった答えに辿り着いていた気がします。
「真壁先輩は、やっぱり恋愛相談部の部長なんですね」
「そりゃそうだろ。何を当たり前のことを」
そう言って笑う真壁先輩ですが、きっと彼が今まで解決してきた相談事の中には、一筋縄ではいかないものもあったのでしょう。
先日の不埒者の一件にしても、二ノ宮先輩たちに二股の事実を伝えた際、手酷く罵られたことがあるような口振りでした。
それに、私の時も……。
「……真壁先輩。せっかく二人きりなので、この機会に言っておきます」
「なんだよ、改まって」
私は小さく深呼吸をしてから、意を決して口を開きました。
今言わないと、二度と先輩にこの気持ちを伝えられないような気がしますから。
「私が篤先輩と付き合えたのは、真壁先輩のおかげです。本当にありがとうございました。……その、普段は生意気なことばかり言ってますが、これでも先輩のことは尊敬していますので」
実に不覚でしたが、私は篤先輩とのことに関して、真壁先輩にお礼を言ったことがありませんでした。
ここに入部する際、恋愛相談部の活動に賛同するようなことは言いましたが、真壁先輩に個人的なお礼を言ったのは、正真正銘これが初めてです。
それに私は、普段から真壁先輩には「鬼畜眼鏡」だのと、生意気なことを言ってばかりいます。先輩が怒らないのをいいことに、好き放題。
まあ真壁先輩と小手毬先輩は普段からベタベタし過ぎですから、つい言葉が刺々しくなってしまうというケースも多々ありますが。
「これからも憎まれ口を言うかもしれませんが――って、なんですか、その顔は?」
「……いや、別に? 後輩に慕われるなんて初めてだから、ちょっと感動してただけだよ」
私が真面目な話をしているのに、先輩は何故かにやけ顔です。
それを見て少し冷静になった私は、さっきから自分が結構恥ずかしいことを口走っていたと気付いてしまいました。
「も、もちろん尊敬しているといっても、逞しくない人にしては、という話ですっ。あ、あまり調子に乗られると困ります」
全幅の信頼というのは、まず筋肉があってこそなのです。
インドア眼鏡の真壁先輩では肉不足……いえ、でも最近は真壁先輩も影で鍛えているので、そこそこ成果は出てきているんですよね……。ハッ、いけません。たとえ少し筋肉が付いたところで、先輩が鬼畜眼鏡であることに変わりはありません。
確かに尊敬してはいますが、私は完全に気を許したりはしませんので! だからニヤニヤ笑うのは止めて下さい、真壁先輩!
「ははっ、影戌後輩は可愛い奴だなあ」
「う、うるさいですよ……」
真壁先輩から「可愛い」なんて言われたのは、今が初めてです。
私は少しだけ熱を持った頬を誤魔化すように、さっきから目の前に置かれていたカップに口を付けました。
せっかく淹れて頂いたのに、冷めてしまうのも申し訳ないですしね。
「……美味しいです」
「なら、もうちょっと美味しそうな顔してくれると、嬉しいんだけどなあ」
悔しいですが、これはなかなか――いえ、かなり美味しいです。
美薗先輩の師匠というのも、きっと本当なのでしょう。
というか、美薗先輩はコーヒーばかり淹れていますから、他のお茶に関しては真壁先輩の方が上手く淹れられるのではないでしょうか?
「まあ気に入ったなら、これからも時々淹れてやるよ。コーヒーは小手毬さんが嫌がるけど、こっちなら許してくれるかもしれないし」
業腹ですが、とても魅力的な提案です。
これを飲めるというのなら、私は足繁くこの部室に通うことでしょう。
たとえ先輩方がイチャ付いている姿を見せられると、分かっていたとしても。
「……そういえば、この間の不埒者ですが」
「不埒者……? ああ、鳶田か」
素直に喜びを示すのは癪だったので、私は話を変えることにしました。
きっとこの性格の悪い先輩なら、その洞察力とやらで私の思っていることくらいは見破っている気もしますが、どうやら話題転換には付き合ってくれるようです。
そもそもこの話も、私が今日ここに来た理由のひとつであるのは事実ですし。
「彼は柔道部に入部しましたよ。徹底的に鍛え直すそうです」
「へえ、それは厳しそうな……あれ? アイツ、他に部活入ってないのか?」
「実は入っていなかったようです。センスはあったので大抵の種目はこなせて、それでいろいろな部の助っ人をしていたとか。鍛え甲斐があると、篤先輩たちも言っていましたよ」
柔道部も含めて、強豪の部には寄り付かなかったみたいですけど。
あくまで才能だけで活躍できる部、という条件で選んでいたみたいですね。
「そうか。それなら、いよいよ一件落着だな」
「そうですね。篤先輩もレスリングの方の練習相手が出来て、喜んでいました」
「……うん? そ、そうか。アイツも喜んでるなら、よかった」
そこで会話が一段落して、私と先輩はゆっくりとお茶を飲み始めました。
意外に二人きりでも、会話が弾んでしまいましたね……。
今日はあまり嫌味も言っていませんし、こういう日も悪くないものです。
こうして私と真壁先輩は、二人だけで穏やかな放課後を過ごし――。
「ん? 誰か来たな」
などと思っていたら、部室のドアがノックされました。
私と一瞬だけ顔を見合わせた後、真壁先輩は入口の方を見て一言。
「どうぞ」
その言葉を受けて、部室のドアがゆっくりと開かれました。
そこにいた人物に、私は見覚えがあります。
「こんにちは、真壁くん。それと……影戌さんでよかったかしら」
「小野寺さん? あれ、一人? 建山はいないの?」
「ええ、今日は私一人よ」
以前、真壁先輩といる時に廊下でお会いした、美しい容姿の先輩。
確か……小野寺 真世さんと言いましたか。
そんな彼女が何やら真剣な表情で、そこに立っていました。
影戌ちゃんのツッコミは便利なんですが、嫌味ばかりの子だと
思われてしまうとよくないので、デレも見せておこうかと。
次回は小野寺さん回です。