28.氷の女王・水澤 天乃②
「なんか久しぶりだね、真壁くん」
「ああ、そっちは……上手くいってそうだな、建山」
影戌後輩と廊下を歩いている途中、僕に声をかけてきたのは、かつて恋愛相談部に相談を持ちかけてきた男子生徒・建山だった。隣には小野寺さんもいて、仲睦まじそうにしている。
「ああ、うん……そうだね」
小野寺さんを横目で見ながら、建山はそう言った。
そういえば、建山は小野寺さんに恋愛相談のことを話していないんだったか。
僕との会話で、彼女にそれがバレないか心配しているんだろう。別に悪い事をしているわけでもないんだし、話してしまっても問題ないと思うんだけど。
「えっと、今日は小手毬さんと一緒じゃないんだね。その子は?」
そう言いながら、建山は僕の横にいる影戌後輩に視線を向ける。
自分の事を尋ねられていると理解した彼女は、僕が答えるよりも先に名乗り出た。
「影戌 知麻と申します。最近、真壁先輩の部に入りました」
「へえ、新入部員が入ったんだ。良かったね、真壁くん」
「ああ、まあね」
建山はBLゲーの特訓中にしばらく恋愛相談部の部室にいたので、世間話なんかで僕が部を盛り上げようとしている事を話してある。
それにしても、影戌後輩が恋愛相談部の名前を出さなかったのは、少し驚いたな。彼女は建山の事情を知らないはずなのに、さっきの会話から言わない方が無難だと判断したのだろうか。なかなか将来有望な後輩である。
「今日は小手毬さんが用事でいなくてね。この子と二人なんだ」
「へえ、こっちは今から真世さんの家に行くとこだよ。ね?」
「ええ、そうね。その……最近、新作が出たから、二人でやろうと思って」
ちなみに小野寺さんとは、建山の友人として小手毬さんと一緒に会っている。
建山が「信頼できる友人」と紹介してくれたので、自分のBL趣味を知っている事も小野寺さんは認知していて、まあ友人の友人という関係だ。
「仲良さそうで何よりだよ。じゃあ、僕らはこっちだから」
もう少し話してもいいところだけど、相談者との待ち合わせもあるので、またいずれの機会にしておこう。影戌後輩はBLゲーのこと知らないから、二人も気を遣うだろうしな。
僕が行き先を指差すと、建山は頷き返してきた。
「そっか。それじゃあ、また今度ゆっくり話そうよ」
「ああ、小野寺さんも、またね」
「ええ」
「失礼します」
最後に影戌後輩が一声かけて、僕らは建山たちと別れた。
別れ際に小野寺さんが「今日こそ落とす……!」とか言ってた気がするけど、あれは何だったんだろうか? 今日やるっていうBLゲーの話かな?
疑問に思いながら二人を見送っていると、隣に立っている影戌後輩が鋭い視線を二人に向けている事に気付いた。
「あの二人が、どうかした?」
「いえ、あの男性。なかなか見事な筋肉をお持ちだと思いまして。元は少々ふくよかな方だったんでしょうか?」
なるほど。建山の筋肉に反応していたのか。
確かに建山は今でもダイエット……というかトレーニングを続けているらしく、かなりガッチリとした体格になっている。
僕も今度、どういうメニューをやっているのか聞いてみようかな。
「そうだね。結構、小太りなタイプだったよ。一緒にいた小野寺さんとの事で相談してきたから、ダイエットを勧めたんだけど、上手くやってるみたいだな」
「なるほど。真壁先輩は、非常にいい仕事をしました。流石は部長です」
初めて彼女から尊敬の目を向けられた気がするけど……。何故だろう、素直に喜べないのは。多分、筋肉が理由で褒められたからだろうな。
その後、少し歩いたところで目的地にたどり着いた。
廊下に出ているプレートを見ると、そこに書かれているのは「生徒会室」という文字だ。言うまでもなく、生徒会が活動するための部屋である。
「それで、影戌後輩の幼馴染はここにいるんだよな?」
「そうですね。彼女はうちの生徒会長です」
「生徒会長?」
影戌後輩の言葉を、僕は思わずオウム返ししてしまった。
生徒会室が目的地だとは聞いていたけど、相手が会長だとは聞いてないぞ……。
「真壁先輩は、会長のことはご存じですか?」
「どうだったかな……」
影戌後輩に言われて、うちの生徒会長について思い返してみる。
女子なのは間違いないよな。影戌後輩も「彼女」って言ってたし。
確か美人だった気がする。例のノートに記録するために情報収集しようと思っていた記憶が、ぼんやりとだけどある。でも結局、情報は集めなかったんだよな?
