33.氷の女王・水澤 天乃⑦
トリプルデートは一言で表すと「最高」だった。
え? 小手毬さん相手だといつも言ってる?
そんなの小手毬さんが最高なんだから、仕方ないだろう。
「わあー、真壁くん! ほら、見て! 可愛いよ!」
「そうだね。可愛いね、小手毬さん」
当然、僕が「可愛い」と言っているのは、小手毬さんのことである。
僕らがデートの行先に選んだのは、動物園だった。
大規模な動物園ではなく、ふれあい広場的なものがウリのよく言えば地域密着型の、ハッキリ言ってしまうと割とショボい施設だ。どちらかと言えば、「動物園が併設された公園」というのが適切だろう。周囲を見ても僕たちくらいの年代は少なく、家族連ればかりだ。
しかし、そんな施設の安っぽさが気にならないほどに、僕はこの場所を大いに堪能していた。何故かと言えば、目の前にいる最高に可愛い小動物が理由である。
「あはっ♪ もうっ、くすぐったいよお」
僕の目の前では、小手毬さんが数匹の犬に囲まれていた。
天使のような笑顔で犬を撫で回す小手毬さんを、犬たちが舐めたりしている。
ちなみに今は犬だけど、さっきまではウサギやリスとも戯れていた。
どうやら小手毬さんは小さくて可愛い動物が好きらしく、この場所をデートの行先として希望したのも彼女だ。
僕も小さくて可愛らしい小手毬さんが大好きなので、とても共感できる。
「真壁くんも、こっちに来ないのー? みんな可愛いよー?」
「僕は見てるだけで大丈夫。それで十分楽しい」
「そおー? あ、こらっ。そんなとこダメだってばー!」
小手毬さんが声をかけてきたけど、僕は一緒に混ざることを辞退した。
仕方がない。今の僕には、この光景を記録するという人生最大の大役が任されているのだ。もちろん任せたのは僕自身である。
僕が動画撮影モードにしたスマホを向ける先では、相変わらず小手毬さんが楽しそうに小動物たちと戯れている。
しかし僕に言わせれば、あの中で最も可愛い小動物は小手毬さんだ。
僕の目には、小手先の愛嬌を振りまく犬共に、真の小動物である小手毬さんが格の違いを見せ付けているようにしか映っていない。
その愛らしさときたら最高としか言い様がなく、この世から争いがなくならないのは、まだ世界が小手毬さんを見付けていないからだと僕は確信してしまった。しかしこの愛らしさを自分一人で独占したいという気持ちも、僕にはある。ここは僕と小手毬さんの幸せな未来のため、世界には犠牲になってもらおう。許せ、世界。
「おい真壁。俺ら、向こうの檻のあるコーナーに行ってるぞ」
「篤先輩。早くゴリラの素晴らしい筋肉を拝見しに行きましょう」
簗木と影戌後輩は、やはり小動物よりゴリラのようだ。
さっきは「カンガルーもやべえな……」などと言っていた。
「好きにしていいぞ。僕はここで小手毬さんを見てる」
「それ、面倒見る方じゃなくて、鑑賞の方だよな?」
「両方だ」
僕は当然のような顔をして言い放った。
こんなところに小手毬さんを置いて行ったら、他の入園者が小手毬さんとふれあいたくなってしまうかもしれない。僕はまだ自分の手を汚したくはないのだ。
簗木たちはそんな僕に呆れた目を向けながら、別の場所へ歩いていった。
「……可愛い」
「か、会長も、こういうのは好きなんですかっ?」
「そうね、好き」
一方で水澤先輩たちも少し離れたところで、ぎこちないながらも初々しいカップルらしいデートを繰り広げていた。
ちなみにここへ来る前にこっそり聞いておいたけど、水澤先輩が小さな動物を好きというのは事実らしい。流石の僕も彼女の相談が切っ掛けのデートで、小手毬さんを愛でることを最優先にはしない。
「会長! 向こうの方で、鳥とのふれあいも出来るみたいですよ!」
「……ごめんなさい。私、鳥は苦手なの」
「あ、そ、そうですか……」
しかし二人の間には、やはりどこか堅苦しい雰囲気が漂っている。
水澤先輩は釘原に素を見せられないし、釘原の方は本心でどう思っているかはまだ分からないけど、どうにも気合が入り過ぎているように見える。
この雰囲気から脱却するには、二人もしくはどちらかが変わる必要性がある。
とはいえ、ここはまだ仕掛けるタイミングではないので、僕は素直に小手毬さんを愛でる使命を果たすことにしよう。
「小手毬さーん、こっち向いてー」
「なーに、真壁くん? あっ、えへへ……。撮られると、ちょっと恥ずかしいよぉ」
うーん。やっぱりスマホだと、画質に限界があるな……。
