39.二ノ宮 花蓮、二度目の恋②
「と、鳶田くんの元カノ……?」
二ノ宮さんの正体を知らされた小手毬さんは、明らかに狼狽えていた。
それはそうだろう。彼女がこの恋愛相談部に来ることになった切っ掛けは、他でもないその鳶田なのだから。
「ちょっと真壁。そういうのペラペラ話しちゃうわけ?」
一方で二ノ宮さんは不服そうな反応をしていた。
まあ、彼女は小手毬さんも未遂とはいえ鳶田の被害者であるとは知らないから、こういう反応になるのも無理はない。
「実は小手毬さんも、鳶田に騙されそうになった一人なんだよ」
「はあ? 勇……じゃない、鳶田に?」
僕の言葉が意外だったのか、驚いた様子を見せる二ノ宮さん。
最初に言いかけた「勇」というのは、鳶田の下の名前だ。
二股を掛けられて別れたので名前でなど呼びたくないが、まだ付き合っていた頃の癖が抜けない、といったところだろうか。
「……アンタもアイツに騙されたの?」
「あ、うん。騙されたっていうか、声かけられたっていうか……」
そう言った後、小手毬さんは自分が恋愛相談部にやって来た経緯を、二ノ宮さんに説明する。
話を聞いた二ノ宮さんは案の定、眉を吊り上げて怒っていた。
「それ、間違いなくアンタのことも狙ってたわね。ほんっと最悪だわ、アイツ……。あんなのと付き合ってたかと思うと、反吐が出る」
「ま、まあ腹立たしい気持ちは分かるよ」
凄いな。日常会話で「反吐が出る」って初めて聞いたぞ。
それだけ鳶田に対する、二ノ宮さんの怒りが根深いってことなんだろう。
鳶田のやらかした所業を思えば、当然の怒りではあるんだけど。
「あの時は真壁のお陰で、本当に助かったわ。今更だけど、結構きついこと言っちゃって悪かったわね」
「いいよ。あの時の二ノ宮さんは、色々と整理が追い付いてなかっただろうし」
彼女の言う「きついこと」というのは、鳶田の二股についての調査結果を報告した僕に対して、「嘘吐き」だの「詐欺眼鏡」だのと罵ったことだろう。
二ノ宮さんと鳶田は中学からの付き合いで、別れる直前まで彼のことを信じたがるくらいには好きだったみたいだから、最初は僕の言葉を信じてくれなくて説得に苦労したものだ。
僕としては彼女のように彼氏を心から信じようとする女性ほど、あんな二股野郎に騙されたままではいけないと思ったので、何度も根気強く話をした。
結果として彼女は傷付きながらも事実を受け入れ、鳶田と別れることになったんだけど……。
「二ノ宮さん。『助けて』って言ってたけど、もしかして鳶田と何かあったの?」
「そう! そうなのよ、アイツもうマジ最悪なの!」
我が意を得たとばかりに語り始める二ノ宮さん。
その口から出た話は、確かに最悪だった。
僕も小手毬さんも、思わず顔を見合わせてしまう。
「声かけてくるって……鳶田の奴、坊主頭になって反省したんじゃないの?」
「あたしだって、そう思ってたわよ。でもあんなのポーズよ、ポーズ。ほとぼり冷めたら、どうにかなると思ってたみたい」
「うわー……」
最後に呆れた声を上げたのは小手毬さんだ。
まあ、僕も同じ気持ちではあるんだけど。
二ノ宮さんによると、彼女ともう一人の浮気相手から散々に責められ罵られた鳶田は、僕らも知るように頭を坊主にして一度は大人しくなったらしい。
しかしここ数日、まるで禊は済んだとばかりに、二ノ宮さんに声をかけたりしているようだ。
もちろん二ノ宮さんの方に復縁の意思はないし、「二度と関わるな」ときつく言い渡しているのだが、それでも諦めないとか。ていうか、本当にきついな。
それだけではなく、さらに最悪なのが……。
「あたしだけじゃなくて、響にも同じことしてんのよ。ホントにバカじゃないの?」
「それは……確かにバカだね」
「あの、響ってもしかして……」
嫌な予感がしているのだろう。引き攣った顔で聞いてきた小手毬さんに向けて、僕は頷き返した。
おそらく彼女の予想している人物で正しい。
「内倉 響さん。鳶田が二股してた相手だよ」
「ええ……?」
やはり予想していた通りの人物だっただろうが、それでも小手毬さんは困惑を隠せない。
それはそうだろう。その気のない元カノに復縁を迫るだけでも大概なのに、別れた原因である二股相手にも同時進行で声をかけているのだから。
