32.氷の女王・水澤 天乃⑥
「とりぷるでーと……?」
僕が言った言葉を、水澤先輩は呆気にとられた顔でオウム返しにした。
まあ日常で聞く言葉ではないから、すぐに飲み込めないのも無理はないだろう。
「要するに先輩たちと、こっちで用意した二組で、同時にデートをするってことです。『先輩の友達が彼氏に会いたがってる』とでも言えば、彼氏も聞いてくれるんじゃないですか?」
これが今回の主な作戦である。
先輩が一対一だと緊張してまともに振る舞えないというなら、多人数にして気を紛らわしてしまおうということだ。特に気心の知れた幼馴染の存在は、先輩にとって心強いだろう。
「えっと……その二組って?」
「僕らですね。あと一人増えますけど」
あと一人とは、当然ながら簗木のことである。
何故ダブルデートではないのかというと、ゴリラとその相方だけだと僕が不安だったからだ。ちなみに影戌後輩曰く、僕と小手毬さんも二人だけだと不安だからダメらしい。
「え? あの、ちーちゃんって……」
「ああ、すみません。言ってませんでしたが、彼氏が出来ました」
「え、そうなんだ!? えっと、もしかして……」
そう言いながら、先輩は僕にチラリと視線を向けてくる。
それに気付いた影戌後輩は、心底嫌そうな顔をした……って、おい。
「私の趣味は、こんな陰険眼鏡じゃありません。もっと逞しい人です」
「誰が陰険眼鏡だ」
「そ、そうだよね?」
「ちょっと、水澤先輩……?」
影戌後輩はいつも通りとして、水澤先輩まで「陰険眼鏡」の部分に突っ込みを入れてくれなかった。何故だ。
「それなら、もしかして……そっちの二人が恋人同士なのかな?」
「いえ、違いますよ?」
「え、違うの!?」
水澤先輩が僕と小手毬さんを見ながら聞いてきたので、素直に違うと言ったんだけど、やたら大袈裟に驚かれてしまった。
そんな先輩を見て、影戌後輩はしみじみと頷く。
「そうですよね。これで付き合ってないなんて、意味が分からないですよね」
影戌後輩の言葉を聞いた小手毬さんが、真っ赤な顔で僕を見てくる。
そんな可愛い顔で見られても、流石にこの場で告白なんて出来ないので控えてほしい。とはいえ正直、「大好き」と言うのも言われるのも慣れてしまって、付き合う切っ掛けというものを見失っているような気がする。サラッと告白して付き合うのも、アリかなとは思うんだけど。
「まあ、僕らはこれで上手くやってるから、別にいいんですよ。それより水澤先輩、どうですか? 一対一が無理なら、まずは同時デートで慣れるっていうのは」
「う、うーん……確かに徹くんと二人きりよりは、楽かもしれないけど……」
僕の言葉を受けて、水澤先輩は悩ましい声を上げた。
しかし一応、彼氏のことは名前で呼んでいるんだな。それとも、まさか女王様の時はもっと素っ気ない呼び方だったりするんだろうか?
「そうでしょう? いきなり二人きりより、トリプルデートの方が先輩のためにもいいですよ。是非ともご利用ください」
「そ、そうね。そこまで言うなら……」
いつの間にか「彼氏とデートをする」というのが前提になって、一対一かトリプルかの選択肢を迫られているのだが、水澤先輩はそれに気付いていない。
後ろで「悪質な訪問販売みたいですね」という呆れたような声と、「ま、真壁くんも頑張ってるんだよ」という天使のような声が聞こえるけど、とりあえず無視だ。というか、小手毬さんはもしかして具体的なフォローを諦めているのだろうか?
「よ、よろしくお願いします……」
とはいえ、どうにか先輩の言質は取れた。
見栄っ張りな割に引っ込みがちな先輩は、まず舞台に立たせるのが一苦労なのだ。思っていたよりも手早く達成できてよかった。
「それじゃあ、決まりですね。詳細は影戌後輩を通して連絡しますから、先輩はデートのための可愛いコーディネートでも考えておいて下さい」
僕がそう言うと、先輩は緊張の面持ちでコクコクと頷いた。
後ろに軽く目を向ければ、苦笑する小手毬さんとジト目の影戌さんが見える。……あれ? ついに小手毬さんにも呆れられてないか、僕?