その辺りを説明すると、影戌後輩は納得したように頷いた。
「確かに彼女は美人ですね。優秀ですし、モテそうだと先輩が思ったのも不思議ではありません」
「だったら、どうして僕は情報を集めなかったんだ?」
自分の事なのに、いまひとつ思い出せない。
すると影戌後輩は、なんてことないような様子で言った。
「簡単です。彼女には、以前から付き合っている相手がいるんですよ」
「あ、そうか」
言われてみれば、簡単な話だった。
すでに恋人がいたから、恋愛相談に来る可能性は低いと思って、情報収集の対象から除外していたのか。他にも候補がいたから、優先順位を付ける必要性があったからな。
「ということは、今回は久々に情報のない相手だな」
最近の恋愛相談は、相談者もしくは意中の相手の情報を僕が持っていることが多かったけど、今回は少なくとも相談者の情報はないわけだ。
もしかしたら交際相手は有名な人なのかもしれないけど、以前から付き合っていたなら、その相手も僕の情報収集から漏れている可能性が高い。
「ですが、今回は私の幼馴染ですので。情報はしっかりありますよ」
「なるほど。頼りにしてるよ、影戌後輩」
僕がそう言うと、影戌後輩はコクリと頷いた。
相変わらず有望な後輩だ。
彼女がいれば、今回の相談も見事解決できるだろう。
……後は僕の精神的な支えとして、小手毬さんにいてほしいところだけど。
「じゃあ、中に入って話を……って、あれ?」
意気揚々と入室しようと扉に近付いた僕だったが、そこで中から話し声がしている事に気付いた。さっきまで影戌後輩と話していたから聞こえていなかった。
「……どうやら会議中みたいですね」
「あれ? 時間指定されてたんじゃなかったか?」
少し行儀が悪いけど聞き耳を立ててみると、中では生徒会の会議をしているようだ。紛糾しているとまでは言わないが、活発な会話が繰り広げられている。
「おそらく、予想以上に長引いたんでしょう。途中で切れる雰囲気でもないから、私に連絡できなかったんだと思います」
「ああ、そうか。そういう事もあるよな」
僕は納得して頷いたけど、そうなるとこのまま待つべきだろうか。
ただ立っているのもアレだし、どこかで時間を潰すべきかな。
そう思っていると、影戌後輩が僕の制服の袖を引いてきた。
「真壁先輩、後ろの扉が少し空いています。……覗いてみますか?」
「え? ああ、本当だ」
影戌後輩に言われて視線をやると、確かに僕らが入ろうとしていたのとは反対側の扉が、少しだけ空いたままになっているようだった。
「覗きか……。重要な会議だったら、マズいんじゃないか?」
「試しに覗いてみて、すぐに離れれば大丈夫だと思いますよ。本当に聞かれたらマズいようなことは、こんなところで話さないでしょうし。それに真壁先輩も、直接会う前に会長のことを少しくらい知っておきたいのでは?」
そう言われると、否定しづらいところだ。
影戌後輩に情報を聞くのもありだけど、百聞は一見に如かずと言うし、自分の目で直接見ることでしか分からないこともあるだろう。
「仕方ない。軽くだぞ、軽く」
僕の言葉に影戌後輩が頷くと、二人で反対側の扉前まで移動する。
そして扉の隙間から、中の様子を窺うと――。
「――どうでしょうか、会長?」
「ダメ。メリットが分からない。もう少し資料を練って」
「じゃあ、こっちの案は……」
「これ、ちゃんと話通してる? 通してから持ってきて」
「会長、訂正終わりました!」
「……まだ間違ってる。こことここ。直してきて」
クールな雰囲気の美人が、生徒会役員と思われる人たちをバッサバッサと切り捨てていた。笑顔の欠片すら見えない、非常に冷徹な表情である。
「……なかなかエグいな。言ってることは正論っぽいんだけど」
生徒会役員が反論しないのは、会長の言い分が正しいからだろう。
それにしても、もう少し愛想よくしてあげれば周囲も気楽だろうに。
「あれが……」
「ええ、あれが――」
僕が思わず呟くと、追従するように影戌後輩が口を開いた。
「『氷の女王』の異名を持つ生徒会長、水澤 天乃です」
次回まで小手毬さん不在です。
私自身、二話ですでに小手毬さんが不足してきました。