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29.氷の女王・水澤 天乃③

「……氷の女王?」

「はい、氷の女王です。あの人は、周囲からそう呼ばれています」


 なんじゃそりゃ。異名って、現実にそんなのがあるんだな。

 影戌後輩の思わぬ言葉に驚いた僕だったけど、まあ実際に水澤先輩を見てみれば「氷の女王」なんて呼ばれるのも無理はないと思える。……いや、やっぱり微妙?

 イメージは確かに合ってるけど、異名ってちょっと恥ずかしくないかな……。


 僕らが覗いている生徒会室の中では、いまだに水澤先輩がバッサリと役員たちの話を切り捨てていた。現代に蘇った侍か何かだろうか、あの人は。


「いや、しかし凄いな。あのクールな感じは、確かに『氷の女王』なんて呼びたくなる気持ちも分かるね」


 水澤先輩は異名に違わず、冷たい雰囲気の美人である。

 整った顔立ちは愛嬌に欠ける代わりに気品に満ちていて、女子としてはやや高めの身長も相まって、女王という表現が決して大袈裟なものではないと感じさせる。

 青みがかって見える黒髪をサイドテールにまとめた姿も、氷のイメージには相応しいだろう。


 水澤先輩の振る舞いを見た僕がそう呟くと、隣で聞いていた影戌後輩は複雑そうな表情を見せた。


「あの人も、好きでそう呼ばれているわけではありませんけどね」

「……そうなのか? まあ「氷の女王」なんて、いかにも「冷たい奴」って言われてるみたいだもんな。呼ばれて嬉しいような名前じゃないか」

「ええ、まあ……」


 僕の言葉に同意する影戌後輩だけど、その反応はどこか鈍い。

 そんな彼女の様子に僕が疑問を覚えている間に、会議は滞りなく終わったようだ。役員たちが部屋を出る素振りを見せたので、影戌後輩と一緒に離れた場所へ避難する。いつまでも扉の前にいたら、覗きがバレるからな。


 しばらくすると人の出入りは止んだものの、水澤先輩の姿は見えない。

 おそらく中で僕らを待っているのだろうと思い扉に近付くと、会長用と思われる机で項垂れている姿が目に入った。

 やはり氷の女王とはいえ、長時間の会議は堪えるということだろう。

 お疲れなら、そっとしておくべきだろうかと僕は悩む。単純にさっきまでの様子を見て、彼女に声をかけるのが少し怖いというのもあるんだけど。

 とはいえ、向こうの都合で時間が過ぎているとはいえ、約束があるので勝手にすっぽかすのもな……。なんて思っていたら、影戌後輩が構わず入室してしまった。


「あ、おい。ちょっと待……」

「来ましたよ。水澤先輩」


 僕の制止も聞かず、影戌後輩は水澤先輩に声をかける。

 僕としては、もう少し覚悟を決める時間がほしかったんだけど……。

 しかし声をかけてしまったものは仕方ない。腹を決めて水澤先輩の様子を窺うと、肩をピクンと震わせて俯いたままだった顔を上げた。

 そして自分の傍にいるのが影戌後輩だと気付くと、安心した様子を見せる。……なんというか、意外に普通の反応だな。


「ち……」


 水澤先輩の怜悧な美貌の中で、唇がわずかな動きを見せた。

 僕が「近くで見るとますます美人だ」と思っていると、その冷たい眼差しの端に涙が浮かび上がる。……あれ? なんか変な流れじゃないか?

 そんな僕の困惑など露知らず。というか、おそらく僕の存在など目に入っていない様子で、水澤先輩は席を立って影戌後輩に近寄った。

 そして、その体をヒシッと抱き締める。なにこれ?


