27.氷の女王・水澤 天乃①
「なあ、もう部活行ってもいいか? 早く体動かしたいんだが」
「待て。まだ聞きたい事がある」
放課後の教室にて、僕は簗木と顔を突き合わせていた。
何故かと言えば、効率のいい筋トレについて簗木の意見を求めるためだ。
数日前、影戌後輩の一件で小手毬さんの「ガッチリした人って、格好いいよね」という発言を聞いた僕は、自らを鍛えようと画策しているのだ。
「別にこんなことしなくても、小手毬はお前のこと好きだと思うぞ」
「そんなのは知ってるよ。でも格好いいと思われたいだろ」
「知ってんのかよ……」
そりゃあ小手毬さん、最近は普通に「大好き!」って言ってくれるし。
あれで知らないとか言ってたらヤバいだろ。ちなみに僕も大好きです。
だけどそれはそれとして、小手毬さんから誰よりも格好いいと思われたいという欲が、僕にもあるのだ。
「だから、もう少し詳しく教えてくれ」
「つっても、俺は実践型だし……。知麻に聞けばいいじゃねえか」
確かに簗木の言う通りトレーニングメニューなら、トレーナーの心得がある影戌後輩に話を聞いた方が確実だろう。しかし僕には、それが出来ない理由がある。
「影戌後輩だと、うっかり小手毬さんに漏れるかもしれないだろ」
あの二人、結構仲が良いからな。
お互いに「好きな人のお世話」という共通の趣味があるので、コーヒーの淹れ方やプロテインの種類などで盛り上がっているのを見かける。どうしてあの内容で会話が成立しているのか、不思議で仕方ない。
「小手毬に漏れたら、何か問題あるのか?」
「そりゃあ、恥ずかしいだろ。こういうのは、こっそりやらないと」
なんかこう、不意に「あれ、真壁くんって意外と……」みたいな感じがいい。
「小手毬に知られても、『真壁くん、頑張ってるんだ。私も応援してあげないと』みたいな感じになるだけじゃないか?」
「お前が小手毬さんの真似するんじゃないよ、ぶっとばすぞ」
「……お前にそこまでガチギレされたのは初めてだな」
仕方ないだろ。ゴリラと小動物は違うんだよ。
そんなアホな会話をしている途中、簗木が思い出したように言った。
「そういえば、知麻から連絡いってるか?」
「ああ、なんか相談者がいるって話だろ? なんで部に入ったばかりの影戌後輩のところに、相談がいってるんだ?」
そう。今日は影戌後輩から『相談したいと言っている人がいます』と言われて、これからその相手に会うに行く予定なのだ。
どうして影戌後輩が相談を受けているのか、謎だったんだけど……。
「その相手、知麻の幼馴染なんだってよ」
「幼馴染?」
「ああ、女子のな」
なるほど。それで影戌後輩が話を受けたのか。
そういえば、そろそろ約束の時間じゃなかったかな。
「真壁先輩、お待たせしました。篤先輩も、お疲れ様です」
なんて思っていたら、ちょうどいいタイミングで影戌後輩がやって来た。
「おう、お疲れ、知麻」
「ああ、お疲れ様」
簗木と二人揃って、影戌後輩に挨拶を返す。
さて、後は小手毬さんに声をかけて、相談者のところに行くわけだけど……。
「あ、あの……真壁くん」
教室内にいるであろう小手毬さんを探す前に、本人が声をかけてきてくれた。
ただし、その表情はどこか不安そうというか、申し訳なさそうだ。
その表情のまま、小手毬さんは頭を下げた。
「ご、ごめんね、今日は――」
「ハァ……。小手毬さんのいない放課後なんて、まるで怠けて筋肉の衰えてしまった簗木のようです」
「あの、真壁先輩。それ、もしかして私の物真似ですか? 気持ち悪いので止めて下さい」
僕が小手毬さん不在という悲劇を冗談交じりに嘆くと、隣を歩く影戌後輩から冷たい反応をもらってしまった。簗木に小手毬さんの物真似をされたことに対する、僕の完全な八つ当たりなので仕方ないか。
仕方ないと流せないのは、今日は小手毬さんがいないという事実である。
あの時、教室で声をかけてきた小手毬さんによると、今日は元から用事があったんだけどギリギリまで日を勘違いしていたらしい。なので、あのタイミングで申し訳なさそうにそれを伝えてきたのだ。