何はともあれ無事に先輩を丸め込み、トリプルデートの約束を取り付けたのだった。
そして週末になり――。
「うん、絶好のデート日和だな」
この辺りでは一番規模の大きい駅の前で、僕は空を見上げながら頷いた。
今日の降水確率は10%で、今のところは雲一つない快晴だ。バッチリ0%ではないところに、要らないリアルさが感じられる。
「こういう天気がいいと、体動かしたくなるなあ」
「お前はいつでも動かしてるだろうが」
隣で相変わらずの体育会系発言をした簗木に、ツッコミを入れる。
僕と簗木は最寄り駅が同じなので、示し合わせて一緒にここまで来た。よもやデートにランニングで向かうのではないかと不安だったけど、流石の筋肉バカでも汗だくでデートに行かないくらいの節度はあったらしい。服装もジャージだったりすることはなく、ほどほどにカジュアルな高校生らしい格好をしている。まあ、簗木と学校の外で会うのは初めてじゃないから、こういう格好もするのは知ってるんだけど。
「しかし、あの『氷の女王』とトリプルデートとはなあ……。また恋愛相談部の相談なんだろ? 相変わらず、よくやるもんだ」
ちなみに簗木には、水澤先輩の本性はバラしていない。
こいつは気遣いのできないタイプではないけど、根本的に演技が下手なので情報は絞っておいた方が無難なのだ。まあ、そういう明け透けな部分が、影戌後輩のようなタイプとは上手く噛み合うのかもしれない。
「真壁くん」
「……ん?」
そんな話をしていたら、不意に後ろから服の裾を軽く引っ張られた。
振り向いてみれば、そこには都会という名の大森林に生息する愛らしい小動物――ではなく、私服姿の可愛い小手毬さんがいた。いや、愛らしいのは事実だけど。
「おはよう、真壁くん」
「小手毬さん、おはよう。私服は初めて見るけど、似合ってて可愛いよ」
「あ、ありがとう……。真壁くんも、その、格好いいよ?」
僕が小手毬さんの私服姿を当然のように褒めると、彼女も嬉しそうに笑いながら僕を褒めてくれる。
幸せ過ぎて抱き締めたい衝動に駆られるものの、ここが往来であることを思い出して鉄の意志で堪えた。すぐ傍に簗木もいるし。
「あ、簗木くんも、おはよう」
「おう、小手毬。今日も真壁と仲良さそうだな」
「え、えへへ。そうかなあ……?」
……いや、やっぱり少しくらいなら大丈夫なのでは?
きっと周囲の人も、カップルがいちゃついているくらいにしか思わないだろう。
「ダメです」
「うっ……」
情けないことに最近聞き慣れてしまった声に、僕は動きを止めた。
そのまま声のした方を見れば、呆れた目をした影戌後輩とその背に隠れ――ようとして全く隠れていない、水澤先輩の姿があった。
「まったく真壁先輩は、朝から油断も隙もありませんね」
「影戌後輩、この間も言ったけど、僕を犬扱いするのは止めてくれ」
「そう思うなら、もう少し我慢を身につけて下さい」
後輩から無理難題を吹っ掛けられてしまい、僕は閉口した。
小手毬さんを抱き締めるのを我慢するなんて、僕に出来るはずがないのだ。
僕の考えを見透かしているのか、相変わらず呆れた目を向けていた影戌後輩だけど、すぐに表情を緩めて小手毬さんと簗木の方に向き直す。
「篤先輩、美薗先輩、おはようございます。今日も篤先輩は、素敵な筋肉です」
「あはは……。おはよう、知麻ちゃん」
「おう。知麻も……アレだ、可愛いぞ」
影戌後輩の挨拶に、小手毬さんと簗木は各々反応を示した。
小手毬さんは、いつも通りの筋肉バカぶりに苦笑している感じだ。
簗木の方は多分、筋肉を褒め返そうとしたけど無理だったんだろう。影戌後輩は筋肉少ないからな。
まあ、彼女もデートの日くらい、筋肉よりも可愛さを褒められたいだろう。嬉しそうに、はにかんでるし。
「あ、あの……おはようごじゃいましゅ……」
そして、さっきから緊張で震えるばかりだった水澤先輩もようやく挨拶してくれたので、僕らもそれぞれ返事をする。
ちなみに簗木は彼女の様子に驚いていたようだけど、特につっこむ気はないようだ。「そういうもんなのか」とでも思っているんだろう。物分かりがよくていい。
先輩の方も簗木は僕らの身内として認識しているので、自分の本性を隠す気はないようだ。まあ、隠す相手は少ない方が、危険性も少なくなるしな。
「おーい、すいませーん!」
そんなことを考えていると、最近聞いたがまだ慣れない声が耳に入った。
水澤先輩はその声を聞いて、すぐに背筋をピンと伸ばす。表情も落ち着いたものになり、一瞬で「氷の女王」スタイルに変貌した。
直後に彼女の恋人である釘原が、息を切らしながら走ってくる。
「おはよう、徹くん。まだ時間前だから、焦らなくて大丈夫」
「お、おはようございます、会長っ。すいません、デートなんて初めてだから、色々悩んでたらギリギリになっちゃって……」
「そう? そんなに緊張することないのよ」
相変わらず、素の状態とのギャップが凄まじい。
目の前で変化を見たのは初めての簗木は、あんぐりと口を開けて驚いている。
さて、ここからが本番だ。
見栄っ張りな女王様の氷を、ドロドロに溶かして見せようか。