45.二ノ宮 花蓮、二度目の恋⑧
過去最低のあだ名を付けられてしまった僕は、そのショックに眩暈を覚えつつも、どうにか気を取り直して鳶田を諭した。
「えっと、まあ、そういうわけだから、小手毬さんのことは諦めてよ。二ノ宮さんと内倉さんも、お前には迷惑してるんだってさ」
「うおぉ……」
僕の話を聞いているのかいないのか、鳶田は妙な唸り声を上げている。
どうも小手毬さんの寝取られビデオレター風のお断り文句によって、相当な精神的ダメージを受けたらしい。変な趣味に目覚めないことを祈りたい。
「真壁、今日のお前、マジで鬼畜眼鏡って感じだったぞ」
「言わないでくれ……。僕もあんなことを言うつもりじゃなかったんだ」
僕としては「小手毬さんは僕とラブラブだから手を引け。二ノ宮さんと内倉さんも迷惑してるから止めろ」と伝えたかったつもりなのだが、蓋を開けてみれば僕が鳶田の彼女を寝取って「おい、あの元カレに何されたか教えてやれよ」みたいな真似をした風になっていた。
いや本当に言葉って難しいね。世の中から争いがなくならないわけだ。
「で、コイツはどうするんだ? ボコっとくか?」
「今日は何か妙に野性的だな、簗木。まあ散々勝手なこと言ってたから腹立つ気持ちは分かるけど、その状態の鳶田に追撃入れるのはどう見てもリンチだろ」
「まあ、そうだな……」
僕の言葉に一応は頷いたものの、簗木は不満げな表情だった。
普段はここまで攻撃的なタイプではないんだけど、鳶田は本当に好き勝手なことを言ってたから、痛い目を見せてでも分からせるべきだと思っているんだろう。
僕も鳶田に対しては不満や怒りしかないが、疑似寝取られで放心状態のところにヤキを入れるわけにもいかないし、このまま暴れないなら後でよく言い聞かせて終わりでいいんじゃないかな。
「確かにさっきから大人しくしてるし、ちょっと放してみるか。……っていうか、お前らはいつまで抱き合ってるんだよ?」
「ん? ダメか?」
「いや、ダメとかそういう話じゃ……ハァ、まあいいか」
簗木の言う通り、僕と小手毬さんは告白の時から、ずっと抱き合っていた。
ちなみに現在、小手毬さんは僕の胸に頬を擦り付けるのに夢中である。「真壁くーん、真壁くーん♪」と口にしながら、目を閉じてうっとりとした様子だ。ドキドキするので、そういうのは控えてほしい。
まあ僕の方も、手持ち無沙汰だから小手毬さんの頭を撫でてるんだけど。小手毬さんの髪って、サラサラしてて触り心地がいいんだよね。
「ほれ、放すから一応気を付けとけよ……って、見事に動かねえな」
「どこかの寝取り眼鏡が、入念に痛めつけましたからね……心を」
「おい、『寝取り』は止めろって言ってるだろ」
相変わらず生意気すぎる後輩である。
言っても聞かないのは百も承知だけど、流石にその呼び名だけは許容できない。
ただし悪気はなかったものの鳶田を精神的に痛めつけたのは事実なので、あまり強く否定できないのも困りものである。
その鳶田は、簗木に解放されても暴れるどころか特に何の反応も見せず、ただ「うぅ……」と小さく呻きながら悪夢でも見たかのように蹲っていた。
……そんなに酷いことしたかな、僕。
「今はショックで大人しいですが、後でどうなるか想像が付きませんね……。真壁先輩、どうするつもりですか?」
「とりあえず僕らや二ノ宮さんたちに手を出さないよう、言い含めておけばいいかなと思うんだけど。二人もそれでいいかな?」
僕が声をかけると、しばらく置物のように黙っていた二ノ宮さんと内倉さんが、揃って同意を示してくれた。
「あたしは今後絡んでこないなら、別にいいけど……」
「本音を言えば消えて――顔も見たくないけど、それも難しいしね」
うん。二人とも鳶田が関わってこなくなれば、とりあえず問題ないみたいだ。
内倉さんの方は、隠し切れない怒りがチラチラと垣間見えてるけど。
言い直しても「顔も見たくない」だからな。マジで恐い。
「ま、まあ二人がいいなら、鳶田に言い含めようか。ほら、小手毬さん。名残惜しいけど、ちょっと離れるよ」
「えー、やだよぅ。ずっとこのままでいるもん」
流石に小手毬さんと抱き合った状態で鳶田に言い聞かせるのは無理だろうから、離れるようにお願いしたけど、小手毬さんはいやいやと首を振る。ついでに僕の胸にも顔を擦り付けている。……いかん、完全に周囲の状況が目に入ってないな。
「小手毬さん、でもみんな見てるからさ。続きは全部終わってからにしようか?」
「はえ? みんな……?」
僕がそう言うと、ようやく小手毬さんは胸から顔を離してくれた。
そして周囲を見渡した後、見る見るうちに顔が真っ赤になる。いや、僕に抱き付いている時点で真っ赤ではあったけど、その度合いが違うというか。
「あ、ああーっ!? み、みんなずっと見てたの!?」
「え、いまさら気付いたの? どんだけ真壁に夢中だったのよ……」
「まあ情熱的な告白だったからねえ。分かんないでもないけど」
小手毬さんは慌てて血胸したけど、本当にいまさら過ぎて二ノ宮さんと内倉さんも呆れている。あと言ってる割に小手毬さんは僕から離れず、恥ずかしさでまた胸に顔をうずめた状態になっていた。