いや、小手毬さんも用事があるのは仕方ないんだけど、やはり放課後は彼女のコーヒーを飲まないと生きた心地がしない……ということは。
「影戌後輩……」
「……何ですか? 真壁先輩」
「僕は今日、死ぬのかもしれない……」
「……何を言っているのかは分かりませんが、バカなことを言っているのは分かります」
ジト目で一蹴されてしまった。後輩が冷たい。
「大体、篤先輩は筋肉だけの人ではありません。心も素敵な人なのです」
影戌後輩が、なおも僕を責めようとする。
そりゃあ、僕だってアイツが筋肉だけの奴だとは思ってないけどね。
「じゃあ影戌後輩は、簗木が怠けて筋肉が衰えても、変わらずに愛せるのか?」
「うっ、それは……」
何となく悪戯心からそう言うと、影戌後輩は苦虫を嚙み潰したような顔になる。
僕をチロリと睨み付けて、悔しそうに「ぐぐっ」と呻いていた。
「こっ、この鬼畜眼鏡……!」
「あ、お前、また鬼畜眼鏡って」
不名誉な名で呼ばれたので抗議する僕に対して、影戌後輩はそっぽを向く。
「ふんっ! 人の愛を試すようなことを言う外道は、鬼畜眼鏡で十分です!」
「しかも外道まで」
さらに不名誉なものが追加されてしまった。
「大体、先輩こそどうなんです? もしも美薗先輩が金髪ガングロになったとして、変わらずに愛せるんですか?」
「え? こ、小手毬さんが……?」
言われて僕は、そういう姿になった小手毬さんを想像してみる。
僕個人としては、金髪ガングロに忌避感は覚えない。ああいうのもファッションのひとつだし、似合っていればいいんじゃないだろうか。
しかし、それを小手毬さんがするとなると……。
「……悪い、影戌後輩。僕が間違ってた」
「分かればいいのです」
バカな会話だった。
しかし小手毬さんといえば、やはりあの小動物的な気弱さと、可愛いけど一歩引いたような儚い容姿が揃ってこそだと、僕は思うのだ。
一瞬だけなら金髪ガングロ姿も見てみたいが、常時それだと流石に困る。
しばしの間、僕と影戌後輩が廊下を歩く足音だけが聞こえていた。
相談者のいる場所までは、もう少し距離がある。何か話題を出した方がいいかと考えていると、影戌後輩の方からおずおずと話し出した。
「あの……せっかく二人なので聞きますが、真壁先輩は美薗先輩のことが好き、という解釈でいいんですよね?」
「うん、そうだけど?」
僕がそう返すと、影戌後輩は一瞬驚いた顔になり、すぐにジト目に変わった。
……彼女が僕を見る目は、もうこれがデフォルトになりつつあるな。
「その割に二人は、お付き合いしてないんですよね。どうしてですか?」
言外に「さっさと付き合えよ」と言われているような気がする。
僕の自意識過剰だろうか? まあ、中途半端な感じなのは事実なんだけど。
「ぶっちゃけ言うと、中途半端な関係を楽しんでる部分はある」
「……本当にぶっちゃけましたね。そうやって余裕でいると、誰かに足元をすくわれますよ」
正気な気持ちを話したら、後輩から苦言を呈されてしまった。
しかし言いたい事はよく分かるので、僕からは反論の仕様がない。
反論はしないけど、僕もその危険性は想定していないわけではないのだ。
「そうなる前には、ちゃんと攫っていくよ」
小手毬さんを他の誰かに渡す気なんて、さらさら無いからな。
「……ハァ」
「あれ、ダメだった?」
僕としては真面目に言ったつもりなんだけど、溜め息を吐かれてしまった。
「いえ、その時はくれぐれもよろしくお願いしますね。美薗先輩が泣くところは、私も見たくありませんから」
呆れたような目を向けながらも、影戌後輩は僕にそう言った。
その内容には僕も完全に同意なので、ハッキリと頷き返す。
「もちろん。僕は小手毬さんのコーヒーがないと、やっていけないからね」
小手毬さん愛好家の肩書は、伊達ではないのだ。
今後も末永く、彼女のコーヒーを飲ませてもらいたいものである。
「さて、もうそろそろ約束の――」
「あれ? 真壁くん?」
僕が影戌後輩に声をかけようとしていると、それより先に僕の名前が呼ばれた。
声のした方を見ると、そこには――。
何か振りみたいなことを言ってますが、シリアスはありません。