31.氷の女王・水澤 天乃⑤
一夜明けて、僕らは再び生徒会室を訪れた。
今回は小手毬さんも一緒なので、僕の精神衛生もバッチリだ。
ちなみにどうして恋愛相談部の部室ではないとかと言うと、どうも水澤先輩は慣れた場所でないと緊張してほとんど話せなくなるようで、彼女がこの生徒会室を希望したのだ。にわかには信じがたいけど、この間のアレでも水澤先輩的には話せている方だったらしい。
影戌後輩によると、あまり知らない人が増えるとアウェー感が強くなって、先輩がさらに縮こまってしまう可能性があるらしいけど、今回増えたのは人畜無害な小手毬さんなので問題ないだろう。
今回は会議が長引かなかったようで、僕らが生徒会室の前に来た時にはちょうど役員たちが出てくるところだった。何人かの役員が訝しげな目で見てくるので、「会長にお話がありまして」と説明しておく。「会長の方が相談を持ちかけている」とは言っていないだけで、一応完全に事実ではある。
おそらく会長に相談を持ちかける――持ちかけてぶった切られる生徒は少なくないのだろう。僕の説明を聞いた役員たちは、納得すると同時にどこか同情めいた視線を僕に向けてきた。
そんな視線には気付かない振りをして生徒会室の中を覗くと、水澤先輩の他にまだ男子生徒が残っていて、何かを話しているようだ。
会長席に座っている水澤先輩に男子生徒が話しかける姿は、さながら上司に報告をする部下のようにも見えるけど、よくよく二人の様子を観察するとそうでもないことが分かる。男子生徒の方は緊張しながらも水澤先輩への敬意、というか好意が見え隠れしているし、先輩の方も相変わらずの女王スタイルながら会議中よりは少し雰囲気が柔らかい。
「なあ、影戌後輩。もしかして、あれが……」
僕が横にいる影戌後輩に話しかけると、彼女は頷いて答えた。
「ええ。私も実際に見るのは初めてですが、おそらく天ちーの彼氏でしょう。確か――釘原 徹さんと言いましたか」
やはり、そうなのだろうか。僕の方も同意見だ。
水澤先輩の彼氏については、一昨日ここを訪れた時に話を聞いている。
会計補佐を務める一年生で、先輩曰く「人懐っこくて頑張り屋な子犬みたいな子」とのことだ。先輩に冷たくされながらも決して距離を取ろうとせず、「美人で気高い会長に惚れました」という理由で一か月ほど前に告白してきたらしい。
先輩の方も彼が気に入っていたので、それを受け入れたのだとか。おそらく見栄っ張りの先輩には、潜在的に年下好きの気があるのだろう。
入口に立つ僕らに釘原が背を向けている形だったけど、僕らに気付いた水澤先輩がこちらに視線を送ったのを見て、彼の方も来訪者の存在を察したようだ。一瞬だけこちらを見た後、先輩に一声かけて会長席を離れた。
「すみません、お待たせしちゃったみたいで。僕の方はもう終わってますから、ゆっくりしていって下さいね」
「ああ、今来たところだから大丈夫。追い出すみたいで申し訳ない」
「いえいえ」
僕とも軽く挨拶をしてから、釘原は生徒会室を出て行った。その背中から生徒会室の中に視線を戻すと、水澤先輩が名残惜しそうにしている姿が目に入る。
「結構、仲良さそうじゃないですか。水澤先輩」
「あ、うん。釘原くん、人懐っこいから。私がこんなでも、ちゃんと喋ってくれるんだ」
「天ちーは、彼のそういうところが好きなんですね」
「すっ……も、もうっ! ちーちゃんってば!」
僕らが声をかけると、水澤先輩はほんの少し前とは別人のような態度を見せた。あまりの変貌ぶりに、事前に話を聞いていた小手毬さんですら目を丸くしている。
ちなみに幼馴染である影戌後輩は当然として、一昨日の件で僕とも最低限の会話が成り立つようになっている。本来なら素で話せるようになるには、もっと時間がかかったんだろうけど、最初にあの姿を見せてしまったことで僕相手に見栄を張るのは諦めたらしい。今日は初対面の小手毬さんも来ているけど、恋愛相談部の一員ということで彼女にも素を見せるべきだと判断したのだろう。
「あ、えっと……。私、恋愛相談部の小手毬です」
「あ、はい。せーとかいちょーのみじゅしゃ……水澤です」
やはり噛み噛みだった。
小手毬さんの人畜無害オーラを以てしても、初対面で水澤先輩を緊張させないことは不可能らしい。とはいえ、小出毬さんも水澤先輩も小動物のようなものなので、いずれ打ち解けるだろう。いや、小動物同士だと縄張り争いとかするのだろうか……?