「美薗先輩、改めまして、おめでとうございます」
「知麻ちゃん……あ、ありがとう」
影戌後輩から祝いの言葉をかけられて、小手毬さんが再び顔を上げる。
するとそのタイミングで、思わぬ声が下から聞こえてきた。
「き、君は……」
「はい?」
簗木に解放されて以降、ずっと蹲っていた鳶田だ。
鳶田は生気のない目で、影戌後輩を見上げている。いや、そんなにショックだったのか。あの小手毬さんの寝取られ風セリフ……。
しかし影戌後輩を見つめているうちに、鳶田の目には徐々に生気が戻ってきた。
なんだろう、とんでもなく嫌な予感がするんだけど……。
その予感が現実になるかのように、鳶田はおもむろに立ち上がって生き生きとした声を上げた。
「な……なんて可愛らしい子なんだ!」
「は? はあ、どうも……」
影戌後輩を褒め称えながら、鳶田は彼女と距離を詰める。
鳶田は彼女の手を握ろうとしたが、上手く躱されて空振りしていた。が、それでもめげずに声をかけ続ける。強すぎだろ、メンタル。
「君みたいな可愛い子は初めて見た。俺と付き合ってくれ!」
「嫌ですが」
「そうだな、いきなりじゃ恥ずかしがるのも無理はない。じゃあ、まずはお友達からってことで!」
どうやら鳶田の口説き対象が、うっかり影戌後輩に移ってしまったらしい。
おそらく影戌後輩はずっと簗木の後ろに控えていたので、床に押さえ込まれていた状態の鳶田からは姿が見えていなかったんだろう。彼女は小柄だけど容姿はずば抜けて整っているので、一気に息を吹き返したようだ。……あるいはロリコンの気があるのかもしれないが。
そんな鳶田を心底どうでもよさそうな目で見ながら、影戌後輩は呆れたように首を振った。
鳶田とは体格差がかなりあるけど、簗木がその後ろで目を光らせているので安心して見ていられる。鳶田は影戌後輩を見た衝撃で、さっきまで自分を拘束していたゴリラのことは忘れているみたいだけど。
「恥ずかしいとか、そういう話ではなく、私には彼氏がいますから」
「え、彼氏?」
「はい、今も貴方の後ろに」
まるでホラー映画のセリフみたいなことを言われて、鳶田はぎこちない動作で後ろを振り向いた。
そこには当然、いかつい筋肉ゴリラが生息している。
「よう。人の彼女を口説くとは、いい度胸だな」
「あ……ああ……」
鳶田の顔が真っ青になる。
まあ僕も道端でゴリラに出くわしたら、あんな顔になるだろう。
「う、嘘だ……」
「あ……?」
確かに嘘だと思いたいかもしれない。
でも人語を話すゴリラは、本当に実在するのです。……というのは冗談で、なにやら鳶田は悪夢でも見ているかのような様子だ。
「嘘だ、嘘だ! こんな可愛くて華奢な子と、いかついだけの筋肉ゴリラが付き合えるわけない! 全然釣り合ってねえんだよ! どうせ力ずくで脅したとか、そんなのに決まってんだろ!」
――ビシリ、と。
空気が凍り付いたような錯覚を覚えた。
その原因はどう考えても鳶田の発言を聞いた、ある人物だ。
一瞬にして室内の雰囲気が重苦しくなったのだが、当の鳶田は必死になるあまり周囲の変化には気付いておらず、「見苦しい筋肉ゴリラよりも、いかに自分の方が影戌後輩の相手として相応しいか」を語っている。
もはや一級品の、空気の読めなさである。全く羨ましくはないが。
そして重苦しい空気の発生源は――。
「おい、黙って聞いてれば、人の彼女のことを好き勝手言ってくれてるじゃねえか……」
自分の彼女をバカにされた簗木。
「私と篤先輩が、釣り合ってない?……本当にいい度胸をしていますね、貴方」
さらには地雷原を踏み荒らされた影戌後輩である。
いや本当に、よくもまあ影戌後輩の気にしているであろう地雷を、あれだけ見事に踏み抜いたものだ。途中から、わざとやってるんじゃないかと思ったくらいだ。
むしろ実際は影戌後輩の方が、自分が簗木と釣り合っていないのではと、不安に思っていたくらいなのに。
「あだだだだっ! は、放せ! このゴリラ!」
筋肉バカ二人の怒りを買った鳶田は、簗木のアイアンクローを喰らっている。
おいおい、ちょっと浮いてるぞ、アイツ。鳶田はモテていただけあって割と長身のはずだけど、それを持ち上げる簗木の筋力は本当に凄まじい。身長自体はほとんど同じの二人なのに、今は簗木の方が一回り大きく見える。
「篤先輩、この似非スポーツマンは、少しお灸をすえた方がいいと思います」
「そうだな。俺の知麻をコケにしやがったし、柔道部にご招待と行くか……!」
「篤先輩の……ふふ、そうですね。篤先輩の知麻は、とても怒っています」
どうやら鳶田は、柔道部へ連れて行かれることになったらしい。
「じゃあ、真壁、小手毬も。俺らはコイツを連れてくぞ」
「お、おお。任せた、簗木」
「では失礼します」
流石に鳶田を持ち上げたままではなく、頭を掴んだまま引きずるように連行する簗木。いや、アレもかなり普通じゃないとは思うけど。
それに追従して、影戌後輩も出て行った。
「えっと……これで一件落着?」
「まあ、それでいいんじゃないかな」
何とも間の抜けたオチだったけど、これで相談は解決だ。
僕も小手毬さんと恋人同士になれたしね。
次回、二ノ宮さん視点で締めます。