「アイツ、あたしと響が仲良いって知らなかったみたいね。どっちかが靡けばいいって思ってたんだろうけど、どういう神経してるんだか……」
「確かに鳶田の神経は疑わしいけど、二ノ宮さんって内倉さんと仲良くなってたんだね。前の時はそうでもなかったよね」
「まあ、お互い同じ男に騙された者同士ってことでね。響の方はあのバカと浮気しちゃったことを謝ってきたけど、あの子は何も知らなかったわけだし」
二ノ宮さんの言う通り、内倉さんは鳶田に恋人がいることを知らずに交際を申し込んで、知らされないまま付き合っていたはずだ。
二ノ宮さんと鳶田は中学からの付き合いだったけど、それはあくまで友人関係であって恋人になったのは高校に入ってからだ。
長らく友人として周囲にも認識されていたので、恋人同士になったと公言するのが恥ずかしくて隠していたのが裏目に出てしまった。いや、裏目に出たというか、鳶田が変な欲を出して内倉さんの告白にOKしなければ、済んだ話なんだけど。
「だから今は普通に友達やってるわよ。あのバカと付き合って良かったことなんて、あの子と友達になれたことくらいね」
なかなか男前なことを言うなあ、二ノ宮さんは。
「そっちの……小手毬さんとも、真壁のとこに来てなかったら『友達』になってたかもね。アイツに声かけられてたわけだし」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでくれよ」
小手毬さんが鳶田の三股被害者に? 冗談じゃない。
そんなの想像しただけでも、未遂なはずの鳶田をどうにかしたくなってくる。
「そ、そうだよ。私は別に、鳶田くんのことは……」
小手毬さんも二ノ宮さんの言葉を否定しようとするけど、セリフの後半に行くにつれて、どんどん語気が弱くなっていく。
彼女は実際に鳶田と恋人関係になりたいと考えて恋愛相談部に来たわけだから、二ノ宮さんの言い分を全て否定するのは難しいだろう。
そのことに気付いた彼女は、僕の方に泣きそうな目を向けてきた。
「ち、違うから……。わ、私、本当に鳶田くんのことなんて……」
「大丈夫だよ、小手毬さん。ちゃんと分かってるから」
本気で泣きそうな小手毬さんの頭を撫でながら、僕は言い聞かせる。
強がりなんかじゃなくて、本心からの言葉だ。
過去に付き合ったというならまだしも、好意を持った相手まで気にしていたらキリがない。
遡れば僕だって、幼稚園の先生なりに憧れた時期があったはずだ。正直に言えば杉崎先輩に対してだって、そういう感情が全く無かったわけではない。
それでも今の僕は、小手毬さんが好きなのだ。それで十分だと僕は思う。
「ねえ……二人って、そういう関係なの?」
わずかな時間だけど、放置気味になっていた二ノ宮さんから声がかかる。
今の僕らがそう見えるのも、まあ無理はないか。
「いや、違うんだけど……。当たらずも遠からずというか」
「なにそれ?」
「わ、私は真壁くんのこと――」
「花蓮ちゃん! いる!?」
小手毬さんが必死の様相で何かを言おうとしたところで、部室の扉が開いた。
そして、これまた必死の様相の女子が、二ノ宮さんを呼びながら入ってくる。
何だか、さっきも見たような展開だな……。
僕らと一緒にいる二ノ宮さんに気付いた女子生徒――内倉 響さんは、肩で息をしながら安心した様子を見せた。
きっと二ノ宮さんを心配して、走り回っていたんだろう。
「はぁー、良かった。ここにいたんだ」
「どしたの、響? そんなに慌てちゃって」
いやいや、二ノ宮さんも大概慌ててたからね、ここに来た時。
「何ってアレだよ、アレ。もうさっきからアレが、花蓮ちゃんの名前呼びながら探してて……」
「うっげ……最悪……!」
内倉さんの言葉を聞いて、二ノ宮さんは苦い顔になる。
というか「アレ」とは、やはり鳶田のことなのだろうか。
内倉さん、もはや名前で呼ぶのも嫌って感じなのかな……。
この状態の彼女に言い寄っているらしい鳶田も、ある意味では凄いと思う。
「う、ううー……」
二人が鳶田の話をしている一方、小手毬さんは涙目で僕を見ていた。
さっきから何かを言おうとしては阻まれているので、我慢の限界なのだろう。
ごめんね、小手毬さん。
でも今はちょっと、状況が悪いからね。