僕はこの日、いつかビデオカメラを購入することを決意した。
その後、ゴリラを見に行った簗木たちとも合流して、昼食を済ませた。
食後に釘原がトイレに行きたいと言い出したので、僕は小手毬さんたちに目配せをしてから、それについて行くと申し出る。
「簗木、しばらく任せる」
「ん? おう、まあ任せとけ」
こっちの女性陣はそれぞれ見た目がいいので心配ではあるけど、簗木がいれば不埒なふれあいを目論む輩がいても、筋肉的ふれあいでどうにかしてくれるだろう。
今が僕の求めていた「機会」なのだから、外すわけにはいかない。
「なあ釘原、ちょっといいか?」
「え、何ですか? 真壁先輩」
僕は用を済ませた後、釘原に話を持ちかけた。
「水澤先輩のことなんだけど――」
昼食後は少しだけ園内を回って、今日は解散となった。
デートの終了時刻としては些か早いけど、これも作戦の内なので仕方ない。
水澤先輩としては想像以上に普通のデートだったせいなのか、拍子抜けしている様子が窺える。まあ、彼女には今回の本当の目的は、ちゃんと話してないからな。
だが彼女にとっては、ここからが本当のデートになるのだ。
「か、かいちょ……天乃さん!」
「え……徹くん、今、私の名前……?」
突然大きな声を上げた釘原に、水澤先輩は目を丸くする。
「俺、先輩と行きたいところがあるんです! 一緒に来てくれませんか!?」
「え? ええ、いいけど……」
「ありがとうございます! それじゃあ俺たちは、これで失礼します!」
そう言いながら、釘原は呆気にとられたままの水澤先輩を引っ張っていった。
二人きりでする本当のデートなんだから、しっかり楽しんでくるといい。
「なあ、こんなんで良かったのか?」
「ああ、バッチリだ。あの二人は多分、あれで大丈夫だよ」
半信半疑という顔の簗木に、僕は答えた。
今回のトリプルデートにおける本当の目的は、僕が釘原に接触することだ。
最重要だったのは水澤先輩の本性を彼に伝えて、それを受け入れられるか確認する事だったけど、その点については全く問題なかった。なにせ釘原は、水澤先輩の「氷の女王」ではない本当の姿に気付いていたんだから。
水澤先輩が本当は弱くて脆い人であると知っていた釘原は、それでも強がる彼女を自分が支えられるようになりたいと、気を張り過ぎていた。
一方で先輩はそんな彼氏の気も知らず、自分が年上としてリードしてあげたいと思いながら、引っ込み思案な性格のせいで一歩前に踏み出せずにいた。
だから僕は二人きりになった際、釘原にアドバイスしたのだ。
いざという時に彼女を支えられるのは大切だけど、普段は甘えた方がいいと。
『甘える、ですか? でも俺は会長を支えられるような彼氏に……』
『もちろん甘えっぱなしでいろってわけじゃない。だけど先輩は基本的に年上の自分が、お前をリードしてあげたいと思ってるんだ』
『え、そ、そうなんですか?』
『ああ、だから釘原。お前はいざという時は頼られるように頑張りつつ、普段は先輩に甘えるんだ。あの面倒くさい先輩を、お前が上手く転がしてやれ』
『会長を、俺が……』
『ああ、例えばだな――』
こうして僕は水澤先輩を手のひらで転がす方法を、釘原に伝授したのだった。
なかなか筋がいいようだったし、おそらく上手くやるだろう。
「流石、鬼畜眼鏡先輩ですね。女性を手玉に取るのがお上手です」
「まあまあ、知麻ちゃん。今回も上手くいったんだから、ね?」
影戌後輩が相変わらず生意気なことを言ってくるけど、今日の僕は小手毬さんの愛らしさを大いに堪能して機嫌がいいので、見逃してやることにする。
小手毬さんのフォローで、さらに幸せな気分になれたしな。
「それじゃあ、今日は助かったよ」
「おう。俺もまあ楽しかったわ。また誘ってくれてもいいぞ」
「そのうちな」
そんな軽口を交わして、簗木たちとも解散した。
簗木は影戌後輩を送っていくので、僕も小手毬さんを家まで送るのだ。
「じゃあ行こうか。小手毬さん」
「うん、真壁くん」
そう言って、二人で駅に向かって歩き出した直後。
「あれ? 久しぶり、元気だった?」
僕にとっては聞き慣れた、しかし懐かしい声が耳に入った。
思わず振り向くと、そこにいたのは――。
「――先輩!」
「え……?」
恋愛相談部の前部長である、彼女だった。
次回、天ちー先輩の視点で締めます。
もう一人の「先輩」については、その次になります。
読者様を一話も焦らしてしまう、鬼畜プレイです。