「ちーちゃん……っ」


 ――最初、それが誰の言った言葉なのか、僕には分らなかった。


「はいはい、私ですよ。水澤先輩」

「もうっ。そんな呼び方やめてよ、ちーちゃんっ」


 厳密には目の前で喋っているから相手は誰だか分かるんだけど、それが()()の言葉であるという事実を、脳が理解することを拒んでいた。

 しかし僕の目に映っているのは、僕が小手毬さんのいない寂しさで幻覚を作り出しているのではないとしたら、間違いなく現実である。

 たとえ水澤先輩が小柄な影戌後輩に抱き付いて、もはや床にしゃがんでいるような状態になってたとしても。たとえ先輩が泣きべそをかいていて、その頭を影戌後輩がポンポンと叩いてあげているとしても。


「分かりました――(あま)ちー」


 天ちー!?

 僕は思わず声を上げそうになったけど、どうにか堪えた。

 え、ちょっと待って。……氷は? 女王様はどうしたんだ?

 僕の目の前にいるのは、どう見ても「氷の女王」などではなく、年下の幼馴染に泣きつく気弱そうな美人の先輩である。


「あの、真壁先輩」

「え?……ひゃあ!?」


 僕が驚きのあまり黙っていると、影戌後輩がおずおずと声をかけてきた。

 ついでに僕の存在にようやく気付いた水澤先輩が、素っ頓狂な声を上げながら影戌後輩の背中に隠れてしまう。先輩の背が高めだから、全然隠れてないんだけど。


「驚かれたと思いますが、これが水澤先輩――天ちーの本当の姿です」


 僕も薄々感づき始めていたことを、影戌後輩が説明してくれた。

 ちなみに途中で先輩の呼び方を変えたのは、「水澤先輩」と言った瞬間に彼女の目が潤んで悲しそうな顔をしたためである。会議の時とのギャップが凄すぎる。


 とりあえず状況は、なんとなく分かった。

 水澤先輩は本来こういう大人しい、というか気弱な性格で、生徒会長として振舞っている時は演技しているのだろう。

 何故そんな事になっているのかは分からないけど、おそらくその辺りが今回の相談にかかわってくるのではないだろうか。


 となれば、まずは平和的に接触するところから始めるべきだろう。

 幸い、さっきまでの冷たい姿じゃないから、僕も緊張しなくて済むし。


「あの、はじめまして。恋愛相談部の部長をやっている、真壁と言います」

「ひゃい! み、みじゅしゃわでしゅ……」


 噛み噛みだった。

 僕は彼女の名前を知っているから、かろうじて何を言っているのか分かったけど、そうでなければ名前だということも理解できなかったかもしれない。

 本当にさっきまでとは別人のような姿だ。そんな思いが、僕の口を衝いて出た。


「これが『氷の女王』と呼ばれる人と同一人物だとは、とても思えないな」

「こ、こおりの……」


 すると僕の言葉を聞いた水澤先輩が眉を顰めて、哀しそうな表情になる。というか、ちょっと泣きそうに見えるんだけど。

 案の定、先輩は影戌後輩にしがみついたまま、嫌々と首を横に振って泣き出してしまった。もしかしなくても、これは僕が泣かせたことになるのだろうか?


「もう、やだよう……。なんでみんな、『氷の女王』とか恥ずかしい呼び方するの? 私、そんなに冷たくないもん……」

「ええ……?」


 さっきから水澤先輩の様子には困惑し通しだけど、ここに来て僕の困惑はさらに深まっていた。

 僕のそんな様子を見て、影戌後輩が申し訳なさそうに説明してくれる。


「すみません、真壁先輩。天ちーはこ――その異名が好きではないので、本人の前では呼ばないで頂けると……」

「そ、そうみたいだな」


 確かに影戌後輩は「好きでそう呼ばれているわけじゃない」って言ってたけど、冷たい人間として扱われること以前に、普通に恥ずかしがってたのかよ。いや、仮に自分が呼ばれるとしたら恥ずかしいから、気持ちは分かるけど。


 さめざめと泣く水澤先輩を、影戌後輩が優しく慰める。

 ようやく泣き止んだ先輩から相談の詳細を聞くまで、暫しの時間を要するのだった。

次回から小手毬さんが復帰します。

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