「先輩、とりあえず僕らの方で、色々と案を出してきたんですけど……」
「あ、うん、ありがとう。どんなのがあるのかな?」
僕は検討してきた案の中で、最有力のものを提示する。
「とりあえず先輩には、彼氏とデートをしてもらおうかと」
「でっ!?」
物凄い声で驚かれた。
恋人がいるのに、デートするというだけでここまで驚くのか……。
「む、むむむ無理! デートなんて無理!」
「天ちーの彼氏って、さっきの男子ですよね? 釘原さん」
「優しそうな男の子だったよね。そんなに怖がらなくても……」
「やだ、無理! 恥ずかしいもん!」
小手毬さんと影戌後輩が諭すものの、水澤先輩は恥ずかしがってばかりだ。
生徒会の他の役員たちも、まさか自分たちの女王様が「恥ずかしいもん!」なんて言葉を口にするとは、思ってもいないだろう。
「でも先輩、最終的には年上の彼女として、釘原をリードしたいんですよね?」
「う、うん……」
「だったらデートの一つくらい出来ないと、マズいんじゃないですか?」
「うう……そうだけどぉ……」
というか、付き合って一か月なんだから、一度くらいデートしていてもいいだろうに。何となく先輩と釘原は、学校でしか会ったことなさそうな気がする。
先輩はなおも呻いていたけど、やがて僕の方に鋭い視線を向けてきた。視線だけは「氷の女王」だから、結構怖い。本人はジト目のつもりっぽいけど。
「うう……きちくめがね……」
恨みがましい口調で、先輩はそう呟いた。
「って、おい、後輩」
僕が視線を向けると、影戌後輩はサッと顔を背ける。
「なんで水澤先輩が、あの呼び方を知ってるんだ?」
「……私は知りませんね。真壁先輩の溢れんばかりの鬼畜さが、天ちーに自然とそう言わせているのでは?」
「本当に知らないなら、僕の目を見て言ってみろ」
「お断りします」
実に生意気な後輩である。
このしたたかさ。どうやら恋愛相談部の未来は安泰のようだ。
「あはは……。まあまあ、真壁くん」
「小手毬さん」
僕が小生意気な後輩をどうしてやろうかと考えていると、小手毬さんが肩に手を置いて僕を窘めてくれる。
小手毬さんが最高なので抱き締めたくなった僕だが、ここが生徒会室であることを思い出して、どうにか踏み止まった。
「あ……そっか」
と思いきや、いつもの抱き付くタイミングだと思ったらしい小手毬さんが、中途半端に手を広げたポーズになっていた。
……期待を裏切るのはよくないので、やはりここは男らしく抱き締めた方がいいのではないだろうか?
「真壁先輩、ダメですよ」
案の定、影戌後輩から制止の声が……って。
「おい、僕は犬か」
「我慢が利かないところは、少し似ていますね」
コイツ、悪びれないな……。
僕が影戌後輩を睨んでいると、小手毬さんが嬉しそうな顔をする。
「真壁くんみたいな犬なら、将来飼ってみたいかも」
「ワン」
僕は一瞬で、人間としてのプライドをかなぐり捨てた。
小手毬さんを愛でるのが趣味の僕だが、彼女に愛でられるというのも魅力的だ。
「……バカなことを言ってないで、本題に戻りますよ」
「自分が犬扱いしてきたくせに……」
よく考えたら、彼女の方こそ「影戌」じゃないか。そんなことを言ったら「だから何ですか?」とか聞き返されそうな気がするから、口にはしないけど。
僕は気を取り直して、まだ恥ずかしがっている水澤先輩に声をかける。
「先輩。もちろん嫌がる先輩を、無理にデートに行かせたりはしませんよ」
「べ、別に嫌ってわけじゃ……」
そこは言葉の綾なので、流しておいてほしい。
「先輩にご提案するのは、『トリプルデート』です」
僕はプランナーさながらの口調で、そう言った。
相談にかこつけて小手毬さんとデートしようとする、鬼畜の鑑。